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【連載】

東海岸インターネットビジネス最前線

第31回:シリコンアレーはこうして生まれた

 米国のインターネット業界では、メーカーやソフトハウスの集まった西海岸「シリコンバレー」だけでなく、最近ではコンテンツやビジネス面で東海岸「シリコンアレー」(シリコン通り)が注目を集めています。

 この連載ではそうしたシリコンアレーから登場してきた注目の企業を30回にわたってレポートしていきましたが、近く、単行本「シリコンアレーの急成長企業」としてとりまとめ、弊社より刊行することになりました。本誌に掲載した30社のレポートのほか、ニューヨークのIT産業統計やベンチャー政策、企業の変遷など、シリコンアレーの全体像を伝えるレポートも新たに収録しています。

 ここでは、連載の締めくくりとして、単行本に書き下ろしたレポートの中から一部を抜粋し、3回にわたって掲載していきます。(編集部)



「え? シリコンバレーの間違いではないですか?」とは、今でもよく訊かれる質問だ。ニューヨークのハイテク地区の総称「シリコンアレー」はインターネットやハイテク関係者なら馴染みのある言葉だが、一般的には米国でも知名度はまだ低い。この地域は、マンハッタンの41丁目から南西地域だと言われている。そこに、インターネット企業が集中しているからだ。

 シリコンアレーは地域の経済にとり大きな影響力を持つビジネスセクターへと発展しており、ニューヨークはシリコンアレーを中心として、全米の中でもインターネット産業のメディア、広告、エンターテイメント分野の中心地になることが予測されている。




●シリコンアレーは「サイバーサロン」から始まった

Party
パーティーの様子
 ダウンタウンのブロードウェイを歩いていると、「シリコンアレーにようこそ!」という大きな垂れ幕が見えてくる。お洒落なブティック、アートギャラリー、レストランやバーがひしめき、ファッショナブルな若者達が闊歩するダウンタウンは、西海岸のシリコンバレーやボストン/ルート128のようなハイテク地区と比較すると、テクノロジーといったイメージからはほど遠い。しかし、建ち並ぶビルに一歩足を踏み入れると、そこには小さなドットコム企業がテナントの多くを占領しているのだ。

 シリコンアレーは、1993年末、デザイナーやプログラマーなどのサイバースペースのアーティスト達が交流する「サイバーサロン」と呼ばれるネットワークパーティーから始まった。ニューヨークのニューメディアシーンを語り合う彼らは、シリコンバレーやボストンの二大テクノロジー地区が優秀なハイテク労働者を引き付けていることを懸念し、ニューヨークをインターネット企業の集積地にしようと考えたのだ。当時、サイバーサロンを企画した一人、マーク・ストールマン氏は、このアイデアを実現するための団体を設立しようと、ニューヨーク州郊外のアルバニーに出かけ、州経済開発の担当者に掛け合った。アレックス・ブラウン&サンズの証券アナリストを務めていた同氏は、フォーブス誌に対して、そのときの模様を振り返り「彼らは僕を詐欺師だと思っていた。ニューヨークで新事業だって? 馬鹿げている! とばかりにね」と語っている(注1)

 しかし、その企画は1994年にニューヨーク・ニューメディア協会(NYNMA)として実を結ぶ。ニューヨーク州政府の支援により誕生した同協会は、ニューヨークのニューメディア産業の成長を促進するための調査や支援などを行なっている。

 NYNMAは1994年半ばから「サイバーサッド」と呼ばれるシリコンバレー風のネットワーク・パーティーを始めた。インターネットのアーティスト支援団体であるワールドワイド・ウェブ・アーティスト・コンソーシウム(WWWAC)やその他のインターネット関係者が集まり、毎月行なわれるこのパーティーは人気を呼び、最初はNYNMAのオフィスで始まったこのパーティーもしだいに数百人の規模を集めるようになった。それと同時に、ニューヨークのインターネットコミュニティを宣伝するための呼び名として、西のシリコンバレーをもじって「シリコンアレー」というキャッチフレーズが考え出された。NYNMA会員は1995年9月には1,000社/1,500人に増え、現在では2,000社/5,700人を抱えている(注2)

注1)Poole, Gary Andrew (August 25, 1997): Dream On, Silicon Alley, Forbes
注2)Cortese, Amy (September 25, 1995): Cyberspace on the Hudson, Business Week, New York


●クリエイティブな人材の宝庫、ニューヨーク

SOHO
ソーホーの風景
 なぜニューヨークが、ネットビジネスの中心地として急速な発展を遂げたのだろうか? その最大の理由は、もともとニューヨークには、広告、出版、テレビ/ラジオ、金融、教育、音楽、アート、ファッションなどの産業が密集していることが挙げられる。世界最大の金融ビジネスおよび文化の震源地、ニューヨークには優秀な人材が溢れている。その中でも特に、従来CD-ROMソフトなどのマルチメディア産業に携わっていたデザイナー、出版や広告会社の編集者やライター、テレビ局のプロデューサーなどのクリエイティブな人材がシリコンアレーを築いていったと言われている。

 シリコンアレーの発祥地とされるフラットアイロンビル(5番街と23丁目の交差点)の周辺にも、1980年代には多数の広告関連企業やマルチメディア企業が存在していた。この周辺地域には安価なロフトスペースが多数存在しており、ソーホーやトライベッカでも同様にロフトを改造したオフィススペースがこうした企業のために使用されていた。しかし、1993年にはニューヨークは長年続いた不況を脱し、好景気にともない地価の高騰が始まる。当時、ニューヨーク市では高い税制が敷かれており、古いビル設備に加えてオフィスの賃貸料も上がったため、金融機関や証券会社ではリストラの一環としてオフィスを次々とニューヨーク郊外に移転している。

 しかし、シリコンアレーの起業家たちは、このトレンドに逆らうかのようにマンハッタンに流入した。NYNMAの調査によると、ニューヨークのインターネット企業の多くは、シリコンアレーの魅力は「優れた人材を容易に確保できること」と答えている(注3)。人材確保のためには、多少のインフラ条件が悪くてもシリコンアレーにオフィスを設置することは大きな意義があると考えているようだ。

 また、巨大な新規顧客リストとして膨大な数の広告、出版、テレビ、金融機関への地理的アクセスが容易なこともシリコンアレーの大きな魅力として挙げられる。初期のシリコンアレー企業は、アイビレッジなどのコンテンツサイトの他に、企業がインターネットに参入する際にまず必要となるホームページの開発企業や企業のバナー広告をデザイン・配信するインターネット広告企業が主流を占めた。また、タイムワーナーは1994年に自社の雑誌コンテンツを集めたポータルサイト「パスファインダー」を開設、ダウジョーンズは1996年にウォール・ストリート・ジャーナル紙のオンライン版の提供を始め、大手メディアがインターネットに続々進出したが、これらのウェブサイトの運営管理などもシリコンアレー企業が担当した(なお、タイムワーナーのパスファインダーはトラフィックを集めることができずに1999年に閉鎖、同サイトを訪れると現在「タイム」誌のサイトが現れる)。

 シリコンアレーの利点は、優秀な人材や新規顧客リストを容易に獲得できる他、ビジネスパートナーや知的所有者へのアクセスも容易という点だ。こうした地理的な利便性は、ネットビジネスでは不要になると考えられていたが、人々と直接会って情報交換するネットワークの重要性は、信頼できる高度な知的労働者に素早く出会い、スピード勝負のネットビジネスを行なう上では不可欠な要素になりつつある。ニューヨークでは、ビジネス会議によるフォーマルな情報交換も多数行なわれているが、パーティーやイベントなどインフォーマルなネットワーク作りも無数に行なわれており、起業家達はビジネスチャンスやアイデアをどん欲に求めているのだ。

注3)Coopers & Lybrand (October, 1997): New York New Media Industry Survey

(2000/2/25)

[Reported by HIROKO NAGANO, NY]


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ウォッチ編集部INTERNET Watch担当internet-watch-info@impress.co.jp