Dr.Sunaのインターネット技術最前線レポート

「Dr.Suna」こと砂原秀樹氏は、奈良先端科学技術大学院大学の情報科学センター助教授であるとともにWIDEプロジェクトのボードメンバーとして、インターネットの研究に従事されています。今回、米国のスタンフォード大学に1カ月間滞在されるということで、氏の研究テーマの1つである「モバイルインターネットワーキング」に関連した「Mobile-IP」について、3回にわたって現地から紹介していただくことにしました。
(編集部)


Mobile-IPっていったい何者? スタンフォード大編(その1) (97/11/07)

Stanford Univ.

 インターネットは、常に成長を続けているネットワークです。これは、規模という意味だけでなく、技術としても新たな技術を取り込み続けています。このコラムでは、インターネットの最新技術動向について、分かりやすくお話していくことにしたいと思います。

 さて今回の話題ですが……、実は今僕は1カ月の予定で米国カリフォルニア州パロアルト(シリコンバレーの中です)にあるスタンフォード大学に来ています。スタンフォード大学はつい先日ノーベル経済学賞(Myron Scholes教授)ノーベル物理学賞(Steven Chu教授)の2人の受賞者を同時に出したことからも分かるように、米国では常にトップクラスに入る総合大学です。コンピュータ関連の分野でも最先端の大学の1つで、たとえばあのSunワークステーションはここから誕生したのです(SUNはStanford University Networkの略)。僕がお邪魔しているのは、この中のMosquitoNetグループでモバイルネットワークの研究グループです。というわけで、今回から3回にわたってインターネットのモバイル環境についてお話していくことにしたいと思います。


 コンピュータの小型化に伴い、人間とともに移動していくコンピュータの登場は、人間の生活形態をも変えつつあります。ラップトップやノート型コンピュータだけでなく、PDA、さらにはウェアラブルコンピュータ(つまりコンピュータを着てしまおうという意味。MITなどで盛んに研究されている)に至るまで、人間とコンピュータは一体として移動していくという前提が生まれつつあります。そして、これらのコンピュータは単独で利用されるのではなく、同時に世界中に広まったインターネットに接続され、インターネットの情報を人間は持ち歩くという状況が生まれつつあるわけです。

 しかし、現在のインターネットは'70年代後半から'80年代に設計されたもので、コンピュータがネットワーク上を移動していくということはまったく考慮されていませんでした。最大の問題点は、実はIPアドレスにあります。

 IPアドレスとは、インターネットに接続されたコンピュータを識別するための番号です。原則としてある番号が与えられたコンピュータはインターネット上に1つしかないようにコントロールされています。このIPアドレス、現在は32bitの整数となっており、これを8bitずつに分割した4つの数字(なぜか十進数)を「.」(ドット)でつなげた形式で表記されます。つまり、以下に示す32bitの2進数は、

1000 0010 1001 1001 0000 1000 0000 0111
130 . 153 . 8 . 7

のように表記されることになります。ところで、IPアドレスが単にコンピュータを区別するためだけに用いられているならば、どこへコンピュータを移動させても特に問題は発生しませんでした。しかし、IPアドレスは単にコンピュータを区別するだけでなく、もう1つの役割が与えられているのです。

 たとえば、「130.153.X.XというIPアドレスは電気通信大学」であるとか、「163.221.X.XというIPアドレスは奈良先端大」であるとかいう話を聞いたことが無いでしょうか? これは、同じIPアドレスを持つコンピュータがインターネット上に無いことを保証するために、IPアドレスを何個かまとめて組織に割り当て、各組識で割り当てられたIPアドレスの中からそれぞれのコンピュータに割り当てを行なっていることに理由があります。これは、IPアドレスがコンピュータの接続されている「場所」を示していることを意味しています。

 ちょっとややこしい話になりますが、コンピュータは自分が通信する相手にどうやって到達するかという道筋を見つける手順として経路制御という処理をインターネットでは行なっています。このときに、IPアドレスが示す「場所」を手がかりに、どちら方向に進めば良いのかを見つけながら目的地にデータが到達するように制御されているのです。つまり、基本的にコンピュータが移動したらその場所を示す新しいIPアドレスを再度設定しない限り、そのコンピュータは誰とも通信ができないということになってしまうわけです。

 では、コンピュータが移動していく先々でその都度新しいIPアドレスを割り当ててもらい、それを使えばいいではないかと考えることもできます。たとえば、ダイアルアップIP接続で用いられるPPPでは、IPアドレスをアクセスポイントに応じて割り当てています。また、最近Windows95などで用いられているDHCP(Dynamic Host Configuration Protocol)も、自動的にその「場所」に応じたIPアドレスを割り当てる仕組みとなっています。

 しかし、良く考えてみてください。モバイル環境では、移動するコンピュータはそれを持つ人間を識別するためにも用いられるようになってきます。つまり、携帯型コンピュータを利用する人の権限を意味するようになってくるわけです。しかし、IPアドレスが接続される場所によって変化してしまうのでは、「こっちにいたこのコンピュータと、あっちに現われたあのコンピュータは同じものか否か」というときに、困ることになるわけです(セキュリティの問題はIPアドレスだけでは解決できないのですが、最低条件ではあるわけです)。したがって、IPアドレスを変化させずに移動したコンピュータと通信を行なう仕組みが必要となってくるのです。これが、「Mobile-IP」と呼ばれるプロトコルです。

 次回は、Mobile-IPの基本的な仕組みについてお話します。


◆オマケ

 難しい話が続いたので、ちょっと息抜きを!!

Room

 今回は、スタンフォード大の学生環境について紹介してみましょう。僕がいる場所は、研究室なので基本的に大学院の学生ですが、2名から4名(部屋の広さによる)で1部屋を共有しています。机の上には1人1台ずつコンピュータが置かれ、電話もちゃんと完備しています。コンピュータは、研究グループごとに機種やオペレーティングシステムを決めているようですが、最近はほとんどPCにLinuxやFreeBSD、WindowsNTという状況のようです。僕がお邪魔しているMosquitoNetグループではLinux(Red Hatが使われている)を使っており、この上にMobile-IPを実装しているという状況です。これ以外にファイルサーバーなど共用の機器が用意されているようです(ファイルサーバーはAFSという仕組みが用いられています)が、どうも主力は机の上のPCに移行しているようです(MosquitoNetグループでも、机の上に配備されたマシンのディスクをみんなで共有しているという状況だったりします)。ちなみに、Windowsを使っているグループでも、実際に使っているのはUNIXマシンのようで、Windowsは単なるX Windowsのサーバーとして機能していることが多いようです。

 さて、こういう環境で学生達はどういう生活をしているのかですが……。どうもコンピュータハッカーの集団というと、夜な夜な怪しいことをやっているように思いがちですが、彼らは結構規則正しい生活をしており、だいたい朝の10時には大学に現われて夕方5時には帰宅するという生活のようです(だから、夕方は学内でも交通渋滞が起こっています)。

Shuttle Bus

 というわけで、ここでも変な生活をしているのは日本人だけだったりします。ただ、大学にいる間の様子は日本とは違っており、ラウンジでディスカッションをしていたり(ラウンジがあること自体が日本と違ったりしていますが)、屋根裏のような場所に置かれたソファーに寝転んで論文を読んでいたりと、自由気ままに生活しているようです。隣にいる学生はPCの上にDiabloのCD-ROMとかを置いていますから、時間によってはゲームをやっているのかもしれません。ちなみに、研究室のミーティングも自由な雰囲気で、いつも月曜日のお昼に行なわれるのですが、ベーグルやピザを食べながらわいわいやっています。

 スタンフォード大は総合大学であり、非常に巨大なキャンパス(学内にショッピングセンターがあるくらいで、学内を移動するためのシャトルバスが運行されています)ですので、他の学部の学生達がどんな様子かは分わかりませんが、概してカリフォルニア特有ののんびりした雰囲気につつまれています。とても、全米トップ10に入る大学という緊張感はありません。

[Reported by suna@wide.ad.jp]


スタンフォード大編(その2)


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