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Open Source Movementのユニークな立役者たち (98/04/13)

会場で配られたMozilla Tシャツ  「Netscapeがソース公開!」。プログラマーでない私でさえ、なんだかワクワクしてしまった3月31日。今後のNetscape一般開発の窓口となる「mozilla.org」が主催したパーティーに、お祭り気分でいそいそと出かけてしまった。サンフランシスコのディスコSound Factoryで行なわれた「Mozilla Dot Party」には会場前から長蛇の列。ようやく入場してマスコットのモジラ人形やスクリーンに映るソースコードの列も見飽きた頃、なんだか変なことに気がついた。各部屋で流れるバンド演奏やディスコサウンドのほかには、何もイベントがないのだ! オープンソース魂はどこに? …と思っていたら、こんな企画が目についた。

 4月7日にO'Reilly出版主催で開催された「Freeware Summit」がそれだ。Netscapeのソース公開を機に、フリーソフト界の大御所たちが初めて一同に会し「ソースを公開してビジネスになるのか?」という一般メディアの質問に答えてくれたのだ。良いソフトを手早く作ることが先決であるフリーソフトにとって、ビジネスは後天的な産物であることが述べられ、それを実践して大手企業と渡り合ってきた生き証人が次々と紹介された。主催のO'Reilly氏をして「Heart & Soul of the Internet」と言わせるフリーソフトの立役者たち、それぞれの生き方もプロダクト同様情熱的だ。San Francisco Chronicle紙ではその幾人かの背景を紹介している。

 「Perlは人間のための言語で、人間が機械に使われるためのものではない」。Perlを開発したLarry Wall氏は、実は宣教師になるのが天命と信じていた。アレルギー症でその夢を断念せざるをえなかったが、開発途上国の人々にプログラミングを教えたいという使命感を持っていたWall氏にとって、Perlは金銭にはかえられない財産だという。

 URLのドメイン名の裏に隠れるIPアドレスを管理するソフト「Bind」の責任者Paul Vixie氏のプログラミング歴はなんと12歳から。あまりに熱中しすぎて高校を中退、そのままコンサルティング会社のプログラマーになってしまった。Bindのメンテナンスの報酬はないが、彼にとっては貴重なライフワークだ。「手塩にかけたインターネットがジャンクメールに乱用されるのが最も不愉快」と言う。

 UNIXのオープンOS「Linux」のLinus Torvalds氏は、当時21歳のヘルシンキの学生だった。高価で手が出ないUNIXの代替OSとして純粋に趣味で始めたのが、自分の名前LinusとUNIXをかけたLinux。インターネットでの情報交換で瞬く間に人気OSとなったLinuxは、Torvalds氏に報酬として、金銭ではなくエンジニアとしての知名度をもたらした。念願の米国移民もスムーズに進み、28歳の現在、シリコンバレーで妻子と幸せに暮している。

 こんな大物たちに囲まれたNetscapeソースコード担当のTom Paquin氏も意気揚々。「開発者が参加してくれれば、多くの人が満足する良質のソフトが迅速にできる。経営方針によるバリアーやタブーがなくなって、本当に嬉しい」。インターネットが商業ベースに大きく傾いている中、「人のために人が作るソフト」という初心を思い起こさせてくれるような、熱いサミットだったようだ。

 最初はちょっぴり不満だった「Mozilla Dot Party」。Open Source Movementの立役者たちの顔が見えてきたら、会場でもらったMozillaのTシャツがなんだかとっても大事なものに思えてきた。

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