趣味のインターネット地図ウォッチ

第177回

ラスターではもう戦えない――ベクトル化でパワーアップした「Yahoo!地図」の中の人に話を聞きました

「気軽に未知の場所に行けるツール目指す」

 8月にAndroid版を大幅にリニューアルし、12月にはiPhone版もリニューアルしたスマートフォン向け「Yahoo!地図」アプリ。ラスター地図からベクトル地図へと変わったことには、一体どのような背景があるのだろうか。「Yahoo!地図」のマーケティング担当者であるヤフー株式会社の入山高光氏(システム統括本部マップイノベーションセンターリーダー)と、サービスを統括している二宮一浩氏(システム統括本部マップイノベーションセンターサービスマネージャー)に話をうかがった。

ヤフー株式会社の入山高光氏(システム統括本部マップイノベーションセンターリーダー)
ヤフー株式会社の二宮一浩氏(システム統括本部マップイノベーションセンターサービスマネージャー)

ベクトル地図という新たなステージで可能性を追求

 ポータルサイト「Yahoo! JAPAN」が誕生したのは1996年4月。同サイトにおいて地図サービス「Yahoo!地図情報」が始まったのは2年後の1998年と、数多くのYahoo! JAPANのサービスの中でもかなり歴史が古い。当初の「Yahoo!地図情報」は、地図サイト「マピオン」経由でサービスを提供していた。使い勝手も現在のようなフリースクロールのUIではなく、表示エリアを移動させる場合はそのたびに隣接する地図画像をクリックして切り替えるという面倒なものだった。

 その6年後の2004年12月、ヤフーは地図会社であるアルプス社の事業継承にともなって、自社でコンテンツとエンジンを手がけるようになる。現在の「Yahoo!地図」のベースができあがったのはこの時だ。アルプス社はもともと地図データおよびシステムを開発していた会社であり、地図データのハンドリングや住所検索などのノウハウはすでに持っていたので、比較的早い段階で自前のシステムはうまく回るようになったという。

2005年12月時点の「Yahoo!地図」(「INTERNET Watch」2005年12月15日付記事より)
2007年3月時点の「Yahoo!地図」(「INTERNET Watch」2007年3月23日付記事より)
アルプス社が2000年に発売した「プロアトラス2000」(「PC Watch」1999年6月8日付記事より)

 「Yahoo!地図情報」はその後、2011年6月に「Yahoo!ロコ地図」という名称に一旦変更した後、現在の「Yahoo!地図」へと変わり、今に至っている。すでに10年以上もの歴史を持つ息の長いサービスであり、その間にさまざまな機能が追加されていったわけだが、ラスター形式の地図という点は今までずっと変わらなかった。今回、スマートフォンアプリがベクトル地図となったのは、同サービスの歴史の中でも大きな変化と言えるだろう。

 ベクトル地図を採用した理由について二宮氏は、「ラスターではこれ以上戦えない、というのが一番の理由です」と語る。

 「地図データの高速スクロールや拡大・縮小、地図の回転、3Dのバードビューが可能になるなど、ベクトル化したからこそできることはたくさんあるし、ユーザーひとりひとりに合わせたカスタマイズの自由度も上がります。地図というのは人にとって一番身近にあるアプリで、ユーザーの状態を地図側で読み取って画面を変えたり、夜だったら画面を切り替えたり、ユーザーが高齢の場合は文字を大きくしたりするなど、さまざまな可能性が考えられます。ベクトル地図であればそのようなこともどんどんやれるでしょう。」(二宮氏)

 「今後は地図のパーソナライズ化も課題になってくると思いますが、個人の検索履歴に加えて、今どこにいるかとか、時間だけではなくて雨が降っているかどうかとか、リアルタイムの情報と個人の履歴情報を合わせてパーソナライズ化していくのを目指していきたい。そういうことを考えると、ラスター地図のままではどうしても限界があります。LatLongLab(後述)などを通じて、これまでいろいろなユーザーインターフェイスの実験なども行ってきましたが、『ラスター地図でできることはかなりやったな』という思いがあるので、ここからはベクトル地図という新たなステージに変えて可能性をひとつひとつ追求していきたいと思います。」(入山氏)

リニューアル後の「Yahoo!地図」アプリ
リニューアル前の「Yahoo!地図」アプリ
地図の回転が可能に
バードビュー

Android版アプリのリリース後に「鉄道路線図」が復活

 ベクトル地図への移行にあたっては、先行公開したAndroid版の開発が始まったのがリリースの約半年前だったという。

 「以前からベクトル地図の研究開発はしていたのですが、本格稼働させるのはいつなのかとタイミングを計っているような状況でした。Android版の開発にあたって苦労したのは『OpenGL』という技術で、俗に“旗竿”と呼ばれる路線の白黒表現などは、ポリゴンだととても難しかったですね。OpenGLはゲーム以外のアプリにはあまり使われない技術で、地図アプリに使っているのは『Yahoo!地図』と『Google マップ』くらいだと思います。あとはスピードについても苦労しました。Androidは機種によってメモリの容量が異なるので、メモリの少ないものは少ないなりにサクサクと動くようにするのが苦労しました。」(二宮氏)

 「ラスター地図だと、『読み込んで表示する』というシンプルな作りになりますが、ベクトル地図の場合はクライアント側でいろいろと複雑な処理をすることになります。その分、クライアントに負荷をかけるので、パフォーマンスはもちろん、消費電力についてもいろいろとチューニングをして、使っていただけるのに十分なレベルに落とし込んでいきました。」(入山氏)

 リニューアルにともなってさまざまな機能が追加された一方で、搭載が見送られた要素もある。例えば従来は「標準地図」に加えて「地図(PC版)」「写真」「写真+注記」「鉄道路線」「OSM」「地下街(地下街のデータがある場所のみ)」「水域図」「地形図」「ミッドナイト」「モノトーン」と数多くの種類が用意されていたが、Android版のリリース時には「地図」と「航空写真」の2種類のみとなった。

リニューアル前は地図画面の種類が豊富だった
リニューアル後

 「Android版をリリースした時に『地図の種類が少なくなった』という声をいただきまして、その中でも特に『鉄道路線図』の要望が多かったので、すぐに見直しを検討し、10月にアップデートして再び搭載することになりました。このような場合でも、ベクトル地図ならば通常の地図からデザインを変えるだけで『鉄道路線図』がすぐにできてしまう。これもベクトル地図のメリットのひとつだと思います。」(入山氏)

 このことを踏まえて、iPhone版では「鉄道路線図」を追加した状態でリリースした。なお、「雨雲レーダー」については従来の通り見られるようになっているほか、「標準地図」については前述したように2Dだけでなくバードビューも可能になるなど、これまでは見ることのできなかった地図表現も加わっている。

鉄道路線図
雨雲レーダー

 「以前から『Yahoo!地図』アプリを使っていただいていた方には、『これが無くなった』『あれが無くなった』という声はいろいろとお聞きしていますので、要望が多ければどんどん反映したいと思います。とにかく『Yahoo!地図』のスタッフは、Twitterやアプリストアのコメントをびっくりするくらい見ていますので(笑)。ユーザーのみなさまの何気ない一言で、スタッフの誰もが一喜一憂しているんですよ。だから、『こうしてほしい』という声をいただいた時はできるだけ真摯に検討するし、ユーザーの声が反映される確率はほかのアプリよりも高いと思います。」(入山氏)

 ちなみにアプリはリニューアルとなったものの、iPhone/Android上でもウェブブラウザーで「Yahoo!地図」のサイトにアクセスすれば、従来通りのラスター地図を閲覧することは可能なので、用途に応じてアプリ版とウェブ版を使い分けるという手もある。

ウェブ版の地図

人の動きを感知して表示が切り替わる「振動感知」機能

 地図画面のデザインについては、以前に比べて全体的に色が薄めであっさりとした印象だ。

 「最初はもっと薄かったのですが、外で使った時に『これでは見えにくい』ということになり、少し濃くしました。PCの場合は室内で使う人が多いですが、スマートフォンは外で使われることが多いので、外でどのように見えるのかが大切になります、また、色については日本向けのアプリということで、鶯(うぐいす)色など日本特有の色も使っています。」(二宮氏)

 住所の番地や号など、どこまで拡大した時に番地や号を表示させるかというタイミングについてもいろいろと細かく調整して完成度を高めたという。

 「どの縮尺のどの倍率から何を表示させるか、というのはリリース後もずっと調整し続けていて、最適なタイミングを追求しています。ラスター地図の場合は画面と睨めっこをしながら検討しますが、ベクトル地図の場合は実際に外に出て使ってみて、アルゴリズムを工夫してまた使ってみて……と、トライ&エラーを繰り返しながら作っていきます。」(二宮氏)

 「ラスターの場合、注記が多い場合は目で見てバランスよく間引くことができますが、ベクトルの場合はアルゴリズムで行うので、重なったら優先度に応じて消すという処理をします。このアルゴリズムは、ひたすら磨き上げていくしかないし、優先順位をどう付けるかがデザインする上でのポイントになります。」(入山氏)

 注記については、Android版にはなかった新たな機能もiPhone版には追加された。人の動きを感知して自動的に表示が大きくなる「振動感知」機能だ。最近は歩きながらスマートフォンを操作することで回りに迷惑をかけてしまう“歩きスマホ”が問題となっているが、歩いていることを感知して自動的に注記が大きく表示されれば、それだけ素早く情報を得ることができるのでトラブルが起きる可能性も少なくなる。NTTドコモの「あんしんモード」のように、動きを感知すると警告画面を出して画面を見られなくするのもひとつの手ではあるが、そのような機能は使われなければ意味がない。今回、「Yahoo!地図」アプリに搭載された振動感知機能ならば、それほど違和感なく使ってみようという気になる。

 「振動感知機能を思い付いたのは、iPhone 5sにM7チップが載ったので、その機能をぜひ使ってみたかったというのがきっかけです。このチップには人の動きが分かるAPIがあり、『走っている』『歩いている』という今の状態が分かるようになっているので、これを利用しようということになりました。ただし実際に搭載してみたところ、M7チップを使うよりも振動感知センサーで判定したほうが早かったというオチになってしまいました。だからM7チップの特殊機能は結局使っていないので、振動感知機能をAndroidにも移植することは可能です。」(二宮氏)

通常画面
振動感知オン時

 iPhone 5sのM7チップ搭載のようなハードウェアの進化に素早く対応するのも「Yahoo!地図」ならではだ。最近では、ソニーモバイルのスマートフォン「Xperia」と連携するスマートウォッチ「SmartWatch 2」に対応したAndroidアプリ「雨雲レーダー for SmartWatch」が、SmartWatch 2の発売とほぼ同時にリリースされた。スマートウォッチに対応した地図アプリがまだ少ない中、「SmartWatch 2」ユーザーにとってこのアプリはかなり魅力的ではないだろうか。

 「時計やメガネ型など、いろいろなガジェットがこれから出てくると思いますが、それ単体では測位する機能が無くても、スマートフォンなどと連動することで情報を取得して、それをベースにいろいろな価値を提供することができると思うので、新しい機器にはどんどん取り組んでいきたいと思っています。」(入山氏)

雨雲レーダー for SmartWatch(「Yahoo!地図ブログ」より画像転載)

伊勢神宮の遷宮を地図に素早く忠実に反映

 このような素早い対応は、ヤフーが全社的に掲げている“爆速”の精神に沿ったものであり、地図の更新についても同様の素早い対応を見せている。最近では、小笠原諸島・西之島近くの火山噴火で誕生した新島の地図への反映がまさに爆速だった。

 「地図データの更新については、システム的に早く行える体制を整えているというのもありますが、マインドセットの変化のほうが大きいですね。以前は新しいことをする場合、『やっていいのかな』『だめなのかな』と様子をうかがう感じでしたが、今は『迷ったらやってしまえ』という雰囲気ですから。新島については、デジタルデータがAPIとして用意されているわけではないので、国土地理院や海上保安庁が出している情報を収集して反映しました。Googleさんはデジタルで自動化するところに長けているけれど、うちはアナログな面も強いので、地図更新の時はそのような良さが出ていると思います」(入山氏)

西之島周辺の新島

 西之島の新島だけでなく、ほかにもいち早く地図の更新を行った例は数多い。

「今年は伊勢神宮の遷宮、つまり神様の引っ越しの行事がありまして、『Yahoo!地図』ではそれを地味に地図に反映しています。言われなければ気付かない話だと思いますが、担当者が『これは重要だ』とこだわりを持っているのであれば、社内の環境的にもそれを押していこうということになっています。ほかにも、渋谷駅で東急と東京メトロが相互直通運転を開始した時も、開始当日に『Yahoo!地図』はしっかりと更新していました。」(入山氏)

伊勢神宮内宮の変化(「Yahoo!地図ブログ」より画像転載)

 地図データを更新するだけでなく、時事ニュースを反映したコンテンツが用意されることもある。例えば東京五輪が決まった時には、その舞台となる施設を「Yahoo!地図」で巡ることができる特設サイトを立ち上げた。同サイトでは、オリンピックスタジアムとなる予定の国立霞ヶ丘競技場などが写真で見られるようになっており、その場所を地図上で確認できる。これに加えて、Androidアプリでは、五輪会場となる施設を3Dデータ化して期間限定で公開するという企画も行った。

 「五輪の開催地が決定する時は会社にいて、朝5時くらいにスタッフみんなでテレビを見ていました。実は東京に決まらなかった場合でも作ったコンテンツは載せようと思っていて、決定する2時間前くらいには公開の操作を行っていたのです。もし東京に決まらなかった場合はこっそりと降ろすつもりでした(笑)。このように、リアル世界でインパクトの大きいものをできる限り早く地図に反映したい、という思いは常にあります。最近では、リニア新幹線の計画線も小縮尺の地図に点線で入れています。あくまでも計画線なので、正確ではないかもしれないですが、『知りたい』というユーザーの声が寄せられるので、その期待に応えたいと思いました。」(入山氏)

五輪会場を3Dデータ化して公開
リニア新幹線の計画線

気軽に未知の場所に行けるツールを目指す

 このような柔軟で素早い対応が行える背景には、2013年4月に行われた組織変更もある。この時、ヤフーの社内には地図や位置情報を専門的かつ総合的に扱う新たな部署「マップイノベーションセンター」が誕生した。

 「これまでヤフーの地図関連の部隊は東京、名古屋、大阪に大きく分かれていました。データとプラットフォームを作る部分は名古屋・大阪、サービスは東京で担当していたのですが、それらを統合して、サービスも含めて1つの部署でやることになりました。マップイノベーションセンターの誕生により何が変わったかと言えば、間違いなく意志決定のスピードですね。地図というサービスは、データから始まる話がとても多くて、従来はデータから始まった話をサービスとして吸い上げるまでにいろいろなステップがあって、リアルタイムに提供できないこともあったのですが、新しい体制になって垂直統合されたことにより、意志決定の速度が本当に速くなりました。」(入山氏)

 「Yahoo!地図」を語る上でもうひとつ見逃せないのが、地図・位置情報をテーマとした実験サービスを行う「LatLongLab」だ。これは旧アルプス社時代に「ALPSLAB」として公開されていたものが名前を変えたもので、サイクリングコースや道案内などのルートを描いて公開できる「ルートラボ」や、ライフログアプリ「僕の来た道」、iPad向けのウェブ地図アプリ「yubichiz」、1999年と2009年の東京の地図を見比べる「TOKYO decade」などさまざまなサービスを提供している。

ルートラボ
TOKYO decade

 「『TOKYO decade』については、アルプス社時代の地図ソフト『プロアトラス』で使っていたデータがあって、異なる時代の地図を比べることを思い付きました。ほかにも、地図の中の店の名前をクリックするだけで詳しい情報が見られる『ぽ地図』というサービスもありますが、注記を直にクリックして情報を調べられるというコンセプトは、注記をタップすると検索できるという『yubichiz』のUIにもつながっています。」(二宮氏)

ぽ地図
yubichiz

 このように他のサービスでは見られないさまざまな取り組みを行っている「Yahoo!地図」だが、最近の話題としては、Android版アプリで全国のスキー場のゲレンデマップが見られるようになったことが記憶に新しい。地図サービスにおいてゲレンデマップを網羅的に掲載する例は珍しく、ウインタースポーツを好きな人にとっては実に魅力的だ。「Yahoo!地図」は、スタッフが公式ブログで追加機能や更新情報などを積極的に発信していることも特徴のひとつだ。今後どのような機能を追加するのか、どのような情報を掲載するのか、ブログの更新が実に楽しみだ。

スキー場ゲレンデマップ

 最後に、今後「Yahoo!地図」がどのように進化していくのか、二人に抱負をうかがった。

 「地図というのはツールとして使えないと意味がありません。新しいテクノロジーや機能が搭載されることよりも、それがユーザーに受け入れられるか、使っていただけるかが大切です。今回、地図がベクトルになったことにより、できるようになったことはたくさんあるのですが、今のタイミングでそれをすべて出しても、押し付けになってしまい、ユーザーは困るだろうということも多いです。だから、今後はユーザーが新しい体験をする際の敷居を下げられるようにがんばりたい。そうすれば、ベクトル地図はもっと可能性が広がると思います。」(入山氏)

 「新しいガジェットなどにも積極的に取り組んで、基本は押さえつつもどんどん広げていきたいですね。『地図はこういうものである』という固定観念を持たずに、『地図ってこういうこともできるんだよ、あんなこともできるんだよ』と提案していきたい。あとは、『日本中から迷う人を無くしたい』という思いも基本にあります。人は行ったことのない場所に行く時は不安を感じるものなので、いつもの通勤みたいな感じで気軽に未知の場所に行けるようなツールを目指していきたいと思います。」(二宮氏)

片岡 義明

IT・家電・街歩きなどの分野で活動中のライター。特に地図や位置情報に関す ることを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから法 人向け地図ソリューション、紙地図、測位システム、ナビゲーションデバイス、 オープンデータなど幅広い地図関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「位置情報ビッグデータ」(共著)が発売中。