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■URL
http://www.philzimmermann.com/news-PGP_10thAnniversary.shtml
http://web.mit.edu/prz/
Philip Zimmermann氏 |
暗号ソフトPGPが発表されてから6月6日でちょうど10周年を迎えた。これを機にPGPの作者のPhilip Zimmermann氏はニュースグループ「comp.security.pgp.announce」などにコメントを寄せ、このソフトを開発してからの経緯を回想した。
それによるとZimmermann氏は、1991年6月6日にPGPの最初のバージョンをAllan Hoeltje氏に送り、彼が草の根政治組織の応援するISPであるPeacenetにこれを投稿した。Zimmermann氏自身もまた反核運動に携わっていた経歴を持つ。さらにZimmermann氏はKelly Goen氏にこれを送り、彼はUsenetのニュースグループにこれを投稿した。その時にZimmermann氏は「US Only」と明記するよう頼んだのだが、実際のところそのような表記は意味をなすはずもなかった。Zimmermann氏は「その時ニュースグループというものがいったい何なのかということすら知らなかったのだ」と当時を振り返る。
また、PGPの公開を一時期やめようと考えたことも明らかになった。Zimmermann氏はPGPの開発を進めていた時に、米暗号大手RSA Security社などが推進していたもうひとつの暗号化規格「PEM」の存在を全く知らなかったのだという。PGPを公開しようと思っていた一週間ほど前にPEMの存在を知り、PEMに押しつぶされてしまうだろうと思い公開するのやめようかと思ったという。しかし暗号の強度や設計に関してPGPの方が優れていると自信を持ち直し、公開に踏み切った。
Zimmermann氏は、当初PGPを余暇としてやっていけるだろうと考えていたが、公開するやボランティアが世界中からやってきてさまざまなプラットホームに移植したり、機能を追加したり、宣伝をしたりし始めた。結局Zimmermann氏はPGPのためにずいぶん時間を割かざるを得なくなった。
米国の司法当局がPGPに実際に関心を持ち始めたのはPGP2.0のリリースの少し後だという。その後Zimmermann氏は米国の暗号輸出規制に違反したとして召還されることになるのだが、最終的にはこのことが契機となり、米国の暗号輸出規制が緩和される結果になったのだった。
PGPは現在Open PGPとして活動が継続されており、現在10年の企業が「Open PGP Alliance」に加盟している。Open PGP Allianceが結成された時には、暗号化ソフトやPGPにおいて最も大きな影響力を持つNAIが加盟していなかったのだが、同社は5月30日にOpen PGP Allianceに加盟することを発表した。これによりほぼすべての主要な暗号メーカーがOpen PGPを推進することになり、暗号の互換性が確保され、メールで普通に利用されるようになる日も近いのかもしれない。
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(2001/6/11)
[Reported by taiga@scientist.com]