通信インフラの壊滅した避難所にインターネットを

「震災復興インターネット」プロジェクト


 東日本大震災では、携帯・固定ともに電話が輻輳してつながらなかったが、インターネットは生きていたために、Twitterやmixi、Facebookなどで互いの無事を確認するなど、インターネットが災害時においてはじめて本格的に活用された。

 しかし、津波被害を受けた東北太平洋沿岸部では街がまるごと消失するほどの壊滅的な被害を受け、通信インフラも喪失、情報から途絶されたエリアが多く発生した。

 震災復興インターネットは、ネットワーク技術者たちが被災地を訪問し、通信インフラの壊滅した地域の避難所などを回ってインターネット環境を構築するプロジェクトだ。

大船渡市役所に設置した84cmのIPStarアンテナ設置されたPCで津波映像をみる人々(気仙沼総合体育館)

 衛星通信のパラボラアンテナや3Gモバイルルーターなどを設置してインターネット接続を確保するとともに、避難所となっている学校などにLANを敷設してPCを設置。学校や役所、災害対策本部やボランティアの詰め所など、できるだけ多くの人がインターネットを利用できるようLANを構築し、インターネット利用環境が広く地域に根付くことを目標としている。

 震災復興インターネットの活動で、今でも被災地を毎週回っているという、慶應義塾大学 環境情報学部 准教授の植原啓介氏と国立天文台 天文データセンター 助教の大江将史氏に話を聞いた(以下本文中は敬称略)。

慶應義塾大学 環境情報学部 准教授の植原啓介氏と国立天文台 天文データセンター 助教の大江将史氏

 

通信装置早期復旧システムの研究が実践に

宮城内陸地震のあと、植原氏(写真)が宮城県栗原市と共同研究していた災害時の通信装置早期復旧システムの枠組みを沿岸部に持ち込んだ

――プロジェクト開始の経緯を教えてください

植原:村井純さん(慶應義塾大学教授、WIDE Projectを創設したことで知られる)のまわりにいた、企業や大学などのインターネット技術者が集まって、震災にあたって何かできないかと話した中から生まれました。きちっと組織されたプロジェクトではなく、また必ずしもWIDE Projectではありません。

――そこからどのようにして現地での活動に

植原:実は3年前の宮城内陸地震のあと、宮城県栗原市の人と共同で、災害時の通信装置早期復旧システムを研究していました。その機材をたまたま3月25日に持っていく予定だったのですが、その直前に東日本大震災が起きてしまった。

 地震の2~3日後に栗原市から、持ってきてもらうかもしれないので準備してほしいと連絡を受けました。内陸なので被害は小さかったのですが、支援活動のための拠点を作りたいという話をいただいて。それと並行して、さきほど言ったようなミーティングが持たれたため、同じ枠組みの中で被災地に行きました。

――最初に現地入りしたのは

植原:25日の早朝に首都圏を出発し、夕方に栗原市に入りました。そこを拠点にして、気仙沼まで2時間、南三陸まで1時間半、陸前高田まで3時間という道のりを毎日往復しました。長期戦にりそうだったので、28日に一旦2人が首都圏に帰り、31日に再度入れ替わりました。それまでは、始めに持ち込んだ機器のみで支援活動をしました。

大江:最初は、慶応大学や栗原市の機材を使っていて、機材が尽きていったん活動を停止しました。その後、プロジェクトメンバーであるCiscoさんやIPstarさんからの機材などが整いはじめたんですね。そこで次は岩手県の陸前高田市・大船渡市を手始めに沿岸を北上しました。

石巻市荻浜中に設置した84cmのIPstarアンテナ
IPstarモデムとCiscoルーター(石巻市荻浜中)避難所に設置した共用PC(石巻市荻浜中)

――何カ所ぐらい設置したのでしょうか

大江:現在、岩手県と宮城県の38カ所で展開しており、15基の衛星地球局が稼働しています(5月27日現在)。

――活動しているメンバーは何人くらいなのでしょうか

大江:現場には、私たちや、Ciscoのエンジニア、大学、研究所などからのボランティアが、3~4人くらいでチームを組んで、各設置場所で、衛星回線、LAN配線、ルータ・Wi-Fiアクセスポイント・パソコンなどの設置を分業して行っています。

 

用意できたものから機材を投入

――機材は手持ちのものを?

植原:ケースバイケースです。買ったものもありますし。

 PCは最初は、企業に10台ほど提供していただきました。また、避難所にすでにPCがあればそれを使う場合もあります。そのあとは、JEITA(電子情報技術産業協会)などICT業界団体が設立・運営する「東日本震災ICT応援隊」など、申請すればPCを支援してくれる団体がいくつかありますので。

大江:3G対応のルーターやWi-Fiアクセスポイントは、プロジェクトメンバーであるCiscoさんからご提供いただきましたが、3Gの回線契約がありませんでした。そこで、CiscoさんがNTTドコモに交渉したのですが、多くの団体から要望が来て特別扱いは難しいということでした。そこで、3Gの回線契約は、別のプロジェクトメンバーからご提供いただきました。

 機材がすべて揃うのを待っていたら、2~3週間で機材を設置して次の場所に、というのは無理です。だからあるものをどんどん置いていって、改善していけばいい。最初は3Gで、衛星通信の機材が用意できたらまた行って入れ換えると。置いたらそれまでということではないなと思っています。

植原:3Gで帯域が足りなくなって衛星に切り換える、といった入れ換えもありますね。逆に、衛星通信はオーバースペックなので、3Gが使えるようになって3Gに切り替えたところもあります。

――衛星回線の調達は

大江:スカパーJSATとIPSTARの衛星回線を使っていて、それぞれ通信費は6カ月間、3カ月間無償という条件で提供していただきました。そのため、6月末には震災復興インターネットのプロジェクト自体をどうするか考える必要があります。

 IPSTARのほうがJSATより設置が簡単ですね。設置時間が3時間で、あれがなかったら今回は苦労したと思います。パラボラアンテナを設置するとき、アンテナの調整をするのですが、JSATの場合、レベル確認用の機材が必要な点や、アンテナ架台に癖があって調整に苦労します。運用面では、JSATの方が利用帯域に制限が少ないため、有利に感じます。

 パラボラアンテナの調整は大変で、受信は楽なんですけど、送信が難しい。3万6000km先の小さな衛星にばっちり当てないといけないので。それが外れると性能が下がるんです。IPSTARの場合、PCをつないで専用ソフトを使うと、正しく衛星をつかんでいるかどうか表示されるんですよ。IPSTARさんの衛星が、岩手県から見て220度ぐらいの方向にあるんですけど、私が設置するとどうもいつも違う衛星をつかんでしまう(笑)。で、いつもその右下あたりに、と。

植原:JSATには、自動捕捉のシステムがあるんですよね。1日数時間電気が切れるなど、そうしたときのトラブルを現地の人に対応してもらうには、自動捕捉があったほうがいいと感じます。

アンテナを設置した大須小学校JSATアンテナの調整(大須小学校)
JSATモデムとCiscoルーター(大須小学校)大須小学校避難所に設置した共用PC

――衛星回線からどのようにインターネットに接続するのでしょうか

大江:(パラボラアンテナの写真を指して)このパラボラアンテナから、同軸ケーブルが伸びています。これはTVの線と同じです。この線をモデムにつないでイーサネットに変換して、グローバルIPアドレスが取れる。そのグローバルIPアドレスをCiscoのルーターに入れて、NATでLANを組んであちこちにつなげています。

――思ったより簡単そうですね

大江:はい、最近は簡単になりました。

 どこまでネットワークを引くかは避難所の方に聞いて、屋外にわたるときは屋外用LANケーブルを使うとか、雷を避けるために建物の中を通していくとか、建物の中で防火シャッターが降りないと問題なので屋外にいちど出すとか、そういう細かいこともやって、便利と安全を確保しています。最初に行った病院では、医薬品とか貴重なものがあるので施錠できないと困る、と言われて、ケーブルを換気扇の穴から通したんですよね。床下にアースの引き込み溝があったので、そこに同軸ケーブルを通したこともあります。それも無理であれば、許可をとって壁に穴をあけて通します。

 (小学校の写真を見ながら)この小学校では、LANケーブルを窓の隙間から室内に引き込んでいます。フラットケーブルをアルミで補強した隙間ケーブルというのがあって。これできれいな小学校に穴をあけなくてすむ。

植原:土木作業ですよね。

 

みんなで使ってこそインターネット

国立天文台 天文データセンター 助教の大江将史氏

大江:最初に気仙沼に入ったときには、インターネットにつなぐことで、命を助けるとか支援物資が届くとかいった目的を考えていました。実際に行政とか医療団体の人からリクエストもいただきます。

 ただ、1週間作業をしていて、違和感もおぼえるようになってきたんですね。もちろん医療や行政にインターネットのインフラは重要なんですが、やっぱり被災者の方にも届かないと意味がないと。そこで、それ以降は車のセールスのように、避難所のリストを持って、インターネットを引きませんかと話をして回りました。

 被災地では、情報をオンデマンドで取れないというのが大きいんですよね。PCというのは使える人にとってはとても便利な道具ですし、自分が使えなくても誰かが手助けしてくれれば使えるものだと思います。

 これは最近になっての話ですが、災害対策用に県が引いた高速な回線があっても、市はそれを利用できないという場合もありました。県が災害対策利用のために敷設したものだからということなのですが、たとえば震災から1~2週間といった時期なら優先順位の人が使うというのは当然ですが、時間がたっても、県と市には壁があって、その回線を有効活用できないのは問題だと感じました。インターネットは技術的には壁のないものですから、被災者の人たちも医療の人たちも、貴重な回線をみんなで仲良く使えるのがインターネットだと思うんです。

 われわれは大船渡市で、現地の企業といっしょに衛星回線で市のネットワークを引きました。DNSの登録もそちらに向けて、メールが受信できるようにサーバー構成も組み直して。市のネットワークがつながったら、目視距離で300mぐらいのところにある避難所にWi-Fiでネットワークをおすそわけして、館内のPCコーナーで使えるようにもしました。貴重な衛星回線を分かちあうことで、避難所にいる行政の人も、避難者の人たちも、ボランティアの人たちも、みんなで使えます。たとえば行政のネットワークは帯域を多めにとってほしいとかいうのがあると思いますが、そういうのは個別にお話を聞いて対応しています。

 石巻市でも、避難所である学校に私たちが設置したネットワークを、学校用のネットワークが回復するまでの間、学校用にも使えるようにして、運用しています。

 また、ある避難所では、電話コーナーにインターネットにつながったPCが置いてあって、1人10分までとなっていて、夜は責任上の問題から施錠していました。でも、避難所内にLANを敷設すればみんなで使える。われわれは避難所の本部で要望を聞いて、線を引いて、娯楽コーナーでも学校の職員室でも赤十字の救護所でも使えるようにしました。そこまでやってはじめてインターネットが役に立つ。

 当初ははたしてここまでボランティアでやるべきなのか、そこまでやっていいものかとも思いましたが、現在は、そこまでやらないとわれわれの価値はないかと思っています。

「復興震災インターネット」は通信事業者によるインフラが復旧するまでの“つなぎ”と位置づけ提供の方針~特定の組織のためではなく、最大限有効活用できるように
ニーズに合わせて環境を構築する衛星回線・3G回線をニーズにより敷設

 

時がたつにつれてニーズは変わる

――基本的には通信インフラが何かしらできているのでしょうか

大江:携帯は今はだいたい使えます。ただ、携帯回線をみんなで使うのは辛い、だからわれわれは衛星回線を置く、という形で動いています。

 一方で、たとえば石巻市街に入ったら光ファイバーも通ってたりと、だいぶよくなっているところもあります。

植原:インターネットが使えないということで行ってみると、ちゃんとADSLが引かれていたりする場合もありますね。ちょっと古めの情報が伝わってたり。

大江:通信方式はいろいろあって、たとえばインマルサットの衛星インターネットBGANなら、ノートパソコンぐらいのアンテナを衛星にむければ、384~492kbpsぐらいの速度でインターネットにつながるんですね。値段は高いですが。

 そういう技術をちゃんと災害直後に使えばPCを1台つないでメールの送受信はできる。そのあとに、トラックが動くようになったら、衛星アンテナや発電機とかを持ちこんで、みんなで回線が使えるようになります。さらに光ファイバーが戻ったら高速な通信ができる。

 震災から数週間たって行政のPCが戻ると、被災証明書とか出すなどの業務が始まります。そのときにインマルサットを配っても、帯域が足りず、用が足りません。今必要なのは、3~4Mbps以上の回線ですよね。Webサーバーを運用するのはキツいですが、それはクラウドやホスティングで外部に出せばいいわけで。

 被災直後から時がたつにつれて、必要になる情報のスケールは増えていきます。それに合わせて適切なインフラをどんどん投入していかなくてはならない。それをうまくできているところは、残念ながらまずありませんでした。

IPstarアンテナの調整中(陸前高田第一中学校)
仮設配線とWiFiアクセスポイント(陸前高田第一中学校)避難所内に設置されたWiFiAP(陸前高田第一中学校)

 

インターネットが根付くには、地元の理解を得ることが重要

――インターネットを引かないか避難所を聞いて回ったということですが、話がスムーズに進むのでしょうか

大江:避難所を訪れて、まずその地区をまとめているリーダーの人に会うのですが、「インターネットなどいらない」という返事が、10件中6件くらいの割合でありますね。地元の名士の方が地域を引っ張っていることが多く、よくも悪くもその方のリーダーシップで決まる。そういう地域に長く貢献して信頼を得ている方というのは、やはり高齢の方が多いので、自分ではパソコンなど使われない場合がほとんどです。

 そういう意味では、被災当初と違って現在は、時間的に昼間は若い人は働きに出かけていて避難所にいません。昼間は年配の方と小さな子供だけということになるので、時間的には若い人のいる夕方以後の方が話が進むことが多いです。

 鶴の一声、リーダーの意見で決まることが多いので、地区をまとめているリーダーの信頼をいかに得られるかがポイントですね。リーダーの方が積極的で、自分ではよくわからなくても、欲しいという人がいるならということで、ボランティアの人に一任する場合もあります。

 逆に、これまで紙とペンで十分運用してきたからパソコンやインターネットは要らないと言われることもありますし、子供のいる世代の方にインターネットは子供に使わせたくないと反対されることもあります。

 地区によってはその地区内の避難所ですべて断わられたこともあります。一度行ってダメだったところにもまた行きますけど。セールスマンですね(笑)。

――ただ、子供が心配という親もいるかもしれません

大江:たとえば岩手県のある避難所では、PCを若い親などの世代が自分たちで管理しています。そこは小学校も兼ねていて、子供もインターネットを使える。子供に、見ちゃいけないホームページは見るなと言える親がいるから、問題にならないんですね。そういうIT自治ができるかどうかというのが重要で、ただPCを置くだけではダメだと。

――こちらから指導したりは

大江:いや、言ったらわかってくれました。

 たとえば、別の避難所では、子供は5時から8時までならPCを使っていいことになっていて、8時からは大人の時間だと決まっています。そのように親や使える人がコントロールしてくれるんだったら、それはいいことです。われわれも任せられますし。PCの盗難の問題なども含めて、自分たちでちゃんとやってもらうのが大切なんですよね。

 若い人がPCを使っていたら、避難者の情報や不動産の情報などがわかって便利なんだ、と親や年配の人もわかりますよね。その経験を避難所の人たちで共有できれば、復興していく中で、自分たちで意見が言えるようになる。それが大切だと思うんですよね。

 あと、僕ら自身がそうでしたが、避難生活の中でインターネットを使って「インターネットって凄い」と思った子供が大学に行くような年齢になって、自分はインターネットの技術者になるんだと志を持つ人がその中で出てきたらうれしいですね。直接的には、ニュースが手に入ったとかYouTubeでテレビ番組を見られたとかいうのが利点だと思いますが、最終的にはそうした経験が残って、次世代を育てられたらいいなと思います。

――ネットワークのセッティングは、現地の方も参加しているのでしょうか

大江:われわれが全部やってしまったら、われわれが帰ると何も残らないんですよ。技術も残らないし、経験も残らない。そのため、できるだけ現地の人に協力してくれませんかとお願いしています。被災者の方にご協力いただいたり、大学で募集していただいたり、企業の方に手伝っていただいたり。

 われわれはふだんは東京にいるので、調子が悪くなったときに東京から車で行くというのは非現実的です。できるだけ現場の方にやってもらわないといけない。われわれは、インフラを整えて、PCを渡して、がんばってメンテナンスしてくださいという立場です。

 避難所で利用したことをきっかけに、少しでも多くの人がインターネットって便利だなと思ってくれて、避難所を出てもインターネットを使ってあれを調べようといったかたちでインターネットを使うようになって、インターネット利用が根付くというところまでいけたらと思っています。そのために、より多くの人に使ってもらいたい。毎週行っているのですが、今週もまた機材を入れ替えに行ってきます。


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(高橋 正和)

2011/5/30 06:00