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自社プロダクトを作り、成長したい〜ピクシブ代表取締役社長 片桐孝憲氏(前編)


ピクシブの片桐孝憲社長とTwitterで情報発信中のピクシブ社員犬チョビ

 代々木駅からすぐの住宅街の中に、ふいにガラス張りの美容室のような作りの建物が現れる。あまりITベンチャーっぽくないこのビルにピクシブのオフィスはある。

 ピクシブは、イラストコミュニケーションサービス「pixiv(ピクシブ)」を運営する会社だ。2007年9月のオープンから約2年、pixivの会員数は100万人を超え、投稿されたイラスト総数は500万枚を超える。最近、有料会員制度「pixivプレミアム」を開始した。

 「消費者金融で借りたお金で、pixiv立ち上げ時のサーバーを借りたんです。やる価値があると思ったから」ピクシブ代表取締役社長片桐孝憲氏は、すごいことを何でもないようにさらりと語り、豪快に笑う。その揺らぎない姿勢を見ていると、何があっても大丈夫という気にさせられる。

 pixivはなぜ生まれたのか、今後目指すものは何か。片桐氏に話を聞いた。

音楽好きだった子ども時代

 静岡県の、ダムがあるような奥地で育ちました。外遊びが大好きで、川で泳いで魚を捕ったり、石を投げて蜂の巣を落としては蜂の子を食べたりしていました。川は天竜川です。鮎とか鯉とか色々いたので、渓流釣りをしたり銛で突いたりもしていました。

 同時に、スーパーファミコンで遊ぶのも好きでした。当時はスーパーファミコンを持っている人は少なかったのですが、新しいものが出たら何でも買ってくれるうちだったので、休みになると友達がうちに集合していました。

 中学生の頃は、音楽が好きでCDを買いまくっていました。ゲームでは「ダービースタリオン」にはまっていました。その頃、音楽と競馬しか頭にないくらい夢中でしたね(笑)。給食の時間中には、DJのように自分の作ったカセットを流していました。当時は、メタル系、ハードロック系、ビジュアル系ならX JAPANとかBUCK-TICKなどが好きでしたね。

東京に行きたい、会社を作りたい

 中学を卒業すると、浜松の高校に行きました。家から少し離れていたので、寮に1年いた後、一人暮らしを始めました。当時は、裏原宿、通称“裏原”が流行っていた頃で。裏原ブームの仕掛け人となった人が会社を興していたんですが、服にも興味が出ていた僕は、それを見て「いいな」と。「自分も会社を作ろう」と考えたのです。

 僕の実家は商売をしていて、親戚も商売人ばかり。そういう環境もあったんでしょう、“普通のサラリーマンになった自分”はあまり想像できませんでした。実家は喫茶店と写真館をやっていて、父が写真館の3代目館主でした。ダム造成時に昭和天皇が来訪なされた時には、2代目の祖父が撮影を担当させていただいたということもあったそうです。

 地方にいると情報に飢えているんですね。なんとなく、「東京しかない。東京の大学に行きたい」と思っていて、希望通り、東京の大学に進学しました。大学生の時、あるデザイン会社がラフォーレ原宿で展示していた映像やWebを見て、それがかっこよかったんですね。それで「会社を作るならこういう感じがいい。映像系やデザイン系がいい」と思ったんです。

 その頃から、起業ストーリーを考えていたんですよ。「東京で仲間を見つけて会社を始める」というストーリーです。3人くらい仲間を見つけて起業したかったのですが、見つかりませんでした。なぜ3人かというと、チームは楽しいし、1人で頑張るのは寂しがり屋なので嫌なんです(笑)。

ネットで広がる人脈

 大学生の時、先生に「パソコンを買ってこい」と言われて、最初のパソコンを買いました。その時点では、MacとWindowsの違いもわかっていなかった。それで、店員さんが勧めるのに従って、Macを買いました。後でわかったのですが、たまたま最初に入ったコンピュータの売り場がMac専門フロアだったんですよね(笑)。

 そうしたら、周囲はみんなWindowsマシンだったので、教えてくれる人もいません。キーボードショートカットの使い方もわからなくて、半年くらいはコピペのやり方もわかりませんでした(笑)。

 初めてネットにつないだ時、まずYahoo!を見ました。「ニルヴァーナ」と入れて検索すると、ニルヴァーナのファンサイトが出てきました。そこで、掲示板に質問を書き込みました。

 返事をしてくれた人がいたので名前をクリックしたところ、同じ大学の先輩ということがわかりました。その掲示板は、名前をクリックするとメールアドレスが表示されるようになっていたんです。彼はバンドマンで、バンドの映像やWebの制作ができる人間を探していました。

 そんな時、Exciteのクリエイターオフ会で、いまはピクシブの執行役員をしてくれている坂上隆行さんと知り合いました。彼はFlashなども詳しくて、できる人だと感じたので、彼に「ついていこう」と思ったんです。彼にはFlashなどWeb制作について教えてもらいました。

アーティストのサイト、PVを作る

「デザイン自体が好き」という片桐社長。Webデザインは、ユーザビリティなど機能もデザインする必要があり、ロジカルな要素もあるところが好きだという

 大学生の頃は、そんな風にWeb制作に興味を持った僕は、幼馴染み3人でチームを作っていろいろなサイトを制作しました。頼まれたら何でもやっていたので、「チームで何でもやるすごいやつらがいるぞ」と言われていました。年に80回くらいライブハウスに通って、RADWIMPS(ラッドウィンプス)のインディーズ時代のサイトのほか、さまざまなアーティストのPVやVJを作っていました。

 もらえる代金はバイト代くらいのものだったのですが、その仕事は何より楽しかった。初めて作ったPVが評判で、瞬く間に1000本以上売り上げたんです。「これはやれる」と思って天狗になり、記念に友達を集めてパーティを開きました。

 その時に友達が呼んできたのが、「pixiv」を作った馬骨さん(ばこつさん=上谷隆宏氏)です。2002年のことです。次に会った時には、彼はいつの間にかプログラマーになっていました。馬骨さんは引きこもり体質というか毎日出社するような仕事は嫌な人なので、社員にはできませんでしたが、外注扱いで仕事を頼むことにしました。

 僕は、デザイン自体が好きなんです。紙よりWebの方が、見やすさなどを考えて論理的に組み立てやすく、面白いと感じました。デザインでも、ただ感覚だけでは作りたくないんですよ。Webは使いやすく、またわかりやすく、という機能面のデザインも重要になりますから。このボタンはここにあるべきというような論理的なところが性に合ったんです。

 その後、僕は留年し、1人が映像会社に就職したので、チームは解散してしまいました。2004年のことです。

ジェットコースターみたいな人生が送りたい!

 同じ頃、両親が離婚してしまい、4月から仕送りがなくなることになりました。「困ったな」と思いながらごろごろしていたら、昔の知り合いから連絡がきました。同人誌の通販サイトを作るから、月20万円でうちで働かないかという。20万円は嬉しいので、Web制作担当として入る事にしました。アドバイザーとして入ってきた永田寛哲(現ピクシブ副社長)さんと知り合ったのは、その時です。

 その後、某Web制作会社からヘッドハントされて移ることにしました。そこの仕事はゆるかったですね〜(笑)。仕事は楽で簡単にできてしまうし、給料も良かった。楽だからこのまま……とも思ったのですが、何か違う。そうだ。本当はジェットコースターみたいな人生を送りたかったのに、なんだこの生活はと。これじゃダメだと。

 思い立った僕は、大学を辞め、会社も辞めて、起業することにしました。2005年7月のことです。坂上さんと、アメリカに行っていた弟と3人での起業でした。3人だったのは、当時はまだ株式会社にするには、取締役として3人必要だったからです。「Webってネットだよね」と考えて、「ウェブッテネット」という社名にしました。

自分たちにできることは何か?

「ウェブッテネット 社歌」で検索すると、クリエイティブコモンズライセンスの下に公開されたウェブッテネット社歌がダウンロード可能なページにアクセスできる

 ウェブッテネットには、「ウェブッテネットでどこまでも」という社歌があったんですよ(笑)。検索エンジンで、「ウェブッテネット 社歌」とかで検索すると社歌のページが出てくると思います(社歌のダウンロードページはこちら)。

 この社歌作りが、ウェブッテネットを作って最初の仕事になりました。聴いていただけるとわかるのですが、MC(microphone controllerの略、ヒップホップ・ミュージックなどでラップをする人のこと)入りでなかなか本格的なんですよ。歌詞は知り合いのバンドマンに書いてもらって、小室哲哉氏も使ったというスタジオを借りて録音したんです。某雑誌の社歌特集に選ばれたりしたこともあるんですよ(笑)。

 実は、起業は決めていたものの、何の会社にするかは全然考えていなくて(笑)。「自分たちができることは何だろう?」と考えて、ウェブ制作会社にしました。起業当時は、意味なく忙しかったですね。営業はしないでも知り合いの紹介で仕事はきましたが、まったく食えない。「社会は厳しい」と感じました。でも、仕事も実績もないから当然ですよね。前の会社に「なめていてごめんなさい」と思っていました。経営は本当に大変です。オヤジのような中小企業の経営者をバカにしていましたが、すっかり反省しました。1年間、反省、反省の日々でした。

 ですが、僕は運が良かった。「この辺で事務所を探している」と音楽系の仕事をしている会社社長に電話をしたところ、「それならこっちへ来い」とタダで間借りさせてもらえることになったのです。半年もすると徐々に仕事も来るようになりました。その後雑居ビルに移って半年間過ごし、その後今のオフィスに移ったのです。

借金生活、そして目標再発見

会社の運転資金を消費者金融で借りて3〜4カ月支払いが滞ったところ、ドアを外からガムテープで封鎖されたことも。「それでもまあ、死ぬことはないだろうと(笑)」

 当時は、弟と2人で家賃5万円のアパートを借りていました。風呂も汚くてね。世間でIT、ITともてはやされている時に、僕たちは銭湯通いです(笑)。2人で、「ITなんて本当はこんなものだよね」と話していましたね。

 とにかく会社の運営資金がなくて、消費者金融4社に50万円ずつ借りて会社に入れていました。ある日、家を出ようと思ったら扉が開かなくて出られない。無理矢理こじ開けたところ、扉がガムテープで封鎖されていたということがあって(笑)。

 そういえば、借金の返済を3〜4カ月分くらい滞納していたなと。帰宅したら、家の留守電に40件くらい督促のメッセージが吹き込まれていたこともあります。それでもまあ、死ぬことはないだろうと(笑)。23〜24歳頃のことです。

 「社員にはこんな苦しい思いをさせたくないな」と思っていました。同時に、まだ食えてもいないのに、「会社を劇的に成長させたい!」とも考えていた。そんな時、CNETに掲載されていたTim O'Reillyの「Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル」という記事を読みました。

 その記事を読んで、もともとWebサービスが好きで、プロダクトが作りたくて会社を作ったことを思い出したんです。会社を作ること自体に興奮しすぎていて、本来の目的を見失っていたのです。自分のプロダクトを作りたい。それで成長したい。と思いました。僕の転機です。

(明日の後編につづく)


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2009/7/6 11:00


取材・執筆:高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っ ている。
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