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人の生活を変えるサービスを作りたい サイドフィード社長 赤松洋介氏(後編)
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● サイボウズ、そして東京へ
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毎月面接に通うような状態になり、「本当に来る気あるの?」と聞かれてサイボウズへの転職を決断した
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米国にいたのは約1年です。帰国後、社内でコンサルタント職につきました。ただ、知り合いが転職するというので転職先を探していたところ、サイボウズと出会いました。「面白そうだし経営陣も魅力的だ」と強く惹かれました。1999年のことです。夏に面接に行ったのですが、すぐには決断できなくて毎月面接に通うような状態になってしまって(笑)。「君、本当にうちに来る気があるの?」と言われて決意して翌年、2000年の1月1日に転職をしました。
大阪の会社だからサイボウズを選んだというところがあったのですが、入社後結局東京に行くことになりました。こうなったらと、先発隊として東京でビルを探す手伝いをしたり、インフラ周りを手伝ったりしていました。当時のサイボウズは新規ビジネスを立ち上げようとしている時期でした。やがてプロダクトマネージャーになり、「サイボウズOffice6」を作りました。
● 「個人でサービスを作りたい」
2003年頃、会社にいながら個人でRSS配信サイト「MyRSS.jp」を作りました。転職以来エンジニアではなくなってしまい、仕事ではプログラミングをしなくなっていたんですが、RSSに興味を持ったので、個人で作ってみようと思ったのです。
日中は会社で仕事をして、夜の11時半から1時までを開発時間と決め、金曜は徹夜で作り続けました。開発にかかった期間は約1カ月。年内に作り上げて、年明けに公開しました。ちょうど子どもが生まれてすぐだったので、家での作業が大変でした。子どもが泣いているのに、「今プログラミング中だから」とは言えませんし(笑)。
作って公開してみたら、あまりの反応のなさにびっくりしました。「RSS関連のサイトもまだ少ないし、話題になって人が来るかな」と思っていたのですが、アクセスがあるのはスパムばかり。仕方がないので、自分で掲示板などに書き込んで広めていきました。それでも、ユーザーはやっと300人くらいで、全く増えませんでした。
そんな頃、田口元さんの「百式」イベントに参加したんです。「忘年会議」ではその年に面白いサービスを作った若いエンジニアが紹介されるんです。一堂に会するので、良い機会だと私も挨拶しまくりましたね。
ところが、面白いのですが、企業の名刺、私の場合サイボウズの名刺を出すと食いつきがないんですよ。それより、「○○のサービスを作った××」とわかる、個人名刺だと、ああ、あの○○の人、ということで話が弾むんです。ああ、サイボウズの方ですか、と納得してもらえる一般社会とは逆ですね。そこで、私も「MyRSS.jp」管理人として個人名刺を作って配りました。
● 人気が爆発した「feed meter」
2004年末頃、「ブログの人気度が判定できたら面白いかな」という気軽な気持ちでブログの人気度と更新頻度を測定するサービス「feed meter」を作りました。リリースした直後に、「やじうまWatch」などメディアや有名ブログで紹介されて、3日間で100万アクセスがありました。おかげで借りていたレンタルサーバーが停止してしまい、早々に追い出される羽目になってしまいました。
その時、思ったんです。サイボウズでは月にかなりの金額を投入して何千アクセスを買っている。多くの企業がそうでしょう。その一方で、「feed meter」は3日間で100万アクセスです。そのとき、人の動きが変わってきていることを実感しました。当時、仕事ではマーケティングも担当していたのですが、マーケティングって何なのだろう、もし、新しい人の流れをパッケージ化できたらビジネスになるかもしれない――。そう考えるようになりました。
● 独立、起業
feed meter公開の体験を通して、「会社を作ったら面白くなるかもしれない」と考えるようになりました。ちょうどそんな時、サイボウズの創業者でもある高須賀社長が突然会社を辞めると言い出したのです。4月の新入社員が初めて全員出社した日にいきなりそんな発言をされて、社内中がひっくり返りました。
ちょうど自分の今後のステップについて悩んでいたので、「いい機会かもしれない」と感じました。結局1カ月半ほど迷って、5月半ばには退職を決めました。
有給を使いながら準備を進め、週に2回しか出社しないような状態が2カ月間続きました。7月末には退職し、8月にサイドフィードを設立。最初は1人で始めました。
起業といっても、レンタルサーバーなどは安いので金銭面は問題なかったのですが、プロモーションには困りました。しかし、「低コストで長期運営すれば、そのうちマーケティングのいい手段が見つかるはずだ」と考えました。そして、企業向けに商品を売り、ブロガーを味方にしてメディアプレゼンスを高めようと、先端的なRSSを入れていろいろなサービスを連発しました。やがて、サイボウズ時代の仲間などが加わってくれて、徐々に軌道に乗っていきました。
はてなの近藤社長には「それは修行ですね」と言われたのですが、2年目は毎月合宿をするというノルマを課して、2泊3日でサービスを作っていました。私と田口さんなど、4~8人くらいで合宿に行ってサービスを作るのです。面白いサービスを提供しているエンジニアを呼んで情報交換したりもしました。結局、開発合宿自体が有名になって、取材があちこちから来ましたね。
● ベンチャーしかできないことがやりたい
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「新しい技術や新しいサービスで、人の流れ、アクセスの流れ、ひいては社会を変えていくようなことにチャレンジしたい」
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日本人はサラリーマン指向が強いと思います。言葉は悪いですが、給料は蛇口をひねったら出てくると思っている会社員の方も多い気がします。
自分の給料は、そもそも誰が払ってくれたお金から出ているのか、そのお金は何に対して払っていただいたものか、他社ではなく自社を選んでいただいた理由は何か、というようなことをいつも考えている方は、さほど多くないように思います。国際的な競争力を高めるには、「安定できたらいい」ではないものが必要だと思うのです。
個人的には、既存の高コストなモデルをネットで切り崩したいと思っています。ネット広告についても、結局は人力に頼った部分が多くあり、多くのITベンチャーも、この日本的なモデルに依存していると感じています。だから世界に行けない。新しい技術や新しいサービスで、人の流れ、アクセスの流れ、ひいては社会を変えていくようなことにチャレンジしたいと考えています。
それには、人の行動を変える鍵を作れば強いと考えています。最終的には人間の生活を変えるものを作りたいのですが、正直まだまだですね。独立については、全てを自己責任でできるのはとてもいいことだと思っています。ある意味、日本人は全員プロとして独立すべきだと思っています。全員がプロを自覚して、やりたいことをできるようになったらいいですよね。
そして、やりたいことを実現するのに、一番大事なのは一緒に働く仲間です。仲間はもっと増やしていきたいし、会社ももっと大きくしていきたいです。でも同時に、大きな会社でできないことをするためにベンチャーがあるとも思っています。Googleみたいな会社が10人くらいで運営できたら面白いなと思ったりします。サーバーは何十万台もあるけれど、社員は10人とか。
ブロガー向けに「あわせて読みたい」というサービスを作りました。きっと新しい発見があると思います。企業向けには、FreshMeetingというウェブチャットツールを作りました。今後、もっと人の生活を変えていけるようなサービスを作っていきたいですね。
関連情報
■URL
サイドフィード株式会社
http://sidefeed.com/ja/
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・ 人の生活を変えるサービスを作りたい サイドフィード社長 赤松洋介氏(前編)(2008/03/24)
2008/03/25 11:16
取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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