■URL
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http://www.isoc.org/isoc/media/releases/postel.shtml
http://www.isoc.org/isoc/media/releases/postelremembered.shtml
インターネットの創始者の1人、ジョン・ポステル氏が16日、心臓手術後の経過不調のためロサンゼルスの病院で息をひきとった。55歳だった。南カリフォルニア大学情報科学研究所コンピュータ・ネットワーク部長。ISOCはホームページの背景を黒くする形で喪に服している。
ポステル氏は'69年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校在籍中に、米国防総省のプロジェクト(ARPANET)に参加。IPアドレスの管理業務を政府より委託され、IANA(Internet Assigned Numbers Authority)を創設するなど、インターネットの発展に貢献した。
■日本インターネット協会会長・高橋徹氏のコメント
30年にわたる彼のインターネットの発展に対する無私の貢献とその飽くなき努力に深い哀惜の念を捧げます。インターネットの発展に携わったものは、彼の面影を決して忘れることはないでしょう。新IANAの組織化、ICANNの出発に最期の力を振り絞ったのでしょうか。先週から心臓手術後の不具合が伝えられ、15日には快方に向かっていると知らされたところでした。残されたものは、彼の志を引き継がなければなりません。心から哀悼の意を表します。
■日本インターネット協会名誉会長・石田晴久氏のコメント
ジョン・ポステル氏の突然の死には本当にびっくりしました。彼はついにサイバースペースにいってしまったといった人もいましたが、私もぼう然としました。というのは、ちょうど少し前にジョンに「インターネットRFC大事典」への序文を書いてもらい、その本がちょうど刷り上ったときに、彼の悲報が届いたからです。彼の書いてくれた文章は本当に最後の遺稿になってしまいました。できあがった本(1,000ページの大作です)をジョンに見てもらうのを楽しみにしていたのですが。
彼に最後に会ったのは、この9月。ジュネーブで開かれたINET'98およびISOCの理事会でした。そのとき、「あなたは自分でいくつのRFCを書いたか知っているか」と聞いたところ、知らないというので、163と教えてやりました。そうすると、ジョンは、もっと多いと思っていた、と言いましたが、163というのは大変な数です。それだけIANAを率いて、彼はインターネットの標準化仕様書であるRFCの編集と発行に打ち込んできたわけです。
その努力に対し、INET'98の席上で、ITU(国際電気通信連合)から彼が表彰されたことは、いまから考えると非常によかったと思います。というのも、彼は非常にシャイな人で、脚光をあびるようなことは嫌う性格だったからです。IANAの中心人物として、インターネットを引っ張ってきた彼の業績からいえば、「インターネットの育ての親」としてもっと有名になってもいいはずだったのですが、彼はそんなことには頓着しませんでした。お金儲けにもまったく関心はなかったようです。
さて、INET'98以来、彼はインターネット管理組織として、米政府に頼らない新しいIANAを作り、これを新しいgTLDの国際的な管理組織にするのに超多忙だったに違いありません。もともと心臓の病気があった彼は、きっと過労で倒れたのでしょう。彼が超多忙なことを知りながら、あえて序文を頼み、また快諾してもらったことは、彼の忙しさを増したでしょうから、今となっては悔やまれてなりません。ご冥福を祈りたいと思います。
合掌
■慶應義塾大学環境情報学部教授・村井純氏のコメント
ジョンを知ったのは、日本のインターネットのために私がIPアドレスのブロック割り当てを検討したときにさかのぼります。それ以来、いろいろな場面で一緒に仕事をしてきました。アドレス、JPドメインに関してもジョンとの多くの議論の中で生まれてきたものですし、世界に先行していた日本のNIC関連の動きに対しての強力な支援を常にいただいていました。日本の読者の方には、日本のインターネットの大恩人であったことを改めてお伝えしたいと思います。最近では、ISOCの理事の仲間でもあり、ICANNとしての新IANAの理事を私がつとめることになり、かなり密着した仕事にさしかかったところでした。とんでもない訃報で驚くとともに、そのショックからいまだに立ち直っていません。これは、他のインターネット関連の人間にとっても同じでしょう。
ジョンは、大学院の学生としてARPANETの初期からインターネットの構築に携わっていたことが知られていますが、それ以来私たちに大きなインターネット哲学を示しました。アドレスの割り当て、ドメイン名、RFCのドキュメンテーションなど、彼が行なってきた多くの仕事は、新しいものを創り出し、その結果が貢献するというプロセスの中で、ほとんどの研究者・開発者が避けて通る仕事でした。インターネットの研究開発分野は、常にその成果が人や社会に直接評価される分野です。そのために、人の敬遠しがちな運用のための仕事の大切さを30年にわたって身をもって示したのだと思います。
残された私たちの使命は、インターネット運用のための努力が、世界の後継者によって健全に発展し、維持される仕組みを作っていくことだと思います。
'98年にはITUからの特別表彰など、ようやくジョンの仕事が各方面から評価されたことがせめてもの救いですが、ジョンの考えを少しでも学んだ私たちが、その意思を発展させていくことで、恩返しを進めていかなければなりません。
個人としても、日本のインターネットコミュニティとしても、そしてインターネットコミュニティ全体としても、改めて心からの感謝をささげるとともに、ご冥福をお祈りします。
('98/10/19)
[Reported by yuno@impress.co.jp]