インターネット 未来への提言

radikoの配信基盤を設計した技術者、香取啓志氏が語る「放送×インターネット」の次

香取啓志氏(株式会社 Moments Lab代表/株式会社radikoエグゼクティブフェロー)

 全国のラジオ局の番組がインターネットで聴ける「radiko(ラジコ)」を技術面から設計してきた香取啓志(かんどり・けいし)氏。1985年、創設間もない米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボでインターネットの黎明に触れ、HDや4Kの非圧縮IP伝送を世界に先駆けて手がけた後、「IPサイマルラジオradiko」の開発に取り組み、2023年、前島密賞および放送文化基金賞を受賞。

 「放送とインターネットは本質が違う」と語る香取氏に、radiko誕生の舞台裏と、ソフトウエアで定義される次のメディアの姿を聞いた。(聞き手:錦戸陽子、仲里淳/撮影:渡徳博)

INTERNET Watchと共に30周年を迎えた年鑑書籍『インターネット白書』の編集部がお届けするこの連載では、90年代のインターネット商用化以降に花開いた新ビジネスや技術・社会の潮流に着目し、開発や推進に携わった当事者に話を聞く。挑戦者の歩みから、インターネットの未来へのヒントを探る。

MITメディアラボで触れた「インターネット以前」

──初めてインターネットに触れたのはいつごろのことでしょうか。

香取氏:最初の接点は1985年、創設間もない米MITメディアラボに研究員として在籍した時です。当時すでにASR-33というテレタイプ端末で、所長のニコラス・ネグロポンテと電子メールをやり取りしていました。

 私はメディアラボのスタッフとともに、X Window Systemをベースにした革新的なビデオ編集機を共同開発していました。フィルム編集と同じ感覚で、ビデオをそのままキャプチャーしてタイムライン上に並べ、学生たちと組み立てていく中、当時は大変高価だったビデオテープによるリニア編集システム「CMX」のメタデータ(EDL)と互換性を持たせ、表示をフィルムストリップに合わせたノンリニア編集機を開発しました。ソフトウエアだけでなく、ハードウエアから自作したものです。

 そのころ、米国の「情報スーパーハイウェイ構想」に関連するビデオのHD編集にも、8mmテープの段階から関わっています。1インチのハイビジョンVTRコマ撮り制御するソフトウエアも自分で書きました。この映像はSIGGRAPHのHDTVセクションで上映されました。

MITメディアラボ時代の研究内容を説明する香取氏。当時は、ドキュメンタリー監督として有名なリチャード・リーコック教授のFilm & Video研究室に在籍していた。
MITメディアラボ時代の映像研究資料。香取氏提供

光ファイバー1本で世界はつながる

──日本のインターネットの黎明期にも、多大な研究開発の業績を残されています。

香取氏:帰国後、JUNETの生みの親である慶應義塾大学の村井純先生との出会いを経て、インターネット黎明期のさまざまな取り組みに関わりました。大きなきっかけは、1997年に京都で開かれたCOP3(気候変動枠組み条約第3回締約国会議)のインターネット中継です。このときの中心メンバーが下條真司先生、山口英先生、白波瀬章さんら「サイバー関西プロジェクト(CKP)」で、後にradikoのIPインフラを支えることになる仲間が集まっていました。

 そこから、非圧縮のHD映像をIPで伝送するトランスポート装置をNTT武蔵野研究所と共同開発し、世界中のIP網で中継伝送を行いました。2005年には、Interop Tokyo 2005(幕張メッセ)の会場内に向けて、大阪のABC(朝日放送テレビ)からHDの非圧縮映像を10GbpsのIP網でリアルタイム伝送しました。

愛知万博会場での大画面ライブ中継(左)と、Interop Tokyo 2005(千葉・幕張メッセ)-ABC間のHD非圧縮伝送デモ(右)。下図は幕張・大阪ABC・愛知万博会場・甲子園球場を結ぶ伝送経路。香取氏作成

香取氏:2005年に開催された愛知万博(日本国際博覧会、愛・地球博)では、甲子園球場で行われている全国高校野球選手権大会の決勝戦を会場の大型ディスプレイにライブで流しました。2007年には、米大リーグのボストン・レッドソックスの本拠地球場前にあるホテルの屋上にカメラを置き、大阪のスタジオとの間を光ファイバーで結び、朝のテレビ番組でライブ掛け合いを行っています。「衛星生中継の遅延が……」と騒がれる今からすれば、信じてもらえない話かもしれません。

日米(大阪-ボストン)の非圧縮ライブ伝送実験の様子(中継拠点・中継スタジオ・レッドソックスの本拠地であるフェンウェイ球場全景)。香取氏作成

香取氏:さらに、慶應義塾大学の150周年というタイミングで、世界中への配信のベースとなる開発をNTTの拠点でやらせていただきました。普通の人が聞いたら、「ギガ単位の映像を世界中とリアルタイムで結ぶなんてあり得ない」と思うような時代です。

 そして2009年にはNICT(情報通信研究機構)のIP基盤(JGN)の上で、奄美大島から4台のHDカメラをPTP(ナノ秒レベルでグローバル標準時刻の高精度な同期ができるプロトコル)相当の仕組みで同期し、4K非圧縮ライブ映像として大阪ABCから世界に配信しました。これが、今のテレビのIP中継におけるPTP同期のベースの一つになっています。当時は「国際回線は大丈夫なのか」としか聞かれませんでした。

 この時期が、ちょうどradikoの実験を始める直前でした。実はその拠点が、後にradikoの配信や研究開発を行うメディアプラットフォームラボ(MPL)の事務所です。

なぜ「放送」と呼べなかったのか──radiko誕生

──ラジオ番組という放送コンテンツをインターネットで流すという発想は、どこから生まれたのですか。

香取氏:私の目線でのradikoの最大の特徴は、radiko内部が全てIPで構成され、かつ音声はAES/EBU(デジタルオーディオの標準規格)の非圧縮で伝送されている点です。これは、radikoを始める前に積み重ねてきたHD・4KのIP伝送の成果を、そのままradikoのシステム設計の基本に据えたものです。単にラジオをインターネットで流すという話ではありません。ネット世界では、放送はマルチキャストと同じ感覚でした。商用の地上波ラジオ放送を、もともとは学術ネットワークとして生まれたインターネット、つまりIPプラットフォームの上に乗せていく時期で、メディアプラットフォームはユニキャストで実現するというのが選択肢でした。

 世界の流れを見ると、電波メディアはアナログ放送からデジタル放送へ、さらにIP配信へという順番で進化してきました。しかし、日本のラジオは少し特殊な経路をたどっています。局内の制作・送出設備はデジタル化が進みましたが、放送波の地上波デジタルラジオへの本格移行は実現しませんでした。

 つまり日本のラジオは、デジタル電波の段階を経ることなく、アナログ電波とradikoのIPプラットフォームでの配信が並走する形になったのです。現在の、全地上波ラジオ局がradikoを通じてインターネット配信しているという状況は、世界的に見てもまれな例だと思います。

 当初の大きな課題は、権利処理と、IP上で商用サービスとして成立させることの2つでした。ラジオは、メディアの試験として扱いやすいという判断もあり、まず実証から始めることになりました。2010年3月15日の試験配信から、radikoは権利処理とビジネスを同時に成立させるという発想を実証してきた歴史を持っています。

──インターネットの技術面では、どのような選択がありましたか。

香取氏:2009年に大阪で実験をスタートしようとなった時の最初の選択は、IPv6マルチキャストか、IPv4ユニキャストか、でした。第1フェーズはIPv6マルチキャストによる限定技術実験です。NTT西日本の協力を得て、近畿総合通信局に有線ラジオ放送業務として届け出を行いました。第2フェーズは、IPv4ユニキャストによる一般配信実験です。

 IPv6マルチキャストは、放送に近い仕組みです。同じパケットを複数の拠点へ効率よく届けることができます。しかし、インターネットの末端にあるルーターや利用者側の環境がマルチキャストに対応していなければ、確実には届きません。一方で、 IPv4ユニキャストは利用者一人ひとりに、個別に配信する仕組みです。受け取る相手が分かり、サーバー側にログも残ります。そのため、聴取状況の把握やマーケティング検証には向いていました。

 さらに制度面の問題もありました。マルチキャストは仕組みとして放送に近いため、「IPで放送のようなものを出すのはいかがなものか」といった指摘もあったのです。そこで、受け取る相手が特定できるユニキャストを用い、「放送」ではなく「配信」という言葉で進めることにしました。これは技術的な妥協ではなく、社会実装するための判断でした。

 権利処理については関西大学の三浦文夫先生が、当時は電通に在籍していて、JASRAC(日本音楽著作権協会)、日本レコード協会、芸団協(日本芸能実演家団体協議会)などを一つひとつ回ってくださいました。放送番組を構成する素材には、著作権も隣接権も数多く含まれます。その整理は本当に大変だったと思います。「radiko」という名前も、実は三浦先生が名付け親です。

 2010年、radikoは在京7局・在阪6局の計13局でスタートしました。試験配信から約2カ月後の速報では総延べ聴取回数が2964万回、追ってリリースしたiPhoneアプリのダウンロード数は、その年の夏には65万件に達しました。ユーザーアンケートでは、「ラジオを聴く機会が増えた」が85%、新規・復活層が44%、利用継続意向は91.5%が「ぜひ利用したい」という結果でした。

radiko配信開始時、メディアプラットフォームラボ(MPL)事務所内のラックに実装されていた13局分の受信設備。香取氏提供

 もう一つ、サービス開始の前提として重要だったのが、地上波ラジオの電波のサービス範囲と、radikoで聴取できる範囲をどのように整合させるかという課題でした。そこで、携帯電話の位置情報などを利用し、電波モデルに基づいてサービス範囲を整理する仕組みを開発しました。

 ただし、radikoの大きな目的は、単に聴取エリアを制御することではありません。サービス開始時に最も大きな開発課題の一つだったのは、都心部での難聴取対策です。radikoは、地上波のサービスエリアを前提にしながら、都心部の難聴取をIPで補完し、実際にラジオを聴ける場面を広げるための仕組みとして始まったのです。

エリアフリーが生んだビジネスモデル

──radikoは、実験から実用サービスへと順調に発展していったように見えます。

香取氏:転機はエリアフリーでした。当時のラジコ社長の「エリア外のCMの”蓋かぶせ”がリアルタイムで全ての局で可能か、可能であれば作れ」という一言で開発が始まりました。全局・全ストリーミングを24時間365日自動で監視して、エリア限定のCMが来たら、エリア外で該当する部分を検出し、ブランクやフィラーで差し替える。この仕組みをNTTデータと開発しました。

 何十局もの音声の中から、エリア外で放送できないCMを全てリアルタイムでスキャンし、比較し続けて、配信許諾のない箇所を見つけて差し替えていく。これが開発できたことで、権利関係のクリアが大きく前進し、サブスクリプションモデルとして今のradikoの経営基盤につながりました。

 ただし、構造的な制約もあります。30秒のCMに蓋をするには、最低でも30秒の遅延が生じます。ライブなら3~5秒で済んでいた遅延が、広告を入れた途端に延びてしまうわけです。これについても、私はエリアフリーの商品開発と同様に、いくらでも解決に必要な引き出しを作ることは可能だと考えています。

放送とインターネットは「本質」が違う

──放送とインターネットは、設計思想として何が最も違うのでしょうか。

香取氏:能動性が逆転していることです。放送はチャンネルを合わせれば、電波の中のコンテンツは分からなくても、コンテンツは届きます。ところがインターネットは、今のチャットと同じで、こちらが取りに行かなければ何も分かりません。ユーザーが必要とするIPパケットを取りに行く。ここが地上波・電波との本質的な違いです。

 地上波ラジオのエンドポイントは、放送局が持つ送信所です。一方でradikoのエンドポイントは、データセンターやネットワーク上のオリジンと呼ぶ拠点です。radikoの場合、大阪の拠点と東京の拠点で構成されています。

放送の主役は機器からソフトウエアへ──次世代メディア基盤で何が変わるのか

──radikoの仕組みがラジオ放送にもたらしたものは何でしょうか。

香取氏:日本のラジオは、送信という意味では、今も基本的にアナログ電波のサービスです。通常であれば、アナログ放送からデジタル放送へ移行し、その先にIP配信がある、という順番で考えられがちです。しかしradikoは、その順番とは少し違う形で始まりました。

 局内の制作・送出設備では、すでにデジタル化が進んでいました。そこでradikoでは、放送局の音声をデジタル信号として受け取り、放送局内に設置したradiko用のIP変換器で、非圧縮のままIPパケットにカプセル化しました。その上で、独自に構成したIPネットワークを通じてradikoのデータセンターまで運ぶ仕組みにしました。

 これは単なるインターネット配信ではなく、放送局の音声基盤とIPプラットフォームを直結する、当時としては非常に先進的な高品質配信基盤だったと思います。

 これまでのラジオは、送信所から電波を出し、それを受信機で聴くという、固定化された音声の楽しみ方を前提にしていました。しかし今は、スマートフォン、PC、車載端末、スマートスピーカー、イヤホンなど、IPにつながるデバイスが生活の中に広く普及しています。

 その中でラジオが取り残されないためには、電波だけに閉じるのではなく、IPセントリックなデバイス環境の中に自然に入っていく必要があります。radikoは、その入り口を作ったのだと思います。IP化は、ラジオを延命するためのものではありません。これからのIP環境の中で、番組、音楽、地域情報、パーソナリティとの関係性を新しい形で楽しめるようにするためのものです。

radikoのデータセンターは4か所で運用されている。香取氏作成

──今後は、どのような方向に発展するのでしょうか。

香取氏:次に向かっているのが「Software Defined Broadcast」です。

 これまで放送局は、専用のスタジオ設備、マスター設備、送出設備、ミキサー、カメラ、監視装置など、物理的な機器の組み合わせによって成り立っていました。しかしこれからは、標準化されたハードウエア基盤の上に、放送局としての機能を持つソフトウエア(API)を載せれば放送局になり、ミキサーや編集、送出、監視といった機能を持つAPIを載せれば、それぞれの放送機能を実現できます。

 これは、放送機器が単にAPIの集まりに置き換わるというだけではありません。放送局の機能そのものが、ネットワーク上で柔軟に組み立て直せるようになるということです。制作、編集、送出、配信、広告、メタデータ、認証、権利処理、AIによる検索やレコメンドまで、さまざまな機能がAPIとして接続されていく。

 そうなると、放送局は、本来の役割である制作、編成、地域性、ブランド、パーソナリティ、生活者との関係性に、より集中できる場所になります。

 メディアを作る人は、単に番組を供給する人ではありません。新しいムーブメントを作る人であり、社会の変化を見つけ、それを広げていく人です。過去を見つめ、次に生活者がどのように音声や映像と接するのかを見つけ、自ら新しい仕組みを考え作り出してゆくことが、本来のメディアにかかわるものの役割だと思います。Software Defined Broadcastは、聴取者がコンテンツを探しに行ける環境も提供します。

 私にとって、この考え方の原点の一つは、MITにいた頃に見た「Reconfigurable Video」の研究です。Film & Videoの領域で、メディアとは何を伝える手段なのか、見る人に合わせて映像や情報をどう再構成できるのか、ということを考えていました。

 いま私が考えている核は、いろいろな機能やサービスをAPIでつなぎ、それらを統合して一つのメディア基盤として動かしていくことです。放送、通信、インターネット、クラウド、AI、広告、権利処理、地域情報、ユーザーのデバイスやIoT環境までが、ばらばらに存在するのではなく、必要に応じて組み合わされ、再構成される。その上で、新しい音声体験や映像体験を作っていく。

 もちろん、何でも自由につなげられるようになると、そこには必ずルールや信頼の仕組みが必要になります。国の制度や法律、業界の標準、地域やコミュニティメディアの中で共有される運用ルールなど、信頼できる基盤、信頼できるデータ、信頼できる運用が必要になるのです。

 これからは、放送、通信、インターネット、AIが、仮想空間や宇宙通信ネットワークまで含めて、よりグローバルな形で密接につながっていくと思います。Software Defined Broadcastは、そのための入り口です。放送局がIP時代に取り残されるのではなく、むしろ先端的なメディアとして、新しい音の世界、新しい映像の世界、新しいエンターテインメントを仕掛けていくための基盤なのです。

生成AIと「信頼」──メディアのLive or Dieを分けるもの

──世の中では、生成AIによる技術革新が急速に進んでいます。当然、放送やメディアもAIとの関係を考えなければならない時代になっているのではないでしょうか。

香取氏:AIは、単なる便利な道具というより、仮想化によって生まれた新しいメディアプラットフォームの機能の一つだと考えています。

 AIは文字起こし、要約、翻訳、検索、レコメンド、広告、権利処理、アーカイブ活用など、放送局の制作や運用を加速度的に変革しています。ただし、本質はそこだけではありません。AIが変えるのは、メディアの作り方だけではなく、生活者が情報やコンテンツにたどり着く方法そのものです。

 その意味で、AIは、メディアの可能性を広げるものです。メディアは、番組を作って流すだけでなく、生活者が必要とする情報や物語にたどり着くための知的な接点になっていくのだと思います。

 ただし、そこで大事になるのが、その情報やコンテンツが本当に信頼できるものなのか、という問いです。AIがどれだけ便利になっても、そこに出てくる情報が正しいのか、誰が責任を持っているのか、どのデータに基づいているのかが分からなければ、メディアとしては成立しません。

 そこで重要になるのが、「Trusted」という概念です。かつては、特定の電波を持つ人しか発信できないこと自体が、ある種の信頼の根拠になっていました。放送免許があり、設備があり、編集責任があり、放送局という主体がある。その構造が、社会的な信頼を支えていた面があります。

 しかし今は、誰でも発信できます。SNSでも、動画でも、ポッドキャストでも、AI生成コンテンツでも、誰もがメディアになれる時代です。その中で、何をもって信頼と定義するのか。誰が責任を持ち、どのようなルールで情報を扱い、どのようなコミュニティの中で信頼を形成するのか。電波に代わる配信プラットフォームになるためにはとても重要なところです。

 社会への信頼は、とても大事です。しかし同時に、とても難しい。単に「みんなで確認すればよい」というだけではうまくいきません。信頼には、制度も、技術も、運用も、倫理も、編集責任も必要です。うまく実現できた例は、まだそれほど多くないというのが正直なところです。

 だからこそ、AI時代のメディアには、Trusted Platformとしての設計が必要になります。AIを使って効率化するだけではなく、AIとメディアが結び付いたときに、信頼できる情報空間をどう作るのか。どの情報を、誰が、どのような責任で、どのように届けるのか。その設計ができるかどうかが、これからのメディアのLive or Dieを分けるのだと思います。

「Live Free or Die」──次の世代へ

──次の世代をリードする技術者に伝えたいことは何ですか。

香取氏:私の机の前には、今もUNIXのナンバープレートが置いてあります。米国ニューハンプシャー州のモットーである「Live Free or Die」。自由に生きるか、さもなくば死か。私はこれを、UNIXというOSの精神そのものだと思っています。

香取氏の机にあるUNIXのナンバープレート(Live Free or Dieという文字と、Bell Labsの商標が見える)。香取氏提供

 1994年に『インターネットマガジン』の創刊号でインタビューされた時、私はインターネットを「コミュニティ」や「パブリック・スペース」と表現しました。その本質は、30年以上たった今も変わっていないと思います。

 ただし、自由な空間には、必ず制約をかける力が働きます。経済的合理性、商業ベースの競争、プラットフォームによる囲い込み――これらは常に、フリーな空間を囲い込もうとしてきました。それでも私は、UNIXの旗を掲げ続けるような人間でありたいと思っています。

 radikoで経験した15年間を振り返ると、一貫して問い続けてきたのは、「技術が社会とどうつながるか」ということでした。技術的な達成だけではありません。放送という社会インフラを、次の時代へどうつなぎ直すのか。その問いへの挑戦だったと思います。

 その意味で、NICTのJGNプロジェクトには大きな感謝があります。日本で本格的なネットワーク実証ができるテストベッドは、いまや本当に貴重な存在です。JGNがなければ、私自身、ここまで放送と通信をつなぐ実証に向き合うことはできなかったかもしれません。技術を机上の構想で終わらせず、社会実装に近い形で試せる場があったことは、私にとって非常に大きかったと思います。

 これからのコンテンツは、音声や映像だけでなく、権利情報、地域情報、出演者情報、広告、利用条件、文脈、信頼性といったメタデータと一体となり、ネットワークの中を流れていくようになります。

 これまで私たちは、日本時間や放送局ごとのタイムコードを基準に、番組やコンテンツを管理してきました。しかしこれからは、PTPのような絶対時間を持ったネットワーク空間の中で、コンテンツそのものが時間と同期しながら流れていく世界が見えてきます。

 そこでは、メディアは単なる音声や映像のファイルではなく、コンテンツの本体と、それに付随するメタデータが一体となった存在になります。権利、地域、出演者、広告、利用条件、文脈、信頼性を示す情報までが、パケットの中に組み込まれ、仮想空間や拡張現実、さらには宇宙で放送されるようになるでしょう。それは、想像するだけでも面白そうです。

 次世代空間を旅する人に、どんな物語や体験を届けるのか。宇宙時計に同期したメディアのプラットフォームでの番組表を考えるのもよいチャレンジになるかと思います。

 これから必要になるのは、APIがメディアや社会の仕組みをどのように変えていくのかを考え、コンテンツとメタデータ、時間、制度、ビジネス、利用者体験をつなぎ直せる力です。

 技術を理解しながら、社会と交渉する言葉を持ち、ストーリーテラーや事業者と組んで、新しい体験を設計できる技術者やプロデューサー。そうした人たちが、これからのメディアを形づくっていくのだと思います。

 1985年のMITメディアラボ時代から、私はメディアをソフトウエアとネットワークによって柔軟に再構成していくという問題意識を持ち続けてきました。さまざまな素材や情報を取り込み、見る人、聴く人、使う人に合わせて再構成していく。radikoでの経験を通じて、その考え方が社会の中でどのような形を取り得るのかを学ぶことができました。

 今後は、その経験を踏まえながら、より広い次世代メディア基盤の可能性を考えていきたいと思っています。

──最後に。香取さんにとって、インターネットとは何でしょうか。

香取氏:まだ誰も泳いでいない青い海です。

 新しい技術や仕組みが生まれる場所には、いつも未知の可能性が眠っています。

 インターネットは、飛び込んだ者(探検者)だけが、その可能性を確かめられる場所であり続けると思います。

香取啓志(かんどり・けいし)氏
早稲田大学理工学部電気通信学科を卒業後、朝日放送株式会社(ABCテレビ)に入社。技術局にてテレビ放送や映像編集業務に従事し、1985年から1986年にかけては米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボで研究に携わった。元・電通で現・関西大学教授の三浦文夫氏と共に、ラジオ放送をインターネットで同時配信するIPサイマル配信の仕組みを発案・実用化し、IPサイマルラジオ、そして「radiko」の普及に大きく貢献。その功績により、2023年に前島密賞および放送文化基金賞を受賞した。現在は株式会社Moments Lab代表、株式会社radikoエグゼクティブフェロー