バックナンバーへ
このほかの連載へ
【連載】

小形克宏の「文字の海、ビットの舟」
――文字コードが私たちに問いかけるもの  

第2部 これが0213の特徴とその問題点
第10回 0213の最終審査で、なにがおこったか? ~3.電子協の根回し(上)

       
Illustation:青木光恵

●西新宿『スターバックス』/小形氏の怠惰がまねいた若干の災厄

 うだるような熱気から逃れるようにして入った『スターバックス』のテーブルに、私と担当編集者のSはコーヒーのはいった大ぶりの紙コップを片手に腰をおろした。

「どっこらしょ」

 熱気のこもった路上から冷房のきいた店内に入れた安心感から、思わずそう口に出した私は、すぐにテーブルの向こうですこし咎めるようにこちらを見ている相手に気がついた。

(オッサンなんだから仕方ないだろ)

 胸の中でつぶやいた言葉を口に出せるわけもなく、ヤケのように私はストローを使わず直接あおるようにして冷たいコーヒーを流しこんだ。どうもこの女は苦手だ。コンビを組んでもう半年以上になるが、編集者として有能なのはわかったが、何を考えているのか今ひとつ分からない。ちょっとばかり性格がキツイのは良いとして、時々見せる値踏みするような視線が気にかかる。
 まあいい、切り出しにくい話だが、とにかく話してしまおう。実はどうしても原稿が書けずに、締め切りを延ばしてもらうために、私は打ち合わせと称してSとこのカフェで落ち合ったのだった。

「実は……」

 言いづらいのだがと口をひらきかけた私をさえぎるように、Sは私に言った。

「ちょっといいニュースがあるんですよ」

「ええと……なんですか?」

 悪い知らせは、よい知らせを聞いてから話そう。

「この前の日曜日に、ラジコン飛行機の大会に遊びにいったんですよ。そうしたら、そこで知り合ったオジサンが、なんとなんと『ビット舟』の大ファンで、小形さんによろしくって」

「ラジコン……ですか?」

「うれしいですよね、本当に。ところで、それはそれとして次回の原稿ですけど」

 ああ、来た。ラジコンの話で思わず油断したが、また冷たい目でこっちを見ている。いや、こういう時は攻めの一手だ。

「難航してるんですよ。そうだ、Sさんは電子協に一緒に行って東條さんの話を聞いてどう思いました?」

「んー」

 彼女はすこし考えるように人差し指だけ立てて唇にあて、小首をかしげながら上空をにらんだ。いつもは近寄りがたいくせに、この人はときどき幼い仕草を見せる。

「……思ったよりも、ずっと率直に話してくれましたよね。小形さんはどう思われました?」

「んー」

 今度は私が首をかしげる番だった。20年間使われつづけ、文字が足りないと言われつづけていたJIS漢字コード、JIS X 0208を拡張するために開発されたJIS X 0213(以下、0213)。その制定のための最後の関門だった最終審査の1カ月前、日本IBMとNECを中心とする国内の主要電子機器メーカーは、制定を阻止するためスクラムを組んで一斉に反対の声をあげた。連名で法的根拠のあるJISではなく、その前段階である“テクニカル・レポート”にせよとする要求書を、標準化行政の卸元、通産省工技院につきつけたのだ。

 反対理由は、0213原案が現在の支配的な符号化方法であるシフトJISの外字領域をつぶす拡張手法をとっていたからで、旧来のシフトJISと新しい0213の間で情報交換をすれば、広範な文字化けが発生してしまう――そういう理由だった。

 なるほど、それにしたって誰が見ても、なんとも力ずくな、スマートとは言いかねる意思表示であることは明らかだった。なぜならば、要望書の旗振り役と目される日本IBMもNECも、さらには取りまとめ役をつとめた様子の日本電子工業振興協会(以下、電子協)も、0213原案の開発をした原案作成委員会である『JCS委員会』のメンバーであり、さらに最終審査機関である日本工業標準調査会・情報部会のメンバーでもあるからだ。

 もしも彼らが文字化けを心配していたのなら、原案作成の場でそのように言えばよいだけだし、さらに彼らには最終審査でも発言のチャンスがあるはずなのだ。
 私にとってもっと不可解だったのは、シフトJISの外字領域をつぶして拡張するという開発方針は、原案作成の最初から決まっていた既定の方針であったことだ。0213原案の開発開始にあたり公開された『開発意向表明』[訂正](こちら)に明記されていることからもそれは明らかだ。この方針は開発の委託元である工技院も認めたものだからこそ作業のゴーサインが出たはずだし、日本IBMもNECもそうした開発方針を了解したうえで原案作成に参加したのではなかったのか。

 それやこれやの事情をあわせ考えると、この主要電子機器メーカーの行動に、なんだかきな臭い匂いをかいでしまうのは私一人ではないはずだ。実際、取材にとりかかる前、私が聞いた風説はきまって「ココだけの話だけど……」で始まるようなヒソヒソ話で、そういう話を私にした人たちは、明らかにこのことをあまり表沙汰にできない、ある種の“陰謀”と考えている様子だった。
 そうした噂話の、どこまでが本当でどこまでが根拠のないゴシップなのかを知りたい、それが私の動機だった。たぶんこの出来事は、文字コードという、それだけをとってみれば曖昧さのつけいる余地のないはずの技術規格が、実は紛れもなく人間くさいパワーゲーム――政治の産物でもあることを物語っているのだろう。

 となれば電子協の東條喜義参事へのインタビューにのぞんだ我々二人の心中は、ご本人には失礼ながら、まるで鬼が出るか蛇が出るかというような心境だったのも無理からぬ話だ。東條参事は、JCS委員会の親委員として0213の原案作成にタッチし、最終審査には電子協常務理事の代理として出席する一方で、件の“要望書”の取りまとめ役として動いたとされている。

 しかし、私たちの前にあらわれた東條参事は“陰謀”の中心人物には似つかわしくない率直さで、一連のできごとをくわしく説明してくれた。私はSに言った。

「うん、やや晦渋気味だけど、たしかに正直に話してくれた気がする。話の筋は通っているし、たぶん話してくれた内容に、嘘はないんじゃないですか。まあ、まだ話していないことがあるかもしれないけど」

「まだ話していないことがあるとすれば」

 Sはくすりと笑いながら言った。

「小形さんの聞き方が悪いだけだったりして」

 やっぱりこの女は私をなめている。そうだそうに決まった。

「でもさすだと思います。あのインタビューはけっこう注目を集めるんじゃないですか。だって“要望書”についてのいきさつが、すごく詳しくわかったんですから」

 あからさまな“おだて”だと分かっていても、こう言われれば悪い気がするわけがない。私は先日のインタビューを、記憶のなかでなぞりはじめた。

 

●芝公園前、機械振興会館3階、電子協/東條参事の第一印象

 東京タワーの前にたつ機械振興会館。ここにはかつて日本の高度成長をささえた数多くの工学系の学会や業界団体が入居している。そういえばUnicodeと文字集合等を同じくする文字コードの国際規格、ISO/IEC 10646を審議する ISO/IEC JTC 1/SC 2/WG 2 に対して、日本代表を送りこむ情報処理学会・情報規格調査会もここに入っていた。
 その3階にある電子協のオフィスをたずねた私たちの前にあらわれた東條参事は、六十がらみの物静かな男性だった。

「会議室をとってありますから……」

 それが癖なのか、東條参事はすこし前かがみの姿勢で背中を丸めながら私たちの先頭にたって歩きはじめ、やがて無機的な机とイスのならぶ会議室に入った。

 私の質問に答える東條参事の話し方はちょっと独特のものだった。丁寧なビジネス敬語をベースとしながら、話中に“アレしたとき”“アレでもって”などの指示代名詞が頻出する。“アレ”の指すものは前後の文脈から自明だから、インタビュー原稿にするには支障はないけれど、彼のしゃべった内容には、まるで全体を薄皮で覆ったような微妙な曖昧さがのこる。

 この人は、今までの取材で多く出会った、芝野委員長をはじめとする精力的なエネルギーをあたり構わず発散する人たちとは、根本的にことなるタイプのようだ。
 印象としては、みずから進軍ラッパを吹いて進め進めと部下を鼓舞するリーダーシップ型というより、さまざまな立場の意見を聞きながら穏便にことをおさめる、つまりは調整型か。おおくの企業があつまる業界団体の参事という職分は、やはりそのようなタイプの人を要請するのだろうか、そんな埒もない想像をしながら、私は東條参事の話に耳をかたむけていた。

 

●機械振興会館4階、電子協会議室/要望書が工技院に出されるまで

 この要望書の一件がスタートしたのは、東條参事によればメーカーの代表が電子協を訪れたときだという。

「'99年の6月ですか、ちょうど私は海外に出張して留守だったんですね。その出張から帰ってきたら、企業側からそういう話があったと聞かされまして」

 '99年6月という早いタイミングに私はちょっと驚いた。というのは、私は漠然とではあるが、おそらく一連の行動が開始されたのはウェブ上での0213最終案(こちら)の公開が決定された同年7月15日開催のJCS委員会の親/WG2の合同委員会の後なのだろうと想像していたからだ。
 しかし現実は私の想像よりも苛烈だったようだ。6月に電子協への訪問があったということは、反対派メーカーはすでに最終案が固まる前からアクションをおこしていた。少し悪どい言い方を許してもらえば、彼らは0213原案を完成させるJCS委員会の審議に参加しながら、裏で0213原案をテクニカル・レポートにするための共謀をすすめていたということになる。


――電子協を訪ねてきたのは、具体的にはどこなんでしょうか?

「日本IBMさんとNECさんです。私の上司に、こういう話があるんですけども、 ちょっと考えてもらえませんかと、まあ柔らかい気持ちで来ておられましたね」

 なるほど、日本IBMとNECといえば、0213原案の最終審査をおこなった'99年9月の情報部会で、反0213の論陣をはっていた企業だ。

――東條さんが動こうと思われたのは、これは1社や2社の問題ではなくて、 電子産業界、コンピューターメーカー全体として、もう一回これは考えた方 がよさそうだということですね。

「そう。それともうひとつ、私は実際に原案作成委員会の委員として出てい る人の判断と、それから企業のトップとしての判断とでは、やはりある程度違っても構わないと思うんですよ。ですからそういうことはある程度あってもしかるべきだということで、これはやはり業界として動かないと問題をのこすなあと」

――で、出張からお帰りになって、その話を聞かれた東條さんは、どうされたんですか?

「それはまあ、私自身もJCSの親委員会の委員として出てたもんですから、申し出のあったメーカーの人たちとも顔見知りでしたし、じゃあ2社だけじゃ分からないものですから、他の企業の人たちはどうなのかなあと、話を聞きはじめたのが、そもそも6月下旬からの話ですね。そうして、ただ聞いたんじゃ分からないですから、いろいろ主だった企業に集まってもらいましょうということになりました」

――集まったのは、7月に入ってから?

「そうです」

――電子協に集まって、要望書を出そうという話になったと。

「そうですね」

――文案を作ったのはどこの会社なんですか?

「それは共同で作りましたね」

 本当だろうか。一般に複数の意志をひとつの文書にまとめあげるには、最初に叩き台になる原案がないと合意の形成はむずかしいのだが……。

――要望書の文案ができて、その後どうされたんですか?

「まあ、やはり代表として出てきている人だけじゃ結論は出せないですから、それぞれ会社に持ち帰って関係者に確認して、調整したうえでということになりました。その結果、この要望書には同意できないというメーカーも出てきております」

――以前、要望書そのものの複写と、連署メーカーの開示をお願いしましたが、これはどうでしょうか。

「これが……その要望書の写しです(こちら)。 ご覧いただければ分かると思いますが、署名企業の名前は、私共以外は隠してコピーさせてもらいました。皆さんに連絡をとってみたのですが、名前を出すことに反対されたところがありまして、結果的にこのようにさせていただきました。どうかご了解下さい」

 渡された書類を見ると、ちょうど文末の“提出者:”以下が、紙片の影らしき線で囲まれ、最後尾の電子協以外の署名は見えないようになっている。

 工技院から開示された情報部会の議事録(第2部第6~8回を参照)から、明確に要望書に署名したと分かるのは、まず情報部会委員の日本IBMとNEC、それに委員ではない東芝、沖電気、三菱電機の計5社だ。しかし私には、議事録を読んだときから5社以外に署名した会社はあるのか否かが疑問点として残っていた。
〈原案に対する要望書は、部会委員の他に、電子協会員である東芝、沖電気、三菱電機も連名〉と議事録には明記されているので、ひとまず委員メーカー以外で署名したのはこの3社だけと考えてよい。となると焦点は、委員のうち日本IBMとNEC以外で署名した企業があったかどうかなのだが、残念、やはり不明のままに終わるのか……。ともかく、私は大急ぎで要望書の文面に目を通す。

――ええと、宛先がありませんが……。

「ああ、そういえばそうですね。でもこれが工技院さんに提出したものですよ。内容を読んでいただけば、工技院さんに宛てたものだとお分かりいただけるんじゃないでしょうか」

――分かりました、どうもありがとうございます。これは公開してもよろしいでしょうか。

「まあ、いいでしょう」

――で、要望書が完成した後の具体的な行動としては?

「とにかくそれを、まず、お膝元の工技院さんの方へお話ししないと、ということでメーカーの方と一緒に行って話しました」

――その時に一緒に行かれたのは、日本IBMとNECと東條さん、その3人ですか。

「あと富士通さんも、たしかその時……」

 そうか、富士通だったのか! 議事録からは分からない残りの要望書の連署メーカーは、一緒に工技院に行ったというのなら富士通でキマリだろう。

 

●西新宿『スターバックス』/Sが驚いた顔は、けっこう美しい

「え!? 富士通は署名してなかったんですか」

 Sはコーヒーから顔をあげて言った。

「そう。それに工技院へ同行もしていない。インタビューから帰ったら東條さんからメールが来ていて、〈工技院に同行し、また連署に加わっているような表現をしたように思いますが、してはいません。これは私の記憶違いです〉って知らせてきてくれた」

「へえ……せっかく署名したメーカーが、これで分かったと思ったのに、ちょっとガッカリですね」

「まあ、しょうがない。いずれ分かりますよ」

 Sは頭の中を整理するように、私に聞いた。

「ええと……結局、工技院に行ったのは東條さんと日本IBM、NECなんですね」

「そう、それが'99年8月の末。要望書の日付も8月31日でしたよね。で、0213原案の最終審議がおこなわれる情報部会が開かれたのは、この約1カ月後の9月27日」

 私はちょっと身を乗り出しながら、Sにたずねた。

「ねえSさん、僕は思うんですけどね、はたして芝野委員長は事前にこの要望書の存在を知っていたんでしょうかね?」

「芝野さんって、情報部会でメーカー側とハデにやりあった原案作成の委員長……ああ、なるほど、1カ月もあれば、伝わるには十分ってことですね。どうなんでしょう、ありそうですけど……」

「こればっかりは本人に聞いてもみないと分かりませんけどね。でもなかなか想像力を刺激するテーマではある。事前に知っていたとしたら、芝野さんはどのような心境で当日を迎えたのか。なにか手を打っていたのか、それとも ……。まあそれはさておき、要望書の経緯はだいたい分かったけど、まだ分からないことはありましたよね」

 

●機械振興会館4階、電子協会議室/拡張方針はどのように認識されていたか?

――他にも分からないことがあるのですが、0213の場合、'96年に公開された 『開発意向表明』(こちら)で、こういう開発方針をとるんだということを非常にくわしく言ってますね。これは工技院も認めたもののはずです。僕のような 門外漢の目から見ると、外字問題というのは、ある種すでに終わった話、 議論の前提ではないかという気がするんです。

「うーん、それがですね、そういう話があったかもしれないですけども、まずどの字を収録するかと、いう話が最初だったと思うんですよね。その後でもって、どこにはめ込むかといった段階になってきたら問題が出てきたと」

――はめ込むというのは、つまり符号化方法の話ですね。

「ええ。言うなれば、以前はフリーであった領域に、新しい文字をはめ込むと、いうような話が後でもって出てきたと思うんですね。ですから、最初からそこへはめ込むんだという方針は、ある面ではあったのかもしれません。でも、最初はみんなが認識してなかったと思うんです」

――つまり、工技院プラス原案作成委員会の芝野委員長という中枢部分では、 どういう方法で拡張するという方針はきちんと認識してたかもしれないけれど、 それが親委員会の委員全体に浸透していたかというと疑問であると。

「疑問だと思うんですよ。それは特定の、先ほどから言っておりますメーカー側の委員の方は意識していたと思うんですね。当然自分のとこに降りかかってくる話ですから。だからその時点からメーカー側は反対していたと思うんですよ」

――そんなにメーカーは反対していたんですか。

「いや、私も'96年頃の委員会の議事は思い出せないんだけど、最初から反対の発言をしていた委員がいたと思うんですね。しかし、委員会で発言しても、あまり取り入れられないし、多勢に無勢というとこでもって、逆に言うと、だんだん来なくなっちゃったと、いうようなアレもあったんじゃないかなと思われるんですけどね」

 

●西新宿『スターバックス』/暑い昼下がりに、熱い話題は似合わないが

 昼下がりの新宿の電脳街は、まだまだ暑い熱気にあえいでいた。道行く人のそれぞれから、「アヂアヂアヂ」とか「ビールが飲みてぇ」という吹き出しが出ていそうだ。冷房のききすぎた店内をよそに、Sを相手に私の熱弁は外気なみにピークをむかえつつあった。

「ねえSさん、東條さんは最初どのように拡張するかという方針を、あまりよく認識していなかったと言っていたじゃないですか」

「ええ、それよりどんな字を入れるかという話ばかりだったということでしたよね」
 
「ところが、インタビューの後、どんでもない資料に出会っちゃったんですよ。これがスゴイんだ……」

 インタビューの数日後、私は知人からのメールを開き、内容に驚くことになった。それは東京外語大学にある芝野委員長の研究室のサーバー(こちら)で、JIS X 0208の'78年の制定当時(78JIS)と、現行の4回目の改正時(97JIS)の原案作成資料が公開されていることを教えてくれたものだったのだ。

 URLが芝野研究室のものであることから、公開の決断をくだしたのはJCS委員会の委員長、芝野耕司その人であると考えられる。これらの文書は日本の文字コードの歴史に関心を寄せる者にとっては驚くべき宝の山であり、これらにふれる者は、まず公開者に深い感謝をしなければならないだろう。この公開によって明らかになるであろう歴史の謎も少なくないと思われる。
 ただし、あまりにも広範に公開されすぎて、元の資料提供者の知的所有権に抵触してはいないか、部外者ながら心配なものもないではない。実をいうと、このURLは少なくとも8月15日午前中までは生きていたのだが、なぜか9月6日現在アクセス不能になっている。これも、ひょっとするとこうした問題とも無縁ではないのかもしれない。それはともかく、そんな理由で以下に引用する文書は、すべてダウンロードしておいたものを使用する。

 さて、本題にもどろう。公開文書のうち、97JISについては原案作成委員会の議事録と配付資料の一部が公開されていた。この中で、『JIS漢字の拡張計画に対する意見集(こちら)』(文書番号JCS 2-4-02、以下、意見集と略)に、東條参事が開発方針を読んだレスポンスが収録されていたのだ。

『意見集』は、『JIS漢字の拡張計画(こちら)』(文書番号JCS 2-3-13)という、後に『開発意向表明』として公開される文書案に対して寄せられた親委員会の委員達の意見をファイルしたものだ。
 一方『JIS漢字の拡張計画』は芝野委員長起草になる'96年6月24日付文書で、公開直前のバージョンにあたる。公開版の『開発意向表明』とは一部異同があるが、符号化方法の説明については大筋で同じと考えてよい。これがWG2で審議され、多少修正されたうえで親委員会へ“郵送審議”にまわされたことが、これは日本規格協会より開示をうけた同年同日の議事録案(こちら)からわかる。そして、この郵送審議の結果が『意見集』というわけだ。

「ええとすいません、私、その“親委員会”と“WG2”の違いがよく分からないんですよ。どっちも原案作成委員会ですよね」

「ちょっと回り道だけど、正式な流れで説明すると、0213の場合、工技院がまず日本規格協会に事業委託をしたんです。で、規格協会が工技院の指導のもと原案作成委員会を編成した。これが正式名称『符号化文字集合調査研究委員会』、通称『JCS委員会』。通常、原案作成委員会は親委員会と作業部会の二段構えになっていて、実際の作業をするのは作業部会、そのチェックをするのが親委員会と役割分担される。で、JCS委員会の場合のWG2ってのは、Working Group-2の略で、つまり第2作業部会のことですね」

「第2ということは、第1があるわけですよね」

「そう、そもそもJCS委員会のWG2は97JISの改正を担当するために作られた作業部会で、これが引き続き0213の開発をおこなったんですよ。で、創設当初は確かにWG1というのもあって、これはJIS X 0201、つまり日本版ASCIIコードの改正を担当していた。もっとも0213を作っている時は、すでに解散して空き番号になっていたけど」

「なるほど、そうだったんですか」

「ちなみにJCS委員会の場合、リーダーである親委員会の委員長と、WG2の主査は、同じ芝野耕司氏。ところで、ここでのポイントは、文字や符号化方法に強いエキスパートはWG2に集められていたけど、チェック役の親委員会は大所高所から開発作業を見守るという意図から、文字コードのエキスパートだけではなく、工業規格全般に詳しい人とか、文字にかかわる官庁なんかから人を集めていたということなんですよ。つまり全員が文字コードに詳しい人という訳じゃない」

「ふうん、その『意見集』っていうのは、そういう親委員会の人がチェックした結果というわけですね。で、その中で東條さんが賛成意見を書いていた……とか?」

「いやまあ、そう先回りしないで」

 まず『JIS漢字の拡張計画』の方を検討しよう。この文書の中で、例の要望書により問題にされているシフトJIS等の外字領域と0213の領域が重複するという点についてどのように表現されているかというと、以下のようになる。

8140xのシフトJIS,中国のGBK及び韓国のUHCのアドレス空間を基本に,1バイト仮名の領域は避けた領域とする。従って,現行各社の独自文字が割り当てられている領域は含む。これで最大5000字程度(第3水準及び第4水準)とする。

 既述のとおり、この文言は冒頭の〈8140xの〉が公開版で削除されている点を除けば全く同一である。すなわち、現在の東條参事の認識はともかくとして、シフトJISの外字領域に新しい文字を割り当てるということは、はっきりと0213開発当初から謳われていたと考えられる。では、『意見集』で東條参事はどのように述べているのだろう。実際に読めば分かるとおり、ここでは細かい字句についての疑問を述べているだけで、上記の部分へは言及していない(ちなみにこの彼の疑問は『開発意向表明』には反映されずに終わっている)。

「そうだったんですか……。つまり、自分が『意見集』で書いたことを、東條さんは私たちに隠していた……と?」

「いやいや、それはないでしょう。実はあのインタビューの後、東條さんに電話で問い合わせて分かったんだけど、彼がJCS委員になったのは、'96年5月からなんですよ。それも前任者の退職による急な着任だった。つまり、この 『意見集』の時点というのは、ちょうど引き継いだ……すぐ後なんですね」

「あ、そうだったんですか!?」

「だから、あの『意見集』のなかでの東條さんの回答は、恐らくしっかりとした考えに基づくものではなかったのではないか。回答が内容に踏み込まず、表面的な字句の訂正に留まっていることからもそう言えると思うんです。もう一点、東條さんに同情すべき点があるんです。この『JIS漢字の拡張計画』 の審議は“郵送審議”だった。つまり書類が送られてきて、どう思うか書いて返送しろっていうことですよね。おそらくは十分な説明もなかったのではないかな。実際、書類に目を通してまじめに返送した東條さんのような人は、ごく少数派だった」

『意見集』に収録されている親委員からのレスポンスは、全21人(規格票所載の名簿による)のうち、東條参事をふくめわずか4人からにとどまっている。つまり残り17人は無回答。しかも、回答者のうち1人はWG2幹事で親委員も兼ねていた豊島正之委員のもの。そして内容まで踏み込んた回答を書いているのは、NECオフィスシステムの伊藤英俊委員のみだ。
 これを見るかぎり、私には親委員会で審議を尽くしたとは言いがたいように思える。もしもそうだとすれば、東條参事が“そういう話があったかどうか、私はよく覚えていないし、他の委員もそうではないか”という趣旨の“印象”は、意外にある一面の真実を物語っているのかもしれない。

 私は従来『開発意向表明』がJCS委員会全体の総意であるという前提で一連の経緯をとらえてきたが、考えを変える必要があるのかもしれない。もしかしたら、きちんとした審議と合意がおこなわれたとしても、それはWG2内部のレベルを越えるものではなかったのではないか。
 どういう事情があったのか現時点の私には分からないが、この開発方針の親委員会での審議は、もう少し慎重かつ丁寧にやるべきではなかったか。もしかしたら、これが後の軋轢を生み出した一つの要因になっているのではないか。『意見集』を読む限り、そのような強い疑問が浮きあがってくるのだ。

「なるほどぉ、“躓きの石”って感じですね」

「ええと……そういう書けない難しい字を話さないでくださいよ。しかし、東條さんの“印象”がすべて正しいかと言うと、そうでもなさそうなんですね」

 

●機械振興会館4階、電子協会議室/おかしくなったのは合同委員会から

――親委員会から見ると、最初の議論はどこの領域をつかって拡張するのかよりも、具体的にどういう字を入れるべきかというものだったと?

「そうそう、私の頭には非常にそれが強く残っているんですね。で、WG2の皆さんが苦労されて、それこそ徹夜されたりですね、長時間にわたっていろんな文献を調べられたと、いう話が非常に頭に残っているわけでね。だけども、従来フリーだったところに新しい文字を当て込むというのは、私自身は全然認識していなかった」

――ということは、開発が大詰めになったところで、「えっ」っていうような?

「そうそう。それでメーカーの人たちは、いろいろ発言しはじめて、IBM外字だとかNEC外字だとか、メーカー外字の話が盛んに出るもんですからね、おや、これはなんだか様子が違うぞと」

――その、認識があらたまり始めたのは、いつぐらいだったんですか。

「うーん、そうですね、やはり親委員会とWG2が別々に開催されていた時はあまり感じていなかったんですね。それが一緒になってやりはじめて、なんかちょっと」

――合同委員会っていうのは、たしか公開審議('99年3月26、27日)のあたりからですね。

「いや、その前からけっこうあったな」

――ということは'98年頃からあったと。

「WG2と一緒になるということは、人数も多くなるんですね。で、当然WG2の方が話が多いわけですよ。内容としては、まあほとんど専門的な話になってくる。だからね、なんかこれはちょっと委員会のやり方自身もおかしいなあと、いうような感じは持ちましたね。最初はいいですよ、2回目あたりからそう思うようになったんですね」

――なるほど、親委員会の人達は必ずしも文字コードの専門家ばかりではないわけですから、確かにそういう議論になるとスポイルされるかもしれませんね。

「合同になる前、親委員会だけの時に、メーカー側の方から外字について色々話がでてきていたんですが、WG2と一緒にやるようになってから、今度はそういう人もあんまり出てこなくなっちゃうし。そうなると当然、実際に親委員会に出てきている人たちそのものは、そんなに内容そのものに知識があるわけじゃないですからね」

――合同になってから、親委員会そのものの出席率が悪くなったんですか?

「ありますね、それは。後の方の議事録を見ていただければ分かると思いますけど」

――それは、どうしてでしょう。

「やっぱり、委員会での審議内容が親委員会とWG2では違うんじゃないかというふうに思われたんじゃないかと思いますけどね。私自身もだんだん出ていかなくなりましたね」

――しかし、議事の運営について“これはおかしい”というふうに思ったら、むしろ“こういう理由だからおかしい”というふうに声に出さないと直らないですよね。

「そうですね、それは委員会の席上では話しませんでしたけども、事務局の方には言ったと思うんですけどね」

――規格協会の事務方に言ったのは、東條さんがですか?

「うーん、いや、それは私自身がきちんと言ったかどうかっていうのは、話しをしたことはありますけども、それは話しただけに留まっておったかもしれない。あんまり、強い口調でもってそういう話しを言ってません」

――つまり、事務局の人をふくめて何人かで雑談した機会に、「あれはちょっと問題だね」みたいな感じで話が出たということですか。

「うん、そうそう」

――でもそれは結果的には改まらなかったと。

「そうそう」

 

●西新宿『スターバックス』/そういえば若年圭角って言葉もあったな

 話がその段におよぶと、Sはすこし語気をつよめて言った。

「なんか私は、税金つかってやってるんだから、本当にマズイと思ったんなら正々堂々と会議の席で言ってちょうだいよって思っちゃったんですけど」

「まあそれは正論ではありますね。反対はしない。ちょっと同情的に推測すると、もしや言い出しにくい雰囲気があったのではないかとは思いますけど。もちろん、だからよいというわけでもない。それより……」

 私はここでタバコを吸おうとポケットに手を伸ばしかけてやめた。そうか、この店は禁煙だったんだ。

「……東條さんは親委員会とWG2の合同委員会が増えてから、親委員の集まりが悪くなって、そこからおかしくなったって言っていたけど、でもね、どうもこれは彼の記憶違いではないかと思うんですよ」

「記憶違い?」

(以下、公開予定の『3.電子協の根回し・中』『同・下』につづく)


※別記

JIS X 0213にある附属書1『Shift_JISX0213』を使って、その文字を使うことができる、フリーのTrueTypeフォント(Windows95、Windows98、Unix、Macintoshに対応)が以下のURLで公開されている。

http://www11.freeweb.ne.jp/computer/wakaba/

ただし、今までの拙稿でも触れているように、Shift_JISX0213じたいは規定ではなく参考だ。従来のシフトJISフォントで表示させようとすれば文字は化けるし、近い将来出るであろうJIS X 0213の文字をサポートするUnicode対応OSの間で、正常に文字が変換される保証も現在のところはない。そのためこのフォントの使用には十分に注意されたい。

また、『青空文庫』の手によって、上記のフォントの紹介や使用方法、あるいはShift_JISX0213を使って従来の外字の穴を埋めたデータや、その作成のノウハウ等が解説されている。

・『新JIS漢字時代の扉を開こう!』
http://aozora.gr.jp/newJIS-Kanji/newJIS1.html

・『青空文庫 明日の本棚』(Shift_JISX0213を使って入力した文学作品のテキストファイル)
http://www.sumomo.sakura.ne.jp/~aozora/jisx0213/

青空文庫では、これらを公開する意図として、私の質問に答え〈新JIS漢字が使えるようになることで将来の青空文庫にはどのような変化が生じるのかを見せる「窓」のような存在として、「明日の本棚」を設けました。〉と説明している。すなわち将来に向けた限定的な“実験”として、これらを考えているようだ。

(2000/9/6)

[Reported by 小形克宏]