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米国では、西海岸の「シリコンバレー」、東海岸の「シリコンアレー」などから注目のIT関連のスタートアップ企業が登場しています。そして、今日本でも「ビットバレー」が話題になるなど、さまざまなインターネット関連のベンチャー企業が注目を集めています。この連載では、渋谷周辺のみならず日本全国から、新事業を創造する、まだあまり知られていない企業をピックアップし紹介します。(編集部)
2000年3月から1年に渡りお送りしてきたこの連載「ネットビジネス 日本からの挑戦」も今回が最終回。果たしてこの1年間は日本のネットビジネス界にとってどのような1年であったのか――。
上記の連載紹介文にも登場する「ビットバレー」は、1年前にはまだ生々しい一つの“現象”であったが、連日、米国IT関連企業の不景気なニュースが飛び込んでくる現在、世間的(あるいはマスコミ的)には、ビットバレーの盛り上がりはすでに過去のものかもしれない。
しかし、ここ日本での「ネットビジネス」はまだ始まったばかりだ。今年2月には北海道・札幌市において全国のベンチャーが集結した「全国ITバトルカンファレンス」が開催された。ここに集まった企業・参加者の熱気は真冬の北海道の寒さを吹き飛ばすに十分であった。ビットバレーを起爆とする流れは確実に全国に飛び火し、着実に実を結びつつある。
さて、最終回となる今回は、実際に本連載の取材・執筆を担当し、さらに自らも「日本のネットビジネス」を担う一企業である、株式会社フロントライン・ドット・ジェーピー(東京都)に登場願った。フロントライン・ドット・ジェーピーの事業について、そして本連載を通して見た日本のネットビジネスについて、同社の代表・ 藤元健太郎氏にお話を聞いた。
●フロントライン・ドット・ジェーピー設立の経緯
藤元氏が最初にインターネットに触れたのは、今から13年前の1988年。まだインターネットは学術利用が主で、ビジネスでの利用は具体的にイメージされていない時代だった。その状況は'91年に株式会社野村総合研究所に入社した当時はまだ変わらなかった。藤元氏が、本当に「インターネットがビジネスでいける」と感じたのは'93年にWWWブラウザー「mosaic」のβ2を目にしてからだという。
その後、インターネットによるビジネスを立ち上げようと、各企業に提案し、'95年に設立したコンソーシアムが「サイバービジネスパーク」である。サイバービジネスパークでは、大企業が必要なリソースを用意し、通販やプロモーション、マーケティング、BBS、アンケートなどを実験的に進めてきた。そして'98年、藤元氏は、米国のeクリスマスを見て「日本でも本格的なネットビジネスの時代がやってくる」と感じたという。
しかし、サイバービジネスパークで実施された多様な実験、また、多くの企業と接する中でさまざまな現実に直面した。
参加する企業側は、コンサルティングからシステム構築、コンテンツデザインなど一連の業務を一括して依頼できることを求めていた。サイバービジネスパークの実験段階においては、それぞれの分野について外部企業からリソースを調達する形であり、理想的なフォーメーションの元にサポートすることが難しかったという。
「本格的なサポートは、サイバービジネスパークという実験の枠組みでは難しかった。クライアントには、忙しい中でまとめて一括してお願いしたいというニーズがあったが、それに応えられず歯痒い思いをしていました」(藤元氏)
また、本格的にベンチャー企業を支援するにあたり、ある種の“壁”を取り払う必要性を感じたという。
「“生活者を豊かにするため”など、どんなに理想的な話をしていても、大企業の中からの発言だと、世の中からみると評論家的な扱いになってしまう。同じことを言っているにしても、大企業の中で言ってるのとベンチャー的に外に出て言ってるのでは、外に出て言ってるほうが説得力が出てくるという思いがあった」(藤元氏)
藤元氏は、これらのニーズに応えるためには「会社」が必要だという実感を持った。そして、起業を思い立った後、知人から紹介してもらったのが、先日惜しくも亡くなられた大川功氏(CSK/セガ会長)であった。そして、大川氏からエンジェルとしての支援を得て、1999年にスタートしたのがフロントライン・ドット・ジェーピーである。
●フロントライン・ドット・ジェーピー~社名に託す思い
国内でもネット関連ベンチャーが、“ドットコム”を社名に織り込む例が多く見られ、あたかもドットコムがインターネット関連企業の代名詞だと言わんばかりだ。そんな中、あえて「ドット・ジェーピー」と名付けた理由は何だったのだろうか。
藤元氏によれば、1996年頃から米国が一歩先に進み、確かに日本が置いていかれたという感覚はあったが「最初から差があった訳じゃないという思いがすごくあった」という。
「日本からもビジネスモデルを生み出せるはずと思いました。全部アメリカのモデルをケーススタデイにしてサクセスストーリーだといって日本に移植するというのも情けない気がして。“ドットコム”はなく“ドットジェーピー”という形で日本からも世界にモデルを出していくべきじゃないかと。それを手助けする会社にしたいという思いがありました」(藤元氏)
また“フロントライン”については次のように語っている。
「新しい日本のイメージを持ちたかった。日本はいろんな意味である種硬直している。今の日本を新しい日本にしなくてはならない。そのためにはITが有効で、そのITを使って新しい日本を導くために最前線に常にいるようにしたいというのが社名の意味ですね」(藤元氏)
このような思いを胸に命名されたのが「フロンライン・ドットジェーピー」である。
●eビジネスを“ワンストップ”で
現在、約40名の社員を抱えるフロンライン・ドットジェーピー。事業の柱は「コンサルティング」「ソリューション」「ASP」の3本だという。
コンサルティングのメニューでは、ビジネスモデル構築・戦略立案のほか、市場分析やマーケティングプランの策定、オペレーティング構築など、事業の立ち上げに必要なサービスを提供する。また、ソリューションメニューでは、Webサイトの構築、メディアプロモーション、カスタマーサポートの運用など、事業の実行を支援するサービスを提供。そして、ASPメニューでは、ホスティングやログ分析、メール配信サービスなど実際に事業を進める上で必要なサービスをASPとして提供する。これらのサービスメニューをワンストップで提供できるのは、まさに、サイバービジネスパーク時代に企業側のニーズを捉えたことがあったからである。
なお、現在、収益の中心となっているのは「コンサルティング」と「ソリューション」の2点。収益のうちASPサービスの占める割合は7%くらいだが、会社としてのバランスからみて将来的には30%まで伸ばしたいという。
「コンサルティングとソリューションは受注するもので『労働集約的』なビジネス。このモデルだけだと顧客のニーズは満たすけれども会社としての成長性は弱い。人がたくさんいれば売り上げは伸びるという、先進的なようでいて実はオールドモデルです。自立的に成長するモデル、受注ビジネスじゃないモデルとしてはASPサービスがある。コンサルティングとソリューションのノウハウがASPに還元され、さらにいいものになっていくというのが理想です」(藤元氏)
顧客をコンサルティングサービスからASPサービスへと導くという流れも実際に多いとのことだが、ASPサービス単体での提供はまだ少ないという。そこで現在は、広告の効果測定やオープン系のアンケートツールなどをASPとして提供する「評価サービス」に力を入れている。また、コンサルティングとASPをセットにした評価パッケージも開発しているとのこと。
なお、同社の提供するサービスは、「SIPS(Strategic Internet Professional Services)」や「web-integrator」といった総合的なWebコンサルタント業態と同様に見えるが、他社との差別化ポイントはどこにあるのだろうか。藤元氏は次のように語っている。
「Webサイトを作るためのコンサルティングだけではなく、そもそも世の中のニーズやマーケットの現状、eビジネス全体の最先端の様子がコンサルティングをやることによって常に入ってくることの意義を重要視している」
個別企業のeビジネス戦略だけではなく、社会や業界全体を俯瞰できるというポジションがフロンライン・ドットジェーピーのコンサルティングの強みだという。
●ネットビジネスのこの1年~連載を振り返る
自らベンチャー企業として着々と足場を固めるフロンライン・ドットジェーピーだが、本連載「ネットビジネス 日本からの挑戦」の執筆にあたり、全国のネットベンチャー取材を取材してきたこの1年はどんな年だったのか――「変化が激しい1年だったと率直に思います」と藤元氏は語る。ネットブームの中でさまざまな会社が出てきたが、取材した当時、躍動感があり活気にあふれていた会社があっという間に消えていく部分の凄さを実感したという。実際に本連載に登場した企業の中でも、ジェイサイド・ドット・コム(第6回:2000年5月掲載)は、親会社による事業見直しの結果、2001年2月末に会社を清算している。
また、日本ならではのビジネスモデルがもう少しあって欲しいとも語っている。ピックアップしきれていなかったかなという反省とともに「それだけ日本独特の人たちが表に出てこれないのか」との思いもあるという。
そんな中でも“日本的”という意味で特に印象に残っている企業としては、携帯電話を使ったネットビジネスという意味で日本的な「サイバード」(連載第1回)、ビジネスモデル的には新しくないがマーケットへの入り方が非常に日本的という意味で「NCネットワーク」(連載第4回)、関西商人系サイトの一番の成功例「ナチュラム」(連載第12回)、日本発のP2P「グラムデザイン」(連載第20回)などをあげている。
また、業界全体に対しては、株価も下がりバブルも崩壊してという状況ではあるが、決して落ち込まないで欲しいという。'94年頃からインターネットビジネスを見てきた同氏によると、確かに今回は市場規模的なインパクトも大きいとはいえ、このような波の変化はこれまで何度もあったという。
「何よりも考えて欲しいのは、インターネット利用者はどんどん増加しているということ。経験値もたまっているし、これはプラス思考に捉えるべきだと思います。あまり短期的な変化とか、ビットバレー的なものが崩壊したとかいうことに惑わされずにチャンスだと思うので、是非チャレンジしてほしいし、勢いを失って欲しくないという思いがありますね」(藤元氏)
そして、今後のベンチャーの在り方については次のように語っている。
「一社単独で成功する世界でもないので、横のつながりというのはこの業界の人はどんどん作っていくべきです。自分たちがこのマーケットで何が強いかをわかっていれば、その強いもの同士がつながって大手に対抗できるというモデルがもうちょっと出てきてもいいと思う。これまでは、大企業の庇護のもとに成功したり、成功したベンチャーにぶらさがったりというモデルが多かったけど、そうではない形でベンチャーが成長していくというような仕掛けがもうちょっと欲しいですね」
●読者へのメッセージ
藤元氏は、仕事上の取引がある韓国を訪ねるうち「本当にITで国は変わる」ということを実感したという。日本を変えるためのキーポイントが「IT」だとしたら、それを発展させるのはネット企業なのだろうか?それとも国なのだろうか?
その答えは「読者の中にある」という。最後に藤元氏から読者の皆さんへのメッセージを持ってこの連載の締めとさせていただく。
「本当にITで国は変わる。でもITに関しては特に市場原理だけにまかせては変わらない部分があると思うんです。市場原理だけでサービスがいい方向に向かっていったり我々が豊かになるというものでもないし、そこは“日本人”としてのコンセンサスを我々なりに作って政治を動かすくらいのパワーを持たなくてはならないと思います。
それは、ネットビジネスが日本から挑戦していくために必要な要素だと思います。実際にこの連載で取り上げられた人たちの行動だけじゃなくて、みんながそういうマインドを持つかどうかで全然違ってくると思うんです。
読者の人たちも実は日本からの挑戦に参加しているんだと。読んでいるだけじゃないんだよ。日本のネットビジネスを作りあげているのは読者一人一人のマインドにかかっているんだということです。読者こそが挑戦者であると」
(2000/3/29)
[Reported by インターネットウォッチ編集部:okiyama@impress.co.jp]
※「連載 ネットビジネス 日本からの挑戦」は今回をもって終了いたします。1年間ご愛読ありがとうございました。
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