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第3部 印刷文字から符号化文字へ
第6回 漢字の字体史から見た『議員氏名の正確な表記』


日本の明朝体には存在しない「縦棒の信」

 前回は『議員氏名の正確な表記』(以下、『正確な表記』)の作成において、忠実に「書かれた字のとおり」を目指したつもりでも、しんにょうの形に見られるように実際には無意識のうちに包摂していることを指摘した。つまり『正確な表記』は、作成者が思っているほどには「書かれた字のとおり」にはなっていない。では、こうした矛盾が『正確な表記』そのものに、どのような影響を及ぼしているのだろう。以下、具体的に見ていこうと思うが、これにあたってまず第3回で図1として掲げたものを再掲する(図1)。


◇図1 『議員氏名の正確な表記』にある字をMac OS Xの上から分類したもの。(1)ではUnicodeの符号位置を、(2)ではCID番号を併記した。(3)は筆者による作字。いずれもヒラギノ明朝を使用。(4)の吹き出し内のフォントのみMS明朝を使用。なお、ピンクで示したUnicode符号位置は互換漢字。これについては第2部第5回第8回を参照

 例えば図1(3)にある町村議員他2名の「信」。これは「言」の第一画を縦棒にした形だ(以下「縦棒の信」)。ところが、ほぼすべての明朝体は第一画を横棒につくる(以下「横棒の信」)ことが資料から明らかだ。第4回図7キャプションでも書いたが、『明朝体活字字形一覧』(文化庁、1999年)を参照する限り、そこに集められた幕末期から戦前期の23明朝体のうち、「縦棒の信」は19世紀アメリカ長老教会と同じく19世紀香港の英華書院の2つだけであり、日本の明朝体には存在しない(図2)。現代の明朝体でも同様で、少し資料が古いがデジタルフォント、写植、新聞社等の8書体を集めた『字体・字形差一覧』(文化庁、1997年)を参照しても「縦棒の信」は存在しない(図3)[*1]


図2 『明朝体活字字形一覧』における「信」(文化庁、1999年、P.15)

図3 『字体・字形差一覧』における「信」(文化庁、1997年、P.53)

「信」は約1900年前から横棒でも点でも書かれていた

 では、手書きにおいては「信」という字はどのように書かれてきたのだろう。こうした問いを立てることは簡単でも、答えるのは簡単でない。10年や20年さかのぼっても意味はないし、日本だけを調べても意味はない。漢字の本家は中国だ。古代から日本は海を隔てた中華文明を模範としてきたのだから、少なくとも楷書体が完成した唐代(7〜10世紀)までさかのぼって、中国と日本、できればその中間の朝鮮半島も調べる必要がある。

 この一見途方もないような難題が、現在ではあるWebサイトで検索するだけで分かってしまう。それが『漢字字体規範データベース Hanzi Normative Glyphs』(以下、HNG)だ[*2]。これは中国、日本、韓国その他から、後世への影響力が大きく規範性が高いものを中心に79文献を選び出し、それらの文献から1字ごとに切り出し、字体ごとに整理した上でデータベース化したものだ。最も古い文献はスタインが将来した敦煌出土の506年(南北朝期)『大般涅槃経』写本、最も新しい物が1669年(江戸初期)の『日本書紀』刊本。このサイトにアクセスして、漢字をポンと入れるだけで、これら79文献の中ではどのような字体が使われていたかが一覧できてしまう。では、「信」の字を調べてみよう(図4)。


図4 『漢字字体規範データベース』(HNG)における「信」の検索結果。横棒、縦棒、点の3種類の「信」が見られる

 見て分かるとおり、横棒、縦棒、点の3種類ある。つまり1500年以上前、楷書体が成立し始めた時期から、この3種類は中国、日本、朝鮮半島で並行して書かれてきたことが分かる。もう少し詳しくHNGの画面を見ると、全体が4段に分かれている。このうち1、2段目が中国、3段目が日本、4段目がその他だ。さらに説明すると、1段目が敦煌文献を含めた中国における古写本、2段目が開成石経(皇帝の命により中唐期の開成2年/837年に完成した、四書五経等を刻した石碑)から宋版本(宋代〈960〜1279年〉に刊行された版本。造本や校勘に優れる)まで、3段目が日本の古写本から日本書紀の版本・刊本まで、4段目が日本・中国を除く地域(主に朝鮮半島)の文献となっている[*3]

 その上で改めて画面を見てみると、2段目「開成周易」(開成石経のうちの周易)から始まる段がおおむね横棒、それ以外が点か縦棒という傾向が見て取れる。そこで再度図2を見てほしいのだが、このうち最上段の左端、日本の明朝体の規範となった康熙字典(道光版)は横棒だ。これはつまり、開成石経が漢字字体史上のメルクマールとなって新しい規範が成立、これが宋版本を経由して康熙字典に影響を与えていることを示している。HNGの元となった紙カードを作成し、HNG編纂委員会の委員長を務めている石塚晴通氏(北海道大学名誉教授)は、論文『漢字字體の日本的標準』の中で字体の歴史について、概略以下のようなことを述べている[*4]



  • 唐以前から存在していた楷書体が、唐の成立により標準字体となったのが「初唐標準字体」

  • 一方、唐の成立以降にできたのが、顔氏字様〜干禄字書〜開成石経の流れの「開成石経の標準字体」。

  • 開成石経の規範性は顕著だ。逆に言えば初唐標準字体は規範性が薄く、異体字が多い。

  • 両者は大きく異なる。また『干禄字書』の中で俗字・通字となっているものは、初唐標準字体が多い。

  • 開成石経の標準字体が、南宋版・漢籍・仏典の標準となって普及、定着した。

  • 日本では7世紀に初唐標準字体が移入されて、以後長く日本の標準となった。

  • 江戸時代以降に印刷文化が普及、『康熙字典』が登場すると印刷字体(明朝体)は開成石経の標準字体に変化した。


 HNGにおける「信」の検索結果は、上記のような石塚説を裏付けるものと考えられるのである。ただし、「横棒の信」を考える上ではHNGだけでは不十分だ。この形は開成石経の標準字体で初めて出現したわけではなく、隷書や篆書がこの形だからだ[*5]

 そこでHNG以前、つまり楷書体以前の「信」を調べてみると、後漢期の敦煌漢簡(2世紀)において、横棒と点で書かれた2種類の「言」を見いだすことができる(図5)。この時期は隷書が標準的な書体ではあったが、隷書の早書きの形(行書)が出始め、これが楷書体の萌芽となる過渡期でもある。「横棒の信」は旧来からの隷書だが、もう一方の「点の信」が後の初唐標準字体の楷書体へとつながり、やがてここから「縦棒の信」が発生したと考えられる。「横棒の信」はこの後「点の信」や「縦棒の信」に置き換わっていったんは使われなくなるが、それを復活させたのが開成石経の基準だったわけだ。


図5 敦煌漢簡における2種類の「言」(『木簡・竹簡・帛書』二玄社、1990年、右はP.47、左はP.46)。このうち左のものは後漢の永和2(137)年の年号がある

「書かれた字のとおり」にこだわるあまり「書体の違い」を無視

 さて、ここまでの調査結果をまとめてみよう。古来の隷書では「言」の第一画は横棒で書かれる。これが少なくとも約1900年前の後漢期には点でも書かれるようになる。つまりこの時期は「横棒の信」と「点の信」が並存していた。初唐期(7世紀初期〜8世紀初期)に楷書体が成立してからは「点・縦棒の信」が主流になり、これが初唐標準字体となる。中唐期(8世紀中期〜9世紀中期)の開成石経以降は、中国においては「横棒の信」が主流に変わるが、日本や朝鮮半島においてはそれ以前の初唐標準字体が受け継がれ、「点・縦棒の信」が主流となる。一方で宋版本を経由して成立した明朝体においては、ほぼ一貫して「横棒の信」につくられる。これが「信」の歴史だ。このように数千年続く漢字の伝統や習慣からみれば、「縦棒の信」のみに強くこだわる意識は、ごく最近発生した特異なものと言わざるを得ない。

 以上の調査結果からは、手書き字体の「縦棒の信」と明朝体の「横棒の信」は、同じ字体が書体によって変化したものと考えられる。つまり手書き字体で「縦棒の信」を書いても、それを明朝体にすれば「横棒の信」になるのである。

 すなわち、『正確な表記』では「書かれた字のとおり」を尊重するあまり、漢字の伝統や習慣を無視してしまっていると言える。この「縦棒の信」と同じような例を、他の議員にも見ることができる。例えば図1(3)の大野議員、葉梨議員が使うのは四画の草冠だが、明朝体の草冠はほぼすべてが三画の形でつくられる。


図6 『明朝体活字字形一覧』における「葉」(P.445)

図7 『字体・字形差一覧』における「葉」(P.103)

 「葉」に限らず草冠全体を見ても、日本の明朝体においてはすべて三画の草冠の字でつくられる。『明朝体活字字形一覧』を参照すると、四画の草冠はわずかに2例、アメリカ長老教会の「草冠+文」(P.433)、同じく「著」(P.445)だけであり、他に掲載されている日本の明朝体には存在しないことが確認できる[*6]

 ただし、HNGを検索すると手書き字体においては、「信」ほど明確に初唐標準字体と開成石経の標準字体の違いは現れず、四画の草冠は1段目にも2段目にも見られる。それでも開成石経の論語は四画に書き、そして図6で分かるように、開成石経の影響を強く受けた清代の康熙字典も四画につくる。康熙字典では他の草冠の字にもほぼ共通して四画だ。葉梨議員、大野議員の四画の草冠は、こうした流れの影響を受けたものとも考えられる。とは言え、繰り返すが日本の明朝体の草冠に四画のものは存在しない。


図8 『漢字字体規範データベース』(HNG)における「葉」の検索結果

 以上をまとめると、草冠は手書き字体では三画でも四画でも書かれる。一方で明朝体では、日本においてはすべてが三画でつくられる。つまり手書きでは四画の草冠はあり得るが、明朝体にすれば三画に置き換わる。ここまで挙げた他にも、一々図には示さないが以下のような「書体の違い」を無視した例が見られる(カッコ内のページ数は『明朝体活字字形一覧』)。



  • 図1(1)の大口議員他2名の「徳」は、HNGでは初唐標準字体(1段目)が19文献中、1文献を除きすべてが「一のない徳」、開成石経の標準字体(2段目)が11文献中、2文献を除きすべてが「一の徳」。これが『明朝体活字字形一覧』では22書体すべてが「一の徳」(P.148)。

  • 図1(1)の高木議員他2名の「高」は、HNGでは48文献中、1文献を除きすべてが「ハシゴ高」だが、『明朝体活字字形一覧』では23書体すべてが「クチ高」(P.602)。

  • 図1(1)の前田議員他2名の「吉」は、HNGでは初唐標準字体(1段目)が7文献中、1文献を除きすべてが「土吉」、開成石経の標準字体(2段目)が6文献すべてが「士吉」。これが『明朝体活字字形一覧』では23書体すべて「士吉」(P.55)。

  • 図1(1)の額賀議員の「福」は、HNGでは初唐標準字体(1段目)が19文献中、1文献を除きすべてが点のネ偏、開成石経の標準字体(2段目)が9文献中、4文献が横棒のネ偏、5文献が点のネ偏。これが『明朝体活字字形一覧』では23書体すべてが示偏(P.353)[*7]

  • 図1(3)の保利議員の「保」は、HNGでは6文献すべて「ホ」の形だが、『明朝体活字字形一覧』では23書体すべてが「木」(P.15)。

  • 図1(3)の伊藤議員の「逹」は、しんにょうの点の数に注目すると、HNGでは49文献すべてが一点だが、『明朝体活字字形一覧』では23書体すべてが二点(P.531)。


 これらはすべて『明朝体活字字形一覧』の字体はきれいに揃っている。そしてHNGでも揃っているか、そうでない場合は初唐標準字体、開成石経の標準字体のいずれかが揃っている。すなわち、これらはいずれも各様式の特徴を反映して違いが出たにすぎず、字体としてはどれも同じと判断できる。したがって、これらの例も『正確な表記』では「書かれた字のとおり」を尊重するあまり「書体の違い」を無視して明朝体として再現していると言えるのである。

 付言すれば、ここに挙げた字は手書き字体と明朝体における「書体の違い」を無視しているのだから、手書き字体に基づく楷書体のデジタルフォントを使うなら、「書かれた字のとおり」を再現しても漢字の伝統や習慣と合致したものになる。あくまで、そのような形でデザインされたフォントがあればの話ではあるが。

 では、ここまで見てきた『正確な表記』における「書体の違い」の無視は、常用漢字表の上からはどのように位置付けられるのだろうか。次回はこれを考えていきたい。

[*1]……『字体・字形差一覧』(文化庁国語課、P.53、1997年)
[*2]……『Hanzi Normative Glyphs 漢字字体規範データベース』漢字字体規範データベース編纂委員会(http://www.joao-roiz.jp/HNG/
[*3]……當山日出夫氏(立命館大学)からのご教示。記して感謝いたします。
[*4]……『漢字字體の日本的標準』(『国語と国文学』905号、石塚晴通、1999年、至文堂、P.88〜P.89)の次のような記述に基づく。
 シナに於て強力な統一王朝が成立した初唐期に、字體の異る字即ち異體字といふものが強く意識されるやうになり、その整理の為「正俗通訛」といふ基準が見られ、字様といふ分野の専門書もできて来た。顔師古に依ると伝へられる『顔氏字様』より、その子孫である顔元孫の『干禄字書』へと連つて行つた。但し、ここで誤解してならないことは『干禄字書』の「正通俗」といふ基準は、あくまで顔真卿が書写して伝へた大歴九年(774)頃のものであり(此ノ書ノ成立ハ710〜720頃ト云ハレルガ、現行本文ハ其ノ頃ノ基準デハナイ)、これに俗字や通字となつてゐても其の一昔前の初唐期には標準字體であつたものが多く、又後世も此の基準は若干動いてゐる。結局、各年代の標準的文献を取り上げ、全用例を検討して統計的に把握することにより、各年代の標準字體や、年代が同じでも個人個人の標準に若干の違ひが有るといふことが分つてきた。このやうな作業を通して見ると、初唐の標準字體と開成石経の基準とは大きく異り、又開成石経の規範性は顕著であり、字體の基準を定めて厳格に守り異體字の生じる率は一万字に精々二・三字程度である。この基準が南宋(特ニ南宋版、漢籍・佛典共)に於ける実践を通して普及、定着した。尚、『干禄字書』と開成石経との基準は全く同じといふわけではなく(年代モ50〜60年離レテヰル)、相異る場合南宋版は概して開成石経の字體となつてゐる。

 一方、日本では、七世紀に天皇を中心とする中央集権国家を形成して行く中で、シナの文物を大量に取り入れた。字體に関して言へば、おほむね初唐の標準字體が日本的標準となり、以後長く定着した。これは、シナ隋唐の標準音が呉音・漢音として日本に定着し、以後シナの標準音が変化しても基本的には変らなかつたことと似てゐる。大概これが変化したのは、江戸時代以降の印刷文化、なかんづく『康熙字典』以後である。
[*5]……つまり開成石経の標準字体は、一種の復古的スタイルと言うこともできる。なお、甲骨文字に「信」は見つかっていない。
[*6]……『明朝体活字字形一覧』(文化庁国語課、1999年、P.432〜P.460)
[*7]……ネ偏には一画目を点に書くものと横棒に書くものの2種がある。また明朝体の示偏は隷書の形と同じものだ。横棒のネ偏はさらに2種がある。「ネ」のように二画目で右へ書いた後続けて左に払うものと、「示」のようにこれを分けるものであり、開成石経自体は後者の分画する横棒のネ偏が多い。明朝体の示偏は開成石経の分画するネ偏の影響を受けつつ、『説文解字注』などにあるさらに古い隷書の形を取り入れたものと考えられる。


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2008/11/11 17:08
小形克宏(おがた かつひろ)
文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。

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