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【連載】

小形克宏の「文字の海、ビットの舟」
――文字コードが私たちに問いかけるもの  

特別編10
表外漢字字体表は、JIS漢字コードをどう変えるのか?(1)
表外漢字字体表がつくられた背景をさぐる

       
Illustation:青木光恵

●これからしばらく、表外漢字字体表について報告しよう

 今回から特別編として、全4回の予定で表外漢字字体表をとりあげる。

 前週まで2回にわたって、JIS漢字コードを見直すための新JCS委員会発足と、その見直しの核になる『表外漢字字体表』とJIS X 0208の対応について、速報のかたちでお伝えした。
 実のところを言うと、私は3月に文化庁の氏原基余司国語調査官に表外漢字字体表の意図についてインタビューし、それを原稿にまとめつつあった。しかし、表外漢字字体表は戦中戦後からの国語施策とは無縁に考えることはできない。それに気づき調べ始めると、これが思った以上に奥が深く、ぐずぐずやっているうちに衝撃的とも言える新JCS委員会発足の知らせが届いたというわけだ。それで取るものも取りあえず、いそぎ手持ちの材料をかき集めたのが先の2回の速報だった。

 新JCS委員会のテーマは、JIS漢字コード一般(JIS X 0208、JIS X 0213、JIS X 0212、JIS X 0221)の見直しとして、表外漢字字体表に対応させるというシンプルなものだ。しかしその選択肢は例示字体を印刷標準字体そのものに厳密に一致させるところから、すでに包摂の範囲内にあるとして触らないとするところまで限りなく広い。また対象となるJISも、JIS X 0208だけとするところからJIS X 0213をふくめたところまで、あるいはむしろJIS X 0221を見直しの軸におくべきとか、はたまたJIS X 0212も一緒に考えるなど、これまた選択肢は限りなく広い。

 もはや古き良き'80年代のように、JIS X 0208の見直しならJIS X 0208だけで考えればよい時代はとうに終わりを告げている。現代の文字コードは、さまざまな規格に変換されながらネットワークの中を流れている。となれば、たとえば国際規格ISO/IEC 10646(=JIS X 0221≒Unicode)との間で1字たりとも矛盾があってはならない(違う文字に変換されてしまう)はずだが、これも簡単には解決不能な難問が待ちかまえている[*1]
 さまざまな規格の間で網の目のように複雑怪奇な関係が築かれ、ほころびはありつつも、かろうじて致命的なトラブルは押さえ込んで運用されている。文字コードについてそういう現状認識をもつ者からすれば、寝た子は起こさず、例示字体は変更してくれるなというのが正直な感想であるはず(私自身もそう考えている[*2])。だが一方で、文化庁の面子もキッチリたてねばならないのが新JCS委員会の宿命だ。
 後述するような1983年改正による混乱の二の舞を避けるためにも、今回の見直しは混乱をおこさないことが大前提となるだろう。しかしその落とし所は、現状では選択肢が広すぎて、私には全然読めないと言ったところが正直な話だ。

 私がJCS委員会の審議について詳しく報告できるのは、委員会としてある程度まとまった方向性が出せるようになる7月、つまり来月になるだろう。おそらくこの報告は、読みやすい原稿の形にまとめるのに苦労するはず。現在が6月中旬だから、ぐずぐずしている時間はない。とにかく以前から手をつけている原稿は、いそぎ発表することにする。これらの原稿は、表外漢字字体表の歴史と背景について調べたものだから、きっと新JCS委員会での審議内容とも重なってくるはずだ。

 まことに申し訳ないが、「第3部 JIS X 0213は世界になにを発信したのか?」の続きはもうちょっとお待ちください。ただ今鋭意取材中で、こちらも面白いインタビューができている。本当にあと100本手が欲しいところでございます。

●JIS漢字コードの“混乱”とは?

 表外漢字字体表が作られた背景には、JIS X 0208改正による“混乱”がある。

 パソコンで“カモメ”という漢字を表示させると、どうして[鴎]になってしまうのか。なぜ昔ながらの[區]をつかう字体が使えないのか?(図1) これは美しい日本の伝統に対する冒涜ではないか。なんだ、この[涜]の字は。なぜさんずいに[賣](図2)が使えない。こんな見たこともない文字を、どうして自分が強制されねばならないのだ。文化音痴、効率至上のコンピューター・メーカーの暴走だ! 文化破壊だ!![*3]

 いつか、どこかで読んだ“あつい”主張だが、これらの原因はJIS X 0208に求めることができる。

図1図2
▲図1▲図2

 1978年に制定されたJIS X 0208では、それぞれ[鴎]は[區]、[涜]は[賣]をつかう伝統的な字体が採用されていた。この第1次規格は78JISとよばれる。ところが5年後に改正された第2次規格のときに[鴎][涜]にあらためられ、同時に[檜・桧][灌・潅][礦・砿]など、異体字26組の符号位置をいれかえてしまった[*4]。これは改正年をとって83JISとよばれるが、その字体が現行バージョン、つまり97JIS(第4次規格)に受け継がれているというわけなのだ。ちなみに第3次規格、90JISの時にも文字は変更されているが、そのほとんどはきわめて微少なフォントのデザイン差、つまり字形の変更のレベルなので、ここでは無視する。

 この83JISの字体変更は、結果として世の中にひどい混乱をもたらした。'80年代中盤といえば、パソコンやワープロが一般化して、一大市場ができていった成長期にかさなる。83JISの変更があまりに大きいとして、78JIS時代からJIS X 0208を製品に実装していたNECは83JISに変更するのをためらい、あらたに市場参入したエプソン、アップルコンピュータなどは、当然ながら現行規格の83JISを採用した。つまり、画面に表示される字体と印刷される字体が思いがけず変わってしまったり、同じデータがプリンターによって印刷される字体が違ってしまうという悲劇が起きたのだ(念のため、これはWindows以前のMS-DOS全盛期のはなし。ただしWindowsになっても、しばらくNECは互換性重視の立場から78JISのフォントを搭載し続けていた)。

 なぜ83JISで、このような大きな字体変更がされたのか? この謎に対する仮説はいくつか提出されているが[*5]、ここでは明確な答えを保留したい。当事者の決定的な証言もなく、まだこの問題に対する研究者の役目は終わっていない。
 ただ確かなことは、これが1981年、つまり78JISの制定後に作られた『常用漢字表』に字体をそろえるという目的があったことで、これは〈常用漢字等の字体に準じて若干の文字の表中に用いる字形を変更した〉(p.65)という83JIS規格票「解説」からわかる。

 もっとも、1979年に国語審議会が出した常用漢字表の中間答申や、1981年の同最終答申の前文では、〈常用漢字表に掲げていない漢字の字体に対して、新たに、表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題については、当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつこととした。〉と、否定でも肯定でもなく態度を保留している。これを考えれば、常用漢字以外にまで変更をひろげた83JISの態度は、いささか危険な賭だったことがわかる。逆にいえば、“なぜそうまでして、常用漢字にこだわった?”という疑問がでる理由でもあるのだが。

 JIS漢字コードにとっての悲劇はまだ続く。それは爆発的と言ってもよい情報機器の普及により、規格制定者が想像もしなかったような膨大な数のJIS X 0208が実装されたことだ。ごく普通の人々がワープロやパソコンを紙や鉛筆がわりに使い、インターネットを使って地球規模で情報交換がなされるような時代の出現は、コンピューターが特別なものであったメインフレーム全盛時代である78JISの開発当時、SFの世界にしかなかった。
 そうして、原案作成時の意図をこえて実装されるうち、JIS漢字コードは「ワープロにある字だから正しい」というような“規範”という目で見られることになったのだ。これもまた、原案作成時の意図をこえた事態だった。

●JISの本当の混乱は、伝統的な字体を選択できないこと

 そうした“規範”としてJIS漢字コードをみる人々にとっては、83JISの変更以外にも“問題点”とうつる部分があった。たとえば6,879文字を収録するJIS X 0208には、[檜・桧]や[桝・枡]や[兎・兔・菟・莵]など何組もの異体字がはいっており、これらのうちどれが“正しい”字体かということについて、情報交換用の工業規格であるJIS X 0208は判断をくだしていない。いや“くだせない”が正確か[*6]

 またJIS X 0208では、97JISから“どの字体とどの字体は同じ符号位置にふくまれるか”というルール、規格票にいう“包摂規準”が規定されるようになったのだが、これはとても広い範囲の字体の違いを認めている。その面的とも言えるひろがりのなかで具体的にどんな字形のフォントにするかは、規格の利用者(フォントベンダー)の判断にゆだねられているわけだ。
 もちろん、規格票には例示字体が掲載されているけれど、字体の“ゆれ”などという言葉もあるように、これは面的なひろがりをもつ字体のなかで、あえて点的でしかない字形を例示して、利用者の理解をたすけようというものだ。異体字と同じ理由で、JIS漢字コードではどれが標準的な字体かという判断はくだしていない。

 私自身は、文部科学省が83JISによる混乱をおさめようと乗りだしたこと自体は歓迎したい。むしろ遅すぎると言ってもよいくらいだ。しかし表外漢字字体表が、JIS漢字コードの例示字体すべてについて“標準=規範”を指図しようというものだとすれば、それは新たな混乱をおこすものでしかないと思う。

 なぜなら、真の問題はJIS X 0208に“規範”がないことではないからだ。そもそもが文字コードにとって“規範”は無縁なもの。“規範”にある文字もない文字も、世の中に使われている文字なら、等しく使うことができるようにするのが工業規格である文字コードの責務だ。だから異体字が多くふくまれているという“問題点”は、文字コードが本来持っている“性質”でしかなく、これ自体は混乱でもなんでもないのだ。
 おわかりだろうか? 本当の混乱は、1983年改正によってJIS X 0208が伝統的な字体を選択できなくしてしまい、結果としてユーザーにそのような選択を押しつけることになってしまった点にあると私は考える。
 繰り返すが、これは“規範”とは切り離して考えるべき規格内部の問題だ。前回で私が公開した『表外漢字字体表とJIS漢字コードの対応表』で明らかなように、表外漢字字体表1,022文字のうち約80%の文字はJIS X 0208の例示字体そのもので、残りの文字も多くが微細なデザイン差しかないという事実をよく考える必要がある。
 JIS X 0213までひろげて考えれば、本当に表外漢字字体表という“規範”を必要とする字体は数十文字に限られる。たとえば83JISで問題になった略字体と対応する伝統的な字体までJIS X 0213は収録している。そういう状況のなかでJIS漢字コードすべてに無理矢理“規範”を適用しようとすれば、おこるのは新たな混乱でしかないだろう。

 すこし結論を先取りしすぎたようだ。ともあれ、昨年末に第22期国語審議会が最終答申した表外漢字字体表は、言葉と文字をつかさどる文部科学省として、これらの“混乱”をおさめようという意志のあらわれだったといえる。しかし、これは一朝一夕に作られたものではない。すこし時間をさかのぼって成立の過程をみてみることにしよう。

●表外漢字字体表のスタートは10年前

 話は今から10年ほどまえ、1991年9月5日にさかのぼる。この日、第19期国語審議会の最初の総会がひらかれた。
 それ以前の国語審議会は25年間にわたって、当用漢字の音訓表や送りがなのつけ方の改訂、あるいは当用漢字表を常用漢字表としてバージョンアップさせること、さらには現代かなづかいの改訂など、1946年の当用漢字表にはじまった戦後国語改革の見直し作業を、営々と続けてきたのだった。
 これらの大きな懸案が一段落したあと、ではどんな国語政策をとるべきなのか? それを考え整理するのが、この第19期国語審議会の課題だった。つまりこの期は、ちょうど何度目かの国語政策の曲がり角にあたる、重要な期だったといえるだろう。

 この第1回総会の最初に、文化庁長官から予定されている審議事項がおおざっぱに説明された。いくつもあげられた項目のなかに、つぎのような部分がある。

(前略)もう一つの問題は、ワープロをはじめとする情報機器の発達の問題である。ワープロは大変便利であって、私どもも使っているが、ワープロを使うと、書いた文章に漢字がどうしても多くなってくるわけである。ワープロに内蔵されている辞書の漢字の問題、字体の問題もある。それから、自分で実際に書く、文章を作るという能力も――このごろのワープロは進歩していて、ちゃんと作ってくれたりしてしまうので、個人の国語能力に対して何らかの影響を及ぼしているのではないかといったようなことがある。
 そんなことが、情報機器の問題として議論になるところかと思われる。 (国語審議会報告書19 1993年 文化庁 p.30)

 これが、文字コードの問題が国語審議会の正式な議題として取り上げられた最初だった。しかしこのなかには、日本語の表現する力が、コンピューターによってどのような影響をうけるかという問題と、実際のコンピューターの実装の問題が、まだ混在して語られている。これだけをみたら、この発言がのちの表外漢字字体表につながるとは考えにくいが、たとえばこの前の第18期、1990年6月27日の第5回総会でされた、以下のような発言を重ねあわせると、もう少しくっきりしてくるかもしれない。

関口委員 (前略)実は現在新聞協会の用語懇談会では、人名漢字の問題をやっている。したがって、この外来語の問題とは全く関係はないとは思うけれども、漢字の字体の問題で非常に苦労しているということがある。
 常用漢字は文部省、人名漢字は法務省、JIS漢字は通産省、そういうことのために、字体――字のデザインだけれども、これが微妙なところで違っている。これは是非いつか国語審議会の席で、何か統一できるような具合にしていただきたいと思う。それが一つである。 (国語国字の根本問題 渡部晋太郎 1995年 新風書房 p.639より、国語審議会報告書18 p.131を孫引き)

 さきの文化庁長官の第19期第1回総会の説明は、上のような発言をはじめとして、いくつかの問題意識を下敷きにし、“情報機器の問題”として一つにまとめたものなのだろう。(次回へ続く)

[*1]……この問題については『bit別冊 インターネット時代の文字コード』(共立出版 2001年4月)掲載の、小池和夫「出版と文字コード」p.81~82を参照していただきたい。同氏の指摘をもとに私は『特別編第9回 国語審議会への手紙・下/表外字体案への対応がまねくJIS文字コードの混乱』(http://internet.watch.impress.co.jp/www/column/ogata/special9.htm)の、表6「JIS X 0208が表外字体案に対応すると、JIS X 0221との変換表作成に問題が出そうな文字」を作成した。ちなみに小池氏は新JCS委員メンバーでもある。

[*2]……私が表外漢字字体表について、どのように考えているかは『拝啓 国語審議会の皆さん』(http://internet.watch.impress.co.jp/www/column/ogata/letter.pdf)を参照してほしい。この中で私は「不必要に文字コードをいじるな」という提言をしている。

[*3]……これは私がでっちあげた架空の“主張”だが、たとえば作家、島田雅彦の次のような発言を掲げておこう。
(※引用者註/日本文藝家協会で実施した“パソコン等でどのような文字が出ないか”というアンケート結果の報告後)
 ただアンケート結果が万全じゃないから、集計結果を示して、ここにある漢字を全部書けるようにしろというだけじゃ、まだ足りないわけですね。どんな漢字が他と区別され、独立した一つの文字として認識されるべきなのか、それを決める基準は何なのか、考えてみなければしょうがないわけですよ。
 そうなると、「活字」が一つの拠り所になるだろう。文字文化を守れっていういい方は、非常に曖昧な主張になってしまう。すべての漢字をという主張もまた難しい。つまり、何をいわんとしているのか、特にデジタル的な頭をもった技術屋にはわからないだろう。
『電脳文化と漢字のゆくえ』(平凡社 1998年1月)所収座談会「〈私〉の言い分、〈私たち〉の望む明日」p.75~74
 もうひとつ、これは高島俊夫の『週刊文春』連載エッセイをまとめた単行本から。
 個人が手紙などにこういう字を書くのならまだいい。ところがJISの作った字はパソコンやワープロにくみこまれる。これらの機械を作って文章を書く人は、無意識のうちにこうしたウソ字を使わされてしまう。
(中略)
 このJISというやつはいったい何者なんだ。辞書をひくと、(中略)なるほどパソコンやワープロは「鉱工業品」だろうが、なんでそんな工業団体に、勝手に文字を作る権限があるのだ。
『お言葉ですが…「それはされおき」の巻』(高島俊夫 1998年1月 文藝春秋p.272~273)
 このような自分の知識不足によるむきだしの差別が、筆名高い人々により表明されたことを、私は終生忘れないと思う。

[*4]……対応する伝統的字体をあらたに収録したうえで、従来あった略字体の方の符号位置といれかえた[堯・尭][槇・槙][遙・遥][瑤・瑶]の4組をふくむ。

[*5]……私が現在まで聞いたうち、もっとも説得力があったのは以下のような説だ。83JISは第1水準を常用漢字の字体で統一し、整合性をとるという目標があった。これは、1983年当時のプリンターはまだ第2水準はオプション部品でしかなく、78JISでは第1水準の字体が不整合であった点が改正されるべき課題と考えられた事情による。

[*6]……現行の97JIS規格票には、冒頭「1.適用範囲」として、以下のように明言されている。
 この漢字集合は、主として、データ処理システムと関連する装置との間及びデータ通信システム間での情報交換用とする。この漢字集合は、データ処理及び文書処理でも利用できる。
 この漢字集合は、これらの用途にだけ適用するものであって、それ以外の一般の日本語の表記などについて、何らの基準を与えるものでも、制限を与えるものでもない。(p.5)

(2001/6/13)

[Reported by 小形克宏]

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