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産経新聞社 政治部記者 阿比留瑠比氏。産経新聞社の方針で記者にブログを書かせることになり、そのひとりに選ばれたことからブログをはじめた
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2月20日にブログコンテスト「アルファブロガー・アワード2008:ブログ記事大賞」の結果発表イベントが行われた。同アワードは、質の高いブロガーの発掘とブログの普及を目的としており、すでに多くのブロガーがアルファブロガーとして認知されるに至っている。
5回目となる今回はブログを選ぶのではなく、ブログの中の1記事が対象になっており、2008年12月24日から2月18日までの間に行われたオンライン投票によって、12の記事が選出された。そのうちの1つが「小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その一」である。
同記事はニュースサイト「イザ!」内で公開されている記者ブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」のエントリ。つまり、ブログを書いているのは現役の産経新聞政治部記者なのだ。
記事の内容は、民主党党首である小沢一郎氏の過去の言動を産経新聞の調査資料部の資料をもとに振り返るというもの。昭和44年の初当選時から阿比留氏の目にとまった発言が日付、掲載媒体名、小沢氏の当時の肩書きとともに紹介されており、執筆時点では「十三」までエントリーされている。全体的に優しい口調でまとめながらも、ところどころに政治記者としての自身の視点からの鋭いツッコミも入っており、それがまたエッセンスとなって読み手を惹きつけ、人気を博している。
今回はオーナーである阿比留瑠比氏に、アワード受賞の感想や、ブログをはじめたきっかけ、最近のマスコミ批判や、今後の記者のあり方について伺った。
● はじめるきっかけは会社からの指示
アルファブロガー・アワード受賞の感想をお伺いすると「このような偏った政治系ブログが選ばれるとは思っていなかったので驚きました」と語ってくれた。受賞記事のアクセス数が突出していたわけでもなく、記事をノミネートしてくださった方と面識があったわけでもない。
阿比留氏は「なぜ選んでくださったのかはわからない」としながらも、「最も次の総理の座に近いと見られていて、みなさんの関心があったのかもしれません」と分析する。
阿比留氏にとってのブログは、「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」が初めてだという。きっかけは会社からの指示だ。それまでは自分がブログを書くことすら想像もしていなかった。指名の理由について「そのときヒマそうに見えたこと、コラムっぽい記事を書くの好きだったからではないか」と冗談めいた口調で明かした。
記者ブログは、会社側の方針としてコメントはオープンにすることが条件づけられており、本業に差し障りがない限り、業務の一環として記事の執筆も認められている。しかしそれ以外は、完全に書き手に任されるというスタイルであり、これまでも書かれた記事に対して会社が口出ししたことは一切ないという。
● アンテナを張り巡らせて“記事ネタ”探し
記事のテーマは本業と平行して収集する。情報収集のための媒体として特定のものは持たず、自ら取材し、直接会って得た話を元にしている。同僚記者とのメール交換で得られた政治家の“オン”のコメントは用いることがあるが、いわゆる又聞きや確証のないものは使わない。
内容については、取材しながら「これはブログで書けるな」と随時判断しているという。新聞記事にするか、ブログに書くかこの切り分けについては「新聞記事というのは定型があり、1つの商品としての形を作らなくてはいけない。
その枠に入らないであろうとか、記事として商品化できるほどの内容はないかもしれないけれどおもしろいとか、さらにマニアックだと思う話などはブログ向けにする」と説明。
業務の一環として認められているため、書くタイミングも自由だ。仕事の合間に時間を見つけては記事を書き、書かれたコメントに目を通し、コメントを返していく。ただし、管理はすべて阿比留氏に委ねられているため、当然読者からの意見やクレームは書き手である阿比留氏自身が全て受け止めることになる。特にコメントに関しては、勤務時間を超えても対応している。
コメントを返すのは負担ではないかとの問いに「大いに負担です」と笑いながら即答した。「土日も『お父さんお仕事』といってコメントを数個書いて、また子どもと遊ぶなんてこともあります」というように、家族との時間も犠牲にしている。
時にはコメントの内容に傷つき、夜眠れなくなることがあるという。中には捏造や悪質な誹謗中傷などもあるため、その対応にも追われる。それでもコメント欄は開放している。そのため、これまでブログを止めたくなったことは何度もあるというが、記者として得られるものも多いので現在のスタイルを貫いているという。
● 記者ブログを通じて読者の目線に気づく
阿比留氏の中には「情報をもっとたくさんの人と共有したい」という考えがある。字数が限られた紙面や、時間の限られたテレビなどのメディアでは、当然伝えきれない情報も出てくる。「これはメディアのあり方にも関わってくるが」と前置きした上で「その中で伝えられることなんて微々たるもの」と指摘した。そこで、仕事などを通じて知り得た情報を共有する媒体として、ブログは有効だというのである。
とはいえ、通常新聞記者が読者と直接コミュニケーションを図り、真正面から批判を受け止めることは少ないだろう。そんな苦労をしてまで得られるものはなんだろうかという疑問がわいてくる。
ブログを通じた一番の発見は、マスメディアという“フィルター”をかけることが、読者にどのように受け取られているかがよくわかったことだという。阿比留氏がブログを始めて2~3カ月経った頃、小泉首相(当時)の靖国参拝に関する記者団とのぶら下がりインタビューを一問一答形式でブログに掲載した。「たまたま面白かったのでそのまま載せた」というが、その結果、読者から大きな反響があり「生の情報を教えてくれてありがとう」という感謝の言葉まで寄せられたのだ。
字数に制限のある新聞記事や、時間に限りのあるテレビではなかなかすべてを伝えることはできない。そこで、それぞれの枠にあったサイズにまで要約される。しかし、一般読者や国民にはそれが“特権をもつ人間による情報操作”に映ってしまう……そのような目線もあるのだということを、阿比留氏は肌で感じさせられたのだという。その後、ブログで試行錯誤していくうちに、会社側もネット上の媒体内に一問一答形式の記事を掲載するようになるなど、影響を与えるまでになっている。
また、「ブログを通じて読者の声やニーズがストレートにわかるようになり、それが非常に有意義」とも語る。かつて国籍法が話題になった際、読者から取り上げて欲しいという要望があったという。当初は担当外のテーマでもありあまり気にとめていなかったのだが、「これは重要だ」という熱心な書き込みが続き、最終的に阿比留氏が新聞紙面に記事を書くことになり、ブログでも取り上げるに至った。
これについて「読者の要望をなんでもストレートに受け入れていいとは思わないが、双方向の1つとして大事なことだと思う。ニーズに応えることがこの仕事なんだろうと思っている」と説明する。
さらに最近では、取材や執筆の際、読者の声を意識するようになり「顔はわからなくても、常連コメンテイターを思い浮かべながら記事を書くこともある」という。
● 新聞記者として感じる悩みやジレンマも
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新聞記者として記者の視点や考えをどのくらい示すか、あるいはひとつのネタを記事で取り上げるかブログにするかなど、悩みやジレンマを感じることも少なくないという
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とはいえ、ブログ運営はいいことばかりでもない。「1人の新聞記者として得したかというと、そうでもない部分もある」と苦笑する。第一に、取材相手がブログ読者の場合、取材しにくさが生じる。本来新聞記者は自分の個人的な意見やスタンスはあまり出さずに、相手の意見や考え方を引き出して取材する。ブログを通じて世間に対して自らのスタンスを明確にすることは、新聞記者として手足を縛ることにもなりかねない面もある。
また、一問一答の記事が注目を浴びたように、そのままの情報を見たいというニーズがある一方で、記者の視点や考えが大事だという意見もある。「自分の考え方を出さなければ面白くないだろうが、一方でオマエの考えなんかいらないという人もいる。誘導や偏向に対する批判に応えつつ、主張したり、視点を示すということもやらなくてはいけない。だからいつも困っている状態」と話す。
新聞記事として取り上げるか、ブログにするかという切り分けにも頭を悩ませることがある。以前ある機関に電話取材をしたが、結果的に紙面で書くほどでもなかった。しかしボツにするにはもったいない。そこで記者ブログに書いたところ「産経新聞の記者として取材を受けたのに、なぜブログに載るんだ」と抗議された。
「記者ブログは個人ブログだが、私が産経新聞の記者でなければ知り得ないことを書いているわけで、これはどう切り分けれはいいかというと正直わからないところもある。この辺はよくジレンマを感じる。今はまだなにもないが、やっているうちにスタンダードができあがるかもしれない」と打ち明けた。
● 記者は全員ブログを持ち、意見の受け皿にしてみては
阿比留氏自身、有名になりたかったわけではない。記者ブログを始めたおかげで世間に名前が知られるようになってしまった。
「本当言うと、社の影に隠れ、ひっそりと片隅で新聞記者やっていたほうが楽だった」と本音を漏らしつつも、「そのほうが楽かもしれないが、今後もそういうやり方がいいとは思っていない。殴られながらも前に出るしかないのかなという思いは以前からあった。こちらが批判を書く以上、歓迎はしないが批判されることも仕方ないと思っている」と言う。
インターネットの影響で既存のマスメディアが追い込まれている今、メディアも記者も変わらなくてはいけないというのが阿比留氏の考えだ。そのため、「更新頻度は各自に任せるにしても、記者全員がブログを持てばいいと思っている」と語る。ブログが自身の署名記事に関する意見の受け皿になり、どのように受け取られているかが実感できるからだ。
しかし、これまで阿比留氏が経験してきたことを考えれば、読者の意見を記者自らが受け止めるには相当の覚悟がいる。中には打たれ弱い記者もいるかもしれないのでは、という問いに「これはホントにキツイと思う。時には目をそらしたくなるが、受け入れなくてはいけないだろう」と述べた。
● マスメディア批判について「簡単に見放さないで」
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「マスコミ批判に対して、かなりの部分は当たっているし、実際、マスコミはおかしいと私自身が常に言い続けてきた」が、「簡単に見放さないで欲しい」という。内部から是正しようとしている人間がいるためだ
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インターネットが普及する前は、「新聞なんてどれも同じ」という感覚があったことは否定できない。しかし現在では同じ内容を扱う記事でも容易に読み比べできる。そこから媒体ごとにスタンスが異なるという点が明らかになっていった。また、従来は記事を読んでおかしいと感じてもリアクションを起こしにくかったが、現在は個人もブログなどを通じて積極的に意見を発信できる時代になっている。
このように個人レベルで情報収集・発信しやすくなったために、マスメディアに懐疑的、あるいは批判的な声が発信されるようになったのも事実だ。しかし、もしマスメディアが弱体化したら、発信された情報の質、量、信頼性を誰が担保するのかという問題があると同氏は指摘する。
「マスコミ批判に対して、かなりの部分は当たっているし、実際、マスコミはおかしいと私自身が常に言い続けてきた。マスコミはもっと国民の声を聞き、フィードバックさせながら記事を作っていくべきなのだ」という。それでも「全否定はせず、簡単に見放さないで欲しい」と訴える。内側から是正しようとする人間がいるためだ。
政治部の記者として、新聞記事を書きながら、叩かれるのを承知で記者ブログも書く。できるだけ読者の声に沿いたいと考えるが、ルールがあるわけではない。会社から指示があるわけでもない。ただ、実名ブログのため「同僚記者に迷惑がかからないように」というのがルールといえばルールだ。
この状況について「実験台に徹している」という。まだまだ試行錯誤は続くが、結果は分からない。「先駆けといえるほどではないが、たまたまそういう役目になったので、記者としては不利になるかもしれないが、徹底的にその役を演じ、思った通りに書いてみよう」と考えている。そのうち何かが見えてくるかもしれないからという。
お話を伺っている最中、「私がこんなに苦しんでるとは、会社の人たちは誰も知らないんですが」「社内ではただのキワモノだと思われてるんじゃないですか」など、淡々とした口調ながらも自虐的な発言が飛び出し、孤軍奮闘の大変さが垣間見えた。そんな中でのアワード受賞という吉報だ。ブログで報告したところ、読者からお祝いの言葉をかけられ、同時に励まされたという。「私もたまに励ましてもらわないと」と言って、はにかみがちに笑った。
関連情報
■URL
国を憂い、われとわが身を甘やかすの記(阿比留記者のブログ)
http://abirur.iza.ne.jp/blog/
MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/
( すずまり )
2009/04/14 11:07
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