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【連載】

 アウトバーン通信 ~独国的電網生活 

【編集部から】
 インターネットといえば、かつてはアメリカ独走の感がありましたが、最近ではヨーロッパやアジアなど、世界各国でインターネットが盛んに利用されています。この連載では、ドイツで暮らしているkajoさん・taogaさんのお二人が、現地の最新インターネット生活をレポートします。乞うご期待!

第6回 なぜドイツでパソコンにハマったか? ~私のインターネット(パソコン)遍歴
(by taoga)

■作曲家自筆の楽譜が見たい! その意欲がパソコンへ


イラスト・Nobuko Ide
 20数年前に旅行鞄一つでドイツにやって来た私。当時、日本ではほとんど見ることのできなかった「生のオペラ」が大好きで、ハンブルクのオペラハウスに毎晩足繁く通ったし、夏になればワグネリアン(今でいうワーグナーの追っかけ?)には欠かせない、バイロイトの音楽祭にも“お参り”した。そんなアナログの塊のような私が、将来コンピューター、果てはインターネットというものにドップリ浸かることを、誰が想像したろうか。

 事のきっかけは、私の「古い物好き」と「オリジナル尊重」という性格にある。古い物好きといっても、壺を収集するような骨董趣味ではない。もともと学生時代から古文の類が好きで、「源氏物語」などを原文で読もうと躍起になり、外国文学はオリジナルの言葉で原文を読めるまでは読まない(読めない)、と意地になっていた。当然、音楽もクラシックより一段古いバロック音楽に夢中になった。さらに楽譜もオリジナルな自筆譜か、当時の初版印刷を求めるようになったのも、この性格を考えると当然のことだろう。
 この「趣味」を貫くために、時間的にも金銭的にも、果ては精神的にも高いツケが回ってくる。それは古い亀の子文字のドイツ文字を読み書きできるようにするためだったり、ロンドンの大英博物館の図書館や、パリの国立図書館に潜り込むためだったのだが。、シュパイヤーの歴史博物館で館長さんが差し出した展示物の笛--動物の骨で作られ、かっては狩猟に使ったであろうもの--から音を出して皆を驚かせたり、ベルリンの壁崩壊よりずっと以前の東ドイツで、スリルを味わいながら歴史的な建物を見て歩いたこともあった。

 こうして訪れた図書館で見つけた資料は、マイクロフィルムで保存することになる。こういった古い資料はコピーでは痛みが激しくなるため、各ページをマイクロフィルム化したものを販売しているためだ。これが災いして、マイクロフィルムは増え続けた。
 書籍と違って、グルグル巻いて輪ゴムで止めてあるマイクロフィルムほど、役に立たないものはない。実際には、これが自分の足でヨーロッパ中の大小の図書館を回り、集めた貴重な資料だとしてもだ。それがほとんど日の目を見ることなく、ダンボールの中で見分けもつかずにひしめき合っているのを見て、「あぁ、何とかしなくっちゃ」と思っていた。
 その時、この手の資料の整理にはコンピューターが一番という天の声。そうだ、データベースだ。これで内容を整理すればいいのか。  ここで困った。このドイツでどうやってコンピューターなんぞを始めたらいいん だ。どうやって買うんだ。どうやって習うんだ。どうやって……?????

■子育てからWin3.1との格闘へ


 時は1992年。ちょうどその頃、息子が1歳になった。ドイツでは、子育ては夫婦2人で手分けするのが普通だ。陣痛が来たときの呼吸法を習うコースまである(私はさすがにしなかったが)。妊婦ではなく、新米パパのためだ。男が一緒に呼吸法まで習ってもしょうがないと思うのは、私に愛情が足らないせいなのだろうか……? さて、その子育て期間の1年もの間、ミルクを温めたり、哺乳瓶を消毒したり、猫のトイレをきれいにしたりしてきて、子供の紙おむつを替えるのにも飽きていたところだった私。「もう育児から手を引くぞ」と宣言し、コンピューター導入計画が始まった。

 折良く、友達が手伝ってくれることになった。ドイツでは圧倒的にPC一色なので、当然、当時でいうところのIBM互換機。DOS/Vという言葉もほとんどまだ聞かなかった、DOS Ver.5とWindows3.1の時代だ。文字化けしてしまう日本語はとりあえず抜きのドイツ語環境で、まずコンピューターそのものに慣れなくては。
 しかし、とっつきが悪い。スイッチを入れても黒い画面にC:\と出て「 _ 」(アンダーバー)がピコピコしているだけで、winと入力しなくてはWindowsすら立ち上がらない。入手したフォントを解凍したら、ルートディレクトリにAからZまで入ってしまい、それを次々に消していって、気がついたらAutoexec.batもConfig.sysもなくなっていて大騒ぎにもなった。友達に電話したら、「今すぐ行くからもう触るな」と言って、自転車(!)で駆けつけてくれた。ふだん真っ赤のスポーツカーを乗り回している奴が自転車で来たくらいだから、よっぽど急いで来てくれたのだろう。偶然ひざの上で子供がマウスをいじって遊んでいたが、彼が「子供のせいではないぞ」と言い残して帰っていった時、誰かに責任を押しやろうとしていた自分を見透かされた気もした。
 その後、日本に一時帰国した時に日本語版Windowsを探した。DOS/V用なんてほとんど見当たらず、思いのほか苦労して手に入れた。日本語キーボードも購入し、これでいよいよ日本語環境だといそいそドイツに戻った時は、この後にたくさんのトラブルが待ちうけていることに気づかなかった。

お宝だったはずのマイクロフィルムの、現在の姿は……
 一番の問題は、今まで手伝ってくれた友達が日本語が読めないドイツ人のため、この時点から手伝ってくれなくなったことだ。では、一人でやるか。まず今まで使っていたドイツ語キーボードを日本語に交換し、ハードディスクをフォーマット。日本語版DOSを入れ、Windows3.1を入れる。ドライバーがないのでプリンターは動かない。日本では販売されていない機種なので、発売元企業に問い合わせても反応は冷たい。似たような種類のドライバーをいくつか試してみるが、ダメな物はダメか。サウンドカードの反応も怪しげだ。あぁ、普通のサウンドブラスターを購入しておけば良かった……。とはいえ後の祭。でも肝心なのはモデム。これがなくては「オンライン」なんてうたかたの夢。内蔵モデムは2,400bps(!)なのだ。
 当時、インターネットは一般的ではなく、ドイツでは独テレコムの「BTX」(T-Onlineの前身)や、各企業が提供する「メールボックス」などが唯一のオンラインの場所。最速2,400bpsでBTXを見てみる……つもりがだめだ。ATコマンドをいじらなくては設定もままならない。サポートのホットラインに電話を入れ、「AT&F」だの「B7\N0\Q3」という、教えてもらったばかりの訳のわからない呪文を入れる。とにかく成功、感激! 
 しかし、何かが変だ。しばらくして原因に気が付いた。日本語環境では、ドイツ語の特殊文字が化けるのだ。ドイツ語環境だと日本語の文字すべてが化けるから、それに比べればまだいい、とも思い、よしとすることにした。Telnet経由でNiftyServeなどのパソコン通信を、日本語で見られた時は大感激した。しかし、如何せんこの通信速度では余り役に立ったとは言えなかった。その後、14,400bpsの当時最速(!)モデムを購入。しばらくして懸賞で当たって手に入れた28,800bpsと、私の所有したモデムはインターネット一般化への幕開けの時代に向かって変化していった。

■衝撃のプロバイダー体験


 文字だけが並ぶパソコン通信に退屈した私が、インターネットに注目するまで、それほど時間はは必要なかった。当時、プロバイダーと呼べるようなものは、このマンハイム近郊にはほとんど見つからず、あっても企業用のとても手が出ない接続料金だった。

 そこで偶然見つけた、個人向けのインターネット接続サービス。早速飛びついて契約した。しかし、どうしたら接続できるのか、さっぱりわからない。実はそのプロバイダー自体がアマチュアの集まりで、やっている側もあまりわかっていなかったのだ。私の質問に対して答えに困ると、挙げ句の果てに日本語環境のせいだと決め付ける。今から思うと、SMTPやPOPといったメールサーバーのアドレスも教えてくれなかったのだから、設定できるわけがない。信じられないかもしれないが、本当の話なのだ。
 ここで例の自転車の友人が助けてくれた。当時の私にはまるで理解できない専門用語が並ぶ設定方法を電話で聞きだし、モデムが反応するところまでは到達した。ここでまたパニック。その先がわからない。「Trumpet」でオンラインに接続した後、何事も起きない。……それはそうだ、このソフトはそれ以上のことはしてくれないのだから。これで接続した後に、別のWebブラウザーを使うことも聞いていなかったし、その無知さ加減は究極の域(!)。
 結局、何回かは接続できたのだが、そのうちに何をしても接続できなくなってしまった。気がついたら一方的に解約されていたのだ。私の質問責めに困ってのことらしいが、接続料を振り込んだ後だったのだ。1ヵ月分を損してしまい(当時のレートで3,500円分くらい)、なんとも悔しかった。このプロバイダーとは、もちろん二度と接触していないが、人づてに聞いた話だと、しばらく後に消滅したらしい。当然だろう。

 この何回目かの挫折でかなりくじけた私は、しばらくインターネットはあきらめた……わけがない。その程度であきらめる私ではない(^^ゞ。しつこさは人一倍!  そうこうしているうちに、Windowsもバージョンアップ。Windows95になって世の中がガラッと変わった。問題がなくなったわけではないにしろ、接続がずいぶん楽になったし、モデムや他のハード関係もグレードアップ。私の自作PCも、気が付けば5台目になった。今のインターネット全盛時代、私の蒔いたささやかな種が実ったのかも? そのための「肥やし」になっただけとは考えたくもない。

 えっ? マイクロフィルムはどうなったかって? 今も整理が付かずに、ダンボールの中でコンコンと眠っている。それだけでなく、その箱自体がだんだんコンピューター関係の書物に追いやられ、部屋の隅に影を薄くして小さくなっている。本末転倒の見本のようだ。

◎著者自己紹介
 日本には戻らないと言い捨てて羽田を飛び立ち、南回りの飛行機で24時間。ひとり北国の土地を踏みしめたのは、もう25年も前。その言葉どおり、ドイツに根を生やしてしまった私。でも、こんなに遠い地球の裏側にいても、以前より日本が近く感じるのは、インターネットのお陰。「遠近」という感覚が今まで通りに計れなくなる時代はそこまで来ている。それが夢の世界でないことを「素晴らしい」と心から思えるのも幸せなことか……。

(2000/12/08)

[Reported by taoga]

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