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クリエイターを支えるクリエイターでありたい クリプトン・フューチャー・メディア社長 伊藤博之氏(前編)
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北海道は札幌に、クリプトン・フューチャー・メディアはある。社内にはデジタルミキサーなどのプロ向けオーディオ機器が並ぶ。オフィスとしては比較的小さな空間に区切られた間取りとあいまって、企業のオフィスというより大学の研究室のような雰囲気だ。
「楽器を弾く人は一部でも、音楽を聴かない人はまずいません。赤ちゃんが最初に反応するのは、匂いの次に音。目が見える前から反応するらしいのです。音に対する興味は、人間に本質的にあるものだと思います。僕は、そこをビジネス面から掘り下げていくことに興味があるのです。」
徹底的に音にこだわったビジネスを続けている伊藤博之社長に、音との出会い、“初音ミク”誕生秘話から、CGMに対する考え方までを聞く。
● ギターを弾いていた高校時代
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クリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之氏。生まれも育ちも北海道で、レコードショップでも欲しいものがなかなかなくて、中学時代は「いつも情報に飢えていた」という
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生まれも育ちも北海道です。湿原があって、春になったら鹿が出てくる、人間より牛が多いような土地で育ちました。音楽を入手するのも難しくて、レコードショップでも大したものが手に入らない状態でした。音楽に関する情報がほとんどなかったので、いつも情報に飢えていました。高校はもう少し都会にあったので、その頃からやっと聴きたい音楽を比較的手軽に聴けるようになりました。
テクノ系や、レッド・ツェッペリンなどのブリティッシュロックを好んで聴いていましたね。高校入学の頃にエレキギターを買ってもらったのですが、黙々とひとりで速弾きを練習しているような子でした。付き合いでバンドにも参加していたものの、バンド活動にはさほど熱心ではありませんでした。
高校を卒業する頃、MIDI規格が出てきました。この頃にはテクノバンドを組んでいたのですが、これがコンピュータミュージックとの最初の接点です。
● パソコンと出会った大学職員時代
起業前は、公務員をしていました。北海道大学の大学職員をしながら、別の大学の夜間部に通っていたんです。大学職員として、CADの仕組みや人工知能を作る研究室で、実験や論文を書く手伝いをしていました。大学への就職はとくに希望していたわけではなく、高校を卒業するときに公務員試験を受けて、配属されたのが偶然そういうところだったのです。
パソコンがたくさんある研究室で、これがコンピュータとの出会いになりました。興味津々で、マニュアルを買ってきて、勉強してはプログラムを書いたりしていましたね。プライベートでMIDIをやっていた頃です。やがて、「音楽とコンピュータを使って何かしたい」と思うようになっていました。その研究室には6年いました。その後異動になり、学生の管理システムを作る学生部でプログラムを作ったりしていました。
講座には早い頃からネットワークが導入されていて、自分でも利用していました。担当の先生が当時の大学のネットワーク責任者で、結局挫折してしまったのですが、「ネットワークの構築をやらないか」と話をふられたこともあります。その前に、学籍簿の管理プログラムも作ったりしていたので、学内のネットワークの整備・管理的なことを依頼されたのですが、そういう何でも屋的なことをやっていましたね。
● 音を世界に売ろう!
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「Keyboard」という海外雑誌に自分の作った音を売る広告を出し、問い合わせが来ると英文カタログを送った。世界中の人と音楽を通じてコミュニケーションし、自分の作った音を使ってもらう。それが何より楽しかった
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その間もバンド活動は続けていました。年に何種類かデモテープを作り、インディーズ専門店やマイナーなジャンルを扱っているレコードショップなどに委託販売してもらっていました。数はそんなに出るものではないので、実際売れたのは10本くらいです。けれど、売れる売れないより、作品として形にして世の中に出せる、そのこと自体が嬉しかったですね。
「Keyboard」という輸入雑誌に、「売ります」「教えます」などの告知が載せられる広告スペースがあったんです。デモテープを作って活動していても、曲を聴いてもらえるチャンスはそれほど多くありません。そこで、「雑誌を通して世界中に広められたら面白い」と思いつき、早速広告を出してみたのです。23~24歳の頃です。
「自分の音があるので売ります」くらいのシンプルな告知でした。1カ月に10~20通くらい問い合わせの手紙が来ました。問い合わせがあると、まずカタログを送っていたのですが、カタログを作るのも楽しかったですね。DTP的なソフトはまだあまりない時代です。テキストエディタで文章を作り、印刷してはさみで切り貼りして作りました。印刷代も広告代もかかるので儲かりはしないですが、何より楽しかった。
● 必要な知識は後から身につければいい
問い合わせの手紙は、アメリカ人の他、ヨーロッパやアジアからも来ました。やりとりは手紙の他、即時性があるので、回線費用の安い時間帯を選んでFAXも使っていました。もちろん、カタログを送っても全員が買うわけではなく、1~2割から反応が返ってくるくらいです。それでも反応が返ってくるとやはり嬉しい。やりとりしているうちに仲良くなる人も出てきました。
そのうち1人のスイス人と仲良くなり、「一緒に曲を作ろう」ということになりました。同じ機材を持っていたので、音楽をフロッピーディスクに入れて国際郵便で送ると、相手がそれに曲をつけて送り返してくるというやりとりを繰り返します。1曲を作るのに何カ月もかかりました。楽しいのですが、それだけ時間がかかると、インスピレーションも忘れてしまうし緊張感も薄れてしまう。結果、出来上がりもイマイチになってしまうのが残念でした。
親しくなった米国の大学の先生が、「広大なトウモロコシ畑が火災に遭って燃えるような音はあるか」と言ってきたこともあります。自力で作って送ったら、「まさにこういう音がほしかったんだ。ミュージカルに採用したよ。近くに来たらぜひ寄ってくれ」ということもありました。
告知も手紙ももちろん英語です。けれど、特別英語が得意だったわけではなくて、受験英語程度でした。単純に、「これをやれば面白そうだ」というのが先にあって、英語は後からです。やりたいことに必要な知識は後から身につければいいのです。
● 輸出から輸入へ、そして起業
そんなやりとりを続けていたのですが、1980年代後半から1990年代前半にかけて円高になってきました。輸出している側は円高になると厳しくなります。それ以前も、カタログの制作費や通信コストなどがかかるため、収支はトントンでした。それが、円高になると持ち出しが多くなってしまいます。そこで、輸出は止めて、代わりに今度は海外の音を日本で販売することにしたんです。それが、1992年頃のことです。
本当は公務員の副業はダメなので、知り合いの作った会社名義で活動していました。思ったより売れたので、このままお世話になっているわけにはいかないと思い、会社化することにしたのです。
● 一般人にウケるものを創りたい
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ミキサーなど音響機器が積み上げられたクリプトン・フューチャー・メディア社内は、オフィスというより、大学の研究室のような印象を受ける
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1995年4月に退職して、7月に起業しました。やらなくて後で後悔するのは嫌だったので、とりあえずやってみようと思ったのです。社名がありきたりだと、今後検索で世界中がつながった時に埋もれてしまうと考えて、ユニークな名前にしようと考えました。名前を作るプログラムを作って、その中から選んだのが今の社名です。
当初から、音のコンテンツを輸入する商社的なことはずっとしていました。太鼓をたたく音、ギターの音、シャウトする声などの音素材を売っていたのです。そういうサンプリングCDは、音楽を作るための素材になります。
ただ、こうした音素材を買う人は非常に限られているので、ニッチなビジネスです。ですから、ずっと一般の人にリーチすることを考えていました。「一般人にウケるものを作りたい」と思っていたのです。
● 着メロ販売、ヤマハとの出会い
2001年頃より、携帯でもPCMが再生できる機種が現われてきたので、当時のJフォン(現Softbank)とauに企画書を持ち込み、着メロ配信サービスを始めます。
着メロというのは通常MIDIデータになりますが、うちで扱うのはサンプリングオーディオ系です。MIDIは音色データなどをMIDIマシンが持っていて、この音階をこの長さでこの音色で鳴らす、という指示をもとに音色データから再生しますので、似せてはいますが擬似的な音になります。それに対して、サンプリングは実際の音をデータ化します。今はその違いを、「着メロ」と「着うた」として、携帯電話で体感されているユーザーが多いと思います。
音楽のジャンルとしては、ダンスミュージック、テクノ、ヒップホップなどのインディーズ系が中心です。音楽以外にも、車やバイクのエンジンをかける音とか、ジッポーを点火する音、「○○さんからメールがきました」などの「着声」を声優さんを使って録音して作ったり、いろいろと作りましたね。その頃から、携帯電話の端末メーカーのプリセット(出荷時に入っている着信音)もメーカーに提供し始めました。携帯電話向けの音源チップ主要メーカーがヤマハさんで、そこでヤマハさんとの付き合いが始まりました。
● 人の声でバーチャル・インストゥルメントを
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ヤマハの担当者から「人の声で歌う技術がある」と聞いて見せてもらった。当時はβ版でクオリティはまだまだだったが、「完成すれば人が歌うように曲が作れると感じた」
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バーチャル・インストゥルメントというのは、パソコンに楽器を再現するソフトのことです。通常は音色が微妙で、バイオリンの音といってもバイオリンぽい電子音でしかありません。しかし、うちのバーチャルインストゥルメントは聞き比べても分からないくらい精巧なものです。
2000年くらいからバーチャルインストゥルメントはかなり増えていました。ピアノ、バイオリン、ギター、ベース、民族音楽など、大体の楽器はできていました。唯一できなかったのが人間の歌声です。「あー」「うー」など、1つの音だけで歌うタイプのものはありましたが、歌詞を歌わせることはできなかったので、これができればいいなとずっと思っていたのです。
ヤマハの担当者から「人の声で歌う技術がある」と聞いて、見せてもらいました。その時点ではベータ版でクオリティはまだまだでしたが、完成すれば人が歌うように曲が作れると感じました。それからは、連絡を取り合って商品化の機会をうかがっていました。
● マンガのパッケージで「MEIKO」大ヒット
ヤマハが、「VOCALOID」を商品化したのが2003年です。日本語と英語に対応しており、うちは日本語版を構築することになりました。英語版の方は知り合いのイギリスの会社がぜひやりたいということだったのでつなぎました。2004年には、国内初のVOCALOID製品「MEIKO」を出しました。MEIKOという名前は、歌い手の名前から取ったものです。
パッケージデザインには悩みました。DTMの場合、ピアノならピアノの絵、ギターならギターの絵と、楽器をイメージする絵や写真を使います。VOCALOID製品は人間の声なのだから、人間が登場するのは決まりでしょう。しかし、人と言っても生身の写真を載せるのがいいのかどうか。色々と話し合って、最終的に出てきたのが“マンガ”でした。女の子のマンガ的なイラストを使うことにしたのです。こだわったことは、イラストに動きがあることです。躍動感やリズムを感じさせたかった。
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「MEIKO」のパッケージ。マンガを使うことで声にキャラクターを与えると同時に、初心者にも興味を持ってもらうことを狙った。こだわったのは、イラストに動きがあり、躍動感やリズムを感じさせる点だ
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これまでのDTM製品で、パッケージにマンガを使ったケースはありません。だから正直、葛藤はありました。音楽をやる人から見たらかっこ悪いし引かれてしまうと思ったのです。しかし、「マンガにすることで新しいユーザーが取り込めるのではないか」とも考えました。これで、DTMのビギナーやこれから始めたい人も取り込めるかもしれない。
「パッケージをマンガにすること」は僕のアイディアですが、僕自身はマンガも読まないしアニメも見ないしゲームもしません。ただ、自分はたまたま読みませんが、僕の世代はアニメやコミックに対する抵抗感のようなものはありません。DTMというマーケットにマンガをあしらったパッケージが出た時の衝撃度合いは十分想像できました。
バーチャルインストゥルメントは、1,000本売り上げたらヒットと言われるようなニッチな商品です。その中で、「MEIKO」は3,000本くらい売れました。DTMのソフトとしては大ヒットと言っていいでしょう。予想した通り、プロのミュージシャンはマンガのパッケージに冷ややかで、実際に買ったのは一般ユーザーが多かったですね。
● 男性の声は売れない?
次のVOCALOID「KAITO」が出たのは2006年2月のことです。次は歌い手の名前を使う代わりに名前を公募しました。200~300種類ほど応募があった中で、外国人でも発音しやすいことと、「MEIKO」と並んだ時の絵面がいいということで選びました。
「KAITO」は男性の歌声ソフトなので、「MEIKO」ほどは売れないだろうなとは予想していましたが、結果は予想を下回りまして、結局500本くらいでした。「やっぱり女性の声が売れる」と確認した形ですね。音楽のバックコーラスも、男声より女声の方が多いですし、ジングルなどでも女声の方が多い。VOCALOID製品はMIDIユーザーが対象になるので、もともとユーザーに男性が多いこともあるでしょう。
(後編につづく)
関連情報
■URL
クリプトン・フューチャー・メディア
http://www.crypton.co.jp/
VOCALOID2特集ページ
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/
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取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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