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【連載】

 アウトバーン通信 ~独国的電網生活 

【編集部から】
 インターネットといえば、かつてはアメリカ独走の感がありましたが、最近ではヨーロッパやアジアなど、世界各国でインターネットが盛んに利用されています。この連載では、ドイツで暮らしているkajoさん・taogaさんのお二人が、現地の最新インターネット生活をレポートします。乞うご期待!

第12回 バロック時代とインターネット (by taoga)

■200年前の音楽を再現すること


イラスト・Nobuko Ide
 私の仕事上、音楽の専門家に知り合いが多い。特に古楽を専門にしている人は、私を含めて大勢いる。彼らの特徴を挙げると、例えば、200年前に書かれたバロック音楽を、できるだけ当時の演奏様式に近い形で再現することに全勢力を注いでいたりする。そのためには、当時使用されていた楽器、楽譜を探し回り、またどのように演奏されていたかが伺える内容の書物を読みあさる。あるいは、教会の中、お城の中など、当時演奏されていた場所の建築様式を知ることも重要だし、挙句の果てに、われわれ日本人には一段と厄介な、古い言葉まで研究しなくてはならなくなる。

 私がこのバロックの世界に入ったのが二十数年前。マンハイム歌劇場オーケストラに入団し、当時50数曲あったレパートリーのオペラを一通りマスターして、ようやく落ち着いてきた頃だ。
 ある日、偶然手に入れた「フラウト・トラベルソ」という木製のフルート。丸いコタツの足に幾つか穴があいているだけのようなものを想像してもらったら、ピッタリくるような楽器。キーも一つしかついていないし、私の知っている現在のフルートとは、両方とも「横笛」という以外、あまり共通性がないように思われた。ここから、当時の私は試行錯誤で奏法を把握していったわけだが、それをPCとインターネットを知っている今の私が行なったら……と考えると、その作業や状況はまったく変わってくることになる。今回は、その当時私がとった手段と、現在の私ならどう解決するかを比較しながら、時代の変化を感じてみたい。

■20年前の図書館での苦行が、今は一瞬で……!


 最初、この「フラウト・トラベルソ」という楽器を手にして、何を考えたか? 明快単純。「手にしている楽器を演奏できるようになりたい」ということだ。そのため最初に行動したことは、資料集め。それも指使いを調べることだ。とりあえずマンハイムにある市立図書館の音楽資料室に足を運ぶ。クヴァンツ(18世紀の演奏家)やオットテール(こちらも18世紀の演奏家)の書物に、この楽器の運指表があった。
 今なら、インターネットのサーチエンジンで検索するだろう。例えばこのページに見つかった。これでバッチリ……ではなかった。私の手にしているのは、ここのサイトにある笛とは違うのだ。

 では運指表の前に、フラウト・トラベルソの種類を探してみなければ。当時も、やっぱりそこで図書館に足を運んでいた。
ワーグナー作曲「ジークフリート」のパート譜。現在も使用しているが、実は1882年に書かれた手書きの楽譜なのだ
 そう大きくないマンハイムの図書館で、閲覧できる資料は知れている。ましてや、かなり専門的な内容だけに、一度にすべての資料が揃うわけもない。そこで、今度はカタログ調べに取りかかった。高価なファクシミレ(初版本などのリプリント)などのめぼしい物を、片っ端から注文する。ドイツでは書籍に限らず、靴だろうが何かの部品一つだろうが、注文すると取り寄せるのに「14日かかる」と言われる。なぜ2週間と言わないのか、果てはなぜ14日もかかるのか??? 疑問だらけだ。その14日後に再訪しても、まず届いていたことがないのもスゴイと思うが。いずれにしても、かなり忍耐を必要とする「おあずけモード」。 ドイツに住んでいたら、この程度の「待つ」ことでいちいち怒っていたら神経が持たない。
 これが外国の図書館にある資料をマイクロフィルムにして入手することにになると、もっと大変。フランスの図書館に注文すれば数ヵ月待つのは当然で、その挙句、まず請求書だけ届く。今のようにクレジットカードの決算など夢の世界、外国への振り込みもできない時代だった。そこで銀行に行って国際用小切手を作ってもらい、フランスへ送る。忘れた頃に郵便で、やっとお目当ての資料が届く。結局、手数料や郵送料にいくら使ったかということも忘れ、ただ入手できた喜びで幸せな気持ちに浸るのだ。アメリカの図書館に注文したら半年後に手紙が一枚きて「注文の資料はない」と、一言だけ書いてあったこともある。ベルギーの図書館など、20年たった今日まで一言も言ってこないところもある。オランダではお金だけ払っても資料が届かず、弁護士の所へ駆け込んだこともあった。

 今は違う。再び検索。「Folker & Powell」というフルートメーカーで作っている古楽器のコピー製品が、時代別に並んでいる。18世紀当時は数えきれないほどの工房(職人たち)が楽器を作っていたが、現在コピー製品として蘇っているものは、そのなかでも代表作といえる物たちだ。ここに、私の持っているタイプのフラウト・トラベルソと似たような笛が見つかった。よし!
 楽譜はどうだろう。現存する1800年までの初版本の在り処を調べるには、「RISM」 (Repertoire International des Sources Musicales)という辞典がある。これを見ると、世界中のどこの図書館に、何が保管されているかが一目瞭然でわかる。ただ、10巻以上にも及ぶこの高価な本(当時の日本円にして20万円!)を閲覧するのは大変だ。実際、私は当時、毎日一日数時間ずつ図書館の一室に篭り、ひたすら調べたものをノートに書き写していたものだ。
 今は違う。自宅にいながら、それもページを1枚ずつめくって探さなくても、検索機能を使えば一発で探すことができる。オンラインの「RISM」はこちら。ましてや、まだ紙の上では完成していない、自筆譜の辞典もあわせて調べられるようになったのだから。なんで私が当時、自らパリやロンドンの図書館まで足を運んだのか信じられないような状況だ。

■taoga流・18世紀×21世紀の練習法 


18世紀製作から現代のものまで並んだ8本のフルート。詳しくはクリック!
 ここで、私がときどき行なっている、奇怪な行動をひとつ紹介しよう。私の、並行しながら共存している二つの世界。その一つが18世紀の音楽を、忠実に再現するアナログの世界だとしたら、もう一つが、時代の最先端を追いかけるコンピューターとインターネットのデジタルな世界。この二つを最大限に利用した方法だ。
 これは「Tempo Rubato」(テンポルバート)の練習という。テンポルバートとは、「盗まれた速度」という意味。すなわち、記譜された楽譜の長さを自由に演奏することを指す。ただ、むやみ勝手に長くしてはいけない。全体ではあくまでも時間内に、という条件がついている。要するにどこかを長く伸ばしたら、他のどこかを短くしなくては時間が合わなくなるということ。以前はメトロノームをコチコチと鳴らしつづけて練習したものだが、これではどこからどこまでの範囲の時間を合わせなくてはならないかが判断しにくい。
 私はまず、通奏低音のバスの進行を、楽譜作成ソフトで書く。それをMIDIで流しながら旋律を吹く方法を発明した。多少音がデジタルなのは我慢すれば、シンセサイザーはこんな時にとても役に立つ。チェロやチェンバロの音を鳴らすことは簡単。ピッチも、例えば現在より約半音低いバロック時代によく使われた415ヘルツまで落とせば、200年前の楽器と一緒に演奏できる。果ては調律方法も、現在使用されているオクターブ間の12の音が均等に分けられている平均率ではなく、18世紀後半に流行した、キルンベルガーやヴェルクマイスターらによる古典調律法に調整すれば完璧になる。特にいいのは、問答無用にまっすぐ同じ速度で音を刻んでいく機械的な音だ。ふらふらと行きつ戻りつ、旋律をルバートしながら音楽を作っていくにはもってこいだ。
 ただ、この二世紀余りの時代のギャップに、ときどき「俺は異常なのか?」という疑問が頭をよぎる。その時は「PAUSE!」(休憩!)と叫び、水を飲みに台所に走ることにしている。
 一息つくと、「いや、いいんだ。Tempo Rubatoなどの演奏方法は、18世紀後期当時のポツダムのお城で流行した時代の最先端を行くトップモードだったのだ。これを21世紀の技術を混ぜ合わせて何が悪い!」と思えてくる。さぁ、もう一度練習しなくては。

■18世紀のまだ見ぬ(?)恩師 


 中学一年生の時、ブラスバンドに入り偶然始めたフルートとピッコロ。専門の先生がいるわけでもなく、顧問の先生に手伝ってもらいながら教則本とにらめっこの日が続いた。これが私の独学術(試行錯誤の世界とも言う)の始まりだ。その後、ドイツに行くと決めて以来、ドイツ語を習うために本を買って、ひとりで読みふけった。最近では、パソコンを知識ゼロで買った時もそうだった。スイッチを入れる前に、ありとあらゆる本を一日中読んだ。そんな私にとって最高の先生はいつも書物だった。
 で、フラウト・トラベルソを手にしたときに、18世紀の本を探したのは自然の成り行き。ここで大きな障害にぶつかる。「亀の子文字」、ドイツ語では「Suetterlin」と呼ばれるものだ。ヒットラーの施した大改革の一つで、今日では稀にしか見る機会がなくなってしまったが、戦前までは日常で使われていた文字だ。インターナショナル化されたアルファベットはある意味では便利だが、その反面とても大事な「ドイツらしさ」が失われてしまったように私には思われる。  いずれにしても、私が読もうとした本は全部この「亀の子文字」で埋まっている。極端な例だと、その亀の子文字がさらに筆記体になっている。このサイトこちらなどで、その一例を見ることができる。
ヴィースバーデンにある18世紀に建てられた教会で、バッハのフルートソナタを演奏した時の様子
 インターネットのない時代は、これが大変だった。いろいろな書物を自分で漁って、自分なりに解釈していった。これが試行錯誤でなくてなんなのだ。しかし、この字が読み書きできるようになったのは、その後も役に立っているのだからよしとする。それは、古い書物を閲覧する時に限らず、博物館の中でも、古い町並みの家の壁に書かれているものを判読する時も。あるいは、今の若いドイツ人でもできないことを、外国人の私がこの文字を書いてみせて、年寄りたちをびっくりさせる時にもだ。

 そんなわけで、初めて会った人に「先生は誰ですか?」と聞かれたとき、私が迷わず「J.J.Quantz(クヴァンツ)です」と答えると、いろいろな反応が返ってくる。笑ってくれる人はまだいい。200年も前に死んでしまった人だと教えてくれる人もいる。冗談はやめて、本当は誰ですかと聞いてくる人もいる。この200年のギャップ、これはインターネットを使っても、残念ながらまだ時代を超えることはできない。一度、このクヴァンツ先生のフルートの音を聞いてみたいものだ。

 インターネットが職場にも家庭にも浸透してきて、自宅にいながら仕事ができる時代になった。音楽の世界でも仕事はるのだろうか? 例えば、オーケストラの練習をwebカメラで指揮者を見ながら自宅で。同じようにして演奏会も可能かもしれない。ってことは、聴衆も自宅でライブを観たり聴いたりするようになる。うーん、危険だ。社交の場がなくなる。いよいよひとりで自宅に引き込む時間が増えてしまう。
 やっぱり、今のままでいいこともあるようだ。たとえ外が氷点下の寒い冬であっても、きょうもオペラ劇場に歩いて行こう。演奏会前の緊張をほぐすためにも、同僚と冗談のひとつも交わすのもいいじゃないか。

◎著者自己紹介
 「古い物」が好きな人間である私。古本屋を見つければ気が付くと中に入っている。博物館、美術館はもちろん、ヨーロッパの古い建築物を見て歩くのが大好き。その私が、コンピュータにインターネットという時代の先端を進むものと、どうやって一緒に走っているのか未だにわからない。脳が二つに分かれていて上手に連絡をとっているようだ。だから脳が小さい……のかもしれない。
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(2001/02/02)

[Reported by taoga]

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