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「お金にならなくてもサービスを作りたい」が大事
〜ユーザーローカル社長 伊藤将雄氏


 「僕は普通ですよ」と伊藤将雄氏は言う。そして、その同じ口で、「(みんなの就職活動日記の)サーバー代は月に10万円ほど自己負担していました。ユーザーが喜ぶので」とすごいことをさらっと言う。それが伊藤氏だ。ITやネットに対する愛情に溢れ、話を聞くだけで明るい気持ちになれる。

 PC版無料アクセス解析ツール「なかのひと」や携帯電話版「うごくひと」、ユーザーの動向が分かるPC版有料アクセス解析ツール「ユーザーインサイト」などの運営で知られるユーザーローカル代表取締役社長伊藤将雄氏に、さまざまなサービスを作った理由、起業の理由、今後について聞いた。

パソコン大好き少年

ユーザーローカル代表取締役社長 伊藤将雄氏。「みんなの就職活動日記」、アクセス解析ツール「なかのひと」、携帯版アクセス解析ツール「うごくひと」と、伊藤氏が提供するサービスは無料が基本。「みんなの就職活動日記」は毎月10万円を自費でまかない、サービスを続けていた

 出身は千葉県です。小学生の頃、マイコンブームがありました。NECやシャープからパソコンが出たばかりで、持っている子はまだクラスに1、2人程度。僕にとってパソコンは「夢の機械」で、よく夢中でパソコン雑誌を立ち読みしていました。

 ずっと欲しかったのですが、当時はAppleのコンピュータが70万円以上、日本製のものでも十数万円したので、そう買ってもらえるものではありません。そこで、「何となく欲しがってるわけじゃない、本気で欲しいんだ」と毎日必死にアピールしていました。

 買ってもらえないので、紙にBASICでプログラムを書いては、パソコンを展示しているデパートの電気屋さんに行って打ち込んで動作確認したりしていました。その姿を見た親が折れて、小学校6年生のときに買ってくれました。シャープのX1というパソコンでした。

 その後は朝から晩までインベーダーゲームもどきのゲームなどを作っては、友達を呼んでやらせていました。でも、作った本人は満足でも、きっと他人にとっては面白くないゲームだったでしょうね(笑)。

コンピュータと無線にはまった高校時代

 高校生の時も、学校のパソコンでゲームを作っては友達に試させていました。サイン、コサインといった三角関数を使うと向きを制御できるようになるので、それまでより高度な、向きが変えられるレーシングゲームなどを作っていました。数学はゲームを作るために勉強しているようなものでしたね。

 その頃使っていたマシンは、学校に置いてあったPC-9800シリーズです。ゲームはフロッピーに入れて渡していました。通信がまだそれほど普及していないので、友達にしか遊ばせることができないのが残念でした。

 当時、アマチュア無線部に入っていました。屋上に柱やアンテナを立てて交信するものです。どれだけたくさんの人と交信したかを高校単位で争う競技に参加したこともあります。

 周波数帯によって電波が飛ぶ距離が違うのですが、海外の人と話せたりすると興奮しました。相手は英語圏のことが多く、その他韓国などとも通信しました。無線は、たくさんの人とつながれることが楽しかったですね。いま考えると、無線にはネットと共通するものがあります。無線経験者には、通信会社に就職したり、ネットや携帯電話メーカーに行く人が多かったですね。

「みんなの就職活動日記」誕生

「みんなの就職活動日記」サイト。現在は楽天が運営しており、「楽天みんなの就職活動日記」としてサービスが提供されている

 高校は理系の学校だったのですが、大学は早稲田の文系学部に行きました。3年生の時、理工学部の学生に「インターネットってすごいらしい」と聞きました。さっそく理工学部の端末室へ行ってUNIXを使い、Mosaicであちこちのホームページを見てみました。

 いま思えば官公庁や研究機関が作った簡単なページしかありませんでした。「既存サイトのHTMLソースを見て同じように書けば、自分でもWebページを作れるよ」と聞いたので、やってみたらWebページができたんです。これはすごいと思いました。そこで、学内ネットワークのマシンにファイルを置いて、自分のサイトを公開していました。

 クチコミ就職サイト「みんなの就職活動日記」を作ったのは、1996年のことです。ちょうど就活直後だったのと大学4年生で暇だったので、システムに詳しい人に聞きながら作りました。

 作ってから3カ月間はまったく反応がなかったものの、卒業した後、徐々に使われるようになってきました。その後も5年間くらい、毎年就活が終わる時期になると、「このサイトのおかげで就職できました」というお礼メールが年200通以上きていましたね。サーバー代は月10万円かかっており、その後会社化するまでずっと自費で賄っていました。

出版社に就職

 大学卒業後は、日経BP社に入社して、雑誌編集や記者仕事をしました。その頃考えていたことですが、編集部とプロのライターが取材を行うと、クオリティは高いものの、分量に限界があります。一方、みんなの就職活動日記にはたくさんの学生が情報を書くので、掲載される企業情報は何万社にもなります。その対比はとても面白かったですね。当時まだCGMという言葉がないころのことでした。

 ネットはみんなが書き込むことでメディアになることができるんだ。それが、マスメディアにいる時の実感でした。また、後から書き加えられるのも面白い。ネットは常に制作中で、内容がどんどん変わっていくのです。

「ECなんて流行るわけがないと思った」

1999年に沖縄旅行に行ったら、偶然立ち寄った泡盛の店のご主人が楽天市場で泡盛を売っていると聞いた。「これに僕は衝撃を受けました。何もわかっていないのは自分だったんです」

 卒業後、大学時代の知り合いだった本城愼之介(楽天元副社長)さんから、楽天市場というショッピング・サイトを作ったと聞きました。当時、「こんなの絶対に流行らないだろう」と思っていました。ネット経由でものを買うなんてありえない。デザインもひどくて、完全にスルーしていました。

 1999年に、出版社の同期と沖縄旅行に出かけました。那覇で偶然立ち寄った泡盛の店で、店のご主人が「ネットでうちの泡盛を売っているんだ」と言います。しかも、楽天市場のシステムを利用していて、結構売れていると言うのです。自分は「流行らない」と思ったものを使って、沖縄でもう商売している人がいる。これに僕は衝撃を受けました。何もわかっていないのは自分だった。これはすごい……。

 旅行から帰るとすぐ、楽天に遊びに行き、三木谷浩史社長に会いました。その後半年ほどして転職しました。自分がダメと思ったのにうまくいっているのだから、その良さを身をもって学ぼうと考えたのです。

 楽天に転職するかどうか悩んでいたころ、隣の編集部にいた現GREE副社長の山岸広太郎君が紹介してくれたのが、現GREE社長の田中良和君でした。田中君も、楽天への入社を考えていました。1999年末、「楽天って実際どうなんだろうね、不安だけど、面白そうだからやってみようぜ」と、2人とも入社を決めたのです。2000年の1月に田中君が入り、僕は3月に入りました。

「コミュニティサイトを作りたい」

 楽天の無料ブログサービス「楽天広場」は、田中君と一緒に作ったものです。話しているうち、「個人向けのサービスがあったら面白いよね」と意見が一致したのです。「日記はWebと相性がいいはずだ。Webで日記を書けるサービスを作ろう」と考えました。そこで、2001年頭くらいから3カ月かけて、会社の使っていないサーバーを借りて開発を始めたのです。

 お互いの考え方をぶつけながら、「この機能はこうした方がいい、ボタンはここ」と話し合いながら作っていきました。2人とも大規模なものは作ったことがなかったので、手探り状態でした。本業の片手間で作ったため、もっとちゃんと大人数でやれればよかったと思ったこともあります。土日に会社に行っては延々と作り続け、リリース前はほとんどずっと会社にいるような状態でした。

 田中君と僕は「コミュニティサイトが作りたい」という点で目標が一致していました。たくさんの人が面白がるものを作ることに関心が高かったのです。彼と一緒に作れてよかったですね。田中君は僕の初めての後輩でしたが、仕事ができる人で自分の目標に対するストイックさがありました。ただ仕事だからやるというのではなく、世の中に必要だから、流行らせたいからという理由で働いていました。

お荷物扱いだった「楽天広場」

楽天広場の最初のバージョンが完成したものの、「会社からは、こんな役に立たないサービスを出して大丈夫か、と怒られました(笑)」。当時楽天はECが本業。ポータル化に本格的に取り組む前だった

 最初のバージョンが完成したあとも、会社からは「こんな役に立たないサービスを出して大丈夫か」と怒られました(笑)。当時の楽天にとってはECが本業で、他のことをする余裕がなかったからです。

 上司が役員をなんとか説得してくれて、なんとかサービス開始できました。しかし、売り上げにつながらない「お荷物」扱いで、サーバーも増やしにくいものがありました。

 楽天広場をリリースして最初の半年は無反応でしたが、ある時点から一気に流行り始めました。当時は日記サービス自体が珍しく、ましてや大企業がやることはまずなかったので、会員は順調に増え、すぐにサーバーが足りなくなりました。ユーザーに遅いと文句を言われつつ、サービスを続けていきました。

 その頃、携帯電話向け楽天市場の開発スタッフも兼務していました。当時、画面が小さく画質もよくない携帯端末経由でものを売るのは難しいだろうと思っていました。でも、駄目そうだと思っていたPCのECが流行ったのと同じように、携帯でも売れると信じることにしました。実際、数年経ってパケホーダイが普及したあたりから売り上げがどんどん伸びているようです。

若くて勢いがあった楽天

 三木谷社長は頭の回転が速い人で、1を話すと100返ってきます。こういう人がいるんだなと刺激にも勉強にもなりました。楽天は若い会社で、僕自身は26歳のときに転職したのですが、楽天の社員の平均年齢も同じくらい。入社時で既に中堅の年齢で、下に23〜25歳の人たちが並ぶという具合でした。年下の上司もいる。社員のほとんどが20代でも会社は成立する。長くいれば仕事ができるようになるというものではないんです。

 出版社時代は、上司である編集長の言うとおりやっていればよかった。けれど、楽天では違って、上司も同年代で誰もが試行錯誤しながらやっており、何が正しいというものはないし、誰も正解がわからないけれどとにかく前へ進めていくという日々でした。

 会社は、僕がいる期間にもみるみる大きくなっていきました。会社が小さい時に結果を出すタイプの社員と、大きくなったら評価されるタイプの社員は違うということを学ぶことができました。

 組織の成長に合わせて変われないタイプの人は、会社が大きくなると残れなくなります。大きくなっていく会社を見ているうち、自分にはスタートアップのほうが向いているということに気がつきました。「会社で偉くなりたい」というより、「自分でやってみたい」という気持ちの方が強かったのです。

(明日の後編につづく)


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2009/7/27 11:00


取材・執筆:高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っ ている。