社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)は、デジタル著作物の権利保護を目的とした公益法人だが、著作権の啓発・普及活動を行うにあたって“情報モラル”の重要性を訴えている。情報モラルとは何なのか? それを子どもたちに理解させるにはどうすればいいのか? ACCS専務理事の久保田裕氏に聞いた。
● “ルール”と“モラル”の違いとは
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社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)専務理事の久保田裕氏
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「情報モラルという言葉は1987年、文部省の臨時教育審議会最終答申で使われたのが最初とされていますが、定義は何もありませんでした。そこで、ACCSは、情報モラルとは何であるかを独自に考えてきました。」
現在、ACCSは情報モラルを「情報社会において安全・適切に活動をするために私たちが身に付けるべき知識と行動」と定義している。「この“モラル”という部分が大事」と久保田氏は強調する。“ルール”ではなく“モラル”なのだ。
「ルールとモラルは別物なので、取り違えてはいけません。ルールにはそれを守らなければペナルティがあります。一方、モラルはそれを守らなくてもペナルティはない。しかし、守ることによって生活を豊かにするものです。」
久保田氏は、学校の先生が著作権教育について話すとき「(著作権法違反を)厳罰化してくれたら、指導しやすいのに」という発言を多く聞くというが、「これはおかしい」と指摘する。
「ルールが厳しくなったからと言って、『それを守らなければならない』という意識が働くかどうかは別問題です。ルールは時代に応じて変えるべきでしょうが、それを守るという意識を支えるモラルやマナーを、まず身に付けるよう教育すべきではないでしょうか。」
つまり、「ルールを厳しくすることに応じて情報に対する接し方を厳格化させようという動きがあるが、本当はモラルやマナーを身に付けさせて、自分で判断できる子どもたちを育てるべきではないか」というのだ。
● 著作権は作り手の感情も保護するもの
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2007年8月23日に開催された前回の「親と子の著作権教室」の様子。今年は8月28日に予定しており、参加者を募集中
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「コピー自体がいけないのではなく、許諾を取らずにコピーすることがいけない」という久保田氏だが、これは著作権者への対価という意味にとどまらない。「著作権の人格権部分(著作者人格権)」の問題であり、「作り手側の人格権部分はおろそかにしてはいけない」と久保田氏は考える。
著作権についての考え方は国によって異なるが、日本の著作権はドイツ法を参考にした「人格権が入った権利」だという。著作物の質は問わず、5歳の子どもの絵にも7歳の子どもの作文にも著作者人格権――つまり作者の意に反して著作物を改変されないなどの権利があるとの考え方だ。久保田氏はこの部分を気に入っている。
「財産権の話を子どもにしてもわからないが、人格権の話をするとわかる。誰でも自分の書いたものを勝手に変えられたくないということはわかるからだ」という話をよく耳にするが、これには久保田氏も同意している。
ACCSでは毎年、夏休みに小学生と保護者を対象に「親と子の著作権教室」を開催している。この中で、子ども役に扮したスタッフが友だちの絵を勝手に書き換えるという内容の劇を上演しているが、子どもたちは「一生懸命作ったものを勝手に書き換えられるのは嫌だ」とすぐに理解し、著作者人格権の内容を心で受けとめてくれるという。
「子どもたちは、作文を書く時も隣を覗くし、絵を描く時も覗きます。子どもの頃、隠しながら作文や絵を書いていたという人は多いでしょう。なぜ隠すのかといえば、他人に見られると恥ずかしいという気持ちとともに、他人に真似されたくないからという気持ちも大きいでしょう。自分は他人と違い、他人も自分と違うから、理解し合う気持ちが必要であり敬意を払おうとする。そういう時こそ著作権に関する声かけのチャンスであり、子どもが理解するきっかけにつながると思います。子どもでも、感覚的にはモラルを持っています。そして、自分がパクったことやずるいことをしていることはわかっているはずなのです。」
なお、「意に反して」の「意」は、作者一人一人の意思を指す。たとえば、サザエさんとバカボンをコラボレーションした「サザエボン」に対して、バカボンの作者である故・赤塚不二夫氏はOKでも、サザエさんの出版社である姉妹社はこれを許さなかったりと、人によって違うのだ。
● 表現は、表現したいことありき
「今の子どもたちは、表現するツールはいっぱい持っているのに表現しない。伝えたいものがない人には、情報ツールを持たせても意味がない」と久保田氏は言う。そして、「情報がありすぎて、自分がどこにもないのが今の子どもたち」と久保田氏は危惧する。
「自分自身で考えているのか他人が考えているのか、わかっていないのだと思います。痛みとか、五感を使って発信するという前提が崩れて、情報をただパスしているだけになっています。『だよねー』という安心感だけでつながっている。それでは、言葉も人間関係も痩せていくだけ。ただ情報に使われてしまっているのです。」
情報モラルの根幹はコミュニケーションだが、単なるコミュニケーションは動物でもする。しかし、創作や工夫は人間しかしないものだ。ACCSの情報モラルは、創作という人間しか行わない行為の価値を土台に据えている。一方、便利なコミュニケーションツールが出てくればくるほどツールに依存してしまい、コミュニケーションが痩せていく側面もある。
「私はネットを使っていても、いつでも会って話そうというスタンス。直接会うのが基本でネットは応用なのに、逆に考えている人がいます。その勘違いがあるとおかしくなる。子どもたちに伝えたいのは、『大事なのはネットの向こうに人がいる』ということです。いい人に出会うのが一番で、次に、いい著作物に出会うことが大切。人との出会いで思いが蓄えられていくことが、情報を発信することにつながるのです。」
最近は中学生になると同時に携帯電話を持つ子どもが多い。そんな中で久保田氏は、ものを考える時間がとられてしまうと考え、自身の子どもには高校生になるまで携帯電話を持たせなかった。持つようになった今、子どもは「自分の時間がメールで邪魔されてとても迷惑だ」と感じることもあるようだという。自我が固まった後に持ち始めたからこそ、バランスよく携帯を活用し、携帯電話の向こうの他人に惑わされずに済んでいるのだろう。
「自転車を乗れるようになったらここまで、バイクを持ったらここまでというように、能力に合わせて行動範囲も広がるもの。ネットにはものすごい力があるのだから、当然それに見合った教育が必要なのです。それをしないで力だけ与えてはいけない。便利なものに頼るほど自分の頭で考えなくなる危険があり、自分がどこにいるかがわからなくなってしまいます。子どもに対して大人がやるべきなのは、まず子どもに自分で考えさせること。」
● DJ(ディスクジョッキー)体験で情報モラルを学ぶ
ACCSでは、主に中高生を対象とした著作権・情報モラル啓発活動として「Copyright Caravan / DJworkshop」というものを展開していた。ミニFM局システムを利用し、ラジオ番組を企画・制作・放送する体験授業を通して、情報モラルを身に付けてもらうのが目的だ。
子どもたちは、DJ(ディスクジョッキー)が番組をタイトルコールした後、あいさつや夏休みの体験などを話し、音楽を紹介するなど、取材をする過程で情報の信憑性について考えたり、差別用語を検討しながら番組作りを楽しむ。それと同時に、責任を持って情報を発信することの大切さ、そして情報をただ消費するだけではなく、自ら考えて発信する体験もできる。今後、子どもたちが成長する上で必要なもののヒントになるのではないだろうか。
子どもたちに、モラルを身に付けさせること。ネットという強力なものを与えるなら、それなりの教育をすること。そして、コミュニケーションツールを与える前に、自分がどう考えるのか、何を相手に伝えたいのか、ツールをどう活用するのかを自覚させること。これまで大人は、そのすべてを逆に行動してきてしまった。これからの時代、その反省を踏まえてどれだけの教育ができるかが問われているのかもしれない。
最後に、モラルは強制するものではないところが味噌だ。とりわけ、人の思想・信条や内心に関わる情報という柔らかくセンシティブなもの、そして管理になじまないものを扱うのだから。情報を扱うルール(法)で強制する部分は最小限とし、人々の見識にゆだねる時代が来ている。
関連情報
■URL
社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会
http://www2.accsjp.or.jp/
ACCS知財セミナー「親と子の著作権教室」(8月28日開催)
http://www2.accsjp.or.jp/seminar/
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高橋暁子(たかはし あきこ) 小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三笠書房)などの著作が多数ある。PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っている。 |
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