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「新常用漢字表(仮称)」のパブコメ募集が始まった
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【 2008/11/28 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第11回 「情報化時代」へ常用漢字表を進化させよ
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
第8回 字体意識と社会的コスト
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
第7回 『議員氏名の正確な表記』と人名表記の位相文字
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【 2008/11/11 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第6回 漢字の字体史から見た『議員氏名の正確な表記』
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
第5回 『議員氏名の正確な表記』はどうやって作られたか
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
第4回 議員本人のWebページとの比較結果
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第3部 印刷文字から符号化文字へ
第3回 実装の上から『議員氏名の正確な表記』を考える
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【 2008/10/28 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第2回 規格の上から『議員氏名の正確な表記』を考える
[11:08]
【 2008/10/27 】
第3部 印刷文字から符号化文字へ
第1回 現代日本の「ゴルディアスの結び目」をほどくのは?
[16:44]
“情報化時代”に追いつけるか? 
審議が進む「新常用漢字表(仮)」

第3部 印刷文字から符号化文字へ
第7回 『議員氏名の正確な表記』と人名表記の位相文字


書体の違いを規定する常用漢字表「明朝体活字と筆写の楷書との関係について」

 前回は漢字字体の歴史をさかのぼることで、『議員氏名の正確な表記』(以下『正確な表記』)が「書体の違い」を無視してしまっていることを指摘した。しかし、このような事細かな漢字字体の歴史を、誰もが知っているはずもない。そのような中で衆議院事務局が書体の違いを無視してしまったとしても、それは仕方のないことではないだろうか? それが違うのだ。もう27年も昔から、これは数ページの簡単なルールにまとめられている。それが他ならぬ常用漢字表の「字体についての解説」だ。この中の一節「明朝体活字と筆写の楷書との関係について」では、以下のように書かれている。



字体としては同じであっても、明朝体活字(写真植字を含む。)の形と筆写の楷書の形との間には、いろいろな点で違いがある。それらは、印刷上と手書き上のそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差と見るべきものである。(『常用漢字表・現代仮名遣い・外来語の表記』大蔵省印刷局、1992年、P.6)


 「印刷上と手書き上のそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差」、つまり「書体の違い」にすぎず「字体としては同じ」だ。ところで第2回の図4(3)でまとめたように、『正確な表記』にある40人の議員のうち、12人/6字もが常用漢字表「字体についての解説」のうち「明朝体活字のデザインについて」でデザインの違いとして区別しない例に該当していた。これを以下に再掲しよう。


図1 『議員氏名の正確な表記』のうち、デザインの違いしかないもの(12人/6字)

 このときに言っていたデザインの違いとは、JIS X 0208と『正確な表記』を比べる際のような、明朝体同士を比較した「同じ字」だ。一方で「明朝体活字と筆写の楷書との関係について」では、明朝体と手書き字体を比較した「書体の違い」=「同じ字」が規定されている。これを図1の12人/6字と照合してみた。すると、菅議員(他2名)の「直」は「方向に関する例」(図2(1))、田中議員の「眞」は「点画の組み合わせ方に関する例」(図2(2))、保利議員の「保」は「つけるか、はなすかに関する例」(図2(3))、前田議員(他2名)の「吉」は「長短に関する例」(図2(4))、町村議員(他2名)の「信」は「方向に関する例」(図2(5))、松本議員の「龍」も同じく「方向に関する例」に該当する(図2(6))。


図2 常用漢字表「字体についての解説 明朝体活字と筆写の楷書との関係について」(『常用漢字表・現代仮名遣い・外来語の表記』大蔵省印刷局、1992年、P.6~P.7)

 このように12人全員が、そのまま「明朝体活字と筆写の楷書との関係について」にある「書体の違い」=「同じ字」にも該当した。こうして常用漢字表にある規定を当てはめても、前回指摘したのと同じようなことが言える。つまり常用漢字表が規定する「書体の違い」は、十分に漢字字体の歴史を踏まえたものと評価できるのである。

 同じようなことはJIS X 0208の包摂規準についても言える。第3回図5(2)として示した、『正確な表記』でJIS X 0208における包摂の範囲内にあった22人/12字のうち、少なくとも大野議員と葉梨議員の四画の草冠、それに高木議員他2名の「ハシゴ高」は、書体の違いと考えられる。前回『漢字字体規範データベース』で調べたように、草冠は手書き字体では三画でも四画でも書かれるが、日本の明朝体ではすべてが三画でつくられる。そして「高」は手書き字体ではほとんどが「ハシゴ高」だが、明朝体ではすべてが「クチ高」だ。これらを包摂の範囲内とするJIS X 0208の規定は、結果として「書体の違い」=「同じ字」でもあったわけだ。つまり常用漢字表「字体についての解説」だけでなく、JIS X 0208の包摂規準の一部にも書体の違いとして適用できるものがある[*1]


なぜ「正確な表記」が過半の議員のWebページでは使われてなかったのか

 以上、『正確な表記』の「書かれた字のとおり」という規範が持つ問題点を、「書体の違い」という観点から考えてみた。その上で指摘しなければならないのは、本当に『正確な表記』は本人の意志を正確に反映しているのだろうかという疑問だ。第4回で調べたように、『正確な表記』で異体字を主張していたはずの40人の議員のうち、本人のWebページで同じ異体字を使っていたのは14人にとどまった。

 もしも本当に「正確な氏名」の表記を主張しているのなら、現に森山議員や町村議員、新井議員がしているように、自分のWebページでも「正確な表記」を使っているはずだ。ところが過半を占める22人の議員はそれをしていない。もちろんWebページの存在を確認できなかった4人を除けば、この比率はさらに高まる。

 ここでカギになるのは、衆議院事務局の「書かれた字のとおり」という規範が、本人の意志を必ずしも反映しない方向に機能し得ることだ。例えば「信」だ。第4回で見たように、町村議員自身が「縦棒の信」を主張していることは、本人のWebページからも明らかだ。トップページの一番目につく自分の文字に、存在しないはずの「縦棒の信」の明朝体を作字させて使っているからだ。しかし、それ以外の伊藤議員、井上議員は自分のWebページではそのような主張をしていない。

 もちろん本人による届け出である以上、そこにある表記を議員自身が希望していないわけではないだろう。しかし、例えば町村議員のような明確な意志までは持っていない、分かりやすく言えば「どちらでもよい」。もともと手書き字体では「縦棒の信」はごく一般的な書き方だ。明確な意志もなくそうした書き方をした場合でも、衆議院事務局の「書かれた字のとおり」という規範によって、縦棒の明朝体として再現されてしまうのである。


 加えて、議員本人にも「書体の違い」について知識がなかった場合、果たして事態はどう進むだろうか。ページの作成後に衆議院事務局から「お書きいただいた字のとおり作業しましたが、これでよろしいでしょうか」と確認されても、別に届け出た字と違っている訳ではないので「これでけっこうです」と答えないだろうか。

 これは他の議員も同様だ。「直」の第二画を明確な意志なく斜めに書いたところ、これを衆議院事務局では「書かれた字のとおり」という規範を適用して、第二画を真っすぐな形と区別されて掲載された。その上で「これでよろしいでしょうか」と確認されても、議員の側に「書体の違い」について知識がなければ、届け出た字と違っていない以上は拒む理由がない。その結果、必ずしも主張しているわけではない人名異体字が、衆議院という公共性の高いWebページにおいて『正確な表記』として世の中に登場してしまうのである。ここで重要なことは、本人が特にこだわっていなくても、人名表記の異体字は周囲の「配慮」によって増えていくということだ。

 以上はあくまで「書かれた字のとおり」という規範が、どのような問題を含むかを考えるためにシミュレートした結果であり、現実に衆議院のWebページでこのような事態があったということではない。「書かれた字のとおり」という規範の原理上から、こうした問題が起こり得ること、そして人名異体字の問題は本人だけではあまり問題にはならず、周囲の「配慮」により大きくなることを伝えたかった。


「位相文字」としての人名表記

 不思議なのはこうした現象が人名で発生するということだ。例えば高木毅議員、高木義明議員、高鳥修一議員の「高」は「ハシゴ高」などと呼ばれ、人名では最もよく見られる異体字の一つだ。一方で日本において司法権をつかさどる最高機関、最高裁判所の標識も、やはりハシゴ高で書かれている(写真1)。しかし最高裁の組織名を書く際、ハシゴ高でなければという人を私は見たことがない[*2]


写真1 最高裁判所の正面に置かれた標識。ハシゴ高を使っている。「所」も少し違う気がするが、こちらは常用漢字表「字体についての解説/明朝体活字と筆写の楷書との関係について」のうち「方向に関する例」にあたるもの

 実際に最高裁のWebページを見ても、すべて符号化済みの「高」を使っており、ハシゴ高そのものの形へのこだわりは存在しないように思える。つまり最高裁自身は常用漢字表にいう「書体の違い」どおりの認識を持っているし、またJIS X 0208の包摂の範囲どおりに「口」の高とハシゴ高を包摂していると言える。なのに同じ字が人名に使われた途端、『正確な表記』のようなページが必要とされる。それはなぜか?

 同じ字が用途が変わっただけで、なぜか急に「書体の違い」が無視されたり、包摂の範囲が狭くなる。固有名詞の種類は多くても、この傾向は人名表記という用途でとりわけ強い。この現象を考える上で参考になるのが、漢字小委員会の委員でもある日本語学者、笹原宏之氏の提唱する「位相文字」だ。笹原氏は以下のように書く。



日本語(国語)などの言語に関する研究においては、地域だけでなく、職業、階級などさまざまな社会的集団や性別、世代など表現主体やその範囲ごとに有する差や、同一の表現主体であっても相手や場面等に基づく表現様式の違いによって、語の形態面などに変異が認められる現象について、「位相」という概念が早くから提起されてきた。(笹原宏之『国字の位相と展開』三省堂、2007年、P.26)


 つまり「位相」といっても多様なレベルが考えられるのだが、「同じ字が人名表記に使われた途端に書体の違いが無視されたり、包摂の範囲が狭くなる」という現象は、上記のうち〈相手や場面等に基づく表現様式の違い〉と位置付けられるだろう。つまりこれは「人名表記」という位相で多く見られる「位相文字」なのである。さらに言うと、はからずしも町村議員が北海道5区、森山議員が鹿児島5区であることから分かるとおり、この位相には地域差はなく、おおむね日本全国で見られる現象と言えそうである。


どこまで「配慮」すればよいか社会的合意はない

 その上で考えたいのが、なぜ衆議院事務局は「書かれた字のとおり」を規範にするのかということだ。しかし、こうした字体意識は特別なものではないはずだ。人名の異体字が尊重されるのは衆議院だけでなく、一般によく見られる現象だからだ。だとすれば、その答は私たち自身の胸に聞けばいいはずだ。なぜ私たちは人名を正確に書こうとするのだろう? それは相手が気分を害さないよう、失礼にあたらないよう相手を尊重する気持ちからだ。つまり礼儀の一つとして、相手が望む表記で名前を書くことが、とりわけフォーマルな場では重要なのである。

 そこで注目したいのが、前述したような本人が強く主張したわけでもない異体字が、周囲の配慮によって発生してしまうという現象だ。ここで再度、笹原宏之氏の『国字の位相と展開』を引用しよう。



手紙を書く場面で、「様」を「樣」と書くことで敬意を示そうとする待遇表現も、一部の年齢層や識者の間で行われつづけている。(前掲『国字の位相と展開』P.531)


 「待遇表現」とは〈話し相手や話中の人物と話し手との相対的な身分・年齢などによって変わる表現法。尊敬表現・謙譲表現など〉のこと[*3]。上記の引用は場面ごとに表れる位相文字の字体差・字種の差について述べた一節なのだが、今考えている人名表記の位相文字も、まさにこの「待遇表現」の一種なのだと言えないだろうか。つまり人名表記の位相文字とは、本人が使う際は単なる名乗りであっても、周囲が使う際は相手への配慮を表す待遇表現として使われるのである。

 しかし、どこまで細かく再現して「配慮」すれば失礼にあたらないのか、どの違いは区別して、どの違いは区別しなくてよいのか、残念ながらこれに関する社会的な合意――常用漢字表にならっていえば「目安」は存在しない。であればこそ、最も安全なのは、漢字の伝統や習慣など「書体の違い」を度外視しても「書かれた字のとおり」忠実に再現することだ。そうする限り、怒って文句を付けてくる人もいないだろう。相手が国会議員となればなおさらだ。このように『正確な表記』における規範意識は、国会議員が持つ特別な権威とこれを支える官僚たちとの相関によって、待遇表現が極端に増幅された例と言えるのかもしれない。ただし、強調したいのは衆議院事務局の配慮を特異なものとすべきではないことだ。むしろ私たちの社会においては、誰でもする可能性があると考えるべきだろう。


「そのものの形」を再現することが礼儀にもかなう現実

 例えば私たちが何か社会的な困難に直面し、このページにある衆議院議員の力を借りるために陳情書を書くことになったと仮定しよう。相手は面識もなく社会的な地位の高い人だ。なるべく失礼のないようにしたいと思うし、不用意に怒らせることにでもなれば肝心の陳情ができなくなる。そんなときに頼りになるのが、この『正確な表記』だ。衆議院のWebページにあるものだから信頼性も格別だ。このページにあるとおりに先生のお名前を書けば礼儀にもかなうはず。このように考えることは、私たちの社会においてはごく自然なことであるはずだ。

 こうして人名表記の位相文字は、本人が使うより周囲が待遇表現として使う際の方が、むしろ過剰になりやすいと言える。そしてその度合いは、相手の社会的地位に比例する。では、以上見てきたような「書かれた字のとおり」への強いこだわりは、私たちの社会全体にどのような影響を与えるのだろうか。次回はそのことを考えてみたい。

[*1]……これについて「漢字字体規範データベースとその応用」(『東洋学へのコンピュータ利用 第17回研究セミナー』所収、池田証寿、京都大学21世紀COE「東アジア世界の人文情報研究教育拠点」、2006年、P.53~P.63)では、「(大広益会玉篇等の)字書だけでなく、他の宋版についても、その漢字字体に、JIS包摂規準で処理できる例が多いことが分かる」(P.61)とする一方で、「日本の漢字字体を考える上で、初唐標準の影響を考慮することが重要であるが、しかし、初唐標準字体にJISの包摂規準を直接適用するには困難が大きい」としている(P.62)。ただし、本稿で取り上げた「ハシゴ高」は初唐標準字体であり、一部には適用可能と思われる。なお、宋版の印刷字体は開成石経の基準の影響を受け、のちに清代の康熙字典に影響を与えたもの。
[*2]……同じことは全国に数多くある、ハシゴ高で看板を書く高等学校(伝統校に多いようだ)にも言えるだろう。
[*3]……『新明解国語辞典第五版』(三省堂、金田一京助・山田忠雄・柴田武・酒井憲二・倉持保男・山田明雄、1997年、P.832)


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 連載バックナンバー一覧
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2008/11/12 14:06
小形克宏(おがた かつひろ)
文字とコンピュータのフリーライター。本紙連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから早くも8年あまり。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされています。文字ブログ「もじのなまえ」ときどき更新中。

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