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■URL
http://www.bbcc.or.jp/ (BBCC)
去る5月22日、関西文化学術研究都市(学研都市、京都府精華町)で「IT革命の向こうへ <すべてがつながる社会>をどうデザインするか?」と題するシンポジウムが開催された。主催は学研都市を中心にブロードバンド網の実験を手掛けている新世代通信網実験協議会(BBCC)で、コンピュータばかりでなく人間の活動環境のあらゆる領域にIPがビルトインされるという“Everything over IP”が実現する近未来の社会像をさまざまな角度から論じた、非常に内容の濃いものとなった。
主催団体のBBCCは、主に郵政省(現総務省)やNTT、関西経済界を中心に1992年に旗揚げされた団体で、当初はATMをベースにしたB-ISDN(ブロードバンドISDN)関連の各種実証実験を行なってきた。しかし、1990年代後半以降のインターネットの急伸にともない、実験の環境をIPベースのものに移行させ、1999年からはバックボーンから家庭内まですべてのネットワークをIPで統一し、動画や音声を含むさまざまな情報をそこに載せることで、将来のネットワークサービスをビジネスとユーザーの視点から検証する「高速IP統合ネットワーク利用・評価実験」に取り組んでいる。
今回のシンポジウムは、こうしたBBCCの取り組みをより大きく社会的な文脈で捉え直すために企画されたもの。2つの基調講演とパネルディスカッション、それに高速IP実験のデモというプログラムが盛り込まれ、関西圏の企業や大学関係者ら350名ほどが参加した。
また、シンポジウムの内容は、全編にわたりビデオストリーミングで中継されたほか、会場では6名の入力スタッフが発言者のスピーチをほぼリアルタイムでタイピングし、スクリーンに字幕を投影するという、一種の“情報バリアフリー”を模索した試みもなされた。
16世紀からの近代文明の発展過程に情報化を捉えた明晰なビジョンを語る公文氏 |
まず、最初の基調講演では、公文俊平氏(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター所長)が、「情報文明社会のビジョン」と題して、現在進行形のIT革命とその行く末を文明論的な視野で展望した。
公文氏は冒頭で、現在のIT革命は、16世紀から続く「近代化」という大きな波の第3局面である「成熟期」にあたり、同時にこの情報化の流れは、次の大きな波である情報文明の第1局面である「出現期」とも重なっており、その新しい息吹きがそこかしこに見え始めていると指摘した。
その上で、情報化の時代には、これまでの産業時代が専ら経済力の増大を是とする発展を続け、その主体としての企業や市民の形成を促し、物質的な繁栄を追求する「富のゲーム」が展開されてきたのに対し、経済力に代わる情報力/知識力の増大を求めることが大きな価値観となり、「新しいタイプの社会組織としての『智業』、およびそれを担う『智民』という人々の台頭が始まっている」と語った。
公文氏によれば、これから情報文明の第1局面を切り開いていく「智業」や「智民」は、グループによる協働(コラボレーション)を通して何らかの目標達成をし、他者からの理解や共感を得ながら自分たちの知的影響力を広げていく、という行動様式を持っている。NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)のような組織やギーク(オタク)と呼ばれてきた人々は、その先駆け的な存在である。そして、彼らが協働する際のインフラとして、「今までの電話や放送とは明らかに違う、新しいタイプのメディア、グループメディアが台頭していくだろう」と述べた。
初期のグループメディアとしてはメーリングリストやインスタントメッセージ(IM)があるが、これから先、グループメディアの台頭を支援する企業はその潜在的な需要の大きさから圧倒的な収益を確保できる可能性があるとも述べた。
さらに公文氏は、より具体的なこれからのインフラ構築のビジョンも提示し、大都市圏を対象とした「グローバルパス」とコミュニティ単位の「グローカル(global+local)パス」の両方のアプローチが不可欠であると述べた。
前者は大規模で超高速のIPネットワークに直結するインターネットデータセンター(IDC)の整備など、いわゆる“電脳都市”的なイメージ、もう一方の後者については、地域やSOHO、あるいは個人といったレベルでユーザーが主導権を持ちながらIP網を構築していくイメージである。ギガビット/秒級の光イーサネットを地域幹線とし、地域の“情報公民館”的なコミュニティセンターやネットカフェをそこに直結、さらにそれらの拠点をノードとして周囲の住宅や商店などのエンドユーザーには無線LANでアクセスを提供する、といったアプローチとなる。
「これらの構築や償還には、エコマネーのような地域通貨を媒介にすることも考えられる。そして、かつてマチの至るところに電器屋さんがあったように、こうした地域の公衆インターネットを支えるためにマチの“ネット屋さん”が台頭することになり、それが大きなサービスエコノミーとして成長する可能性もある」と、公文氏は語った。
大阪大学の下條氏。IPマルチキャスト、QoSなど次世代インターネット研究の分野で活躍している |
BBCCの高速IP実験で評価しているローカルポータルコンテンツの構成図。動画やウェブなど様々な情報ソースがIPで統合され、統一的なユーザーインターフェイスで提供されることを目指している |
続く2つ目の基調講演はより技術的な側面の強いものとなった。「IPv6によってもたらされるパラダイムシフト」をテーマに、下條真司氏(大阪大学サイバーメディアセンター教授)は、次世代インターネットの中核となる存在であるIPv6の特徴とそれが実現可能にする技術環境を具体例を挙げながら解説していった。
徐々に実装が始まってきたIPv6は、128ビットのアドレス空間を持ち、セキュリティやプラグ&プレイ、マルチキャストなどをIPのレベルで最初から対応できるものだが、下條氏は、「IPv6は、これ自体メカニズムがあるに過ぎず、その外側の部分であるアプリケーションなどは今まさに各所で開発中。それで万事が解決するような類のものではない。だからこれはゴールではなく、あくまでもスタートラインだ」と語り、森前首相が施政方針演説で盛り込むほどの過剰な期待に対して技術者の視点から冷静な見方を示した。
IPv6で獲得される膨大なアドレス空間によって引き起こされる最も大きなインパクトは、「コンピュータの普遍化(ユビキタスコンピューティング)」にほかならない。下條氏は、「誰もがみなウェブを見るようになる、というだけではなく、むしろ、IPを持った機械同士が直接話し合うことの方が大きな比重を占めるようになるのではないか」と予測し、家電からオモチャまで、ありとあらゆるモノが接続されることになると展望した。
またこのコンピュータの普遍化によって引き起こされる社会的な変化の一例として、学術研究を挙げた。「今まで、情報科学はその学問領域の内部で発展をしてきたが、例えばゲノムの解析や金融工学のように、これからありとあらゆる分野でITを必要とする時代には、コンピュータサイエンスの人材はどんどん他の領域に出ていき、積極的に交流をしていく必要がある。最初は異なる分野同士の協働で軋轢も生じるだろうが、消費する人間関係ばかりでは何も発展しない。互いにhappy & healthyであることを求めるべきだ」と語った。
基調講演の次には、BBCCが手掛けている高速IPネットワーク実験のデモが行なわれた。BBCCでは、実験用に構築している100Mbpsの高速IPアクセス網の先に、家庭ユーザーを想定したモデルブースを構築。居間やキッチン、書斎などの部屋にあるコンピュータや電話、ファクス、テレビ、冷蔵庫などを同一インターフェイスをもった情報コンセントにつなぎ込み、この環境の上で必要とされるアプリケーションやサービスを具体的に評価する実験を行なっている。
今回のデモでは、家庭ユーザーが地域情報にアクセスするためのローカルポータルサイトのコンテンツを例にとり、同一画面上でリアルタイムのテレビ番組やビデオオンデマンドの視聴、あるいは通常のウェブのブラウズやIP電話も統合的に利用できる状況が紹介された。しかしながら、実際のデモでは動画系のアクセスに不具合があり、デモに期待していた参加者をやきもきさせる場面もあった。
最後のパネルディスカッションでは、天野昭氏(月刊「ニューメディア」発行人)をモデレーターとして、多彩な分野で活躍する5人のパネリストが、自らの考える“Everything over IP”時代の社会デザインに関するさまざまなテーマをそれぞれのスタイルでプレゼンテーションするところから始まった。
トップバッターとしてBBCCの畑中明敏専務理事が、「今までのインターネットは、“コンピュータを”“サーバーに”“ゆっくり”つないできたが、これからは“すべてを”“ダイレクトに”“すばやく”つなぐ時代がやって来る」と“Everything over IP”のポイントをきわめて簡明に言い表わした後、住民パワーでxDSL回線の誘致に成功して注目を浴びた東京・多摩ニュータウンの「NPOフュージョン長池」の富永一夫理事長が登場した。
富永氏は、ネットを使った住民活動を強化するするための手段としてブロードバンドの重要性を痛感し、同NPOの活動地域にある6,000世帯のうち実に約1,700近い世帯の署名を集めることで、東京めたりっく通信の誘致に成功したと説明。「インターネットは顔が見える近所付き合いを可能にする。昔はあった隣近所の助け合いを現代風に復活させることができる。そんな中から、地域で料理の“おすそわけ”をネットで仲介するコミュニティビジネスの動きも出てきた」と、ITによるコミュニティ再生が始まっていることを明らかにした。
「VAIO C1」のカメラで使える画像認識システムの原型をつくったことでも知られるソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一氏は、かつてゼロックス・パロアルト研究所(PARC)が手掛けたユビキタスコンピューティングの実験が自分に大きなインパクトを与えたと語りながら、そこから発展させてきた自身の研究活動をコンパクトにまとめて紹介した。
例えば、テーブルや壁面など空間を構成する要素が情報のインターフェイスとなっている「Augmented Surface」や、携帯型の映像端末を持ち歩きながら実空間に情報を貼り付けていく「空中ポストイット」などのユニークな研究事例は、参加者の関心を大いに集めていた。そして暦本氏は、「IPv6の世界は、ネットワークに接続されるモノが増えること以上に、接続されたモノ同士の組み合わせの数が爆発的に増えることになる。特に、身体の周囲や家庭内などの“near field”のネットワークが拡がり、そこに新しいインターフェイスの実現が試みられる必要がある」と語った。
ジャーナリストの服部桂氏(朝日新聞社企画報道室)は、「膨大なアドレスがあらゆるモノに割り振られるようになるということは、あらゆるモノに人間の意識が及ぶことと同じ意味を持つのではないか。そして、人間が24時間中ずっと世界とつながることになったら、暮らしや仕事や他者との関係は一体どうなるのか? 人間の認識の地平線が拡がり、今まで知らなくてもよかったことまで知ることは、必ずしもよい面ばかりではないはずだ」と、<すべてがつながる社会>の持つ負の側面に関しても想像力を働かせることの大切さを唱えた。
空間デザインが専門の渡邊朗子氏(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科専任講師)は、IT時代に求められる知的創造空間の条件を、知識の応用や再構造化などの作業に没頭できる“ファンタサイズ”、他者との対話を行なう“コミュニケーション”、知識を蓄積する“デポジタリーアーカイブ”、そして仕事とは別のモード(生活や娯楽)を重ね合わせられる“タイヤレス”といった機能を兼ね備えることだと語り、その実践例として氏が手掛けた「G-Sec Lab」という空間を紹介した。
G-Sec Labは、さまざまなメディアからリアルタイムで収集された情報をブラウズし、分析していく人文社会科学系の学問領域のためのラボ。同時に数十名の研究者がコンピュータをネットに繋ぎ込み、壁面の至るところにあるディスプレイに情報を表示しながら多人数で共同作業を行なうことができる。この空間のために可動性の高い家具もオリジナルで開発するなど、まさに新しい時代のクリエイティブスペースとなっている。
渡邊氏は、「ITによってオフィスなどの知的空間での人間のアクティビティは確実に変化している。だからこそ、身体感覚や皮膚感覚を忘れないデザインが重要になる」と述べた。
天野氏(写真左端)の司会のもとで行われたパネルディスカッションの様子。この種の情報系のシンポジウムではめったに顔を合わせることの少ない異分野のパネリスト達が一堂に会した |
“Everything over IP”というキーワードをもとに、文明論的なスケールから多様なデザイン実践、あるいはコミュニティの取り組みまで、幅広い内容が凝縮されたBBCCシンポジウムだったが、少し残念だったのは、肝心の主催団体であるBBCCのIPネットワーク実験のデモでビデオ機能がハングアップするなど精彩を欠いていたこと、それに時間不足でパネルディスカッションの議論の掘り下げが浅かったことである。
しかしながら、文明史的なスケールから生活者レベルのコミュニティ活動に至るまで、多角的にIT革命“以後”の社会を見通そうとする講演者やパネリストたちのビジョンや実践は示唆に富み、かつ互いに共鳴しあう部分も少なくなかった。実際、「ローカルなインフラやそこを流通するコンテンツは地域の人々の協働でつくっていくべき」とする公文氏のビジョンは、多摩ニュータウンの住民活動をネットで補完するという富永氏らNPOフュージョン長池の実践と、まさしく共振しあっていたように思える。
しかし、このように、多様な領域の知見を横断しながら知識を再編集する議論の場が、その場限りで閉じてしまうのは非常にもったいない気がする。この議論がさらに広範な議論を喚起していく、オープンなフォーラムのような性格のものに発展していって欲しいと考えるのは少し贅沢だろうか。
(2001/5/25)
[Reported by 渡辺保史(yw@writingengine.com)]