“情報化時代”に追いつけるか?
審議が進む「新常用漢字表(仮)」

「改定常用漢字表」では、「鬱」などの「打つ漢字」も追加へ


「改定常用漢字表」の第2次パブリックコメントが始まった

 かねて審議が進められてきた常用漢字表の改定作業だが、いよいよ大詰めというべき段階を迎えようとしている。11月25日、文化庁は今年3月以来、2度目となるパブリックコメントの募集を開始した。締め切りは12月24日。第2次試案の案文そのものや、応募の詳細は下記から入手できる。

「改定常用漢字表」に関する試案(PDF)
http://www.bunka.go.jp/oshirase_koubo_saiyou/2009/pdf/kaitei_kanjihyoshian.pdf
「「改定常用漢字表」に関する試案」に対する意見募集の実施について
http://www.bunka.go.jp/oshirase_koubo_saiyou/2009/kaitei_kanji_ikenboshu.html

 今回のパブリックコメントで寄せられた意見は、来年早々に開催される漢字小委員会で検討され、必要な修正を施した上で3月か4月に最終答申、秋には告示される予定だ。なお、文化庁は以前、最終答申を2月予定としてきたが、字体をめぐる審議に手間取ったことにより、1~2カ月ずれこむことになった。ただし秋に告示されることは変わらないという。

 今回の試案では、改定後の漢字表の名称がようやく正式決定されている。今年3月に最初のパブリックコメントが行われた際の名称は『「新常用漢字表(仮称)」に関する試案』だった。今回これが『「改定常用漢字表」に関する試案』となり、「仮称」がとれた。今まで仮のものに過ぎなかった看板が、ようやく正式なものになったことになる。もう少し詳しく説明すると、答申名としては「改定常用漢字表」が使われ、告示の際は現行と同じ「常用漢字表」となる。

 審議の場では、検討課題の1つとして「新漢字表の名称」を掲げ、その理由として〈常用漢字という名称でありながら(略)「常用性」が認められながらも選定されていない漢字がある。この点は現行の「常用漢字」の性格をあいまいにしているところである〉(「国語分科会漢字小委員会における審議について」P.7)と真っ当な問題提起をしていたことを考えると、この凡庸な名称には肩すかしの印象が強い。ともあれ、この原稿でも新しい漢字表の名前として「改定常用漢字表」を使いたいと思う。

「コミュニケーションの手段としての漢字使用」について

 本誌でも常用漢字表の改定については、昨年から詳しくお伝えしてきた。ここでは1981年以来、28年ぶりとなる今回の改定によって、常用漢字表はどのように変わろうとしているのか、3回に分けて整理してみたい。まず今回は現行の常用漢字表との違い、続いて次回が文字コードから見た問題点、そして最後に第1次試案と第2次試案の違いについて解説する。

 今回は、改定常用漢字表の骨格とも言える「基本的な考え方」を題材に説明したいと思う。この部分が今回の改定でどのように変更されたかを探ることにより、改定全体の意図や背景が明らかになるからだ。この部分は次の3つのキーワードにまとめることができるように思える。

 1)コミュニケーションの手段としての漢字使用
 2)情報化時代への対応
 3)社会的慣用の尊重

 このうち、1)と3)は現在の常用漢字表と共通するものだ。だから改定作業の要点は、これらを受け継ぎつつ、2)にあるような新しい時代に対応するよう模様替えすることだと言えるだろう。

 まず「コミュニケーションの手段としての漢字使用」とは何か。これは表現は違うが、現在の常用漢字表でも最も基本となっている考え方だ。たとえば現行の常用漢字表がまだ試案段階にあった1977年、当時の国語審議会漢字部会で主査を務めた岩淵悦太郎は、以下のようなことを書いている。

 この表が何を目的とするものであるかについて議論があった。(中略)いかなる分野でも、いかなる場合でも用いられる漢字表ということでは、とても成り立ちそうもない。そうかと言って、「一般社会」ではあいまいに過ぎる。そこで、具体的に、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など、一般大衆を対象とする文章を書かなければならない分野で用いるための表と考えた。(中略)

  これらは言わば公共的なものである。私的なものや、専門分野に属するものは、一応除外して考えることとした。言わば、公共的なコミュニケーションの効果をあげる文章を書くためのものと考えたのである。そのためには当然、受け手に理解され、事柄が受け手に伝わるものでなければならない。

 私は、コミュニケーションの場を、“仲間うち”と“広場”とに分けて考えている。以上に述べてきたことは言わば、“広場”のコミュニケーションである。

(岩淵悦太郎「試案新漢字表の考え方」、『言語生活』307号、1977年、筑摩書房、P.21~P.22)

 上記に示された考え方が受け継がれ、1981年に現行の常用漢字表として制定されたのだし、同時にこの文章から約30年を経た今回の改定でも受け継がれ、「コミュニケーションの手段としての漢字使用」という言葉になったと受け止められる。これは改定常用漢字表の基本的な考え方の中でも、最も大きな比重を占めるものと言ってよい。つまり、根本の部分では改定常用漢字表は変わっていない。

「情報化時代への対応」について

 では、この「コミュニケーションの手段としての漢字使用」を現代において実現するためにはどうすればよいのか。それが次のキーワード「情報化時代への対応」だ。ここで「情報化時代」とは、人々がパソコン、携帯電話などの情報機器を日常的に使い、これにより日本語を読んだり書いたりする時代のことだ。言い換えれば、手で「書く漢字」から、キーボードで「打つ漢字」へ変わったということだ。

 では、これらの機器が普及したことによって、日本語はどう変わったのか。2004年に文化庁が行った「国語に関する世論調査」では、情報機器を使うと漢字をより多く使うことが報告されている。そうした中で、変換候補に表示されるからといって滅多に見ないむずかしい漢字ばかりを多用すれば、前述した「コミュニケーションの手段としての漢字使用」は危うくなる。そこで一定の範囲の漢字を示し、それを「目安」にして書くことを呼び掛ける、これが改定常用漢字表の骨子だ。

 そのためには時代の変化に即して字種も変えなければならない。そこで追加字種として「書く漢字」だけでなく、手書きではあまり使われない「打つ漢字」=字画の複雑な漢字も含められることになった。これについて改定常用漢字表を審議した漢字小委員会で、内田伸子委員(お茶の水女子大学)は発達心理学の立場から、以下のような発言をしている。

先ほど林副主査が非常に大事な指摘をなさいました。文字には、「見る」と、それから「書く」という二つの面があるという御指摘です。そして、もう一つ、やっぱり「打つ」という面が入ってくるわけで、「見る」に関しては、やはり複雑な方がパターン認識しやすいんですね。

『第28回国語分科会漢字小委員会議事録』P.12)

 つまり「打つ漢字」という観点からは、むしろ字画が複雑な字の方が判別しやすいという考えだ。その代表格が「鬱」や後述する、いわゆる康煕字典体だ。これらは従来は常用漢字にはとても入らなかった「むずかしい漢字」と言える。これらを加えたことで、情報化時代に対応した漢字表になったということだ。

 もう1つ、情報化時代への対応として欠かすことができなかったのが、手書きの位置付けの明確化だ。前述のように情報機器の普及は「書く漢字」から「打つ漢字」という大きな変化をもたらしたが、これにより手で漢字を書く意味はなくなったのだろうか? 改定常用漢字表は、こうした根本的な疑問に答えようとしている。

 それによると、漢字とのかかわりを習得段階と運用段階の2つに分けられるが、小学校、中学校という漢字の習得段階で手書き(書き取り)を積み重ねることにより、それ以降の段階である運用時に、情報機器で表示される漢字の選択候補から、より適切な漢字を選び取る能力を伸ばすことができるという。つまり、情報機器を使って「打つ漢字」を正しく使いこなすためにも、習得段階での手書きが重要という論法だ。

「社会的慣用の尊重」について

 さて、最後のキーワードがこの「社会的慣用の尊重」だ。これも以前から常用漢字表で重視されてきた考え方であり、同時に今回の改定でされた多くの追加・変更も、これに根拠を求めることができる。たとえば、今回の改定で追加された漢字には「むずかしい漢字」が含まれると書いたが、これらの多くは、社会的に慣用されていることを確認した上で収録している。

 追加字種の選定にあたっては、全国紙、週刊誌・月刊誌等の雑誌、教科書、書籍、Webサイトなど多岐にわたる媒体の使用字種を調査し、そこでの使用頻度に基づいて選定作業が行われた。たとえば「鬱」を例にとると、雑誌・書籍では1803位、Webサイトでは1306位、基本的に常用漢字しか使わないはずの新聞でも、朝日新聞が2324位、読売新聞が2396位という結果が出た(『漢字出現頻度表 順位対照表(Ver.1.3)』P.37)。今までの常用漢字表が1945字であることを考えればかなりの高順位と言え、これが収録の決め手となった。

 また、従来の常用漢字表では固有名詞を適用範囲外としていたことにより、日常よく目にする、つまり社会的に慣用されているはずの漢字がそこに入っていないことがよく指摘されてきた。やはりこれは矛盾と言えるわけだが、いくら頻度が高いと言っても固有名詞でしか使われない漢字を野放図に入れれば、「コミュニケーションの手段としての漢字使用」としては使い勝手が悪くなる。そこで今回は都道府県名に範囲を限った上で、これらを頻度は関係なく無条件に入れることにした。「媛、阜、茨」等の追加漢字がこれだ。また、都道府県名に準じる漢字として地域名を表す近畿の「畿」、韓国の「韓」も選定されている。

 さらに追加字種の字体として、いわゆる康煕字典体が採用されたことも、この「社会的慣用の尊重」というキーワードから説明できる。具体的にどのような漢字が追加されたかは次回述べるとして、これらの字体はすべて2000年に国語審議会が答申した「表外漢字字体表」に収録されている漢字であり、同時に2004年に大幅拡張された人名用漢字にも入っている。さらに2007年に発売されたWindows VistaやMac OS X 10.5以降、今年発売されたWindows 7にも標準搭載されている。

 個人的に言えば、2000年答申の表外漢字字体表において、これらの字体が社会的に頻度が高いとした判断は納得できるものではない。当時は略字体が相当数あったはずの新聞各紙のデータが反映されていないからだ。しかし、その後9年を経てこれらの字体の実装が進みつつあるのも確かなことだ。今回の改定常用漢字表で、社会的慣用を根拠にいわゆる康煕字典体を採用したことは、情報機器に無用な混乱をもたらさない良策と評価できるのではないか。

 ただし、全く混乱はないとまでは言えない。このことは次回、改定常用漢字表が文字コードから見てどのような問題点があるか、少し詳しく考える中で説明しよう。


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2009/12/16 16:25


小形 克宏
文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。