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技術を武器に、世界で通用するサービスを作りたい プリファード・インフラストラクチャー社長 西川徹氏(前編)
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東京大学本郷キャンパス近くにプリファード・インフラストラクチャー、通称PFIのオフィスはある。「この前までは社員が6人も入ったらいっぱいの小さなところだったんですが、社員も増えたので移転しました」と、25歳の若き社長西川徹氏は笑う。
10名いる同社のメンバーは全員、東大か京大の卒業生か在学中。最年少は22歳で大学院生、最年長でも25歳という若い会社だ。しかし、この会社にはすごい技術と夢があった。全文検索エンジン「Sedue」、連想検索エンジン「reflexa」など、プログラミング技術を活かしたサービスを次々に生み出し続けている。社員は全員技術者のベンチャー企業、PFIのできた理由や技術にかける夢を社長の西川徹氏に聞いた。
● コンピュータ漬けだった小中高時代
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小学校時代から、1日の半分以上をコンピュータの前で費やすほど、プログラミングの面白さにのめり込んだ。「。「コンピュータのない人生は考えられない」
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小学校4年生の頃、機械好きの父が、FM-7のBASIC入門書を借りてきたことがあります。読んだら面白くて、すっかりはまってしまいました。まだパソコンは持っていなかったので、紙プログラミングをしたりしていましたね。その後、中古でFM-7を手に入れてからは、毎日1日の半分以上はコンピュータの前にいたと思います。
中学生の頃は、ゲームを作って友達に見せていました。言語処理系に興味があり、コンパイラの作り方などを調べては、いろいろと作っていました。中学校、高校とコンピュータ部に入り、ゲームを作ったり、3Dのプログラムを組んだりしていました。中学校に置いてあったパソコンにはWindowsも入ってなくて、5インチのフロッピーディスクで起動するような旧型のDOSマシンでした。処理速度が遅くてプログラミングで速くしないといけないので、逆に鍛えられましたね。
● ICPC世界大会への挑戦
ICPC世界大会(ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト)という、世界中の大学生を対象として年に1度開催されるプログラミングコンテストがあります。対象年齢は大学1年生から大学院1年まで。IBM がスポンサーとなり、学生に高水準の能力を身につけさせることを目的として開催されるものです。
日本でも、ネットを通して国内予選が行なわれた後、優秀な成績を収めたチームは、アジア地区予選大会へ行くことができます。そこを勝ち抜くと、世界大会に出場できます。3人の学生からなるチームで戦う“チーム戦”で、5時間で8~10題ほどのプログラミングの問題を解き、解けた問題数を競うのです。
予選には全世界から約1万チームが参加し、そのうち80~100チームが世界大会に出場できます。日本の国内予選には毎年約200チームが参加しますが、アジア地区予選には1つの大学につき3チーム、世界大会に至っては1チームしか出場できないので、かなり厳しい戦いになります。
僕らは大学1年生の頃から参加していましたが、大学別に行なわれる予選がなかなか突破できませんでした。京大のメンバーと知り合いになったのは、4年生で初めてアジア地区予選に進出した時のこと。彼らは世界大会にまで進出したのですが、僕らはそこで敗退してしまいました。
大会に出場できる最後のチャンスとなった2006年、とうとうテキサスで開かれた世界大会に出場できることになりました。前の年に一緒だった京大メンバーも出場していました。結局それが縁で、彼らもPFIのメンバーとなっています。
● 世界は広い、けれどプログラムは共通
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ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト公式サイト。世界大会では、地域予選を勝ち抜いた世界トップレベルのプログラマーが集結しての戦いになる
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世界大会ではかなり緊張して、心臓はバクバク、足下はふわふわしていました。現地でも日本から来た他のチームと合同で練習会を開いていたのですが、解けない問題があって悩んでいたら、京大のメンバーが解き方を送ってくれて。それがたまたま本番でも出て、ラッキーでしたね(笑)。
大会で世界トップレベルのプログラマーたちに会えたのは、いい刺激になりました。僕らのチームは結局19位タイ。かなり頑張ったつもりだったのに、自分たちより優秀なチームが20近くあるということに、つくづく世界の広さを感じました。
そこで、せっかくだから1位から片っ端に声をかけてみようということになって。英語は苦手で、「ハロー」レベルの中学生英語だったのですが、今声をかけないと二度と会えないと思ったのです。うちのチームが解けなかった問題を解いたロシアのチームに「どうやって解いたの?」と聞いたら、「そんなの簡単だよ」と言われたのが衝撃でしたね。
片言英語でしたが、国境を越えて“プログラマー”という共通意識でつながっているのを感じました。プログラマー同士なので、プログラミングのテクニカルワードをつなげるとある程度会話になるんですよね。お互い、まったく言葉がわからない国のチームでも、プログラムを書いて見せれば通じてしまうところもありますし。
今でも、この時知り合った香港チームの人たちとは親しくしています。やりとりは、主にSkype。英語は相変わらず苦手なので、何とかしないとと思っているところです。
● 1×3=100
起業直前に、バイオベンチャーでバイトをして、ベンチャーというものは知っていました。その頃から、「大会で出会った仲間たちと何か作れないか」と考え始めていました。
せっかく世界レベルのプログラマーたちと出会えたのに、このままばらばらになるのはあまりにももったいない。プログラミングコンテストでは、1人ではできなくても、チームの3人が集まればできることはたくさんありました。チームで作業して、1×3が100や200になるような仕組みが作れれば……。
東大の仲間だった岡野原大輔が、IPAの未踏プロジェクトで開発した技術が実に面白いものだったんです。彼の手伝いをしていて、このすごい検索エンジンを何とか実用化できないかと考えるようになりました。それが、大規模全文検索エンジンの「Sedue」です。
この全ての答えが、起業だと思いついたのは在学中のことでした。言い出しっぺということで、僕が社長をやることになりました。11月から起業に向けた話し合いを始め、2006年3月には会社が立ち上がりました。起業時は全員学生の学生起業でした。
社名の“PFI“とは、「Purely functional programming language(純粋関数型言語)」と「Infrastrucuture(基盤)」をくっつけた名前です。創業メンバーの3人共がこの純粋関数型言語が大好きだったので、社名に入れようとしたんです。しかし、ただの“PFI”だと検索結果で埋もれれてしまうので、略すとPFIになる、響きのいい名前として考えたのが今の社名です。
● ビジネス経験ゼロからの出発
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最初に売れた時は純粋に嬉しかったですね。嬉しくて嬉しくて、その日はみんなでジンギスカン屋に行って飲みまくったのを覚えています
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起業をしただけで、ビジネスプランは何もありませんでした。会社勤めの経験がある人間もいないので、お恥ずかしいのですが、名刺の渡し方さえわからないという状態でした。
とりあえず、製品を勢いで作りあげました。「速くて高機能な検索エンジンさえ作れば売れるだろう」と勘違いしていたのです。2006年5月から作り始め、7月には出来上がっていました。
ところが、ものはできたがものの、半年くらいまったく売れなかったのです。会社はあるものの、売上はゼロのままです。当然給料も出せません。さすがに、「このままでは会社がつぶれるかも……」という不安が頭をよぎるようになりました。
メンバーにはエンジニアしかいないので、営業の仕方も誰も分かりません。どうやって売ればいいんだろうと途方に暮れました。メールを送ったり足を運んだり電話をしたり、やれることは何でもやってみました。飛び込み的に行って失敗したことも何度もあります。営業に行った先方が何も理解してくれなくて、落ち込んだこともありました。
営業マンがいないので、営業は僕がひとりで担当していました。あまりにも売れないので、「自分には営業としての能力はゼロじゃないか」と思い始めていました。何しろ経験がないので、ものすごいストレスでした。
その年の12月、売り込みに行った先で「こんな機能はないの?」と言ってくれた方がいました。これだ!と思いました。3日間くらい合宿して、新しいバージョンに作り直して。最初に売れたのは、携帯検索エンジンの会社です。売れた時は純粋に嬉しかったですね。嬉しくて嬉しくて、その日はみんなでジンギスカン屋に行って飲みまくったのを覚えています。
● Skypeを使ってやりとり
起業した当初は、東大の教室に休日入り浸ったりしてひたすら開発していました。とにかくみんなで集まって開発する場がほしかったのです。日曜の夕方に集まって朝まで開発をして、そのまま大学構内で寝て講義に出て、平日の晩また開発をする――というのが毎日の流れでした。全員が集まれるのは日曜日だけ。みんなでやった方が気持ちがめげないし速いので、こういう時間は貴重でした。
PFIメンバーは東京と京都に分かれているので、京都に在住している2人のメンバーとはSkypeでやりとりをしています。Skypeがあれば、その場にいるようにやりとりができます。バーチャルな世界に支社があるようなイメージですね。開発なんてどこでもできるというのが僕の持論なのです。ただ、メンバーには大学院生もいますが、仕事には責任を持たねばならないので、必ず社会人メンバーがプロジェクトを担当するようにしています。
実は、このオフィスに移るまで、会社に固定電話がなかったんですよ。クライアントとのやりとりは携帯電話とメールで済ませていました。実家の電話番号を載せておいたら、実家にかかって母親が出てしまったりということもありました(笑)。
● いつでもどこでも素早くプログラミング
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ICPCの東大・京大チームのメンバーで作った会社。「みんなプログラミング経験も豊富ですし、開発速度はかなり速いです」
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僕は開発も営業もするので、営業で移動中の電車の中でもノートPCでプログラミングをしています。基本、バグ報告受けたらどこでもできるようにしています。
僕自身、会社での開発の方に夢中になってしまい、せっかく大学院に入学したのに、興味のある授業に顔を出すくらいで、ほとんど授業には出なくなっていました。修士論文も〆切のわずか1カ月前からテーマを考え始めたという調子だったので、教授からダメ出しが出て再提出になってしまいました。ちょうど、初めて製品が売れて導入が決まった時期と重なってしまい、本当に大変でしたね。
開発速度はかなり速いです。年に2、3回合宿をして、出来上がるまでお酒も飲まずに2泊3日くらいでサービスを作ります。合宿中に完成させてサービスインということも多いです。全文検索エンジンも結局システムのコア部分は3日で出来上がりました。朝ご飯の時にバグを発見して、帰りの電車の時間までにバグを取ったりして。その後は徹底的に負荷テストを掛けて細かいバグを潰していきました。これは、できて1カ月後には売れましたね。
メンバーが何か作ればそれを営業しに行きますし、逆に営業先で要望を拾ってきて作ったこともあります。たとえば、関連記事検索エンジン「Hotate」は営業先から要望をいただいて作ったものです。
作り出して1日目はうまく動きませんでしたが、2日目には関連記事が出てくるようになりました。ただし、関連記事検索では、ミスがあっては導入価値がなくなってしまいます。そこで、出来上がった時にはすべて印刷して精度をチェックするなどして、仕上げは念入りにチェックしました。
(後編につづく)
関連情報
■URL
プリファード・インフラストラクチャ
http://preferred.jp/
ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト公式サイト(英文)
http://icpc.baylor.edu/icpc/
ACM日本支部
http://www.acm-japan.org/
■関連記事
・ 技術を武器に、世界で通用するサービスを作りたい プリファードインフラストラクチャー社長 西川徹氏(後編)(2008/05/27)
2008/05/26 11:32
取材・執筆:高橋暁子 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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