iNTERNET magazine Reboot

Pickup from「iNTERNET magazine Reboot」その12

なぜ日本からグーグルが生まれなかったのか?

――ウェブ創世記を知る人々と振り返る[拡大版]

今回はiNTERNET magazine Rebootに掲載した座談会記事「なぜ日本からグーグルが生まれなかったのか――ウェブ創世記を知る人々と振り返る」の拡大版。誌面には掲載できなかった話を盛り込んでいるので、すでに本誌を買われた方にも改めて読んでいただきたい。(iNTERNET magazine Reboot編集長・錦戸 陽子)

お集まりいただいた皆さんは坂本仁明さん、髙田敏弘さん、高橋克巳さん、遠山緑生さん、クロサカタツヤさん

目次

▼ウェブ黎明期をよく知る5人が集まった
▼ポータルサイトから検索エンジンへの流れ
▼ネット企業はメディアを目指した
▼グーグルはオペレーションカンパニーなのか?
▼メディアの文化と通信事業の矜持
▼海外は視野にあったのか
▼日本企業のR&Dとインターネット傍流論へ

ウェブ黎明期をよく知る5人が集まった

iNTERNET mazineが創刊された1994年は、まさにワールド・ワイド・ウェブが普及していくタイミングだった。今日は、その当時NTT研究所で黎明期のウェブを作っていたお三方と、慶應大学SFCの学生として最新のウェブを使い倒していたお二方に集まっていただいた。そして、なぜ日本からはグーグルのようなプラットフォーマーが生まれなかったのかを議論していただく。まずは簡単に自己紹介から。

クロサカ:iNTERNET mazineの創刊当時は、慶應大学のSFCの学生だったので、ただの読者でした。アルバイトで小室哲哉のウェブサイトの立ち上げを手伝ったりしていました。ユーザーから入って多少手を動かすようになったという意味では、割と早いほうかもしれません。今はコンサルタントをしています。

坂本:iNTERNET magazineの創刊当時はNTTに所属していて、NTT.JPというドメインを利用し「NTTホームページ」を勝手に作っていました。他にもftpやら、gopherやら…。この対談が記事になるころには、いま所属しているNTT東日本を退職しています。ソフトウェア開発会社に転職し、クラウドサービスやシステム開発を担当する予定です(編集部注:それから再度転職されて、クロサカさんの会社に入社したとのこと)。

髙田:同じくNTTにいました。そのころNCSA Mosaicという代表的なウェブブラウザーがあったのですが、それは英語やドイツ語フランス語といった西ヨーロッパ系の言語の文字しか使えなかった。それを日本語や中国語・韓国語、ロシア語やヘブライ語も扱えるように改造してパッチを配っていたりしていました。あと、infotalkという日本国内でウェブやインターネット上の情報検索について情報交換や議論をするメーリングリストを主催していた。NTTホームページは坂本君といっしょに作り始めて、その後ずいぶんとそれにのめりこみました。NTT.JPは日本のポータルと呼ばれて情報が集約される場所になったんですけど、まさかそれがビジネスになるとはつゆとも思っていませんでした。私もこの復活号が出るころにはNTTを辞めて、別の会社で何か面白いことをやってやろうと画策中のはずです(笑)。

高橋:今も昔もNTTにいます。当時は電話帳の仕事をしていたので、研究所内で電話帳の検索サービスを提供して遊んでいました。するとウェブが出てきたのでインターネットにも出そうということになって、ウェブ版を作りました。95年にアメリカで英語のタウンページをリリースして、翌年日本語のタウンページを作り、iモード版も作りました。これは現在のiタウンページとして続いています。さらに地図とウェブページをタウンページで強化したkokonoサーチというジオ・サーチ・エンジンを98年に作りました。その後出てきたgoogle mapがよかったので、腹いせに2005年にフィーチャーフォン用のマップアプリを作りました。するとmobile google map アプリが出てきたので、いまや同アプリの大ファンで、グーグルは心のライバルです。現在はグーグルとの再戦のため位置情報プライバシーの研究をしています(半分本当)。

遠山:慶應大学のSFCで学生をしていて、クロサカとは同級生です。適当に研究室に置いてあったマックをネットにつないで、HTTPサーバを立てて、そこでHTMLのマニュアルとか、ウェブ日記とかを公開していました。なので、日本で初めてウェブ日記を書いたひとりだと言われています。それからは大学でIT教育をやっていたのですが、最近転職してエンジニアをやっています。

クロサカ:当時のSFCは、そこいらにグローバルIPアドレスが振られたワークステーションが転がっていて、遠山がはじめたウェブ日記を真似て作ったり、Perlで何か書いてCGIを動かしてみたり、果ては勝手にサーバ立ち上げて怒られたりしていました。そんなわけで、NTTのホームページはぼくにとっては憧れの存在だったんですが、どうして作ろうと思ったのですか?

坂本:私はNTTに入社して5年目の1991年に、事業部から研究所に異動し、新たに開発が開始された電子交換機のソフトウェア開発環境の構築・運用の担当をすることになりました。サン・マイクロシステムズ社のワークステーションやサーバに、シスコ社のルーターを導入し、今で言うプライベートクラウドの様な開発環境を構築したのです。ここで、インターネットから得た技術情報に、とても依存していました。そこでインターネットから得るだけではなく、何か私達からも提供したいと考えました。

髙田:NTTは基本的には通信回線の会社ですが、それとは別に、ソフトウェアを研究する人たちもいました。私が所属していたのはそちらのグループでしたが、彼らは、最初はユーザーという立場からアメリカでインターネットに触れ、その後、社内や日本国内でインターネットの強力な推進者になっていったんですね。そういう土壌の上で私がウェブというものを知ったとき、これは私も何か一発やってやらないといけないと思いました(笑)。当時、日本は、世界から情報や技術を取ってくるばかりで全然外に向けて出そうとしない、という批判があったりもしたので、「日本」の情報をまとめて発信すればいいんじゃないかと思ってやり始めたという感じです。