”情報化時代”に追いつけるか?
審議が進む「新常用漢字表(仮)」
「新常用漢字表(仮)」パブコメの募集が始まった
去る1月29日、文化審議会は国語分科会より提出されていた『「新常用漢字表」(仮称)に関する試案』(以下、試案)を承認した。この試案は国語分科会のさらに下に位置する漢字小委員会が、2005年から4年半という時間をかけて成案を得たものだ。これを受けて文化庁はパブリックコメントの受け付けを開始している。締め切りは4月16日。ここで集められた意見は今年度発足する新たな漢字小委員会で検討されることになる。その後に予想されるフローは図1を参照してほしい。
図1 予想される新常用漢字表(仮称)の内閣告示訓令までの流れ |
なお、パブリックコメントの告知ページは以下の通り。試案そのものも下記から入手できるが、これはプリントアウトを300dpi程度でスキャンしたもので、あまり鮮明とはいえない。より詳細に字体を確認したい向きは、下記ページを見て冊子版の郵送を申し込むとよいだろう。また、あわせて現行の常用漢字表のリンクも示しておく。比較すると変更点がよりはっきりするはずだ。
◆「「新常用漢字表(仮称)」に関する試案」に対する意見募集の実施について
http://www.bunka.go.jp/oshirase_koubo_saiyou/2009/shin_kanji_ikenboshu.html
◆常用漢字表
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19811001001/k19811001001.html
「新常用漢字表(仮称)」の試案の審議については、昨年本誌で『“情報化時代”に追いつけるか? 審議が進む「新常用漢字表(仮)」』として全26回にわたり詳しく報告した。しかし残念ながら、世間に広く知られているとはとても言えないのが現状だ。下記のグラフを見てほしい。これは過去90日間に「新常用漢字」という単語を含んだブログ記事数を「Technorati JAPAN」で集計したものだ。
図2 過去90日間に書かれた「新常用漢字」を含む日本語のブログ記事(「Technorati JAPAN」による検索結果のグラフ表示) |
縦軸に表示された数値が1桁であることから、そもそも「新常用漢字」という言葉を使うこと自体が稀であることが分かる。また1月16日近辺と3月16日近辺に山があるが、前者は漢字小委員会の最後の審議日であり、後者はパブリックコメントの開始日だ。つまり何かイベントがあると若干のブログは反応するが、それも散発的なもので時間が過ぎるとほとんど触れられることはないことが見て取れる。比較として今度は「絵文字」で集計してみると(図3)、常用漢字表の改定について原稿を書いてきた身としては、いささか虚しさを感じるのが正直なところだ。
図3 過去90日間に書かれた「絵文字」を含む日本語のブログ記事(「Technorati JAPAN」による検索結果のグラフ表示) |
もちろんこれらの集計はブログに限定したものだから、即座に世間一般と同じにできない。しかし、今回の試案が「情報化時代に対応した漢字政策の在り方について」という文部科学大臣諮問に答えたものである以上、ブログの反応は大きなバロメーターとなる。ただし、こうした現状であっても、その影響力まで侮るべきではない。常用漢字表は日本の漢字政策の中軸であり、改定されればこれに基づく多くの施策、例えば人名用漢字、JIS文字コード、また学校教育で教えられる学年配当表も対応を迫られる。さらに漢字小委員会の審議では、日本新聞協会出身の金武伸弥委員が、改定が終われば協会としてこれに対応した新漢字表を策定、新聞界で使用する漢字統一を図ることを表明している。
つまり認知度と影響力が反比例しているのが新常用漢字表(仮称)の現状なのだが、これは決して幸福とは言えない。なぜなら「知らないうちに大事なことが決まってしまった」ということになるからだ。改定が終わってから不満を言っても遅い。なるべく多くの人がパブリックコメントに応募することが求められるし、そこまでいかなくても、少しでも多くの人がこれを知っておく必要があるように思える。そこで今回は新常用漢字表(仮称)の狙いとその内容を整理しておきたい。
●本連載のテーマ別リンク集
前述したように、新常用漢字表(仮称)については昨年6月から11月まで連載をした。最後の原稿を掲載して5カ月近くが過ぎたが、改めて読み直してみたところ、幸いなことにパブリックコメントが開始された現在でも大幅な書き直しは必要ないようだ。いくつか誤りを訂正したが、基本的にそのまま試案の解説記事としても通用する。口幅ったい言い方になるかもしれないけれど、常用漢字表の改定についてこれだけ多くの記事を配信したメディアは、本誌『INTERNET Watch』だけであることは、ここで強調しても罰は当たらないだろう。
さて、今回は1回だけで試案の概略を説明する。そのために抜け落ちてしまう点が出てしまうが、それはバックナンバーを参照してもらうよう、ここでそのポインタを示すことにする。
◆試案の前提となる「情報化時代」について
第1部第1回 なぜ常用漢字表は改定されるのか?
◆試案の根拠となった頻度調査について
第1部第2回 審議に使われた多くの頻度調査
◆漢字を追加する理論的根拠とは
第1部第3回 「読めるだけでいい漢字」の区分をめぐる応酬
◆人名・地名など固有名詞への対応について
第1部第4回 新常用漢字表と固有名詞
◆字種の選定方法について
第1部第5回 追加候補の選定と今後の予定
◆JIS文字コードへの影響について
第2部第2回 常用漢字表の改定で発生する、漢字政策の玉突き現象
◆追加字体の詳細と人名用漢字、JIS文字コードとの関係
第3部第1回 現代日本の「ゴルディアスの結び目」をほどくのは?
●キーワード1:コミュニケーションの手段としての漢字使用
では試案の説明に移ろう。その意図を理解するためのキーワードを挙げると、以下の3つになる
- コミュニケーションの手段としての漢字使用
- 社会的な慣用の重視
- 手書き文字と印刷文字を分けて考える
このように広範な人々が互いに意志を伝えあうためのものだから、小説等の文芸作品や、各種の専門用語は適用範囲に入らない[*1]。つまり「コミュニケーションの手段としての漢字使用」とは、新常用漢字表(仮称)の必要性や用途を端的に表した言葉だ。現在の常用漢字表の適用範囲は「一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの」(前書1)というものなのだが、これをより敷衍したものといえる。
[*1]……ただし、専門用語については今回の試案で以下の文言が付け加えられた。これは情報化時代の進展により、IT関連用語が多く生活の中に入ってきていることを念頭に置いたものだ。
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試案を読むと、この「コミュニケーションの手段としての漢字使用」はあちこちで顔を出す。ここでは一々説明する余裕はないが、試案の「I 基本的な考え方」のうち、「2 国語施策としての漢字表の必要性」「3 JIS漢字と、国語施策としての漢字表」「5 名付けに用いる漢字」「6 固有名詞における字体についての考え方」など、ほとんどの項目がこの「コミュニケーションの手段としての漢字使用」という観点から説明されている。このことからも、その重要性をうかがうことができるだろう。
●キーワード2:社会的な慣用の重視
では、この「コミュニケーションの手段としての漢字使用」をするための範囲は、どのようにして定めることができるのか。そこで登場するのが次のキーワード「社会的な慣用の重視」だ。新常用漢字表(仮称)の字種の選定にあたっては全部で5種類の頻度調査が使用されたが、それはひとえに社会的な慣用を重視し、一般社会でよく使われている漢字をあぶり出そうとしたからだ。試案の「I 基本的な考え方」の「3 字種選定の考え方・選定の手順」の中でも以下のように述べられている。
新常用漢字表(仮称)における字種としては、基本的に、一般社会においてよく使われている漢字(=出現頻度の高い漢字)を選定する(以下略)(3 字種・音訓の選定について) |
慣用を重視するのは戦後一貫した国語施策の考え方なのだが、興味深いことに、同時にこれは新常用漢字表(仮称)で最も批判が集中している問題への回答にもなっている。各種報道でも取り上げられているが、試案における最大の問題点は、表内で例えば一点と二点のしんにゅうが混在してしまうなど字体の不統一が生じる点だ。これについては昨年の連載でも、前に挙げた「第2部第2回 常用漢字表の改定で発生する、漢字政策の玉突き現象」の他、安岡孝一氏の国語学会での発表を報告した「第2部第1回 常用漢字表に、点のない「箸」が追加されると困る理由」で説明した。
これに対して、文化庁からじつは60年も前に制定された当用漢字字体表の時代から、同じような不一致はあったという説明があった[*2]。例えば「佛、拂」は当用漢字字体表で「仏、払」と簡略化された一方で「沸」は「シ+ム」の略字体にはならなかったが、その理由は「仏、払」の字体はすでに多くの人が慣用していたのに対し、「シ+ム」はそれがなかったからだという。
[*2]……第27回、28回漢字小委員会における氏原主任国語調査官の配布資料説明。なお、この部分は議事録にない。国語審議会当時は事務局の資料説明もすべて採録されていたが、どういう理由からか現在ではそっくり省略されている。議事の透明性から大いに疑問の出るところだ。 |
その上で、今回の試案で生じる字体不統一の理由も、同じく「社会的な慣用の重視」から説明されている。例えば3月26日に開催された平成20年度国語施策懇談会(『「新常用漢字表」(仮称)に関する試案』説明会)で配布された資料、「追加字種191字に含まれる許容字体該当字の出現頻度一覧」によれば、「遜、遡、謎、餌、餅」の5字種については、1997年、2000年、2007年の3回にわたる凸版印刷の組版データを対象とした調査で、いずれもいわゆる康煕字典体の方が社会的に慣用されていたという結果が出た(図4)。同懇談会でもこの資料に基づき林史典国語分科会長が字体不一致の理由を説明している。
図4 追加字種191字に含まれる許容字体該当字の出現頻度一覧。頻度の高い方の字体を水色で示した。いずれもいわゆる康煕字典体であることが分かる。「許容字体」については後述(平成20年度国語施策懇談会で配付された資料を再現。元表は1997年、2000年の調査も掲載しているが、同じような結果なので省略した) |
つまり、これらの字体についてはいわゆる康煕字典体の方がより多く社会で使われており、もし表内の字体統一を優先して頻度の少ない略字体の方を採用すれば、かえって混乱が発生してしまうという論理だ[*3]。
[*3]……他には「第27回国語分科会漢字小委員会議事録」P.11の阿辻哲次委員の発言を参照 http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_27/index.html |
●キーワード3:手書き文字と印刷文字を分けて考える
このように社会的な慣用を重視したことで、表内の字体不一致は避けられなくなった。そしてその結果「新常用漢字表」(仮称)は一般には分かりづらいものになってしまった。では、こうした問題に対して試案はどう対処しようというのか。これを説明するのが次のキーワード「手書き文字と印刷文字を分けて考える」だ。
つまり、手書き文字と印刷文字は形が多少違っても字体としては同じである。同じ字体が手で書けば一点しんにゅうになり、明朝体でデザインされれば二点しんにゅうになるだけだ。この両者をごっちゃにするから混乱するので、手書きと印刷に分けて対応することにしようということだ。例えば林史典副主査は、第27回漢字小委員会で以下のように説明する。
活字のレベルでの字体と、それから手書きの字体とは分けて考えた方が問題点を整理しやすいということです。活字の字体については、「表外漢字字体表」の考え方を守る方が混乱は少ないし、現実的だから、ここはいじらないというか、考え方を変えない方がいいでしょう。 しかし、手書きの場合「箸」という字は、「者」という字に点がないと間違えだとか、「者」という字は点があったら間違いだとかというふうな、新しい区別を常用漢字の中に手書きの場合持ち込むと、多分、子供たちも混乱するし、無意味な区別をさせることになりますから、そういうことを避けるという考え方で全体を見直してはいかがですかと申し上げたのです。(前掲第27回国語分科会漢字小委員会議事録、P.13) |
つまり追加191字については、いわゆる康煕字典体(例えば二点しんにゅう)を漢字表で掲げるが、これに対応する手書き字体は従来どおりの常用漢字表の字体(例えば一点しんにゅう)で書くことにするという考え方だ。
具体的には「(付)字体についての解説」が大幅に充実されることになった。今まで2項目だった「第2 明朝体活字と筆写の楷書との関係について」に、新たに「3 筆写の楷書では、筆写字形の習慣に従って書くことがあるもの」という項目を設け、追加字種における手書き文字と印刷文字の同一視について手厚く解説しているのだ(図5)。
図5 「3 筆写の楷書では、筆写字形の習慣に従って書くことがあるもの」。ここに挙げられているものは、それぞれ手書き字体と印刷字体の違いはあっても、同一の字体とされるものだ |
ただし、今現在、略字体の方を印刷字体として使っている新聞社などは、いわゆる康煕字典体だけを追加字体にした場合、強い反対をしてくることが予想される。これにより日本新聞協会が会員の意見を一本化できないことにでもなれば、国語分科会/文化庁としても困ったことになってしまう。
そこで妥協案として、追加字種191字のうち「しんにゅう/しょくへん」に関わる5字については、現に印刷文字(フォント等)として簡易な部分字体を使っている場合に限り、いわゆる康煕字典体に変更する必要はないというルールが導入された。これを「字体の許容」と呼ぶ(II 漢字表 1 表の見方 5)。この5字が、上の図4で示した5字そのものだ。ここで水色の枠内が表内で掲げられる字体、白い枠内が許容字体だ。
●新常用漢字へのさまざまな意見
以上、多分に漏れはあるが、「新常用漢字表」(仮称)について3つにポイントを絞って骨子を説明した。これ以外にも固有名詞への言及や、定期的な見直しを盛り込んだ点など注目すべきところは多い。ぜひ原文を自分の目で確かめてほしい。最後に付録として、現在公表されている試案に対する意見を紹介しよう。ネット上で読めるものを中心に選んだが、それ以外のものは図書館に足を運ぶなどして読んでみてほしい。なにぶん私の狭い見聞の範囲内なので、取りこぼしはご容赦のほどを。
●団体等
・読売新聞:常用漢字 IT時代踏まえ議論深めよ/2008年12月7日
・産経新聞:当用漢字字体表 害とわかれば廃棄が一番/塩原経央、2008年12月29日
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081229/acd0812290810003-n1.htm
・朝日新聞:「しんにゅう」に関心集中 1点2点なぜ統一できないの/白石明彦、2009年3月31日、17面
・日本新聞協会:「『新常用漢字表(仮称)』に関する試案」への意見/2009年3月24日
http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/iken20090324.pdf
・三鷹市:新常用漢字表(仮称)試案への意見書を提出しました/2009年4月3日
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_news/012/012438.html
●個人
・(新)常用漢字の「遡」に関する社説/安岡孝一、yasuokaの日記、2008年11月7日
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/457696
・お前が見ている世界は、無限の可能性の中のひとつの事象に過ぎない、という話/mashabow、しろもじメモランダム、2008年12月10日
http://d.hatena.ne.jp/mashabow/20081210
・新常用漢字表」は、官公庁用語の「まぜ書き熟語」を無くすことを目標に字を選べ/泉幸男、国際派時事コラム・商社マンに技あり!ライブ版、2009年1月26日
http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200901260000/
・Kanji NEW5/7 新常用漢字2010年/artmnet0、YouTube、2009年2月7日
http://www.youtube.com/watch?v=vIZfoYoOnD4
・新常用漢字表は字体変えないで/飯間浩明、きょうのことばメモ、2008年3月16日
http://yeemar.seesaa.net/article/89733724.html
・よりどころ完全に消えた 統一性のなさ笑っちゃう/野村雅昭、2009年3月18日、朝日新聞、34面
・新常用漢字:国際化のなかの漢字/當山日出夫、明窓浄机:YAMAMOMO、2009年3月19日
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/20090319/1237440240
・小熊善之、底に哀はあるの、2009年3月25日
http://smallbear.sakura.ne.jp/tron/btm20093.html#20090325-2
・表外漢字字体表の呪い/直井靖、Mac OS Xの文字コード問題に関するメモ、2009年3月26日
http://d.hatena.ne.jp/NAOI/20090326
・新常用漢字表/はい!こちら日本語学校、2009年3月27日
http://jpn.alc.co.jp/teacher/kato/2009/03/post_205.html
・新常用漢字表(仮称)試案のJS平成明朝W3/安岡孝一、yasuokaの日記、2009年3月28日
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/471444
・再び「次」について/works014、なんでやねんDTP、2009年3月30日
http://d.hatena.ne.jp/works014/20090330
・「しんにゅうを1点に統一する」、なんと愚かなことを言うのか/liang_kai、liang_kai's journal、2009年3月31日
http://liang-kai.livejournal.com/4272.html
●その他
・今のうちに覚えてしまおう新常用漢字/漢字辞典ネット
http://www.kanjijiten.net/joyo/newjoyo.html
・「新常用漢字表(仮称)」パブリックコメント募集中/スラッシュドット、2009年3月17日
http://slashdot.jp/article.pl?sid=09/03/17/070201
さて、かくいう私もパブリックコメントには応募するつもりだ。その応募原稿は、追ってこのページで公開することにしたい。どうかお楽しみに。
2009/4/9 12:59
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