● 自分のWebページで主張されているものこそ「私の字」
前回までは規格と実装の両面から、衆議院における『議員氏名の正確な表記』(以下、『正確な表記』)にある字体を検討してきた。そこで明らかになったのは、そこで挙げられた40名のうち少なくない割合の議員が、常用漢字表で区別しないと明記しているデザイン差を区別している現実だった。ここで『正確な表記』そのものの画面を再掲しよう。
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図1 衆議院における『議員氏名の正確な表記』[*1]
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ところで、この『正確な表記』に挙げられている40名全員が、自らこれらの字体を主張しているのだろうか? そんな疑問で前回は終わったのだった。例えば菅直人議員の「直」の字はWindowsでは確かに第二画が直線になるが、Mac OS Xでは斜めになる。標準搭載されたフォントによってデザインが変わるからで、これはそんな微細な違いなのだと言える。ところが40名のうち3名もがこの区別をしている。何か不思議な感じを抱くのは私だけではないだろう。では、どうやって本人の主張を調べればよいのか。このご時世だから、多くの政治家が自分のWebページを持っている。言いたいことを誰にも邪魔されず不特定多数の人々に伝えられるWebは、きわめて政治家向けのメディアとも言える。そうした中で表記された名前こそ、人々に伝えたい「私の字」であるはずだ。
● 過半の議員は『正確な表記』の字体と一致せず
そこで40人全員のWebページを探し、そこでどんな表記をしているか調査してみた(図2)[*2]。
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図2 本人のWebページと『議員氏名の正確な表記』の字体が一致するかどうかの調査結果。数字は人数。調査の対象はプロフィールのページで使用されている字体とした。そうしたページがない場合やプロフィールページで氏名が表記されていない場合は、トップページで使用されている表記を対象とした。ただし町村議員だけはトップページを対象として「一致」とした。閲覧者が最初に見るトップページで、作字させたと推測される文字を使っているのを重く見たからだ。手書きの字体とデジタルフォントの字体が対立している場合は手書きを対象とした。「不明」はWebページの存在そのものが確認できなかった人数
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最も多いのは一致していない議員で、これは半分を超えた22名、全体の55パーセントを数えた。その議員名を示そう(図3)。興味深いのはハシゴ高を主張しているはずだった高木毅議員で、姓の方はハシゴ高でない「高」を使い、下の名前を仮名書きしている(図4)。全くこだわりを感じさせない字体意識だが、つまり高木議員はハシゴ高どころか漢字と仮名の違いすらも包摂しているのである。
他に、一致していない議員のうち『正確な表記』で示された字を仮名書きしていた議員は10人だった(図3の「**」で示した議員)。これを他の字に広げれば12人となる(同じく「*」で示した議員)。これは選挙用ポスターでよく見られる、字画が多少込んだような字は仮名書きする表記だが、この人々は自分の名前の表記において漢字と仮名の違いを包摂していると言える。
政治家は選挙の際に自分の名前を書いてもらわないと当選できないことを考えると、あまり文字の区別を細かく主張すれば、かえって自分の首を絞めることになる。高木議員達のように包摂の範囲を広くとろうとする考えは、議員心理の上からはごく自然なもののように思える。ただし、このことは第9回であらためて検討することにして、今は話を進めよう。
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図3 『議員氏名の正確な表記』と本人のWebページの字体が一致しない議員の一覧。議員名は『議員氏名の正確な表記』にある字体を使用(以下の図も同)。「**」を付けたのはトップページ等において『議員氏名の正確な表記』で示された字そのものを仮名書きしていた議員。「*」はその他の字を仮名書きしていた議員
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図4 『衆議院議員高木つよし公式WEBサイト』「高木つよしプロフィール&事務所のご案内」[*3]
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● 明確なこだわりを感じさせる、一致する議員のWebページ
さて、次にいこう。一致していたのは14人だった(図5)[*4]。これらの人々は、明確に自身のWebページにおいて衆議院での字体と同じものを選んでいる。中には森山議員のように、プロフィールで「正確な表記」として衣偏の「裕」に大きく「×」、示偏の字に「○」を付けて説明している人(図6)、町村議員のようにトップページにわざわざ作字させたと思われる明朝体の「信」を掲げる人(図7)、そして新井議員のようにUnicodeが使えるプロバイダーを選び、そこで自在に自分の望む字体を使っている人といったように(図8)、明確なこだわりを感じさせる人々がいる。仮名表記についても不一致と同様に調べてみたが、『正確な表記』で挙げられていた字を仮名書きにしていた議員は3人、他の字を仮名書きにしていたのも3人だった。不一致の議員と比べれば比率は落ちる。
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図5 『議員氏名の正確な表記』の字体と本人のWebページの表記が一致する議員の一覧。「**」はトップページ等において『議員氏名の正確な表記』で示された字そのものを仮名書きしていた議員。「*」はその他の字を仮名書きしていた議員。なお、参考のため深谷議員だけは本人のWebページの字体にしている
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図6 『衆議院議員森山裕』より「プロフィール」[*5]。通常衣偏であるところを示偏につくる字体だが、おそらく小学生が書けば教師はバツを付けるだろう。しかし漢字の伝統や習慣から見れば、手偏と木偏、あるいは「己已巳」の違い、一点の有無のようによく紛れるものであり、とりたてて不思議な字体ではない。もちろん衣偏が一般的ではあるが、実際に示偏で書かれた書跡もあり[*6]、これを誤字とすることはできない。なお森山議員はこのページ以外では、なるべく姓だけを使うことにして下の名前の使用を避けているように思える
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図7 『町村信孝オフィシャルホームページ』[*7]。トップページに作字させたと思われる縦棒の「信」をビットマップ画像により使用している。明朝体ではこうしたデザインはほとんど確認できない。『明朝体活字字形一覧』を参照すると、そこに集められた全23冊の見本帳にある明朝体のうち、縦棒の「信」は19世紀にフランス王立印刷所のM・ルグランが彫ったアメリカ長老教会の見本帳と、同じく19世紀にS・ダイアとR・コールが彫った香港の英華書院の見本帳の2冊にあるものだけだ。現代の明朝体でも事情は同じ。なお、町村議員はトップページ以外はプロフィールも含め符号化済みの「信」を使っている
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図8 『衆議院議員 新井悦二』[*8]。前回説明したように新井議員の字は、すでにUnicodeに収録済みだ。ニフティのようにUnicodeを採用したプロバイダーを使えば、このようにUnicodeにある字を使用可能になる
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また、新井議員、2人の江崎議員、額賀議員、村田議員、和田議員のように、1993年発売のWindows 3.1からあるベンダー外字が目立つのも特徴だ。例えば、2人の江崎議員が使うのは「立」につくる「崎」だ。データの裏付けはないが、私自身はこの字を名乗りに使う人が1990年代後半から急に多くなった印象を持っている。恥ずかしいことに私はパソコンを使い始めてから、初めてこの字体の存在を知ったのだ。その分だけ印象が深く、この字体の動向を見てきた。これが当を得たものなら、増加した時期はWindows 95やWindows 98の普及期に重なっている。つまりこれらのOSが異体字の普及に一役買っていたという仮説が成り立つのだが、今のところ立証できるところまできていない。なお、これらの字はUnicodeでは互換漢字領域に収録されている。
● 議員本人も見逃した「攵の隆」
さて、図5の中で興味をひくのは深谷隆司議員だ。衆議院のWebページで示された字体は、こざと偏に「夂(ふゆがしら)+一+生」をつくる字体だが、原稿執筆時の本人のWebページではちょっと違う「攵(のぶん)+一+生」の字体を主張している(図9)。つまり『正確な表記』にある字体と自ら主張する字体が食い違っていることになる。何か行き違いがあったのだろうか?
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図9 『深谷隆司オフィシャルウェブサイト』「プロフィール」[*9]。『議員氏名の正確な表記』にあるのと違う、こざと偏に「攵+一+生」の字体が使用されている
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試しに私が持っているOpenTypeフォントにより、略字体とその異体字の「隆」をそれぞれ表示させてみたところ面白い結果となった(図10)。すべてのフォントが「隆」では常用漢字表にある通りの略字体で表示される一方、異体字の方は「夂」と「攵」を表示する2種類に分かれた。明朝だけでなくゴシックや楷書体のフォントでも同じように分かれる。
細かな説明は注釈に譲るが、これはフォントの符号位置と文字の形の対応を定めたデファクト標準に変更があり、これによって「隆」の異体字を表す符号位置U+F9DCに対するAdobe-Japan1のCID(文字の形に振られた番号)が、「攵」の8686から「夂」の13393に変更されたことに起因する[*10]。したがって、同じフォントであってもこの変更に対応する前のバージョンでは「攵」を表示し、変更後のバージョンでは「夂」の形を表示する。つまりフォントの対応状況や購買時期により、図のように「隆」の異体字の形が変わってしまうわけだ。「攵」と「夂」は字体の違いではあるけれど、よほどフォントサイズを大きくしないと見間違えてしまうほどの違いだから、ユーザーはそれと知らず「夂」の「隆」のつもりで「攵」の方を使ってしまうこともあり得る。
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図10 フォントメーカー各社における旧字体の「隆」。旧字体では「攵」につくるものは「*」を付けた
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実際に深谷議員の事務所にお聞きしたところ、本人の字は「夂」であるとのことだった。Webページの製作業者が取り違え、これを見逃していたようだ。ところがまだ一件落着とはいかない。実は『正確な表記』の場合にも同じことが当てはまる。このページの字が小さく、見ようによってはどちらにも見えるからだ(図11)。もしも「攵」の方が使われていた場合、深谷議員と同じように製作業者が取り違え、衆議院事務局が見逃している可能性がある。もはやこうなると、どこまでがユーザーの主張する字体なのか判別不可能だ。まさに「情報化時代」の文字状況と言える[*11]。
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図11 『正確な表記』における深谷議員の字を拡大表示。「攵」とも「夂」ともとれる
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最後にWebページを確認できなかったのは4人だった(図12)。このうち佐藤議員はドメイン名はあるものの、「只今リニューアル中」とのことで、コンテンツはない状態だった。
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図12 本人のWebページの存在が確認できなかった議員の一覧
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ここまでの結果のうち、最も興味をひくのは半分以上の議員が『正確な表記』での字体を、自らのWebページでは使っていなかったという事実だろう。言い換えると、これらの人々は衆議院のWebページで挙げられた字体と一般的な字体を包摂していたことになる。そうなると、実際にどのようにして『正確な表記』は作成されたのかが問題となる。次回はこれについて衆議院事務局にお聞きした回答全文を掲載する。
関連情報
■URL
“情報化時代”に追いつけるか? 審議が進む「新常用漢字表(仮)」 連載バックナンバー一覧
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/jouyou_backnumber/
2008/10/30 15:03
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小形克宏(おがた かつひろ) 文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。 |
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