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米国では、西海岸の「シリコンバレー」、東海岸の「シリコンアレー」などから注目のIT関連のスタートアップ企業が登場しています。そして、今日本でも「ビットバレー」が話題になるなど、さまざまなインターネット関連のベンチャー企業が注目を集めています。この連載では、渋谷周辺のみならず日本全国から、新事業を創造する、まだあまり知られていない企業をピックアップし紹介します。(編集部)
株取引を中心とした消費者向け金融関連ビジネスは、実際の物財の流通を伴わないというその基本的な特性から、インターネットに非常になじみやすいビジネスであると言われている。
米国では、小売などに先駆けて'90年代中頃からE*TRADE、CharlesSchwabなどネット上で消費者向けに金融サービスを提供する企業が多数出現し、手数料の安さや店舗に行かなくても取引ができると言う利便性などから急速な勢いで浸透している。
日本においても、1999年10月の株取引の売買手数料完全自由化を一つの機に、さまざまな企業がネット上での消費者向け金融サービスに乗り出してきている。中でも、証券取引の分野においては、取引の場が実際の店舗からネットへと変わるという単なるチャネルの置き換えにとどまらず、消費者の金融ライフスタイルに大きな変化を引き起こそうとしている。ネット証券会社の出現で、携帯電話などを使い手軽に株を取引することなども可能になり、長引く低金利に苦しんでいた一般的な消費者が、株や投資信託などを資産運用の手段として利用し始めているのである。
ネット上で株取引ができる証券会社は国内で50社を超えるほどにまで増えている。それらを大別すると、従来から各地に店舗を持ち営業を行なってきた証券会社がネット上へそのチャネルを拡大したという形態と、それまで全く地盤を持たず新規に参入したネット専業の形態とがある。
後者のネット専業組の中で、これまでに多くのユーザーを獲得し、目下「勝ち組」と目されているのがマネックス証券(以下、マネックス。千代田区、松本大社長)である。今回は、ソニーが出資したことなどで設立当初から注目を集めてきたマネックスの松本社長に、そのビジネスの現状と今後の展開などについて話を伺った。
●ほとんどの顧客が株初心者 ~わずか1年で9万口座を獲得~
1999年10月に営業を開始し、インターネットや電話を通じて株式や投資信託の売買注文の取次を行なっているマネックスは、営業開始からわずか1年余りながら、すでに取引口座約9万5千件、預かり資産約2,430億円を獲得し、ネット専業の証券会社の中でも際だった成長を遂げている。この口座獲得数は、大手の金融機関が出資しているネット証券会社、DLJディレクトや日興ビーンズにも引けをとらないものである。その顧客層には際だった特徴がある。
「生まれて初めて株取引した人が15%。過半数が経験1年未満の初心者です」(松本 氏)
米国のネット証券会社の急成長を支えた「デイトレーダー」と呼ばれるセミプロではなく、預貯金を中心とした資産運用を行なってきた一般的な消費者が、マネックス証券を通じて初めて株取引の世界に引き込まれ、その急成長を支えてきているようだ。彼らの多くは、「デイトレーダー」のように頻繁に取引を繰り返し差益を狙うようなスタイルはとらず、まさに資産形成の新たな手段として株や投資信託を位置付けており、購入した後は長期保有しているケースが多いという。
それでは、なぜそういった初心者たちが大手の証券会社ではなく、新興のマネックス証券を選択しているのであろうか。
最大の要因は、やはり株式売買手数料の安さである。マネックスは、創業時から低価格戦略をとっており、手数料を一律1,000円(成行注文、100万円以下)に抑えている。一般的な物財の販売と違い、商品(株)自体の品質、価値はどこで買っても同じである。そのため、手数料の安さが競争力となるのだ。松本氏もこのことを、「お寿司は高くてもおいしいとそのお店に食べに行くけど、株はどこで買っても同じだから手数料の安い方がいいでしょ」と明快に説明している。
マネックスでは、少ない従業員(約30人)、店舗が不要、システムはアウトソーシングと、徹底した低コスト運営を行なうことで競争力のある低価格を実現している。ただ、こうした低価格戦略も、ライバルの一つであるE*TRADEが800円と更に安い手数料を打出すなど、熾烈な競争時代を迎えている。
そして忘れてならないのが、巧みなブランディング戦略である。商品開発や戦略面などでインパクトのある新しい取り組みを積極的に行なうことでメディアに取り上げられ、自社のブランド認知の効果をあげている。他のネット証券会社のように、自社のブランド認知の為に何億円もの金を広告に注ぎ込むのではなく、結果として会社を宣伝してくれるメディアを巧みに活用しているのだ。
マネックスがメディアから注目されるのは他にも理由がある。それは、その設立のドラマである。いわゆる金融エリートの松本氏が、そのキャリアと膨大なストックオプションを投げ打ってゼロからマネックスを設立したことは、大企業からベンチャーへの転身が珍しいこの日本では大変注目され、さまざまなメディアで大きくとりあげられた。加えて、ソニーが出資したということが大きかったことは言うまでもない。ある友人からの一本の電話がきっかけでソニーの出井会長と出会い、出資にまでこぎつけたというの話はいまや伝説となっている。
このような背景とその巧みなメディア活用戦略で、「マネックス証券」というブランドは設立から一年しか経っていないにもかかわらず、新しい時代の証券会社の代表格として消費者に認知されている。
このメディアの活用は、コスト面でもマネックスに大きな効果をもたらしている。マネックスが口座を一つ獲得するのに要している広告宣伝費は1,600円である。これは、一般的な他社と比較しておよそ10分の1という金額である。メディアの活用は、ブランドを持たない新興ネット企業の大きな障壁と言われる顧客獲得コストを抑えることにも一役買っている。
●ユーザーと共に成長する ~株主でもあるユーザー~
さらにもう一点興味深いのが、ユーザーとの関係作りである。マネックスは、創業当初からディスクロージャーを徹底し、松本氏自らも執筆するメールマガジン(約6万通配信)などで積極的に情報を発信することで、ユーザーとの関係を重視してきた。そして、先日のIPOをきっかけにして、マネックスはそのユーザーと新しい関係を築き始めている。
マネックスは2000年8月に東証マザーズに上場した。それ以前にマザーズなどの新興企業向け市場に上場した企業の株は、公募価格が非常に高く一般的な消費者では手が出にくいものであったのに対し、マネックスでは無額面化、1円での株主割り当て増資という手段を採ることで株式総数を大幅に増やし、公募価格を45,000円と一般の消費者でも手軽に購入できる金額に設定した。その結果、多くの個人投資家、中でも多くのマネックスユーザーがマネックス株を購入したという。また、マネックス株購入のためにマネックスに口座を開いたユーザーも少なくないそうだ。つまり、IPOを機に多くのマネックスユーザーが、ユーザーであると同時にその株主となったのだ。
ネット上における顧客との関係は、単に商品やサービスの購入者にとどまらず、eBayなどの例が示すように、顧客が時には自発的にその宣伝担当となったり営業マン役となったりすることで、そのサイトの活性化や成長に一役買うことも少なくない。マネックス証券のユーザーの多くが同時にその株主になったということは、ユーザーにこうした役回りを自発的に行なわせる心理的要因を持つように思われる。つまり、マネックスはIPOを通じて、新たに「ユーザーと共に成長する」仕掛けを作り上げたのだと言えそうだ。
●手数料自由化解禁=オリンピックの開会式 ~起業の決意とタイミング~
人と金」をモチーフにしたロゴ |
マネックス創業前、松本氏は米国の投資銀行GoldmanSachsのパートナーという立場にあった。最年少、しかも創業者以外では米国圏外で教育を受けた初のパートナーであったという。しかも、GoldmanSachsは数ヶ月後に株式公開を控えており、膨大なストックオプションを保有していた松本氏はそのままのポジションにとどまっているだけで、非常に大きな資産を手に入れることができたはずである。なぜ、そのようなポジションを投げ打ってまで自ら会社を興すことを決断したのであろうか。
「1998年の2月位です。初めてインターネットと出会ったのは」(松本氏)
ネット証券会社を創業した松本氏のインターネットとの付き合いは意外にも非常に短い。それまで会社でもほとんどネットを利用することはなく、日本でも一般にインターネットが広がり始めるのを見て、知人に教えてもらいながらインターネットを使うようになったと言う。
「ただ、それから半年くらいでインターネットを使った個人向けの金融ビジネスは大きく成長する、という確信をもっていましたね」(松本氏)
インターネットを実際に自分で使い始めてその本質を知ると、すぐに金融ビジネスとの相性の良さを確信し、ネットを活用した個人向けの金融ビジネスは行ける、と感じたという。そこからの動きは非常に早かった。
ただ、松本氏はもともと起業家志向があったわけではなかった。当然松本氏はまず、GoldmanSachsの中でこの消費者向けネット証券ビジネスを立ち上げようと上司に提案したという。しかしGoldmanSachsのビジネスは機関投資家向けが中心であったため「うちがやることではない」と提案は却下されてしまった。そこで諦めてパートナーとしての仕事を続けるという道をとらず、彼は自らの手での起業を決意する。
「あのタイミングしかなかったんですよ。手数料自由化が解禁されるときにこのビジネスを始めていないというのは、オリンピックの入場行進に欠席するようなものでしたから」(松本氏)
松本氏は、1998年の11月にGoldmanSachsを退社し、1999年4月にマネックスを設立、現在に至っている。実際にストックオプションを手放し、GoldmanSachsを去るときは「正直言って、断腸の思いでした」と松本氏は語るが、「機を見るに敏」を地で行った松本氏の行動は目下のところ正しかったようだ。
●裸の王様にならないために
社長も社員も同じ大部屋(右奥:松本氏) |
マネックスの従業員数は現在約30人である。そのうち約7割が金融機関の出身で、それ以外は通信会社やシステム系などさまざま経歴をもつ。 オフィスはしきりが全くない一つの大部屋で、雰囲気は金融機関と言うよりもベンチャー企業という熱気が感じられた。松本氏の席も、社員から非常に近いところに位置していている。「意図的にやっているんですよ。裸の王様にならないためにね」と松本氏は説明した。
ゴールドマンの最年少パートナーと聞くと、いわゆる金融エリート像を想像するが、その想像に反して松本氏は非常に人当たりがよく、温厚な感じの人である。席の位置なども社員との距離を縮めるために意図的にやっているという。また最近では、開業1周年を記念して「社長と語ろう会!」と銘打って、一人ずつまたは小人数で社長とざっくばらんに飲んで話す機会を設けていると言う。
●常に挑戦を続けるマネックス
マネックスは、新しいサービス、商品の開発にも積極的に取り組んでいる。まずサービス面で言うと、富士銀行と共同で開発をしたオンライン決済サービス「富士サイバーバンキングマネックスバージョン」がある。このサービスを使うと、マネックスのホームページから直接富士銀行にある預金資金をマネックスの口座に移動し、株や投資信託の購入代金にあてることができる。銀行の営業時間外でも利用できるし、資金移動の手数料もかからない。従来、銀行と証券会社が共同でサービスを提供すると言うことはほとんどなかったが、富士銀行からこのサービスの共同開発に関する提案を受け、松本氏が「顧客にとっては非常に便利」だと判断し導入を決めたという。
商品の面では、2000年7月に第一勧業アセットと共同でマネックス専用投資信託「ザ・ファンド@マネックス」を開発している。株式の手数料は昨年の自由化を機に激しい競争が起こっているのに対し、投資信託の手数料というのはそれ以前から自由化にされているにもかかわらず、どの商品でもほとんど差がないのが現状であったという。そんな中にあって、このファンドでは、手数料が1,000万口以上で無料、それ以下でも手数料が1%(信託報酬年間2%、信託財産留保額0.3%)という低価格に設定している。いまや、「ザ・ファンド@マネックス」は、マネックス証券の取り扱う投資信託の中でも人気商品となっているという。
●「ライバルは郵便局」
低価格戦略や次々と打出す魅力的な新商品を武器に今のところ躍進を続けているマネックスであるが、今後の戦略はどのように考えているのか。
「ライバルは?」とたずねると、「正攻法で言ったら、郵便局だよね(笑)」と松本氏はうそぶいた。しかし、郵便局が全国津々浦々に店舗を持っており、すでに多くのユーザーを抱えていることを考えると、ネット上でしか利用できないマネックスはさすがに太刀打ちするのは難しい。
「確かに今は一部の人しかネットを使っていません。しかし近い将来、ほとんどの人がネット上で経済活動を行なうようになります」(松本氏)
確かに今後、ほとんどの人がインターネットを利用するようになり、その接続形態も携帯電話やネット家電など多様化、高度化していくことを考えると、株や投資信託だけでなく多くの金融サービスがネットを通して提供され、そのサービスも高度化するように思われる。松本氏は、そのことも見据えて、証券のナンバーワンではなく消費者向け金融サービス全体でのナンバーワン郵便局をライバルとしているのだろう。それでは、マネックスはどのようなネット金融サービスを実現し、郵便局と伍していこうというのか。
「まだ理解してもらえないことも多いのですが、全てのサービスを1ヶ所に集めたような金融ポータルのようなものはもう時代遅れで、自分の欲しい情報やサービスを持ってきてくれる『エージェント』ですよね」(松本氏)
松本氏の視点は今のテクノロジーで実現できる現実解ではなく、技術の将来も見据えた先を見ているようである。
●自然体が一番
松本氏に今後起業を考えている読者に対してメッセージをもらった。
「先に起業ありきだったり、何か新しいものを、と考えるのではなく、『必然的にやるべきもの』を見つけるべきです」(松本氏)
松本氏がマネックスを起業したきっかけは、まさに自分の経験と感覚の中から「必然的にやるべきもの」を見つけたことであった。起業を目的に作られたビジネスモデルはどこかもろさがあるもので、確固たる経験をベースに見出された必然性があってこそ成功は近いというわけだ。最後に松本氏はこう語った。
「自分を一番活かせる場所を探していくのがいいでしょう。人によってはそれがベンチャーかもしれないし、大企業かもしれない。自然体が一番ですよ」(松本氏)
(2000/11/09)
[Reported by FrontLine.JP / コンサルティングチーム]