■URL
http://www.jken.biz/
http://www.kids.recruit.co.jp/bmail/
http://www.bottlemail.jp/ (準備中)
2002年3月25日に惜しまれつつもサービスを終了したコミュニケーションサービス「ボトルメール」が6月頃に復活する運びとなった。運営母体は、株式会社リクルートから、「ボトルメール」の生みの親である永井義人氏を中心とするボランティアスタッフの手に委ねられるが、新機能が追加されるなど、新しく生まれ変わる模様だ。
「ボトルメール」は、リクルートの研究開発機関だったメディアデザインセンター(MDC)が運営を行なっていた。しかし、リクルート本体が得意分野へと事業を集約していく中で、2001年10月頃にはMDCも閉鎖の方向に進んだ(MDCは2002年3月末に閉鎖している)。この流れに対して、永井氏らボトルメールのスタッフ(6名+開発パートナー2名)は、サービス存続に向けて活動を開始する。
●ボトルメール復活までの道のり
「もともとコミュニケーションのあり方や、インターネット広告の可能性に関する実験プロジェクトだったので、ボトルメールにビジネス性はありませんでした」と永井氏は語る。スタッフは、リクルート本体での運営継続を打診したが結果は芳しくなく、また複数の大手ISPに話を持っていっても良い返事は貰えなかった。永井氏は、「結局、2002年1月の第2週に、最後の企業からも断りの連絡があり、進退窮まった状態になりました。ユーザーへの告知期間も考慮して、この時点で“営業活動”を終了しました」と当時を振り返る。「この時点では、スタッフが運営を継続しても一時的な延命処置にしかならないと思っていました。サービスが悪化してジリ貧になるのは嫌だったので、すっぱりと終了の道を選びました」と永井氏は続けた。
1月22日にサービス終了の告知がされると、ボトルメールユーザーの中で存続に向けた活動が開始された。サイト「ボトルメールの存続を願う会( http://www.kowaremono.com/bottle/ )」は、そのポータル的な役割を担った。掲示板やメールで、多くのユーザーの声がスタッフに届けられたが、その大半は「やめないで」という切実な願いだった。「“金返せ”という声は非常に少なかったのが印象的でした。一部にはそういう意見もありましたが、それは悔しくて、悲しくて、どうしようもなくなって出てきた言葉のように感じました」と永井氏は言う。ボトルメールユーザーの中には、サービスの譲渡を自分の会社に求める人までいたという。
打ちのめされていたスタッフだったが、掲示板に書き込まれた、とある投稿を読んで、「よし、ボトルメールを会社から買い取ろう!」と決意する。それは、「ボトルメールには代替サービスがなく、私達はこれからどうなるんでしょうか?」というものだった。永井氏は、「『品質を落としてまで存続させたくない』と格好つけているとボトルメールがなくなってしまうことに気が付きました。ユーザーに迷惑がかかるかもしれませんし、1年しか持たないかもしれませんが、なんとかしてみよう」と思ったという。
その結果、デザイナーの自宅にサーバーを設置し、Bフレッツ回線を引いてサービスを継続することになった。「退職金を使って、ボトルメールの権利や商標一切を、リクルートから外車が買える以上の金額で買い取りました。リクルートは賛成もしなければ、反対もしないスタンスで、妥当な金額で譲渡に応じてくれました」と永井氏は語る。
●復活するのは「ボトルメールBB」!?
折からの常時接続環境の普及は、ボトルメールの復活を後押しした。永井氏は「ボトルメールは、常時接続環境でこそ面白さを増すソフトです。そこで、復活にあたり新プロトコルを実装し、ブロードバンド版ボトルメールに進化させました」という。なお、Windows XP版や、MacOS X版の開発も行なっている。
従来のボトルメールでは、1通メールを出すと1通戻ってくる仕組みになっていた。ところが、この仕掛けが「ポストすることに対する壁」を築いてしまった。「ボトルメールを開始したユーザーが、さらっとした落書き風のメールを出すとします。ところが、戻ってきたメールが立派なイラストだったとしたら、次のメールを出すのに萎縮してしまう可能性がありました。また反対に、一生懸命描いたメールの返事が落書きだったら、がっかりしてしまいます。クリエイターが有利という点で、ポストの仕方に壁がありました」と永井氏は語る。
そこで、従来版では「メールを受け取ってアルバムに保存する」か、「メールを破棄する」という2種類だった機能を、「受け取ったものを再びネットの海に流す(リポスト)」「メールを保存する」「メールを破棄する」の3種類にした。永井氏は、「むしろリポストすることを前提としています。1通も自分でメールを描かなくても、受け取ったメールをリポストすることでボトルメールに参加できるようにしました。イメージ的には、元手がかからなくなった感じです」という。こうすることで、「受け取ることの楽しさ」を前面に押し出し、ライトユーザー層を拡大を目指す。
一方、ヘビーユーザー向けの機能変更も施される。「スタッフでは、30通くらいメールを受け取れば、やめるんじゃないかと予想していました」と永井氏は言うが、実際にはアルバムに1,000通以上溜め込んだユーザー層も存在した。そこで、従来から要望が高かったアルバムの整理機能を実装した。これまでメールを時系列にしか保存・閲覧できなかったものを、フォルダを自由に作ることでさまざまな利用ができるようにしたものだ。
また、料金体系も新しくなった。従来のボトルメールはシェアウェア代として500円を支払えば、使い放題の利用体系だった。新たなボトルメールでは、年額3,000円、もしくは月額300円が課金される(試用期間72時間あり)。支払い方法は、クレジットカードかWebMoneyだが、「リクルートの後ろ盾がなくなった途端、カード会社の審査が厳しい」と永井氏は苦笑する。
先述のWebサイトで月額300円の是非を調査したところ、6割が反対に回った。永井氏はこれについて、「ボトルメールの総ユーザー数は10万人でしたが、レジスト料金を支払ってくれたのは2万5,000人ほどです。このうち、4割のユーザー、つまり1万人が月額300円を支持してくれたと考えています」と語る。また、「Bフレッツの回線代だけならば、月額100円で十分だと思います。ですが、ソフトウェアのバージョンアップ費用だとか、個人持ち出しで運営してくれているスタッフへの焼肉代くらいは捻出したいです」といい、「将来的にはちゃんとしたホスティングができるようにお金をストックしたいと思います。簡単なバックアップ体制やUPSなどは設置していますが、今、サーバーを置いている近所は木造住宅が密集しているところで、火事があったら怖いんです」と笑う。
●「ボトルメール」は幼年期の終わりから、社会に向けて独り立ちする
MDC時代には、研究目的ということもあり、積極的な広告・宣伝ができずにいた。しかし、研究テーマの一つにインターネット広告のあり方があり、ボトルメール自体には動画広告やプッシュ広告、ユーザーのOSやその他の属性に応じた広告表示などができる機能が実装されていた。「実際に広告として使われたことはないんですが、クリスマス仕様にしたことがありました。浜辺にクリスマスツリーを表示したんですが、そのイルミネーションが赤く光っているときはユニセフのサイトへ、青く光っている時はISIZEのクリスマス特集ページにリンクするなど、カスタマイズの幅は広いんです」という。
ユーザーからは“カンパ”の話も持ち上がったという。しかし、永井氏は「ユーザーからカンパを頂いたら、その利用明細を開示しなければいけないと思います。また、貰ったお金は自由に使いづらい。だから、責任がもてる形を模索するということで、同じ3,000円を貰うにしても、対価としてオリジナルTシャツを販売するといったことを考えています。もちろん、このTシャツを着て街を歩いてもらうことで、ユーザーが広告塔の役割を果たしてくれることを期待しています」とコメントした。
リクルートからは、商標も譲り受けた。ところが、家庭用携帯ゲーム機や、iアプリなどで「ボトルメール」の名称が使われたり、個人サイトでの“無邪気な商標侵害”などの対応に追われているという。「ボトルメールは、知る人ぞ知るサービスというか、これが商標だという認識までには至らないみたいです」と永井氏は苦笑する。
最後に永井氏は、「ボトルメールには野望があります。それは、ボトルメールが一般名詞として社会に受け入れられたいということです。今までは、研究目的でビジネスを考えなくてもよかったわけですが、それは、リクルートという親に守られた赤ん坊のような存在でした。ボトルメールは幼年期の終わりに来ています。これからは、社会に対して独り立ちしていきたい」と語った。
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(2002/4/23)
[Reported by okada-d@impress.co.jp]