INTERNET Watchの10年
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株式会社インプレス 取締役 井芹 昌信 |
――まず、現在10代や20代の方の場合、10年前のインターネットというのは、ぴんとこないかもしれませんね。インターネットへの接続環境そのものが、この10年でものすごく変わりましたし。
井芹: 創刊当時は、まだダイヤルアップIP接続の時代で、モデムは28.8kbpsくらい、そういう時代だよね。光ファイバはもちろん、まだADSLもない。ISDNでターミナルアダプタ接続が普及し始めたかなというくらいで、常時接続にはまだまだ遠かった。
――インターネットへ接続すること自体が難しくて、Windows 3.1でTrumpet Winsockをどう設定するか、なんて記事がiNTERNET magazineで人気でしたね。
井芹:
Windows 95のリリースが1995年11月だったから、そこからやっと普通のWindowsユーザーが接続できるようになったという時だね。Windows 95ではTCP/IPのプロトコルスタックがOSに入ったことで、プロトコルスタックのインストールをしなくて良くなった。Watchのプレ創刊は1995年の12月だから、創刊時の読者というのは、Windows 95以前からインターネットに接続できる――スタックを入れて接続設定して、プロバイダーも選んで――という知識とスキルを持った人たちだったんだよね。
日本で初めてのインターネット接続プロバイダーとしてIIJがサービスを開始したのが1994年初頭で、1995年11月のWindows 95リリースでようやくインターネットが普及する土台ができた。今振り返ると、創刊当時はちょうどそういう時期に当たるね。
――創刊のきっかけというのは。
井芹:
創刊のきっかけは単純で、iNTERNET magazineを創刊して1年くらい経った頃に、ネットの情報を扱うのに、紙の出版では情報が古くなってしまう、という問題にいき当たったんだよね。サイトも増加してきて内容もどんどん更新されるようになってくると、URLも変わってしまう場合があるし、内容も変わってしまうことがある。
それに月刊誌だと、印刷入稿した後にニュースリリースが届いたら、それは翌月号まで掲載できない。情報をより速く届けるにはどうしたらいいか、というのがきっかけだね。週刊誌や日刊紙も検討したけど、1995年当時のインプレスの体力ではコスト的に無理だった。いろいろ考えたあげくに、ネットでやりましょう、という至極当たり前の結論に落ち着いたわけ。当時はWebはまだまだだったし、じゃあメールでやろう、ということになった。
――プレ創刊期間にアンケートをしたそうですが。
井芹:
何回かアンケートをして、いろんなご意見をお聞きしたんだけど、これが本当にいろいろな意味で参考になった。月300円という購読料もそれで決めたし。それから、新しいジャーナリズムとか、新しいメディアを作ってくれることを期待します、という声がすごく多かった。当時のマスメディアでは、IT技術などについて、まだきちんとした知識に基づいて書かれた記事が少ないという技術者の人たちの不満もあったし、インプレスがやるということで、その点は期待していただいてたと思う。
それから、ネットを使ってデイリーで配信するということで、新しいメディアとしての可能性を読者の人はみんな気づいていた。そういう新しいメディアを率先して作ってくれないかという期待を強く感じたのが印象に残ってますね。
当時思っていたのは、スピードアップしたいということと、紙の誌面みたいにページいくらというコストがかかるわけじゃないから、どんどんニュースを出していきたいということ。それから、創刊時にいろいろなWebサイトをレポートしてくれる人を読者から募集して、Watcher制度というのを作ったんだよね。読者の意見とか体験もコンテンツにしたい、というのもあった。
――情報の流れが大きく変わりましたよね。創刊時はインプレスはいまよりもずっと小さな出版社だったけれど、インターネットを介することで日本中、世界中の人への情報発信が可能になった。今はそれがブログの普及などで、個人のレベルまで単位が小さくなったわけですが。メディアとしてのインターネットの変遷という点では、最初から見ていてどうでしょう。
井芹:インターネットの大きな柱として、個人が情報発信する環境の進化というのがあると思うんだよね。まずメールがあって、次にWeb、ホームページを持つことで個人が世界中に情報発信ができるようになった。これは驚異的な話だよね。それからブログが登場してきた。ブログっていうのはスタイルが決まってて、ある意味雑誌みたいなところがある。トップのURLがパーマネントになっているから、ブランドもできるし定期的にチェックするという習慣性が生まれる。個人ブランドの雑誌みたいなものがそこで作られたと思うんだよね。
そうした物事が世界的な規模でどんどん進化していくことで、メディアの有りようっていうのが根底から変わるよね。われわれが言うのも変だけど、ユーザーや市場の情報を取材して、情報の取捨選択をして媒体を作って、もう一度市場へ投げ返すっていうのがメディアの役割とされてきたけれど、その間を省くことができるようになった。ユーザー自身は出版とは思っていないと思うけど、買ったもののレビューとかがその日にインターネットで読めるようになった。それがインターネットユーザー全員のレベルで可能になって、検索することで簡単に読めるようになっている。
そう考えると、検索エンジンというのは、編集エンジンみたいな機能も持っているんだよね。ユーザーの検索ワードに応じて、優先度を決めて並べて見せる。これは、情報流通の大きな革命ですね。
――ブログは最初はたんなる日記だったわけですが、これがトラックバックやコメント、RSSなど相互につながる機能やXMLというプラットフォームを持ったことと、非常に多くの人がブログを書くようになったことで、1つの大きなデータベースとしての価値が生まれてきたように思います。
井芹:最近「集合知」という言葉がよく使われるよね。Web 2.0という言葉もよく使われるけど、そうしたインターネット上に蓄積された知識や経験をひとつのまとまりと捉えて、いろいろな切り口で取り出す、あるいは利用するという考え方がインターネットサービスでは普及しつつある。
見方を変えると、ブログや掲示板など、そうしたユーザーの声の集積が世論に近づいていると思うんだよね。僕はもともと、インターネットは社会とか世界であると思っていたんだけど。いまは、ブログや掲示板などではこうした意見が多いというように、世論というものがネット上の情報でわかるようになってきたと思う。これは、やはり個人の情報発信の環境が進んで、量自体が増えたことによる部分も大きいね。ネットの意見だから技術者よりだとか、そういう時代じゃなくなってきているし。
――ブログに代表される個のメディアの対極としてマスメディアが語られることも多いですが、そのあたりはどうでしょう。
井芹:今後、全人類がネット上に情報発信ができる時代になったとき、既存のメディアは要らなくなるのか、という話がいまよく議論されているよね。多くの個の意見が出てくるというのは非常にいいことだと思うんだけど、そうした議論の際の拠り所であるとか、議論をスタートするためのスタートポイントを提供するとか、何かを判断するときの基準を形成する力とか、こういう役割をもったメディアとして、既存メディアは厳然として必要であり続けると思うんだよね。
これからCGM(Consumer-Generated Media:消費者作成メディア)的なものはますます広がっていくよね。そうすると、マスメディアに頼らなくても検索すればいろいろな情報を得ることができる。
ただ、マスメディアは一度に多くの人に情報を広めることができる。だから、みんなが認識して話題に上るきっかけを提供できる。話題の内容としては、いや2ちゃんねるではこう書いてあった、あのブログではこう書いてあった、という形で多様化していくと思うけど。議論のスタートポイントを提供するのはマスメディアの力、議論を多様化させるのはCGMと考えているんだよね。
もうひとつは、情報の信頼性だよね。個人のブログは顔も見たことがない人だしいつ無くなるかもしれない、全面的に情報を信じていいかどうかはちょっと見ただけではわからない。でも、INTERNET Watchは企業が業務として提供するメディアだから、少なくともわざわざ嘘を書くことはないだろうと。だから、あそこのブログに書いてあったけどどうなんだろう、といった時に、INTERNET Watchにもこう書いてあったからそうなんじゃないの、というような形で情報を担保するという役割があると思う。
――なるほど。正直申しますと、情報の正確性は心がけてはおりますが、たまに価格が違ったりスペックが違ったりということもあります。ぶっちゃけ、当日だともしかしたら間違っているところがあるかもしれません。ただ、2日後でしたら、間違いはないだろうと思います。2日後なら間違いは訂正されているだろうし、訂正した場合は読者の方にもどこが間違っていたかわかる形でお詫びと訂正を入れるようにしています。
井芹:実はそれ、創刊時のコンセプトなんだよね。極端な話、間違いがあってもいいから早く出せ、っていうのが。
――あ、そうなんですか?
井芹:まあ、間違ってもOK、とは言えないけどね(笑)。「誤字脱字や間違いをなくす確認に時間がかかるから今日載りません」というよりは、校正にかける時間を短くしてもいいから今日載せよう、という話をしてた。掲載を明日に延ばすくらいなら、多少文章が荒くてもいいから今日入れよう、と。そのあたりのコンセプトが今でも守られてるのはうれしいね。
――わたしの場合、Watchは1996年のPC Watch創刊後1~2カ月あたりの時期から担当することになったんですが、当時はたとえば展示会レポートの掲載は翌日でもあまり問題なかったんですよね。その後、競合誌も増えたりして、競争の結果、いまは基本的に当日掲載じゃないとダメ、という感じになっています。
井芹:印刷しないですぐ掲載できる速報性がそもそもの創刊のきっかけ、原点でもあるしね。
――そうですね。あとは、読者に対してオープンでありたいと。間違えて修正したらきちんとお詫びと訂正をわかる形で入れる。ニュースを裏付ける資料がオンラインにあるならばリンクを貼るなどしてニュースソースも極力明らかにする。これは、読者がより詳しく知りたい場合の資料にもなりますし。昔は一部の情報をマスメディアの人間が独占していて、おまえらこれを見とけ、おまえらこれはこうですよと、啓蒙したり世論を導いたりしてたわけですよね。
井芹:そういう意味では、Watchを創刊した頃は情報の流れは新聞中心で、記者クラブに情報を流すというのが広報の仕事だったんだよね。出版社がデイリーでニュースをやっていても情報が流れてこなかった。リリースを送ってもらうことから始まって、そういう意味では広報が自社サイトにニュースリリースを上げる、というような方向に変わるのに、少しは貢献しているよね。
――そうですね。ニュースリリースをメールでくださいとかWebに上げてくださいというお願いをずいぶんしてきました。新聞社などはいまもニュースソースはたとえ明示しても問題ないものでも明らかにしないという形をとってますが、最初から読者と変わらない立場でしたし、読者と同じ立ち位置で報道する、というのはWatchの最初からの、創刊時の副編集長山下さんのコンセプトでしたから。山下さんは、いろんな意味でストロングスタイルの人でしたよね。
井芹:オープンかつストロングスタイルだよね(笑)。
――そうなんですよね。だからひとつ、大事に思っているのは、間違ったらきちんと読者にわかる形でお詫びと訂正を入れるということです。たぶん、そこはWatchの生命線だと思います。もっとも、誤字脱字のたぐいは、書いた後気が付いたらコソコソっと直しちゃうこともよくありますが。
井芹:インターネット環境は今もどんどん変わっているけれども、そういう基本的なところが当初からブレてないというのはうれしいね。昨年はWatchの部署が独立した会社、Impress Watchにもなったことだし、いろいろと新しいことにもチャレンジしていってほしいね。
――えー、がんばりたいと思います。実際、新しいことを取り入れていかないと将来ないと思いますし。もしも、10年、20年後にWatchがなくなる、というようなことになったら、10年単位で蓄積してきたデータがインターネット上から失われてしまいますしね。
井芹:そうだよね。インターネットに関しては、普及し始めてからの主なニュースはWatchの中にある。これはさっきの、集合知という概念からも意義あるデータだと思うし、そういう意味で、業務やビジネスとしてだけじゃなく、これだけのコンテンツが存在し続けるよう、維持できるようがんばるという社会的責任があると思うよね。
――そうですね。古いネット上の事件とかを検索するとINTERNET Watchの記事がよく出てきて、そういうことはよく考えます。今日は創刊時のお話を、ということだったのですが、今後の参考にもなりました。いろいろ考えていきたいと思います。ありがとうございました。