【連載】

■ 第2回 P2Pとワイヤレスの融合は何を実現するか ■

 P2P技術は、それ単体だけでも十分魅力的な技術だが、さらにワイヤレス技術と組み合わさることによって、さらにその魅力の度合いを増す。今回は、P2P技術がワイヤレス技術と融合したときに、何ができるようになるのかを読者の方々と共に考えていきたい。今回は具体的に実験されている事例についてはあえてふれずに、夢物語を語ることによって、このネットワークの将来を展望してみよう。実際に行なわれている実証実験など、具体的事例については次回紹介する。

●P2Pの実現に適したワイヤレス技術


 ワイヤレス、すなわち「線のない」通信手段としてすぐに思いつくのは、携帯電話やPHSであろう。しかしこれでP2Pを実現しようとすると、かなり困難であることに気づく。それはなぜか。例えば、すぐ隣にいる人の携帯電話に電話をかけるときを考えてほしい。お互いに1メートルしか離れていなかったとしても、まず数十~数百メートル離れた基地局につながり、さらにそこから有線等のネットワークを通して交換局を経由し、また来た道を戻ってくるというルートをたどるのだ(Fig.1)。これではイベント会場など人の多く集まるところで携帯電話が使い物にならなくなるのも当たり前である。本来、仲間同士で自由に対等に通信しあうことができ、ネットワークにボトルネックを作らない技術がP2Pなのであるが、携帯電話が通信する相手は常に基地局であり、さらに基地局や交換局がボトルネックになってしまう可能性が高いのだ。

 では、P2Pの真価が発揮されるワイヤレス技術とはどのようなものか。それは、トランシーバーのように、ノード同士が直接通信できるものでなければならない(Fig.2)。しかも携帯電話と基地局というような主従関係であってはならない。

Fig.1 Fig.2

 ノートパソコンやPDA等についている赤外線ポートはそのひとつの手段として考えられるかもしれないが、これは伝送距離が短く、指向性が強いので、携帯電話のように耳に当てて使用したり、複数の端末と同時に通信するという状況下では適さない。そういう用途ならば、無線LANやBluetoothが良いだろう。どちらも端末がどのような方向を向いていてもいいし、複数のノードと同時に通信することが可能だ。

 ともかく、重要なのは、ノートパソコンやPDA、携帯電話といった個人の所有するノードが、お互いに自由にワイヤレスで直接的に通信することができ、同時に複数のノードと通信できるということである。それら要素技術がクリアできれば、残された技術的な課題は、どのようにメッセージを運べばよいかというルーティングの問題、電波ができるだけ干渉しないようにするにはどのようにチャネルを割り当てればよいかという、主にシステム技術の研究開発にしぼられてくる。

●マルチホップ無線ネットワーク


 無線LANなどの個人用の無線デバイスは、飛距離はおおよそ数百メートルで、現実的には数十メートルの範囲内で通信することが望ましい。その範囲の中だけのネットワークというのは余り面白味がないし、考えられるサービスの幅も狭い。向かい合った席に座っている人同士でチャットをやっているのがおもしろい、という人たちの間でうけるようなサービスなら、いろいろと考えられるのだろうが…。ともかく、大声を出しても届かないぐらい遠くのノードとP2Pで通信できるようでなければ意味がないのだ。

 やはり、携帯電話のように基地局があって、有線でつながっていなければならないのだろうか。いや、ちょっと待っていただきたい。無線だけでもそのような通信はできる。極端にいえば、ネットワークはデータを送受信するためのインフラでありさえすればよい。直接電波が届かなくても、どうにかして送りたいデータを届けることができれば、立派なネットワークとして成り立つのだ。例えば、その場に集まったノードが協力して、バケツリレーのようにしてそのデータを遠くまで運べば、直接電波が届かないノードにも、データを送り届けることができるのではないだろうか。

 このアイデアに基づいて構築される、複数回ホップしてデータを届けるような無線ネットワークは、「マルチホップ無線ネットワーク」や「アドホックネットワーク」と呼ばれ、最近、企業や大学などで盛んに研究されるようになってきている。海外では、IETFのmanetワーキンググループ( http://www.ietf.org/html.charters/manet-charter.html )で、さまざまなプロトコルが議論されている。

●ワイヤレスP2Pと地理的関係


 さて、ノード同士がワイヤレスのみで通信できたとしよう。前述のとおり、電波の届く範囲というものは限られているので、ワイヤレスのみでマルチホップのP2Pネットワークを実現したならば、そのネットワークにおける隣り合うノードは距離的に近い場所にいることになる。すなわち、ネットワークのトポロジーが、ほとんどそのまま実際の地理的な位置と一致することになるのである。この特徴はいろいろなことに生かせそうである。例えば、いわゆる「口コミ」というすばらしい情報の流通を、この「ワイヤレスP2P」ネットワーク上で行なえるようになるのではないだろうか。

 インターネットの出現によって、我々は地理的制約を超えてさまざまな情報をスムーズに交換できるようになった。しかしその反面、対象が地理的に限られている情報、とりわけその場にいる人にしか役に立たない情報というのは、思ったより流通していないものである。「あそこの店のこの定食はうまい」、「ここでこの合言葉を言うと入場料が割引になる」、「夜間は時間はかかるけどこの道を通ったほうが危なくない」など、なかなか表には出てこない貴重な情報を容易に交換できるネットワークが、ワイヤレスP2Pによって構築できるだろう。

 ワイヤレスP2Pネットワークは、その場を行き交う人々の持つノードによって構築される。人の数が増えればそのネットワークの信頼性は高まり、閑散としてくるに従って自然に消滅する。まさに必要なところに自動的に構築される、便利なネットワークなのだ。国境を簡単に越えられるグローバルなネットワークであるインターネットに対して、ワイヤレスP2Pネットワークは、その場所に必要に応じて出現する、ローカルなネットワークといえる。

 その場を歩いているユーザーが、その場に来て気づいたことや忘れてはならないと思ったことをメモ書きのようにして端末に記録すれば、その場を通りかかった他の人々もそれを読めるようになるだろう。URLで指定された掲示板ではなく、この地球上の実際の場所に関連した掲示板が、まさにその場所を行き交う人々の端末上でふわふわと漂うこととなるのだ。

 その場で役に立つ情報を常に流通できるようなネットワークがあれば、非常に魅力的である。筆者はこれは面白いと思い始めてから、それを実現するためにはどのようなルーティングアルゴリズムが最適なのか、などについていろいろと研究してきた。その成果については、後ほど詳しく紹介することとしよう。

●忽然と現れる無料のネットワーク


 これまで述べてきたことは、一般の商店街に軒を連ねる個人経営の店舗で、その近くを通りかかった人に対して情報を発信したいと思った場合にも使うことができる。ワイヤレスP2Pネットワークを構築できるノードを、店の軒先に配置すれば完璧だ。広告をはじめとして、タイムサービス情報、特売情報、営業時間のお知らせ、飲み屋などの空席情報、日替わりメニューの告知、特待チケットなど、なんでも自由に発信できるようになる。

 そして、次第にそのような店が増えれば、近くの店に置かれたノード同士が通信できるようになってくる。すると最終的には、商店街に人が通っていなくても、「アドホック(その場限り)」ではない、常時存在する完璧なワイヤレスP2Pネットワークができあがるのである。さらに、そのネットワークのうちの1つのノードがインターネットにつながり、ルーティングするようになったらなにが起こるだろう。そう、その商店街はとたんにインターネットの一部となる。いまや日本ではインターネットに常時接続することは当たり前のことになってきた。いつの日か、商店街による無料のネットワークが忽然と姿を現すことになるだろう。

●災害時のネットワーク


 ワイヤレスP2Pは、災害時にも強力なツールを提供する基盤技術となりうる。ワイヤレスP2Pを使って実現されるネットワークは、その場に集まった人たちの持つノートパソコンやPDAや携帯電話といった、バッテリのみで駆動する小型のノードから成り立つ無線のネットワークとなる。したがって、回線が切れて使い物にならないとか、停電でそもそも電源が入らないとか、そういうことはないのである。どんなに過酷な状況となっていても、そこにPDA等を持った人が集まりさえすれば、使えるネットワークが出来上がるのである。

 このネットワークを使えば、「私は無事だ」といった安否情報や、「こっちにこんな資材、人が必要だ」といった救援情報など、なくてはならない情報を、過酷な状況下でやり取りすることができるようになり、しかもそれを一般の人々が自由に見ることができる。ラジオよりも細かく、タイムリーな情報を得ることができるようになるのだ。

 例えば、レスキューナウ・ドット・ネット( http://www.rescuenow.net/ )や、東京いのちのポータルサイト( http://www.tokyo-portal.info/ )といったサイトはご存知だろうか。これらは、災害発生時の情報配信を行なうことを1つの目的として立ち上げられたサイトである。しかし、これらのサイトの主な対象となる東京都民の認知度は、一体どのぐらいあるだろうか。残念ながら、今初めて知ったという方は少なくないだろう。

 災害時のネットワークをどうするかという研究はさまざまされているが、ここで見落としがちな重要な問題がある。それは、災害時のみに使われるのではだめだということである。そのようなネットワークは日ごろ一般の人々には意識されることはないために認知度が低く、実際にそれを使うべき人たちは、いざという時にその存在を知らず、十分活用できないだろう。

 このような事態を打開するためには、日ごろから一般の人々が使いたくなるような魅力的なサービスとして立ち上がっていて、緊急時には非常用の通信手段にもなるというシステムでなければならないのだ。そのサービスとして、前述の口コミ情報の交換、商店街などの地域密着型の情報提供、無料のインターネットなど、みんなが自由に使える、公共性の高いシステムを構築していかなければならないだろう。

●交通のためのネットワーク


 少し発想を変えて、車と車、そして人と車の間のネットワークを考えてみよう。例えば車と車を無線でつなげば、正確な渋滞情報がリアルタイムで取得できる。渋滞しているということは、車がかなりの近距離で密集しているということで、その一帯でマルチホップ無線ネットワークを形成することができるからだ。

 渋滞のあるところに自然にネットワークができれば、わざわざ渋滞情報を収集するための高価な機器を道路に設置する必要もない。もしその渋滞の中にGPSを搭載した車が数台いれば、渋滞状況はさらに正確にわかる。また、インターネットにつながっている車があれば、渋滞情報センターにデータを登録するなど、他の離れた地域の車に渋滞情報を提供することもできる。

 加えて、事故を未然に防止するのにもワイヤレスP2Pは役に立つかもしれない。見通しのきかない交差点で、互いにその交差点に向かって走っている車があれば、「車が近づいています」というアラームなどで警告し、運転者に注意を促すことができるだろう。また、車だけではなく、人間も小型の端末を装着して歩いていれば、事故にあう危険性が高い状況において、人と車双方に注意を促すことも可能になるだろう。車にその装置を装備することが義務付けられたとしたら、高齢者や子供など、車社会の犠牲者となりやすい人々には、非常に心強いアイテムになるかもしれない。

●さまざまな応用例を考えてみよう


 ワイヤレスP2Pネットワークは、このように非常に応用範囲が広いことがお分かりいただけたと思う。ここに挙げた以外の応用例もたくさんあるはずだ。もちろんこれらは今すぐには実現できるものではない。技術的な問題はある程度克服されてきてはいるが、実際にはビジネスとして展開するのは難しいという側面があり、さらにプライバシーは守れるのか、悪用されたら大変なことになってしまうのではないか、といった倫理面の問題もある。しかしこれらはいずれ一つ一つ解決されて、ワイヤレスP2Pが当たり前のように使われる日がやってくるだろう。
■筆者紹介■

小出俊夫 http://homepage1.nifty.com/toshio-k/
 常に他人と違うことをすることに喜びを覚える知的好奇心旺盛な人間。他に雑誌連載を1つ手がけ、プログラミングの解説書は5冊。実は博士課程の大学院生で、メーカーの研究所に入りたがっている。求むオファー。

(2002/9/25)

[Reported by 小出俊夫]

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