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【連載】

小形克宏の「文字の海、ビットの舟」
――文字コードが私たちに問いかけるもの  

第2部 これが0213の特徴とその問題点
第12回 0213の最終審査で、なにがおこったか? ~3.電子協の根回し(下)

       
Illustation:青木光恵

●西新宿『スターバックス』/3杯目はフレッシュジュース

 午後4時を過ぎて、西新宿の街はようやく夕暮れの気配がしのびよろうとしていた。照りつける陽射しはまだ強いが、1時間ほど前のようなきびしさはない。街を歩く人からも、気のせいかほっとした表情がうかがえる。

 私と担当編集者のSは喫茶店に座り、数週間前に取材した電子協の東條喜義参事のことを話し合っている。ふたりでテーブルを囲んでから、もう2時間以上がすぎようとしていた。私はすでに2杯のコーヒー、しかも250mlのトールサイズを飲み干して、いささか胃がもたれている。しかしSの鉄の胃袋は、3杯目にオーダーしたフレッシュジュース(もちろんトールサイズ)に加えて、今ペストリーを呑みこむところだった。

 口の中に消えゆくパンの切れ端をながめながら、うんざりするより驚嘆する私をよそに、恬然とSは言った。

「東條さんのインタビューで一番面白いところは、工技院の取材では分からなかった舞台裏を明かしてくれたところじゃないかと思うんですけど」

 そうだ、問題は……文字コードだった。一瞬遅れて私は彼女に答えた。

「……ああ、そうですね。工技院に話を聞いたときは話してくれなかったことがだいぶ分かった。なかでも富士通が、要望書の音頭取りをした日本IBM、NECと同じく0213のシフトJISに反対の立場をとりながらも、微妙にスタンスが異なっていたという点は興味深いですよね」


●機械振興会館6階、電子協会議室/要望書メーカーと富士通の“温度差”

 電子協の東條参事とのインタビューは、いよいよ核心部分へとせまってきた。


――工技院から情報部会の1回目、2回目の議事録をもらって仔細に読んでいったんですが、実は2回目ではもう話がついているような感じで、あんまり反対意見というのは出てないんですね。

「そうですね」

――1回目の方も、すごく反対意見が出たのかというとそうでもなくて、日本IBMが非常に強い姿勢で反対意見をのべ、NECがそれに賛成したのは読みとれますが、他の企業はそれらとちょっと姿勢が違うようにも読めます。

「たしかに、回数とか発言内容から言うと、日本IBMさんが一番多かったですね」

――議事録というのは筆記録じゃありませんから、そのへんは完全には再現できていないと思うんです。でも少なくとも議事録上は、日本IBMは終始反対している、NECもどうやらそれに歩調を合わせている。ところが富士通となるとちょっと温度差があるようだ。実際に東條さんは情報部会に出席されましたが、その辺はどうでしたか。

「確かに温度差がありましたね。ですから富士通さんから、どっちかというと折衷案的な話が出ましたね」

――そうですね。会議の最初の方で、富士通は附属書1~3を参考にしてテクニカル・レポートではなくJISにという提案を出した。結果的にはこの富士通提案で決着することになるんですが、この提案がでた後も、そうはいってもやっぱり外字が問題なんだと言う日本IBMと芝野委員長との論争という構図で推移していたように思いますが。

「まあ今、富士通さんがわりと早い段階でと言われましたが、それはたぶん議事録上の話で、実際の当日の流れから言うと、提案されたのはかなり議論が進んだ後の話なんですね。ですから富士通さんとしては、まあ芝野委員長の今までの委員会でのご苦労を考えたら、やはりJISとするべきではないかというのが、社内で色々議論された結果だったと思うんですよね。ですから、最後の落とし所はそこかなということで、情報部会に出てこられたと思うんですけど」

――それは事前に、そう考えていたということで?

「ええ、事前に社内でもって、まずテクニカル・レポートかなと。それが色々議論があって、少なくとも附属書1~3までは参考と、いうのが落とし所ということで、富士通さんは踏んでこられたんじゃないかと」

――それは、そのように富士通の委員から?

「ああ、直接、後でもって聞きましたけどね。うん」

――東條参事は業界全体を考える立場だと思いますが、ご自身はどう思われていたのでしょうか。

「それはテクニカル・レポートということで決着すべきだと思ってましたけどね。まあ第1回目の情報部会の時に、富士通さんからああいう話が出てきて、ある面ではそれもひとつのやり方かなと、いうふうな考え方にはなりましたけどね」

――ということは、富士通の委員の話を聞くまでは、落とし所として、附属書1~3を参考にするっていうのは、あまり考えていなかった?

「いや、それはある程度考えてはいましたよ。でもまあ、テクニカル・レポートというのがなければ別ですけども、れっきとした制度としてありますから、それならテクニカル・レポートとするのが最初じゃないかと」


●西新宿『スターバックス』/果糖は体内への吸収が早いらしいよ

 Sはフレッシュジュースをストローで飲みながら私に言った。

「どうも富士通の動きがひとつのキーのようですね」

「そう、インタビュー当時は分からなかったけど、要望書に富士通は署名していなかった。だから署名した日本IBMやNECとはひと味違うスタンスで最終審査にのぞんでいたということでしょうね」

「意外に一枚岩じゃないんですね」

「そりゃそうですよ。それからもう一つ重要なのは、テクニカル・レポートというものの正体ですね」

「正体?」

「うん、実はテクニカル・レポートって作戦には、彼らなりの現実的な計算の裏付けがあったみたいじゃないですか」

 

●機械振興会館6階、電子協会議室/テクニカル・レポートにこめられた意味

――ただ、テクニカル・レポートって、知名度というか市場に対する説得力という意味では、やっぱりJISには劣りますよね。

「ええ、これはまだ始まったばかりですよね、正直言って。たしかに知名度というのはないと思うんですよ。我々みたいに規格をやっている人間にとっては、そういうのは4年ぐらい前から話が出て、まあそれなりの知識は持っていましたけども、一般の人はやっぱり、テクニカル・レポートってご存知ないと思うんですね」

――僕もそう思います。

「しかし、誤解していただきたくないのは、テクニカル・レポートはちゃんとした制度なんです。正式な規格というのは制定まで非常に時間がかかるものなんです。開発している間に技術が古くなって、標準の意味がなくなってしまうことだってある。テクニカル・レポートというのは、多少ランクを落としても、より早く標準としてまとめようということで考えられた制度で、国際の方では、わりとよく使われているんですよ。工技院の方でも、たしか4年くらい前から国際の方に同調しまして、技術的に固まっていなくても、有益なものはテクニカル・レポートとしてまとめていこうという方針になりましたからね。しかも情報技術関連というのは1社が握っているデファクト標準が非常に多いですから、まあ公的な標準というだけテクニカル・レポートでも効果はあるんじゃないかと、そういうふうに踏みましたけどね」

――具体的に、今まで国内のテクニカル・レポートから国際規格に対する典拠のひとつになったという例はあるんですか?

「日本からということだと、DVDなんていうのは、日本でテクニカル・レポート化したものを提案して、国際のテクニカル・レポートにしたんだと思いましたよ。国際提案するひとつの方法として、日本でもってテクニカル・レポートなりJIS化してしまえばね、国際に提案するのもスムースに行くんですね」

――DVDは国際規格ではなくて、国際のテクニカル・レポートなわけですね。

「そうです。テクニカル・レポートから国際規格というのは、まだないですね」

――つまり、ISO/IEC 10646に対する典拠としてテクニカル・レポートを使おうというのは、実現すれば初めてのケースだった。

「そうそう、ある面ではそういうような形で使えればな、という考えだったわけです」

――でも国際の方で、“テクニカル・レポートを持ってこられても、ちょっとウチは”ってことになってしまったら……

「ああ、ですから、それはその時点でもって考えればいい。テクニカル・レポートの有効期間は3年ですから、その3年間で国際の方の動きをみて、どうも難しそうだということになれば、その時点で……」

――テクニカル・レポートをJISにすると。

「そう、JISにする。あくまで3年以内ですから、動きをみてて2年でもやろうとしたらできるわけですからね」

――その場合、いきなり情報部会にテクニカル・レポートを出せば、JISにできるんですか? それとも原案作成委員会から始めないといけないんでしょうか?

「いやいや、それはテクニカル・レポートをそのまま原案として出せばいいんです。今の法律から言ったら、要件が整っていれば民間でもって提案してかまわない。だからウチで情報部会に提案してもかまわないわけです。やり方はいくらでもあるんです」


●西新宿『スターバックス』/それは黒澤明のエッセー集のタイトルだ

 雲ひとつない空で、盛んに存在を主張していた太陽も、ようやくビルの谷間に姿を消したようだ。そろそろ夕暮れ、辻の奥にはすでに夜の気配さえただよっている。私の尻は、洒落てはいるがひどく固いイスに悲鳴を挙げはじめていた。はやく、この話をきりあげて家に帰りたいものだ。
 しかし仕事熱心なSは、フレッシュジュースの最後の一口をストローで吸い上げると、私の心中などおかまいなしに言った。

「テクニカル・レポートにあった現実的な計算って、どういう意味なんですか」

「もともと要望書に署名したメーカーは文字の拡張は国際規格からっていう立場。そういう立場からすれば、国際の場で典拠として使えるならテクニカル・レポートでも十分ですよね。通用しないと分かった時点でJISに看板を付け替える手もあるし。それにテクニカル・レポートなら、実装しなくてすむ分だけ国内に不要な混乱をもたらさず、そういう意味でも都合がよい。そういう、きわめて現実的な計算にもとづくロジックだったんじゃないかな」

「なるほどね。さすがにいろいろ考えていますよね」

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」

「なんですか、それ?」

「ウィスキーのコマーシャル。それはともかく、要望書メーカーは思った以上に作戦を練ったうえで行動をおこしているように思うんですよ。例えば……うーん、これはあくまでも僕の想像なんですけど、実は要望書のメンバーと富士通の間で、事前に交渉が成立していたんじゃないか」

「交渉?」

「うん、つまり日本IBMはあくまでも芝野さんに突っ張る。NECもそれに援護射撃をする。当然激しい議論の応酬になるだろうから、膠着状態になったところを見はからい、今度は代わりに、富士通が附属書1~3を参考にする妥協案を出す。そんな役割分担を事前に決めていた、つまりは“0213包囲網”のフォーメーション・プレイじゃないか……」

「本当ですか!?」

「いや、そう思いたくなるほどメーカー企業の“反0213作戦”は、見事に決まっているってことなんですよ。事前に決めていたかどうかはともかくとして、今僕が言った流れは、実際の1回目の情報部会の議事進行そのものなんですからね」

「どうでしょうね……」

「実はその後、直接東條さんに富士通と事前に呼吸を合わせていたのかと聞いてみたんです」

「どう答えました?」

「笑いながら言下に否定されましたよ。ただ、富士通だって0213のシフトJISには反対なのは同じ。要望書メーカーからすれば、富士通が要望書への署名に参加しないと言ってきた時点で、彼らが情報部会で自分たちよりすこし穏健な折衷案をだしてくるのは、実は十分予想の範囲内だった。これは東條さんに確認ずみです」

「なんか小形さん、さっきから謀略小説の読み過ぎじゃないですか」

「そうね、でも確実に言えることは、情報部会での論戦は、実は芝野さんにとって非常に分の悪いものだったってことです」

「そうですか、議事録を読むと芝野さんは全然負けていないって感じでしたけど」

「たしかに負けていないけど、議論は全然かみ合っていないですよ。もともと要望書メーカーにとっては原案全体をテクニカル・レポートにしてしまうものから、問題部分だけを参考にするものまで、いくつも選択肢があった。他にも附属書1~3を削除したり、この部分だけ独立させてテクニカル・レポートにする方法だって考えられるかもしれない。とにかく実装に問題がでそうな部分さえJISにならなければ後はどっちでもいい。つまりいろんな戦略が立てられた。でも、芝野さんにとっては防戦するしかオプションがない。となれば、これは芝野さんにとって厳しい戦いですよね」

「ああ、それはそうかも。でもなんか、すごい話だなあ」

「情報部会でおきたことを将棋に例えると、実は要望書が工技院に提出された時点で、すでに“詰み”だったんじゃないか、そう僕は思います。芝野さんは技術的な立場から反論したけど、要望書ってパワーゲームの産物ですよ、これに技術で対抗することじたいに無理があるんです。だから、議事録を読んでも全然話しが噛みあってないですよね。たぶん、それは我々にとっても不幸なことなんだろうけど……」

 不幸って? そう目で聞くSをよそに、そろそろ腰をあげたい私は言った。

「まあそれは追々話すとして」

 私は痛くなってきた尻の位置を、微妙にずらしながらSに言った。

「たぶん今回の東條さんのインタビューで最大の目玉は、1回目と2回目の情報部会の間で、工技院がどういう“調整”をしたのか、具体的に説明してくれたところだと思うんですよ」

「そうですね、工技院はなかなかはっきり言ってくれませんでしたからね。でも工技院も仕事とは言え、メーカーと芝野さんの板挟みになって大変ですよね……」

(次回、21日配信の「完結編」につづく)

(2000/9/20)

[Reported by 小形克宏]