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【JAPAN IDENTITY & CLOUD SUMMIT】
“総透明社会”にどう関わるか〜佐々木俊尚氏講演

「JAPAN IDENTITY & CLOUD SUMMIT」で講演する作家・ジャーナリストの佐々木 俊尚氏

 クラウドやビッグデータに加え、サービスなどで用いられるIDに関するカンファレンス「JAPAN IDENTITY & CLOUD SUMMIT」が、1月14日から2日間の日程で開催された。初日の基調講演では、「レイヤー化する世界とID」と題し、作家・ジャーナリストの佐々木 俊尚氏が講演。米国と日本における個人の信頼性のあり方について論じるとともに、今や個人の信頼性を担保する情報源となりつつあるSNSのアカウントIDに対する考え方について持論を展開した。

Facebookが信頼性の担保になっている

 佐々木氏はまず、米国と日本における「人間社会がどういう構造になっているのか」について、山岸 俊男氏の著書「安心社会から信頼社会へ」から引用して解説した。同書では、米国人は直接出会った人を信用する「一般的信頼型」により他者を受け入れるのに対し、日本人はいきなり出会った人は信用せず、同じ地域の人や同業者など、“ムラの内側の人”しか信用しない傾向にあると述べている。

 山岸氏はこれを「ヤクザ型コミットメント」と呼び、本当に“ムラの内側の人”を信用しているかと言えばそうではなく、信頼を裏切った時に当人に大きな危害が及ぶことから「無理矢理信頼させられている、同調圧力の強い社会」であるとしている。いずれこの仕組みが崩壊して“ムラ”がなくなれば、日本社会も「ヤクザ的に寄り添って集まる社会ではなく、他者を一般的に信頼する(米国型の)社会に移っていくのではないか」と以前から考えられているという。

 では、最近の日本社会における人々の関係性はどう変わってきているのか。その前段として佐々木氏は、米国の社会学者であるM・グラノヴェターの著書を紹介した。それによれば、同じ“ムラ”(会社、業界など)の人々の間には強いつながり「Strong Ties」があり、“ムラ”と“(他社、他業種など別の)ムラ”とは弱いつながり「Weak Ties」で結ばれている。この2種類のつながりのうちどちらが社会生活を送るうえで有効かを調べたところ、たとえば転職やビジネスに関する情報は「Strong Ties」の相手から得られそうに思うが、実際には弱い「Weak Ties」から入ってくることがわかったという。

 佐々木氏は「そもそもStrong Ties(同じ“ムラ”)の相手とは頻繁に顔を合わせてるので新鮮な情報は入ってこない。知らない業界(他の“ムラ”)の方が新しい情報、今までにないビジネスのヒントを得られる」とし、このことから、転職活動などは「強い人間関係に頼らず、弱い人間関係に頼るべき」と結論づけている。

 しかし、1980年代に同様の調査を日本で行った際には、それとは逆に「Strong Ties」の相手からの方が情報を得やすいことが明らかになった。これは、当時の世相が終身雇用制の考え方であり、「業界や会社の外の人とは付き合わない。そうすると外から情報が入ってこない」ためだったとしているが、「会社の枠組み、業界の枠組みといったものが衰退してきている現状では、おそらく米国と同じように、日本も少なくとも都市部ではWeak Tiesのつながりが強くなってきている」と佐々木氏は見ている。

 一方、米国では終始「一般的信頼型」が成り立ってきたかというと、これも違っている。1970〜1980年代にかけ、メディアの発達により猟奇殺人者の存在が広く知られるようになったことなどから、「見知らぬ人は信用するな」という思考が蔓延し、「一般的信頼型」の風潮が失われていったという。当時はそういった“見知らぬ人”をテーマにした恐怖映画が流行したり、州によってはヒッチハイク禁止条例につながったりするなど、米国内でさまざまな動きが見られた。

 ところが、2000年代に入って再び変化が訪れている。「牧歌的な信頼性が復活しているんじゃないかと、この10年くらいに言われるようになってきた」。その主な要因はFacebook。米国ではすでに国民の6割が利用しているSNSだが、基本的に実名制であること、プロフィールや日々の書き込みからその人の人間性や人間関係などがわかりやすく、「その人の総体がすべて見えてくるので、ある意味信頼性の担保になっている」のだと佐々木氏は指摘する。

 Facebookが「牧歌的な信頼性(一般的信頼型)」の復活に役立ったのはそれだけではない。空いている自宅の部屋を旅行者らに貸し出す空き部屋シェアサイトの「Airbnb」や、自動車の相乗りサイトである「lyft」といったマッチングサービスで、Facebookアカウントによるログインを可能にしている点も大きいとしている。これらのサービスは貸し借りする人同士の信頼性が重要になってくるが、Facebookの内容を互いにチェックできることが信頼の担保につながっており、「我々の信頼性を補完するためのサービスになっていることは確かで、日本ではLINEなど他のサービスがこれに取って代わるかわからないが、米国だけでなく日本もそうなりつつある」という見解を示した。

“総透明社会”の現状に対してどう振る舞うか

 佐々木氏はこれを「新しい形のセーフティネットではないか」と投げかけるが、見方を変えれば「Facebookは自分のアイデンティティをすべてさらけ出していると言うこともできる」と釘を刺す。アイデンティティをさらけ出すのを避けるのであればFacebookをやめればよい。しかし、そうすると自分のことを誰も信用してくれない、という事態になることも考えられる。「ある意味トレードオフな状況にさらされている。アイデンティティをさらけ出すか、出さないか、どちらが正しいかということではなくて、そういう状況になっているということを考えなくてはいけない」のだとした。

 これこそが、佐々木氏によれば“総透明社会”だという。「透明である方がセーフティネットを確保しやすい社会」であり、そうしない場合はセーフティネットは確保できない可能性も高まる。とはいえ、アイデンティティをさらけ出すことでデメリットもつきまとう。たとえば最近ではボストンマラソン爆破事件の容疑者が使っていたSNSのタイムラインや、ECサイトのウィッシュリストが一般の目にさらされる状況になっていることを例として挙げた。

 TwitterやFacebookが始まってまだ数年ではあるものの、現在子供のユーザーが使い続けていれば今後数十年の記録が残ることになる。「ネットのアカウントがその人の人生の記録になっていることは間違いない」とし、「IDは良き資産にもなり、不良債権にもなるということを強いられている」点について、ユーザーはしっかり考えていかなければならないと語った。

 また、昨今の「コンビニ冷蔵庫騒動」に代表されるTwitterなどでの炎上事件にも言及した。この問題は、本人が考えるパブリックの境界線と実質的な境界線とが大きく異なっていることが1つの発生要因であり、“発信者”からはその周りにいる“反応者”しか見えないにも関わらず、実際にはその周囲に“観察者”や“無関心者”が多く存在していることに想像が及ぶリテラシーの高い人が少ないことも根底にある。

 佐々木氏によれば「インターネットでは誰も観客にはなれない」という“当事者性”があり、「参加して発言した瞬間に全てがプレーヤーとなる」世界だとした。しかし、そこに「参加しなければ得られる果実もない」のが実情だ。前述のFacebookによる信頼性の担保の件と絡め、「哲学的な議論であり、答えはすぐに出ないが」と断りつつも、今やSNSとそれに必要なIDは「社会にどう関わるかという実存的な問題をはらんでいる」と言い切る。

 この状況を生き抜く、あるいは乗り越えるためには、「“他者”を受け入れて“総透明社会”になりつつあることを受け入れること」が重要だ。ネット上ではSNSなどを介したさまざまな罵詈雑言も飛び交っているが、「そういう状況に対して腹を立てずに“寛容”に受け入れることが、“IDによる総透明社会”という現状に対して取るべき立ち位置なのではないか」とし、講演を結んだ。

(日沼 諭史)