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火曜コラム

IE 4.0とOSの統合を読者はどう見たのか (97/11/25)

 このコラムが書きかけの段階で、深夜に本誌デスクに「ギブアップです」と報告する状態が2週間も続いた。これについては、理由はあると言いたい所なのだが、前倒しで書いておけば良かったわけで結局は言い訳に過ぎないのだ。

 さて、前回のコラムで、IEとOSの統合について疑問を投げたところ、数人の読者から賛否両論のご意見を頂いた。そこで、「やじうまYes/No」を借りて、読者の皆さんの意見を伺ったところ、数多くの方のコメントを頂くことができた。

 今回はこのYes/Noに対するコメントを読んで考えたことをお話したい。


Microsoftは嫌い

 予想はしていたのだが、コメントの中で目立ったのが、IE 4.0に対しての否定的な 意見としての「アンチMicrosoft」である。OSとブラウザーの統合なんてのはNetscapeつぶしであるという意見から、SunやNetscapeが統合するのはOKだがMicrosoftは嫌という意見まで様々である。

 どの会社が好きか嫌いかは個人の好みであるから、分かって非難している人は良いと思う。だが、OSとブラウザーの統合、あるいはブラウザーがOSにとって代わるといい始めたのは、Microsoftではないというのは理解しておくべきだろう。NCにしろ、Webtopにしろ、こうした考え方は「Microsoftの強大なOSへの支配力」から逃れる手段として他社が言い出したことなのだ。これらに対するストレートなカウンターとしてIE 4.0のWindowsへの統合を行なっているわけである。Microsoftの「他社の言い出した良い機能は、他社より早く実現する」という姿勢は、戦略としては極めてまっとうである。

 アンチMicrosoft連合が行なうべきは、Microsoftよりも圧倒的に早く圧倒的に質のよいプログラムを提供するというこの一点に尽きる。以前のコラムにも書いたように、NetscapeもSunもこの点でまだ十分とは思えない。それに対してMicrosoftが温情をかけて統合を行なうべきではないというのは自由競争の原理からしても不自然というべきだろう。ただ、同時に次の点もMicrosoftは実行すべきだとは思うが。


シェル統合はオープンにすべき

 反対意見の中で、意外に多く見かけたのが「OSとの統合をするのは構わないが、統合するためのAPIを公開して他のブラウザーも統合できるようにすべき」という意見だ。つまり、IE 4.0が統合されたWindows 95/98だけでなく、Netscapeが統合されたWindows 95/98もできるようにすべきだというわけだ。この意見には、全面的に賛成である。

 Windowsのシェアは、ほぼ独占的な状況にあると言って良い。Windowsは単にMicrosoftの商品というよりまさにパソコンの「インフラ」なのである。インフラにはインフラの責任がある。たとえば、NTTが勝手に電話線を改変して、NTT製の電話機(現実にはどこかのOEMになるだろうが)しか利用できないというのでは誰も納得しないだろう。


インターネット上のものとローカルなものを同じに扱うべきか

 意見が分かれたのが、この「何でも同じように見えていいのか」という点。IEとOSの統合を肯定的に見る人は、当然「インターネット上のデータもローカルのデータも同じように扱えるべき」と言っているわけだが、反対意見には「インターネット上のデータとローカルのデータが同じに見えるのは危険」とする意見や「そもそも挙動が異なるデータを同じに扱うのはユーザーインターフェイスの観点から問題あり」とする意見もあった。

 私はこの点に関しては、基本的に「何でも同じように見えてはまずい」という立場だ。「できるシリーズ」などの初心者向けの書籍を作って感じたのは「一見同じようで微妙に違う」というものほど初心者に理解しづらいものだということだ。最初から「違いますよ」と言っておけば、確かに最初は少し混乱するが学習するにつれて混乱はすぐになくなる。だが、一見同じようで微妙に異なるものは、最初は分かったつもりでも結局混乱してしまうのだ。


重いというのはCPUパワーで解決できる

 統合賛成の意見の中で、「重たいという問題はCPUパワーでそのうち解決できる」というものも複数あった。だが、この理屈はそろそろ通らない時代だと思う。確かに、8bit CPU時代や286/386の時代は、ある意味でプロトタイプの時代であり、「今は重いけど将来はこれくらいの機能が必要になる」という言い方もできたと思う。

 しかし、Pentium時代はすでに「必要十分なCPUパワーがある」時代である。しかも、OSの基本操作とブラウザー(Java等は除く)程度の「軽い」プログラムを統合しただけで重くなるというのでは話にならない。今後もプログラムの多機能化は進むと考えられるし、「今重い」ということは「将来も機能アップしてやっぱり重い」という状況が続くと考えることもできる。現にワードプロセッサなどのアプリケーションではその傾向がある。


統合の問題とバグや重いという問題は分離して考えるべき

 さて読者の意見の中には、私のコラムの矛盾点を鋭く突いているものも多くある。そのうちの一つが、この意見だ。

 バグがなくて軽ければOSとの統合に問題がないのなら、OSとブラウザーの統合そのものに疑問を投げる必要はない。IE 4.0の完成度の低さを問題にすればよい。まさにその通りである…と思っていた。

 しかし、今回この読者の意見を整理する中で、バグや重さとOSの機能として統合することは分離して考えることはできないのではとの自分なりの結論に至った。これがOSでないならまさにその通りだと思う。しかし、OSにバグを含んでいたりチューンナップが不完全なバイナリを含めるという行為は、やはりOSを提供する側として間違っているのではないだろうか? 現在のブラウザーの世界は、いわば車でいう「F1」のような状況である。安定性や互換性より「より強力な機能」を追求している段階だ。HTMLのバージョンもどんどん上がっているし、HTML以外の機能も取り込み始めている。しかもそれに対応するために、ブラウザーのバージョンアップも激しく、残念ながら「安定性」は二の次になっている。まさに、ブラウザーは最後まで完走できないかもしれない「F1カー」のような状態だ。これに対しては言いたいことはあるが、HTMLやWebアプリケーションの最終形が見えない以上、今は仕方がないのかもとも思う。

 一方、Windowsなどの市販されるOSはまさに市販車である。300km/hでコーナーを曲がるようなことは要求されない代わりに、F1カーよりも安全に安定して動くことが要求される。もちろん、部分的にはF1で開発された技術も導入されることもあるが、十分に安全性の「マージン」を取れるようになってから導入されるのだ。今の段階でのOSとブラウザーの統合は、いわばF1マシンの上に4席のシートとボディを載せて、「300km/hでコーナーも曲がれますし、大人4人を運ぶこともできます」と言っているようなものである。例えそれが事実でも、3度に一度はエンジンブローするというのでは、「市販車」としては失格ではないだろうか?

 何よりも、Webブラウザーの最終形が見えないのに、OSに取り込んだのでは、将来的にOSの機能や操作方法がWebブラウザーに引っ張られて大きく変化する可能性がある。私はOSの操作方法を2度3度学習し直すというのは大変なコストだと思う。もし、Webブラウザーを取り込むのなら、もう少し機能が固まってからにするべきだろう。


PC Watchラジオでの発言と矛盾する

 さて、最後に私のいい加減さを的確に指摘しているコメントを紹介したい。「以前編集長はPC WatchラジオでIE 4.0のPreview版の時に『(OSとの統合を)使ってますがもう止められませんね』とおっしゃっていたのでは?」という指摘だ。

 ご指摘は正解。確かに言いました。いやー、生の一発撮りは恐い。あの時点ではそう思っていました。しかし、ある実験のために一度IE 3.0に戻したところ、その後もまったく不都合を感じない自分に気が付いたのです。

 そこで、ふと考えたのが「OSとブラウザーの統合って本当に必要なのだろうか?」という疑問。自分自身を振り返ると、あのラジオでのコメントの時に「OSとブラウザーの統合はこんなに便利だ」とメリットだけを評価しようとしていなかっただろうか?OSとブラウザーの統合は必然であるという、技術的世論に惑わされていなかっただろうか?そういう疑問が湧いてきた。そこで、改めて必然的なメリットを考察した結果が前回と今回のコラムである。


 さて、今回読者の皆さんと意見を交換することでより深い考察ができたように思う。今後もこうした双方向の試みをやっていきたいので、お付き合いいただければ大変ありがたい。

[編集長 山下:ken@impress.co.jp]


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