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サオリ姉さんのSurfin'USA
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1960年誕生のpaparazzi、今と昔 (97/09/08)

ダイアナ元皇太子妃の死去から1週間が経過したが、アメリカのマスコミ報道はまだまだ続いている。問題の焦点の1つとなっている「paparazziの行き過ぎ」を巡って、米国や英国のタブロイド出版社の人間や、実際にpaparazziを名乗るカメラマンらとの激烈なやり取りがテレビの画面を賑わせている。映画スターらが次々と被害の経験談を語る中、現在公開中の「Batman & Robin」の主役George Clooneyなどは記者会見を設け、paparazziに対する怒りと厳しい法律の制定を力説していた。

アメリカでの有名人によるpaparazziやタブロイド誌への法的反撃には、すでにちょっとした歴史がある。Demi MooreとBruce Willisは「結婚が暗礁に…」という記事を掲載した雑誌社を告訴、Brad Pittは当時の恋人Gywneth Paltrowとの裸体写真を掲載したPlaygirl誌を告訴、魔術師David CopperfieldはモデルClaudia Schifferとの恋愛が詐欺であると報道したMatch誌を告訴…、などなど。Alec Baldwinが、生後3日の愛児と家に戻る妻Kim Bassingerに、強引に撮影を要求したカメラマンを殴った罪から免除されたのも、paparazziの行き過ぎを社会が認めているいい例だろう。しかし、告訴には多額の資金が必要であり、はっきりとした被害であっても法廷に持ち込めるのはほんの僅か。今回の事件でスターたちは日頃の憤りをぶつけているという印象だ。

paparazzi情報を探すうちに、イタリアからのReutersの記事が目にとまった。「『甘い生活』時代から変わってしまったpaparazzi」と題したこの記事には、paparazzi発祥の由来が記されている。1950年代末、ローマの一角「Via Veneto」は、アメリカの映画俳優、国を捨てた王族、イタリアの上流社会人たちが夜明かしでたむろする場所だった。そんな中でカメラマンTazio Secchiaroliは、ありきたりのスタジオ撮り写真に飽きた出版社に、「衝撃の写真」を高く売る手を思いつく。Secchiaroliとその仲間はチームを組み、多少の強行手段も顧みず、Via Venetoの有名人たちの撮影を開始する。怒りにレストランのテーブルをひっくり返すエジプトの王Farouk、女優Ava Gardnerとの夕食シーンを撮ったカメラマンを殴るアメリカ人俳優、女優Anita Ekbergが車で待つ中でカメラマンに千鳥足で向かっていく俳優Anthony Steele…。Via Venetoとその「cafe society」をテーマに映画を作ろうとしていた監督Federico Felliniは、すぐさまSecchiaroliと彼の撮る写真を探した。1960年作の名作「La Dolce Vita(甘い生活)」ではSecchiaroliをモデルにしたカメラマンに「paparazzo」の名が付けられ、それが現在では辞書にも載るようになった「paparazzi」の語源となったというわけだ。

当時のpaparazziは、うすのろスクーターに大きくかさばるカメラ、フラッシュはバルブ式という原始的なもの。撮影対象も「見られるために」たむろする有名人たち。写真の金額も一夜の夕食代がせいぜい。その頃のほのぼのとした様子は「The Virtual Via Veneto Time Machine」で楽しむことができる。

現在72歳の「元祖paparazzi」、Secchiaroli氏は記事の中で語っている。「あの頃はカメラマンの数も23人。揉み合いなんかはあったけど、こんなにひどい追跡はなかった。この仕事は『やめろ』と言われたらやめなければいけないんだ。それがカメラマンとしての『Good Taste(趣味の良さ)』なのに…。でも有名人は何で逃げるんだろう。公共の場にいるのなら撮らせてそのまま進めばいいのに…。」古き良き時代のpaparazziの言葉には、機器の発達や情報飢餓の蔓延がpaparozziを怪物に変えてしまったことを強く感じる。

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