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日本文化をバックグラウンドにした物づくりを目指す ~チームラボ社長 猪子寿之氏(前編)
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チームラボ株式会社 代表取締役社長 猪子寿之氏。東京大学在学中にチームラボを創業、代表取締役に就任した。ワンマンかと思いきや、「僕は天皇だから、会社の象徴で権限はないの」。書類に判を押すこともほとんどないというのだから驚きだ
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こんな社長は初めてだ。「とにかく変わっていて面白い社長」という前評判通り、チームラボ社長猪子寿之氏の存在感は圧倒的だ。
デスクにつっぷしたり長い身体を窮屈そうに折り曲げながら、「僕は天皇だからね。象徴だけど権限はないの」と飄々とした口調で言う。「作り手のひとりとしてプロジェクトには参加するけど、プロダクトごとにマネージャーはいるし、細かいところまで把握しようとは思わないかな。」
猪子氏の話には、「情報化社会」という言葉が何度も出てくる。これは、猪子氏の意識の向いている方向を端的に物語る言葉であるらしい。
自分のこととなるとあまり興味なさそうにぽつぽつと話す猪子氏だが、情報化社会や会社のサービスのことを話すとなるといきなり饒舌となる。あふれる思いをこちらにぶつけるような熱い語りっぷりなのだ。猪子氏は、なぜオモロ検索エンジン「SAGOOL(サグール)」、双方向型情報サイト「iza(イザ!)」などで知られるチームラボを作ったのか。目指すものは何なのか。
● オフィスから見るチームラボ
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チームラボのオフィスの入り口にはファミコンとCDの陳列棚が設置されている
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チームラボは、社長も面白いがオフィスも面白い。まず受付には唐突にファミコンが置かれている。スタートボタンを押してゲームを起動、マリオを操作して目的の土管(用のある部署)に飛び込むと、それぞれ違うテーマ曲が流れるようになっているのだ。
また、受付の脇にずらりと並ぶCDケースのジャケットデザインは、よく見ると社員1人1人の写真がモチーフで、社員紹介代わりになっている。「INOKO」という名前がついたCDジャケットは、スーパーマリオの画面のようなデザイン。その中に寝ている人物写真は猪子氏のものといった具合だ。
「会社は人の集合体。うちの会社の資産は人。社員一人一人のCDケースを作ったのは、そういう意味。ただ顔だけよりもデフォルメした方がその人の雰囲気や好きなものが伝わりやすいと思ったから、こんな風にしたんですよ。コミュニケーションのきっかけにもなるしね」
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「スーパーマリオが好き」という猪子氏のCDジャケット。空に浮かんだブロックに猪子氏が寝そべっているというデザインだ
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ファミコンでマリオを操作して目的の部署名が書いてある土管に入る。なお、ファミコンが操作できなくても、通りかかるスタッフがみなさん声をかけてくれるので心配無用です
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会議スペースは色にあふれていて、まるでおもちゃ箱だ。「オフィスはわざと色鮮やかにしたんです。色の刺激は脳に気持ちいいので、色がたくさん合った方がいいと考えて。会議スペースの壁が黄色なのは、黄色は短期的な集中力とかコミュニケーション力をアップする効果があるらしいので。あ、ワークスペースは代わりに白くてシンプルですよ」。
天板がメモ帳になっていてディスカッションしながら自由に書き込める「めもですく」や、パーツごとに違う絵が描かれていて組み替え可能な「東京絵巻棚」、座る部分の素材がふわふわだったりすべすべだったりと異なる感触を楽しめる「はだいす」、短針が12本あり日本時間のほか世界11都市の時間を知ることができる「世界が一つの世界時計 ONE WORLD CLOCK」など、わくわくするような家具が並んでいる。実はチームラボは、「TEAM★LAB.NET」名義でアート作品、オフィスプロデュース事業も展開しているのだ。
「『めもですく』いいでしょう。一般的なホワイトボードを使う会議を見て思ったことがあるんです。一人が書いてみんなが見ているのは、情報化社会っぽくないと思うんですよ。会議が盛り上がったら、みんなで同時に書き込んでいたりするじゃないですか。会議は、スペシャリティが違う人たちが集まって、対話を通して一緒に考えていくものです。すべてにめちゃくちゃ詳しい人というのはいないんですよ。だから、お互いに書き込んだりして自分の考えを伝え、対話を通してさらに練っていく。そのために作ったのがこのデスクです。」
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まるでおもちゃ箱のようにカラフルなミーティングスペース。壁には、脳の働きを活発にし、コミュニケーションカラーとも呼ばれる黄色を配した。ワークスペースは逆に、落ち着いて仕事できるよう、壁は白になっている
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天板に、天板と同じサイズの紙が装備され、打ち合わせしながらイメージを伝えやすい「めもですく」、ハチの巣のような棚、棚に置かれた12カ国の時間を同時に見られる「ONE WORLD CLOCK」、これらはすべてチームラボがプロデュースした製品で、販売もされている
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● リアリストに届いた“電波”
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「一言で言えば、夢がない子だった」という。10年後の自分について、“まだ大学生のはずだが大学生と書くのは質問の意図に沿わないだろう”と考えたあげく「歯科大学の学生」と書くような現実的な子供だった
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ええと、僕の話でしたね。うーん、一言で言えば――夢がない子でした。「夢なんてバカみたい」と思っていました。未来とか面倒くさかった。その頃、“死んだら困ることリスト”を作っていたんですよ。それくらい、死んだら困ることなんてなかったんです。
唯一気になっていたのは、ジャンプで連載されていた漫画「ドラゴンボール」が翌週どうなるかだけ。「週刊ジャンプ」やファミコンが好きな子どもでした。「スーパーマリオ」とか大好きでしたね。
小学校卒業時、10年後の自分について書かされたことがあります。親が歯医者だったので、漠然と歯医者と書けばいいかと思っていたんです。でも、10年後ならまだ大学生のはずで、さすがに大学生と書くのはどうかなと迷った挙げ句、いったん「歯医者」と書いたのを消して「歯科大学に通っている」と書き直したんですよ。そんな現実的な子でした。
それが、中学生のある時、電波が届いたんですよ。いや、比喩ではなくて、本当に「電波」としか言いようがないです。電波が届いて、僕は日本を再生することになったんです。別にそんなのしたくないのに。でも、そういう非科学的なことはなんか怖いじゃないですか。だから、嫌だけれど仕方ない、やるしかないかと思ったんです。
● 情報化社会で生きよう!
高校3年生の頃にインターネットの存在を知ったことで、今後は情報化社会が来るらしいとわかったんです。それなら、自分も世界に発信していきたい、情報化社会の中で生きていきたいと思うようになりました。
日本が海外からモノを買うためには、こちらもモノを売っていかなきゃいけない。トヨタ、ホンダ、ソニーはすごいけど、これからはそういう工業製品――“モノ”ではなく情報化社会に合ったものをアウトプットしていかないといけないんです。そうしないと、電気とかガソリンとかコーヒーも買えなくなってしまう。
NHKの「新・電子立国」という番組がありました。1995年から1996年頃に放送された番組で、その前の年に放送された「電子立国 日本の自叙伝」の続編です。最初の電子立国の方は、電卓などハードウェア開発の話が中心で、「日本万歳」というトーンだった。ところが、続編の「新・電子立国」になると、話の中心はソフトウェアになり、日本があまり出てこなくなる。そこでは主役は日本企業ではなくて、マイクロソフトやNetscapeでした。
番組を観て、「これはすげえ、でもやべえ」と思いました。日本は資源に乏しいから、技術とか文化くらいしか勝てないし、そこでしか稼げないじゃないですか。だから、ぼんやりしていたらまずいと思ったんです。
インターネットを実際に使い始めたのは、1996年頃、大学に入学してからです。マシンは何だったかな、IBMのAptivaかな。マシンには興味がなくて、ネットさえできればよかったからあまり覚えていないんですよ。ネットは、知りたいことをすぐ知ることができるのが気に入っていました。自由に発信できて、世界中の人から見てもらえる可能性があるところもすごい。
これは、歴史上始めて情報を自由に扱えるようになったということなんですよ。情報の流通コストがゼロになって、情報が自由に行き来するようになれば、物質的なものが要らなくなる。物質は質量があってダサいと思うんですよ。なんか西洋的で嫌なんです。脳が気持ちよくなりたいだけなのに、物質を通すというのが嫌なんですよね。
● 学生をしながらの起業
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東京大学4年に在学中に仲間5人で起業した。「大学院に通いながらで、大人の知り合いもいないし営業の仕方もわからない。売れないというよりあまり売ろうともしていなかった。」最初にお金になったのはソープランドのサイト構築で、そこから口コミ的に仕事が広がっていった
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起業は、2000年12月、大学4年生の時です。“技術をバックグラウンドに情報化社会の中でビジネスをしている会社”を探したのですが、見つからなかった。ないので仕方がないと起業しました。大学の友人と中高の仲間の5人での起業でした。自分たちでやっていける気はしなかったので(笑)、大学院に行きながらでした。
多様化した情報の扱いに興味があったので、まずレコメンデーションエンジンを作り始めました。顧客データや購買履歴、行動履歴などを分析して、顧客が次にどういうものを買いたいのかを抽出するエンジンです。今は中古車買取・販売のガリバーの提供しているサイト「Laboo!」に使われています。
車同士の近さや車種の指向性を、ビジュアル的に相関マップとして見られるようになっています。ところが、当時は作っても全然売れなかった。大人の知り合いはいないし、当時流行っていたビットバレーなどの集まりに行くのも苦手だし、営業の仕方もわからないし、売れないっていうより売ってもいなかったんですよね(笑)。
最初の頃はお金がなくて、8坪のオフィスを借りて、依頼されてホームページを作ったりしていました。最初に作ったのはソープランドのホームページです。小学校の友達が歌舞伎町で働いていて、そこから依頼されたんです。その後も色々やりました。iアプリが出る前に仕様がわからないままiアプリ用のゲームを作ったり、システムを作ったり、サイトを作ったり、確率モデルで要因遺伝子を見つける理論を作ったり。クッキングスタジオABCの予約システムは、気に入っていただけたようでもう6年も使っていただいているんです。
仕事は口コミで広がっていったんですが、最初の仕事のおっぱいの修正がよかったのかな(笑)。
売上は当然低かったんですが、学生なので気づかなくて、そのままでした。普通に社会に出てから起業していたらわかったんでしょうね。それこそ、オフィス用品の通販サービス「アスクル」の存在も知らなかった。プリンタの紙は学校から取ってくるものと思っていたし(笑)、ゴミ捨て場に机が捨ててあったら取りに行ったりしていました。
(後編につづく)
関連情報
■URL
チームラボ株式会社
http://www.team-lab.com/
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・ 日本文化をバックグラウンドにした物づくりを目指す ~チームラボ社長 猪子寿之氏(後編)(2008/06/24)
2008/06/23 11:08
取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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