Chrome OSにみるGoogleのねらいとは?

なぜGoogleはChrome OSを無料で提供するのか(1)


 本連載は、3月25日に発売されたインプレス・ジャパン発行の書籍「Google Chrome OS -最新技術と戦略を完全ガイド-」から、序章「Chrome OSにみるGoogleの狙いとは?」を著作者の許可を得て公開するものです。序章には小池良次氏の「Google社のクラウド戦略とChrome OSの使命」、中島聡氏の「なぜGoogleはChrome OSを無料で提供するのか」の特別寄稿2本が収録されており、INTERNET Watchでは、その特別寄稿2本の全文を6回に分けて日刊更新で掲載します。

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 GoogleのChrome OSに関しては色々な見方もあると思うが、まず理解しなくてはいけないのは、GoogleにとってのChrome OSは、MicrosoftにとってのWindowsのように社運がかかった戦略製品ではなく、「間接的に主となるビジネスのプラスになることを狙った戦術的な製品」である点である。別の言い方をすれば、「失敗に終わっても本業にとっては痛くもかゆくもない製品」ということだ。

 よく知られているように、Googleの主な収入はAdwordsやAdSenseなどからの広告収入だ。そしてその大半は、ユーザーがGoogleのサーチエンジンを使った結果のトラフィック(ページビュー)が生み出すものだ。

 すでに日本円で年間数千億円に相当するこの広告収入をさらに増やすのは簡単な話ではないが、基本的には以下の2つのことが起こる必要がある。
 
・より多くの人がもっと頻繁にGoogleのサーチエンジンを使うようになる
・サーチ結果を表示するページそれぞれからできるだけ多くの収入が上がるようになる

 このうち後者については、Googleが数千人単位で抱える世界でもトップクラスのエンジニアたちが、日夜さまざまなアルゴリズムを実際に試しながら、改良に改良を加えているのは良く知られていることだ。これこそが、GoogleがGoogleである理由でもあり、経営陣としてもここにはあまり危機感は抱いていないだろう。

 難しいのは前者である。すでにGoogleのサーチにおけるマーケットシェアは独占状態に近いほど高いものだし、先進国におけるネットの普及率もすでに飽和状態に近い。

 今以上にサーチエンジンへのトラフィックを増やすのであれば、通常のマーケットシェア争いから矛先を転じて、もう少し大きな視野で「ネット人口を増やす」ことを考えなければいけない。具体的には、
 
(1)開発途上国の人たちを含めた、今までパソコンやインターネットを使うことができなかった人たちに、安価でネット環境を提供する、

(2)これまでの「ネットにつないだパソコンからサーチ」以外のシナリオで、サーチエンジンを使ってもらえるような環境を提供する
 
 などの活動を通して分母となる「ネット人口」を増やしつつ、同時に「人類のネットへの依存度」を高くするしかないのだ。すでに「検索の覇者」の地位にたどりついてしまったGoogleだからこそのスケールの大きな悩みだ。

 Googleが携帯電話用のOSであるAndroidや、常時接続パソコン向けのChrome OSを無料で提供する理由はまさにここにある。ネットへのトラフィックが急速にモバイルにシフトしている今、そこでもしっかりと主導権を握りつつ、いつでもどこでもネットに接続できる環境を、先進国の人たちだけでなく、開発途上国も含めた全人類にできるだけ安価で提供することこそがGoogleの収入の増加に繋がる、と考えているのだ。

ネット人口とGoogle利用者の関係(出展:中島 聡 作図)

Chrome OS の位置づけ

 こんな理由で、AndroidにもChrome OSにも、それなりの先行投資(=主に開発投資)をしているGoogleだが、それがどんな規模でいつまで続くかについては注意して見守る必要がある。冒頭でも述べた通り、Googleのビジネスの中核となるサーチや広告ビジネスとは異なり、これらは「企業としての存続がかかった」分野ではないだけに、結果しだいでは、そのまま放置したり、あっさりと手を引いたりする可能性も十分にある点に注意すべきだ。

 別の言い方をすれば、Chrome OSを搭載したパソコンが増え、そこからのサーチの数、そして最終的にはChrome OSを使うユーザーのアクティビティがもたらす広告収入が目に言えた形で増えない限り、経営陣の投資意欲も薄れ、大したアップデートもないまま「放置」される可能性が高いということだ。

 古くはMicrosoftにとってのInternet Explorerがそうだったし(IE3.0および4.0でNetscapeを打ちのめしてマーケットシェアを確保して以来、しばらく進化が止まっていたのはこれが理由)、Google自身の話で言えば、いつまでたっても使い勝手が良くならないGoogle Docsが典型的な例だ。Googleの経営陣がGoogle Docsを社運のかかったプロジェクトと考えているのであれば、もっと頻繁にアップデートがされるはずだし、本気で「Microsoft Officeより使いやすいものにする」ことに注力するはずだ。

 その意味で、Chrome OSそのものが提供する新しいAPIだとか、他のOSにないような目新しい機能に期待していると、期待はずれに終わる可能性が高い。 ハードウェア・メーカーやソフトウェア・ベンダーとして、Chrome OSに社運を賭けるというのも、やはり同じ理由で非常にリスクが高い 。

 OSそのものの機能を比較するのであれば、Windows対Mac OS Xの戦いの方がはるかに白熱しており、Googleが片手間で作っているChrome OSが機能面でその2つに追いつくことは決してない。MicrosoftやAppleにとっては、OSの優位性を保つことは文字通り「企業の存続」にかかわる大問題なので、 経営陣の注目度もはるかに高いし、開発投資額も桁違いに大きい。

 そもそも Chrome OSが対象としているのは、「PCなんてネットにアクセスするための道具に過ぎない。ブラウザーとメーラーさえ動いてくれれば十分」というユーザーであり、そんなユーザーに向けてできるだけ低価格のPCを提供したいと考えているハードウェア・メーカーである。

 そんなユーザーがChrome OSに期待するのは、安価なパソコンでも軽快で安定して動く安全なネット環境だ。使っているといつの間にかどんどん遅くなる上に、しょっちゅうセキュリティ・ホールが発見されるWindowsマシンに閉口しているユーザーは少なくない。

 「Chrome OSを搭載したマシンは、安価なパソコン上でも瞬時に起動する上に安全で安定して動く」というユーザーの間での評判を勝ち取ることができれば、Chrome OSが(Windows、Mac OS Xに続く)第三のOSとして確固たる地位を築くのは難しくない。

 そんな存在のChrome OSであるゆえに、Chrome OS向けの(iPhone向けのアプリのようなダウンロード型の)アプリケーション・ビジネスは決して大きなものにはなりえない。ネットからダウンロードしてきたアプリケーションをインストールすること自体がハッカーに悪さをする機会を与えるだけだし、そもそもシンプルさと安定度を期待してChrome OSに切り替えるユーザーがアプリケーションをダウンロードしたり、それに対価を払ったりとかはあまり期待できない。

 Chrome OSを搭載したマシンをターゲットにビジネスをするのであれば、作るべきはやはりWebサービス、Webアプリケーションである。Chrome Browserのマーケットシェアが今の調子で伸びると予想するのであれば、Webkit(もしくはそれに代表されるHTML5準拠のブラウザー)に最適化されたリッチなインターフェイスのWebアプリケーションの開発を始めるのも悪くないタイミングではある。

 Googleに買収されることを望んでいるベンチャー企業(もしくは採用されることを望んでいるエンジニア)であれば、なおさらだ。Chrome OSの上でちまちまと動くクライアント・アプリを作る暇があるなら、Googleが提供するクラウド・プラットフォームであるGoogle App Engineを徹底的に勉強・解析して、その上で Googleも注目するような魅力的なWebプリケーションを作るべきだ。

 GoogleのChrome Browser、HTML5、Google Waveなどへの力の入れ具合を見れば、Googleが本気でブラウザーをアプリケーション・プラットフォームと見なしていることは明確だ。Chrome OSはそれをユーザーに提供するための道具に過ぎない。LinuxがWindowsに対抗できるようなクライアント側のアプリケーション・プラットフォームになる可能性はゼロと考えて良い。

 逆に、このまま順調にChrome Browserのマーケットシェアが伸び、HTML5準拠のブラウザーが大半を占めるようになった段階で、アプリケーションのネットへのシフトはさらに加速し、クライアント側のプラットフォームの戦いには意味がなくなる。そんな時代には、今のMicrosoft OfficeやPhotoshopのような形の「インストールして使う」ソフトウェアの市場は、HTML5ブラウザー上でサービスとして提供されるさまざまなWebアプリケーションのために駆逐される。

 注目すべきは、Googleにとって、Chrome OSやChrome Browserのマーケットシェアそのものは重要ではないという点だ。実際のところ、WebブラウザーはSafariでもFirefoxでもかまわないのだ(いつになるかはわからないがHTML5に準拠さえしてくれればInternet Explorerでも)、問題はそこで使われる主要なWebアプリケーションとそのインフラをGoogleが提供しており、そこから検索を中心として収益が上がることなのだから。

(つづく)


筆者:中島 聡(なかじま・さとし)
 米国シアトル在住の自称「永遠のパソコン少年」。学生時代にGame80コンパイラ、CANDYなどの作品をアスキーから発表し、マイクロソフトではWindows95、IE 3.0/4.0 のアーキテクトとして、IEとWindows Explorerの統合を実現。設立企業「UIEvolution Inc.」「Big Canvas Inc.」。ブログ「Life is beautiful」(http://satoshi.blogs.com。近著「おもてなしの経営学」(アスキー新書)。iPhoneアプリ「PhotoShare」「PhotoCanvas」。現在はGoogleApp Engine上でのサービス作りに夢中。

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2010/4/7 06:00