趣味のインターネット地図ウォッチ
第186回
Bluetooth Low Energyで測位して東京国立博物館を案内するアプリ
「トーハクなび」担当者インタビュー
(2014/5/1 06:00)
東京国立博物館と株式会社電通国際情報サービス(ISID)、クウジット株式会社は、同博物館のスマートフォン向けガイドアプリ「トーハクなび」をバージョンアップした。さまざまな屋内測位技術やセンシング技術を活用したこのアプリは、今回のバージョンアップによりiPhone版にもその機能を追加。これによりiPhoneとAndroidの両プラットフォームにおいて、位置情報と連動したコンテンツ配信が可能となった。今回は新たにリリースされたiPhone版をメインに使用感をレポートするとともに、担当者にこのアプリの開発経緯や進化したポイントなどを聞いた。
位置情報に連動したガイドコンテンツ
今回、話を伺ったのは、東京国立博物館学芸企画部博物館教育課長の小林牧氏と、アプリ開発や屋内測位システムの構築を行ったクウジットの取締役CTOである塩野崎敦氏。東京国立博物館による位置情報連動ガイドコンテンツの開発は、2010年1月21日~2月7日に実施した博物館展示ガイドソリューション「ロケーションアンプ for 法隆寺宝物館」の実証実験にさかのぼる。塩野崎氏は開発がスタートした2009年当時から、アプリ開発および測位システムの構築を手がけてきた。
「ロケーションアンプ for 法隆寺宝物館」は、法隆寺宝物館の館内において、無線LANの電波情報を使った測位技術「PlaceEngine」を利用して位置測位を行い、位置や方向に連動したガイドコンテンツを提供するという内容だった。この実証実験で使われた端末はiPhone 3GS。PlaceEngineは、現在はAndroid用しか提供されていないが、最初に提供したプラットフォームはiOSで、「ロケーションアンプ for 法隆寺宝物館」ではiPhone 3GSの貸し出しも行われた。
「当時、私どもが取り組んでいた“ロケーションアンプ”(位置情報と連動した情報配信により場所と空間を増幅させるという概念)の実験をする場がないかをいろいろと探していたところ、法隆寺宝物館にて期間限定で実施させていただくことになりました。この事業はクウジット側からの提案だったのですが、これをきっかけとして、今度は東京国立博物館側から声をかけていただき、博物館の2010年度の事業として本館をはじめ他の展示館に範囲を広げたガイドコンテンツの開発を請け負うことになりました。」(塩野崎氏)
この事業の成果として、翌年の2011年1月18日~4月17日、ガイドアプリ「トーハクなび」のAndroid版の貸出サービスを初代のXperiaを貸出端末として実施。さらに、2011年1月20日にはiPhone版「法隆寺宝物館ナビ」をApp Storeで一般向けに提供開始した。
その後、2012年4月にはISIDも参画し、東京国立博物館、クウジットを含めた3者で「トーハクなび共同研究プロジェクト」が再スタート。Androidアプリ「トーハクなび」がいよいよ一般公開される。
「2012年4月に一般公開したAndroid版の『トーハクなび』には、PlaceEngineを利用した位置情報連動機能とスタンプラリー機能を搭載しました。2013年1月にはこのアプリにAR機能を搭載しています。」(塩野崎氏)
Place Stickerの導入でピンポイントのコンテンツ再生が可能に
「トーハクなび」の位置情報連動機能は、屋内測位技術を用いてスマートフォンやタブレットを持った来館者の位置を特定し、各展示室に足を踏み入れると、展示室ごとに用意されたガイドコンテンツが自動的に再生されるという仕組みだ。アプリには「法隆寺宝物館コース」「東洋館コース」「平成館考古展示室コース」「建物めぐりコース」などさまざまなコースのガイドコンテンツが収録されているが、位置情報連動機能は現在のところ、「本館2階 日本美術の流れコース」に限られる。
コース一覧の画面からコースを選ぶと、コンテンツがダウンロードされる。コンテンツは容量が大きめ(1コース最大38MB)なので、あらかじめWi-Fi回線でダウンロードしておくのがおすすめだ。
Android版「トーハクなび」をリリースした当初は、コンテンツは展示室単位で再生されるだけだったが、2013年1月に「Place Sticker」という技術に対応したことにより、一部の展示物については、その展示物に限った詳しい解説を見られるようになった。Place StickerはISIDが開発した位置測位技術で、無線LAN基地局から発信された電波を測位に利用する。無線基地局の機能を、通信だけでなく低出力のビーコン送信に限定し、測位に適した電波を出せるように最適化したアンテナから出力させることにより、従来よりも狭い間隔で高精度の測位を実現している。
「展示室を検知するためにPlaceEngineを設置する一方で、Place Stickerでは、展示ケースの目の前に来た時にアプリが反応するように調整しました。これにより、通常のアクセスポイント(AP)ではできなかったことが可能となりました。実はこれと同じことを最初の法隆寺宝物館の時にも行っていたのですが、これは期間限定だからできたことで、アプリを公開して常設するとなると、APの設置場所が電源の取れる場所に制約されてしまうので、あとはソフトウェアでチューニングするという方法しか取れませんでした。Place Stickerの導入により、微弱に電波を発信するビーコンを戦略的に置くことができたので、ピンポイントにビデオを再生する仕掛けを実現できたのです。」(塩野崎氏)
BLEビーコンに対応したiPhone版「トーハクなび」
このようにAndroid版の「トーハクなび」については着々と進化を続けていたが、その一方でiPhone版については、位置情報連動機能を搭載したガイドアプリはリリースされなかった。もともと最初の法隆寺宝物館での実証実験で使われていた端末はiPhone 3GSで、このころはPlaceEngineをiOS上で利用することが可能だったが、その後、Appleによるポリシー変更のため、iOSではPlaceEngineが利用できなくなる。以後、2011年1月に公開した「法隆寺宝物館30分ナビ」や、2013年9月に公開した「トーハクなび(iOS Lite版)」などは、いずれも位置情報連動機能が未搭載のままだった。
今回公開された「トーハクなび」(ver2.0)のiOS版には、いよいよ位置情報連動機能が搭載された。コンテンツもAndroid版「トーハクなび」と同じとなり、位置情報に連動したコンテンツ再生などの挙動も同じだ。iPhone版での屋内測位技術は、Android版で使われているPlaceEngineおよびPlace Stickerではなく、iOS7から対応しているBLE(Bluetooth Low Energy)技術を使ったビーコンが使用されている。
「Lite版をリリースした2013年9月の時点では、まだBLEをどのように活用できるのか技術的に探っていた状態だったのですが、その翌月くらいから、iOS版もAndroid版とコンテンツを同じ内容にしようと検討を開始しまして、コンテンツを同じにするなら位置情報連動機能も盛り込みたい、ということでBLEの対応を図ることにしました。」(塩野崎氏)
BLEをソフトウェアに実装すること自体はそれほど難しくはなかったが、課題となったのがビーコンだ。今では低価格のBLEビーコンが国内でも出回ってきているが、当時は日本にはほとんど市場に流通していなかった。
「海外で発売されているビーコンは、技適(技術基準適合証明)マークが付いていないため、日本国内では使用できません。そこで、すでに技適の承認済みのBLEチップを用いて独自に回路設計し、ビーコンを自社開発しました。ハードウェアを独自開発するのは、クウジットでは初めてのことです。クウジットとしては、無線LAN測位だけでなく、いろいろなセンシング技術や測位技術を視野に入れて、それによって当社が目指している“空(Virtual)”と“実(Real)”をつなぐというビジョンを示したかったという思いがあります。」(塩野崎氏)
自社開発した基板にはUSBポートが搭載されており、温度センサーなども付けられるようにした。基板は小さな黒い小箱に収納し、マグネットで金属へ固定可能にした。BLEビーコンのチップはかなり省電力で、コイン電池1個で約1年間は無交換で運用できるので、メンテナンスコストがほとんどかからない。このBLEビーコンは現在のところ、本館2階に計24個が設置されている。
「基本的には入口付近と出口付近に1個ずつ置きますが、小さな角部屋の場合は1個の場合もあります。また、大きい部屋で、部屋の中央に立つと入口からも出口からも遠くなってしまうような場合は、中央付近にも配置します。また、Place Stickerによる一部の展示物におけるピンポイントでのコンテンツ再生についても、展示ケースが金属製のため、その下面にマグネットで貼り付けることにより簡単に実現できました。」(塩野崎氏)
PlaceEngineという無線LANによる測位技術を以前から展開してきたクウジットとしては、新たな技術として台頭しつつあるBLEを使った屋内測位について、実際に運用してみてどのような感想を抱いているのだろうか。
「BLEは無線LANに比べて、微弱な電波を発信可能で、信号も安定していると思います。また、電波の強弱の問題以外でも、例えば発信機側から10個の信号を出して、それを受信機側で10個きちんと受け取れたかということが確実に分かるので、測位には向いていると思いますし、無線LANよりも扱いやすい面が多いです。ボタン電池で運用できるほど低電力というのも、博物館のような空間に適用するには利便性が高いと思います。ただし無線LAN測位は、すでに無線LANのAPが設置されている施設において簡単に導入できるというメリットがありますので、双方の利点を生かして使い分けていけばいいのではないかと思います。」(塩野崎氏)
実際にiPhone版のガイドアプリを持って本館2階を巡ってみたところ、部屋に入るとガイドコンテンツが再生されて、その解説に沿って展示物を見て回れる。電波を発するタイミングのせいか、部屋によってはすぐに再生されず、再生までしばらく待たされることもあったが、隣の部屋のコンテンツが再生されるというような誤動作は基本的に起こらず、快適に鑑賞することができた。現在のところ、このような位置情報連動機能は本館2階でしか利用できないが、ほかのエリアについても利用可能となることを期待したい。
iPhone版のリリースでダウンロード数とバッジ交換数が急増
このほか、ガイドビデオとは別に「体験型コンテンツ」も用意されており、振って音を鳴らす仏具「金剛鈴」を端末を振ることで鳴らせるコンテンツや、漆で図柄を描いて金粉を蒔いて絵を描く「蒔絵」の体験コンテンツなども収録しており、楽しみながら展示物について理解を深められるように工夫されている。また、フロアごとの屋内地図も掲載されているので、インフォメーションセンターやエレベーター、トイレの位置などを確認できるようになっている。ただし、屋内地図で現在地を示す機能は現時点では搭載されていない。
今回、位置情報連動機能を搭載したiPhone版「トーハクなび」が登場したことにより、ユーザー側からも大きな反響が得られているという。
「4月15日に公開してから、24日までのiOS版のダウンロード数は、Lite版からのアップデートが2072件、新規ダウンロード件数が772件で、合計2844件となりました。同時期のAndroid版のダウンロード件数がアップデートと新規の合計で935件なので、これと比較するとiOS版のダウンロード件数が大きく上回っています。また、『トーハクなび』にはスタンプラリー機能が搭載されていて、3カ所のチェックポイントでスタンプを獲得した方には景品としてオリジナルバッジを差し上げているのですが、このバッジの交換数も、iPhone版のリリース後には大きく伸びています。これまでバッジの交換数は月平均で約17個だったのが、4月15日以降、42個の交換数を記録しています。Twitterの書き込みなどを見ても、iOSユーザーからの注目が高いことがよく分かります。」(小林氏)
PlaceEngineやPlace Stickerといった無線LAN測位技術に加えて、新たにBLE技術にも対応した「トーハクなび」は今後、どのように進化していくのだろうか。
「技術的には新しいものを次々にうまく導入していただいているので、これにどのようなコンテンツを追加していくかが今後の課題だと思います。日本美術は、定期的に短期間で頻繁に展示替えが行われるので、恒久的な展示ガイドを作ることがなかなかできません。そのように展示作品が次々に変わっていくのを、アプリによってうまくフォローしていきたいと思います。そうすることによって、より多くのお客さまにお使いいただきたい、というのが博物館の願いです。」(小林氏)