電子書籍の(なかなか)明けない夜明け

第11回 なぜ電子書籍のリフローはむずかしい/組版における変わるもの・変わらないもの

リフローする電子書籍の組版を考える(3)


「なぜ電子書籍のリフローはむずかしい」(村上真雄氏)

 「文字の学校」主催のシンポジウム「電子書籍の組版を考える」の報告の3回目、今回は村上真雄氏と前田年昭氏の発表を報告する。なお、前回と同様、この原稿では紙面の関係で日本語組版の中でも重要な「行頭禁則」に絞ってお届けする。また、これも前回同様、ここでの電子書籍は、PDFなどの固定レイアウトでない、EPUBをはじめとするリフロー型の電子書籍フォーマットのものに限る。また、ここでの掲載順は当日の発表順とは異なる(第9回参照)。最後に、本稿の掲載にあたっては発表者による修整が入っており、必ずしも主催者サイトの記事と同一ではないことをお断りする。

 村上氏はXML(XSL/CSS3)による自動組版システム「AH Formatter」(アンテナハウス)[*1]の開発責任者だ。最初のバージョンの開発開始は1999年だから、XML組版システムとしては先駆者の1人と言える。同時に村上氏は、縦書きを実現する「CSS3 Writing Modes Module」[*2]や、禁則処理や行頭行末揃えを実現する「CSS3 Text」[*3]で、エディターの1人として名を連ねていたことがある。言うまでもなく、これらはEPUB3が組版ルールとして参照している重要な規格だ。今回の「電子書籍の組版を考える」というテーマでどのような発言をするのか、注目が集まる。

写真1 村上真雄氏

なぜ電子書籍の組版はイマイチか?

 まず村上氏は簡単な技術の流れを説明した。ウェブ用スタイルシート言語のCSSがEPUBにおいても参照されていること、しかし従来のCSS2では縦書き、ルビ、圏点などに対応していなかったので、EPUB 2.0では貧弱な日本語組版しかできなかったこと、しかし市場要求の高まりや、W3C技術ノート『日本語組版処理の要件』[*4]がまとめられたこともあって、CSS3で日本語組版に関係する仕様策定が進み、いよいよ新しいEPUB 3.0で日本語組版特有の表現がサポートされること。しかし村上氏は、現在の電子書籍の組版品質はまだまだ物足りないと言う。それはなぜか(図1)。

図1 電子書籍組版で何が問題か


「いろんなことがイマイチと言われている理由は、非力なデバイスでリフローをしなくちゃいけないということ。組版処理で複雑なことをやって、時間がかかっちゃダメだよという制約がある。だから丁寧な組版処理がされていないの仕方がないとも言われるが、本当にそうだろうか。本間さんの『縦書きビューワ』(前回参照)のように、かなり丁寧な日本語組版をしている例もある。問題なのは、有名なメーカーのビューアー製品であっても組版処理をあまり重視していないということではないか。」(村上氏)


 まず必要なのはデバイスの非力さなど言い訳にせず、電子書籍においてもしっかりした日本語組版を実現すること。その上で電子書籍の特性に合わせた取り組みを考えたい。その一例として村上氏はリフローにともなう行長(字詰め)の問題を取り上げた。


「短い行長で分割できない単語が多い場合、行頭行末揃えにしない方が字間がパラパラにならずに済む。だけどその場合は、行末がギザギザになってしまう。それならば、いっそ自動的に意味のあるところで改行していく方が、かえって読みやすくなるかもしれない(図2)。」(村上氏)

図2 短い行長、分割不可の単語が多い場合に行頭行末揃えをすると、アキが増えて語がパラパラになってしまう(左)。これは行末を揃わなくすることで回避可能だ

 行頭行末揃えをあきらめるとリフローが容易になることは、第9回の図11でも触れた。しかし読む側にとっては思わぬところで改行が入り、リズムが乱されるので読みやすいとは言えない。そこで村上氏が持ち出したのが、この「意味による改行」だ。


「行末不揃えは書籍の見出しやリード、マンガのセリフなどでも使われているけど、これらは手動で改行してますよね。でもリフローする電子書籍では、自動的にやらないといけない。そこで、あらかじめテキストの分割可能な場所に、不可視の〈ゼロ幅のスペース〉(ZERO WIDTH SPACE U+200B)を入れ、CSS3によってそこでしか行分割しないモードを指定する方法があります。これは今でも実現可能です。」(村上氏)

図3-1 ゼロ幅のスペースにより任意の場所で改行させた。CSSで「word-break:keep-all;」を指定することで実現[*5]。ただし、このプロパティは現状でInternet Explorer(マイクロソフト)に対応が限定されている。その点、HTML5の<wbr/>タグでも同じ効果が得られ、こちらの方は対応ブラウザーも多いようだ

図3-2 上図ファイルのウィンドウサイズを変更しても、意味のある改行は維持はされる

 なるほど、開発者として仕様に通じた村上氏らしいアイデアだ。加えて彼は「意味による改行」を実現するもう1つの方法として、将来可能になるかもしれない方法を挙げる。


「組版時に形態素解析を使って、文節の切れ目など意味のあるところだけで改行するようにする。これはレイアウトエンジンや組版仕様などにかかわるので、すぐには無理ですが、こういうことも将来拡張としてあるのかなあと思います(図4)。」(村上氏)

図4 意味による改行を自動的に行う2つの方法

「意味による改行」がもたらすもの

 つまり「自動処理による意味による改行」だ。前回紹介した本間氏の発表でも、意味による改行は登場した。しかし本間氏の提案は、電子書籍の特質を生かしながら「気遣い/おもてなしとしての組版」を追求した結果、考え出されたアイデアの1つだった。具体的には、紙の組版での禁則処理を原点にたちかえって、電子書籍での「意味のまとまり」、つまり単語や文節、さらにはページにまで禁則処理を再構成できないかというものだ。そこでは行末を不揃えのままにするのか、行頭行末揃えにするのかは論じられなかった。

 他方で村上氏は、もう少し積極的な立場のようだ。日本語組版の基本が行頭行末揃えにあることは確かだが、もう1つの選択肢として行末が不揃えになる「意味による改行」を考えてもよいのではないかということだ。

 確かに村上氏の提案には理があるように思える。第9回の図5図6図7で、行頭行末揃えを維持しながら行頭禁則をするために3種類の調整が成立する様子を見た。他にも行末禁則や行頭行末での約物配置など、行頭行末揃えの維持のために他の調整が連鎖していくケースが日本語組版では多い。しかし行末を揃えなければこうした調整もしなくて済み、デバイスの負担軽減につながる。

 とはいえ、デバイスの非力を理由に日本語組版を変えることは、開発者である村上氏として抵抗があるかもしれない。しかし外野から見れば、意外にこれは現在の状況にあった組版ルールではないかとも思えてくる。この件は次回も考察を続ける。

 話を戻そう。村上氏は意味による改行を取り入れることは、アクセシビリティ機能への応用など、単に電子書籍に対応する以上のメリットがあると述べる。


「日本語を読むのが難しい人達にも読みやすい表示にできます。それから、意味による改行のために文章を解析することができるならば、自動的な分かち書き表示もできるでしょう。あるいは音声読み上げと同期することもできる。日本語を学習している人や、障害のために読むのが難しい人達のために、組版の仕方をいろいろ変えられるようにすることで、より読みやすい、アクセスしやすいものが提供できるという考え方です。もちろん、意味による改行や分かち書きといった表現形式は、いつでも有効というものではありません。読者が選択できるようになればよいと思います。」(村上氏)[*6]

「組版における変わるもの・変わらないもの」(前田年昭氏)

 次に前田年昭氏の発表を紹介しよう。前田氏はベテランの編集者・校正者だ。10年ほど前まで専業の組版業者でもあった。組版についての著作もある[*7]。とはいえ、活版から写植、そしてDTPと技術の転変を見つめてきた前田氏が、電子書籍というだけで否定的な態度をとるはずがない。むしろ今までの蓄積をもとに、この新しい技術でも何かをやろうと企んでいるのではないか。そんな彼が、どんな発言をするのか注目したい。

写真2 前田年昭氏


「読んでる人に、どれだけ寄り添えるかが、電子書籍の将来を、決めるように思います。2010年のKindleとiPadの登場で、電子書籍元年とか言われましたけども、じつはもう20年前からいろんな端末が出されてきたけど、皆ことごとく失敗してきた。なぜか? そこに読み手の視点がない。作り手の都合だけしかない。作り手の出版社は乗り気でない。これでは成功するはずがない。」(前田氏)


 ここで前田氏は、この日配布した2つのレジュメを示した[*8]


「この中でいろんなことを言ったんですけども、つづめて、現時点の言葉で言い直すと、和文組版は行組版であり、行頭行末揃えという根本ができないままに、枝葉でやれ割注だ、やれルビだ、とやっているのは本末転倒じゃないか、と。」(前田氏)


 前田氏の言う行組版とは、日本語組版では、(1)1行を組む→(2)複数の行を束ねて版面を構成する→(3)版面をページの中に配置するというように、行を組むことから始める組版のことだ(他方で、欧文組版のようにページの余白値から行の設定に至る「ページ組版」がある)。そこで重要になるのが版面を整った矩形にする「行頭行末揃え」だ。前田氏の目には、多くの電子書籍リーダーでこれができていないことが大きな間違いと映った(ちなみに、この嘆きは村上氏とも共通する)。

 では、こうした間違った事態を招いた原因はなんだろう? そこで登場するのが、村上氏もCSS3で縦書き等を実現させた原動力として紹介していた『日本語組版処理の要件』(以下『JLreq』と略)だ。


「『JLreq』からCSSへという、そういう歴史に、私は敬意を表しますけども、禁則処理については強い禁則をスタンダードとする誤りを日本から海外へ発信してしまった。強い禁則と弱い禁則が2つ並んでいると、強い方が上位で優位と思うかもしれないけども、それは思い違いである。その結果、根本の行組版は犠牲になっていないか、というのが私のいちばん言いたいことです。」(前田氏)


 『JLreq』については村上氏も触れていた。これは日本語組版を概説したウェブの標準化団体W3Cの技術ノートのこと。以前から組版規格として『JIS X 4051:2004』があったが、これは200ページを超える文書であり、海外の人には理解が難しい。そこで『JIS X 4051』をもとにして、欧文組版と大きく異なる部分や日本語組版で特に重要な部分を再構成し、その上で英語文書にしたのが『JLreq』だ。村上氏も言っていたように、この文書がなければCSS3での手厚い日本語対応は実現しなかったと思われる。その『JLreq』では、行頭禁則に関して以下のように規定している。


終わり括弧類(cl-02)、ハイフン類(cl-03)、区切り約物(cl-04)、中点類(cl-05)、句点類(cl-06)、読点類(cl-07)、繰返し記号(cl-09)、長音記号(cl-10)、小書きの仮名(cl-11)及び割注終わり括弧類(cl-29)を行頭に配置してはならない(行頭禁則)。これは体裁がよくないからである。(3.1.7 行頭禁則)[*9](下線、引用者)


 前田氏が、「誤りを海外へ発信してしまった」と批判したのはこの部分だろう(後記参照)。第9回を思い出してほしい。そこでは小書きの仮名と長音記号を行頭禁則にした組版と、行頭禁則にしない組版の2つを比較した。行長が短い場合に小書きの仮名と長音記号を行頭禁則にすると、破綻がより多くなってしまう(第9回図10)。ところが『JLreq』では、小書きの仮名と長音記号を行頭禁則にするのをデフォルトとしている[*10]

『JLreq』は行頭禁則の実態を反映しているか?

 となると問題になるのは、この『JLreq』の規定にはどのくらい根拠があるのか、つまり現実の出版物の組版が、どの程度『JLreq』と同じ「体裁のよい」行頭禁則をしているのかということだ。これについて、前田氏は次のように言う。


「実際の日本語の文章がどんな形で出ているか。新聞とか見ていただければ、短い行長、少ない字詰めの中で、約物が重なっても、それぞれ全角どりにしています。これを、誰もそれが変だとか、おかしいとか、思わない。言われると、あ、そういえばそうだね。でも実際毎日読んでいるわけです。それは一般紙もスポーツ新聞でもそうです。」(前田氏)


 では実際に新聞の組版を見てみよう。以下に示すのは実際の新聞紙面。見て分かるとおり、行頭に「ー」も「っ」もある(赤丸)。そして、前田氏の言う〈約物が重なっても、それぞれ全角どりにして〉いるというのは、青丸の部分のような二重約物の間に1文字分の空白が入ってしまう組み方のことだ。

図5 「日銀人事 消費税政局の具」(『朝日新聞』東京本社第13版、6面、2012年4月6日朝刊)。左下は青丸部分を、約物の前後の空白を詰めて組み直した例

 第9回で、正方形の文字が並ぶベタ組みが、禁則文字の出現によって半端が生じる様を見たが、この半角約物(正方形の半分の約物)が2つ以上連続する場合の処理も同じだ。句読点や括弧類などの字幅(字送り方向の長さ)は行組版から見れば半角だ。通常それらの前か後には字幅半角分のアキが付けられ、他の正方形の文字と同じ字幅を持たせる(全角どり)。ところがそうした半角約物が複数連続する場合、行長が40字詰前後の書籍ではそのアキを一定の約束事にしたがって詰めて組む。例えば句点の後に始め括弧類が続けば、間に都合1文字分の不自然な空白ができてしまうからだ。このルールで新聞と同じ文を組み直した例を図5左下に示した。

 一方で、新聞ではこうした文字も1つずつ正方形として組む(これが前田氏の言う「それぞれ全角どりにする」)。その結果、上図のような空白が生じてしまう。しかしながら、このような不自然と思える組版を毎日目にしながら、人々は気にしない。つまりこうした組版を受け入れている。そんな中であえて禁則文字を多くし、調整個所を増やしてしまう『JLreq』の規定は実態に沿ってないのではないか。これが前田氏の指摘だ。


「また、文庫本の中でも、ハヤカワ文庫とか創元推理文庫は、同じように行方向の格子状の揃えを重視して、ぶら下げをして、できるだけ調整値を減らす組版をしています。もちろん、調整を減らすと言ったって、調整は発生します。和欧混植があれば発生しますし、さまざまな理由で発生します。でも調整を減らして、行組版の姿を守っていくことが、さまざまな形で、なされている。」(前田氏)


 新聞が禁則文字を少なくしたり、正方形にもとづく文字組みに拘るのは、本文の行長が短いからだ(行長と禁則文字の関係については第9回図9図10を参照)。ところが1行が長い小説の組版でも、出版社によっては新聞と同じような組み方をするところがある。それが前田氏が例に出したハヤカワ文庫や創元推理文庫だ[*11]

図6 ハヤカワ文庫の組版例(「女王陛下のユリシーズ号」作/アリステア・マクリーン、訳/村上博基、P.368〈左〉、P.113〈右〉、ハヤカワ文庫、1972年)

 見て分かるとおり、正方形でない文字の出現による半端をあえて調整せず、全角どりを徹底させている。この組み方の利点は調整が少なくて済むことだ。これにより1行の中で文字と文字の間隔が均等に維持でき、読みやすさにつながる[*12]。こうした組版では、1ページの中で文字が横に揃って見える(図7)。

図7 前図に横線と縦線を等間隔で入れてみた。格子の中に文字が収まっている

 以前、私は地元の図書館で無作為抽出した89冊の書籍について、小書きの仮名と長音記号を行頭禁則にしている冊数を調査したことがある。すると、『JLreq』の規定に反して、それらを行頭禁則にした書籍はわずか3冊にとどまるという結果を得た[*13]。つまり日本の書籍、特に小説のような長文の組版では大半が禁則文字を少なくした組版ルールを採用していると言えそうなのだ。これも新聞組版ほどではないにせよ、なるべく調整量を減らして文字と文字の間隔を均等に組もうという志向の表れと思える。


「私はむしろ、新聞組版が和文組版のスタンダードであって、それをもとに考えるんであって、行組版を犠牲にして、ルビとか割り注とか、こんなこともできるんだよっていうのは、本末転倒だ、と思うんですね。」(前田氏)

古来から受け継がれた行組版の伝統

 そこで前田氏は、日本語組版の源流へと話を進めていった。


「日本語組版の中の、風(ふう)、スタイル、風格、風姿、『風姿花伝』の風姿ですけども、これはおかしいぞと、[小形注:読者は]やっぱり分かるわけです。組み方向はよほどのことでないと意識する時ないですよね。(…)やっぱり(縦組なら)上から下へ、(横組なら)左から右へ、日本語を母語にする人たちは特に組方向を意識することなく読みます。そのように、行組版の伝統っていうものは、私が個人的に主張として言っているのではなくて、これは歴史の事実なんです。だから無視し得ない。」(前田氏)


 ここで言う「風(ふう)」は『風姿花伝』〈その風を得て、心より心に伝はる花なれば、風姿花伝と名附く〉を踏まえたものだろう。岩波文庫本ではこの語に〈古来の遺風伝統を継承する〉と注記している[*14]。つまり、はるか昔から受け継がれた日本語表記の伝統/ルールがあり、その延長線上に日本語組版はあり、ふだん意識せずに私達はそうしたルールのもとで読んでいる。その例として、前田氏は古代の文書を挙げた。


「で、正倉院文書、これを見てもらったら分かりますけども、1400年前、巻物に定規あてて、紙の上と下、版面の上と下、計四カ所に切れ込みを入れた専用の定規を使って、写経したわけですね。なぜ版面の上と下に印があるかというと、それだけは揃える。和文の行組版も、やっぱり1400年来、そういう姿なのです。」(前田氏)


 おそらく、この例は以下の新聞記事にもとづくものだろう。

図8 「国内最古の定規出土」(『朝日新聞』東京本社第14版、38面、2003年11月21日朝刊)写真に映っているのが問題の定規

 前田氏は正倉院文書と言っていたが、それより遡る7世紀末の遺跡から公文書の下書き罫線を引く定規が出土、すでに飛鳥時代から行頭行末揃えで公文書を作成していたことが分かった。この定規の使い方は、発掘当時の現地説明会の写真をインターネット上で公開しているサイトがあるので、そちらを見るとよくイメージできる(http://www.gensetsu.com/031122isigami/photo2.htm[*15]。確かに行頭と行末を揃えていることが確認できよう。前田氏はこうした文書フォーマットに、今日まで伝えられている日本語組版の「風(ふう)」を見出した。

「基本ルール」と「表現」


「そういう意味では、技術基盤が変わっても、つまり写植になった時だって、活版になった時だって、そんな新しい組版ルールになった訳ではないわけです。それは、今までやりにくかったことがやれるようになった、例えば行全体で込め物を何カ所か入れるんじゃなくて、行全体で調整するとか、そういうことができるようになったことはあっても、根本のところは変わらない。」(前田氏)


 このあたりが前田氏の発表の核心部分なのだが、すこし分かりづらいように思える。レジュメ『和文組版の歴史に電子書籍は何をもたらすのか』(注釈7参照)に依りつつ補足すると、前田氏は組版を「基本ルール」と「表現」の2つの部分に分けて考える。前者は〈不変ではないが、変化はゆるやかなもの〉であり、具体的には、(1)均等な字送り、(2)均等な行送り、(3)行頭行末揃え、そして以上により構成された(4)均一な版面、とまとめられるだろう。

 これらは正式な文書を作成する際、古来から受け継がれてきた基本ルールだ。前述した調整の少ない行頭禁則も(1)と(3)を実現するための条件と言える。これら基本ルールすべてが備わった文書の例として、天平三(731)年の日付が入った聖武天皇の宸筆『雑集』を挙げておこう(http://www.weblio.jp/content/%E9%9B%91%E9%9B%86)。

 こうした例を見ると、確かに前田氏の言うような「基本ルール」が連綿と受け継がれてきたと思える。さて、では他方の「表現」とは何か。これは前田氏の説明を聞こう。


「活版から写植になった時、変わったのは何かというと、見出しとかリードとかで、変形、長体とか平体とか仮名詰めとか、詰め組みとか、そういうことができるようになった。写植は写真だから、光学的なものだから、この特徴を生かした。ルールが変わったんじゃなくて、表現が変わった。」(前田氏)


 ということは本文以外の見出し等が「表現」なのだろうか? いや、それは短絡にすぎる。前述レジュメに〈「和文組版の基本ルール」は等間隔で刻まれる字送りと行送りのリズムにある〉とあることに注意したい。つまり、音楽で言えばリズムが「基本ルール」であり、メロディーが「表現」なのではないか。「基本ルール」を守りさえすれば、それ以外のフォントの選択、見出しの見せ方、あるいは版面の演出等々、すべては「表現」なのだ。そして前田氏は、電子書籍の可能性をこの「表現」に見出している。


「同じ意味でも、電子書籍というのは、ページ概念が変わる。つまり紙と印刷ということから離れたページ概念というのが、がらっと変わる。時間の概念が変わる。いろんなフレームが変わる。むしろ、そんなに思い切った表現をね、考えるというのが、やるとしたら本筋ではないか。まして、本棚の画面だとか、ページめくりアニメーションだとか、そういうどうでもいいところに力を入れるべきではないと思う。」(前田氏)


 そうして前田氏は新しい「表現」の一例として、以下のPVに見られるようなモーションタイポグラフィを挙げて発表を終えた。

DADA RADWIMPS(YouTube)
http://youtu.be/Yy6XeGCNkSM

 次回はパネリストの発表の後に行われた全体討議、特に本間、村上氏と前田氏の間で交わされた会話を中心にをお送りする。

追記

 掲載前にこの原稿のレビューをした発表者の1人、村上氏から、文中にある前田氏の「誤りを海外へ発信してしまった」という発言について、FirefoxやWebKit等のブラウザーに強い禁則が実装されている理由は、『JLreq』ではなく『UAX#14 Unicode Line Breaking Algorithm』[*16](ユニコード・改行アルゴリズム。原稿執筆時点でRev.28)にあるのではないかとの指摘を受けた。

 じつはこの件については、以前にも村上氏が直接教えてくださったこともあって、自分なりに調べて原稿に書いていたのだが、シンポジウムでの話の流れにうまく合わずに削ってしまっていた。しかし改めて指摘されると、確かにこの問題が日本であまり知られていないことは禍根を残すと思えるので、追記の形で書いておく。

 『JLreq』がデフォルトとして長音記号、小書きの仮名を行頭禁則としていることは本文に書いたとおりだが、村上氏が指摘されたように、ブラウザーなどが『JLreq』を根拠にしたことはないと私は考えている。その理由は前述『UAX#14』が長音記号、小書きを行頭禁則したのが、遅くとも1998年7月30日にまで遡るからだ[*17](これ以前の版は未公開)。歴史の古さを考えると、ウェブブラウザーが実装したのは2009年初版の『JLreq』よりも、むしろ『UAX#14』と考えるのが自然だろう。

 この『UAX#14』は、Unicodeに収録されたすべての文字を対象にした改行規則だ。対象となる文字をいくつかの文字クラスに分類し、改行時の振る舞いを規定している。前述の1998年7月版(Rev.4)を見ると、小書きの仮名と長音記号は「Non-starters(XB)」(非行頭文字)という文字クラスに指定されている。これはどんなクラスかというと、中点、繰り返し記号、感嘆符二つ、波ダッシュとともに、長音記号、小書きの仮名は以下のように規定されている。


Some characters cannot start a line, unless they are following a space
(スペースの次にこない限り、それらの文字は行頭にくることができない)


 この規定は、同様に長音記号、小書きの仮名を行頭禁則としている組版規格、『JIS X 4051:1995』にもとづいたものと考えられる(同規格においてこれらの文字が属する文字クラスは、その名も「行頭禁則和字」だ)。この『UAX#14』の条文が変更されたのが、2012年1月3日のRev.27だ[*18]。ここでは「Non-starters」から長音記号、小書きの仮名が削除され、代わりに「Conditional Japanese Starter」(条件付き日本語行頭文字)という文字クラスが新設され、行頭禁則に入れる/入れないを選べるようになった。

 このように、『UAX#14』ではつい最近になるまで長音記号、小書きの仮名は行頭禁則とされてきた。そして、これが変更されたRev.27で『CSS3 Text』のline-breakプロパティに言及していることから、その影響を受けて長音記号、小書きの仮名の振る舞いが修整されたと思われる。

 では、その『CSS3 Text』line-breakプロパティでは、禁則処理についてどのように規定しているのか。これに関しては、全体討議における村上氏の説明を引用するのが一番だろう[*19]


村上:(前略)禁則に関しては、今CSS3 Text仕様で、line-breakってプロパティがありまして、前田さんから指摘されていたように、(…)最初のころは、やっぱりJIS X 4051の「強い禁則」というのをもとにされていて(…)strict、強い方がデフォルト(…)でした。それで、WebKitとか、Firefoxとか、今のブラウザーとかも、そのあたりをもとにしていて、(…)ウェブの表示とかでも、行末がガタガタ(…)と、いうような挙動が見られました。

でも、そこはこの間『JLreq』(…)からCSSへ行頭行末禁則を入れる時の、議論がありまして、やっぱりウェブとか電子書籍とかで、(…)基本はやはり(…)「ゃゅょ」とかの小さな仮名とか、音引きとかですね、そういったものは禁則にしない、弱めの禁則をnormalというふうにすると、それで、強い禁則にしたい時はstrictでする。もっと弱いのは、looseを指定するというように(…)今のドラフトは変えられています。そこは良くなったところだと思ってます。

そして、今はデフォルトがautoという仕様になっていて、autoは実装で決めればいいということなんだけど、今のドラフトで書いているのは、autoの場合、行長が短い時には弱めの禁則になって、行長が長くなると強めの禁則にするということをしてもよいと、(…)そういう方法が推奨されて書かれています。


 改めて『CSS3 Text』の以前のバージョンを調べてみると、2005年6月27日版[*20]の時点では『JIS X 4051』と『UAX#14』を参照の上、長音記号と小書きの仮名を含む強い禁則(strict set of line breaking)をデフォルトとしている。次の2007年3月6日版[*21]でも同様の規定だが、そのまた次の2010年10月5日版[*22](この版がシンポジウムの時点)で変更があり、ここで長音記号と小書きの仮名がデフォルトから外されている。続く2011年9月1日版[*23]は禁則処理に関して前バージョンを受け継いでいる。前述の方針を変えた『UAX#14』Rev.27が参照しているのはこの版だ。

 以上の結論として、『JLreq』が強い禁則を海外に発信したという事実は、『UAX#14』および『CSS3 Text』に関して、ないと言ってよいだろう。

注釈

[*1]……「AH Formatter」アンテナハウス(http://www.antenna.co.jp/AHF/

[*2]……“CSS Writing Modes Module Level 3”(http://dev.w3.org/csswg/css3-writing-modes/

[*3]……“CSS Text Level 3”(http://www.w3.org/TR/css3-text/

[*4]……これは日本語版の名称。文書として正式なのは英語版で、名称を“Requirements for Japanese Text Layout”という。つい先ごろ、新しく第2版にバージョンアップされた(http://www.w3.org/TR/2012/NOTE-jlreq-20120403/#status)。日本語版は英語版と対等な文書として並行して開発された。『日本語組版処理の要件(日本語版)』W3C技術ノート2012年4月3日(http://www.w3.org/TR/jlreq/ja/#notes_a3)。同文書の成り立ちについては、2012年4月、東京電機大学出版局から刊行された書籍版に詳しい。以下でも公開されている(http://www.tdupress.jp/books/isbn978-4-501-55020-2.html)。

[*5]……使用した使用したXHTMLとCSSの内容は以下の通り。

XHTMLファイル
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<!DOCTYPE html>
<html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="ja">
<head>
    <link rel="stylesheet" href="./test3.css" type="text/css" />
</head>
<title>行末不揃えのテスト</title>
<body>
<p>よく考えて欲しい。リフローを特定の閲覧環境の&#8203;中で動的にレイアウトが変更&#8203;できる表示方法と&#8203;して考えると、本当の姿を見誤って&#8203;しまう。&#8203;現在言われている&#8203;定義は、旧来からのパソコン&#8203;向けユーザーインターフェースに引きずられた、&#8203;非現実的な&#8203;ものにすぎない&#8203;のだ。その上で改めて&#8203;考えてみよう。本当は、リフロー&#8203;とは何なのか?</p>
<p>それは絶対的なページサイズをもたない、複数の&#8203;閲覧環境(パソコン向けリーダー、&#8203;タブレット&#8203;端末、スマートフォン等)に対応可能な&#8203;表示&#8203;方法なのだ。&#8203;そのように&#8203;再定義すると、そこで&#8203;必要な技術も&#8203;クリアになってくる。要するにページ&#8203;サイズの&#8203;変更に追従して&#8203;自動組版する技術――人間の手を&#8203;経ず、アプリケーションが破綻の少ない組版を&#8203;自動的に実現する技術に他ならない。そのために&#8203;組版ルールの洗練が&#8203;必要となる。</p>
<br />
</body>
</html>

test3.css
@charset "UTF-8";
body {
  font-family:"@IPAMincho","IPAMincho";
   font-size: 200%;
   line-height: 175%;
   word-break:keep-all;
   letter-spacing: 0px;
}

 なお、このシンポジウムの発表者の1人、高瀬拓史氏が最近になってIE10における「word-break:keep-all;」の使用例として、この意味による改行について報告している。(高瀬拓史『Internet Explorer 10の日本語組版』2012年6月25日、http://www.slideshare.net/lost_and_found/internet-explorer-10-13452063

[*6]……当日の村上氏のスライド資料は下記を参照。『電子書籍の組版ってどうなの?』(http://moji.gr.jp/gakkou/kouza/ebook-typo/files/20110806_ebook-typo_murakami_slide.pdf)。他に組版についてもう少し詳しいスライド資料として、次のようなものが公開されている。『EPUB3.0の仕様と日本語組版』(http://nadita.com/murakami/epub3kumihan/epub3kumihan.pdf)、『電子書籍とWebとXMLの組版技術』(http://oku.edu.mie-u.ac.jp/texconf11/presentations/murakami.pdf

[*7]……前田氏の著書で新しいものは府川充男氏らとの共著『組版/タイポグラフィの廻廊』(白順社、2007年)であり、他に2011年度から神戸芸術工科大学で行っている授業のレジュメが「KDU組版講義」(http://www.linelabo.com/KDU/)として公開されている。また、日本語の文字と組版を考える会のころのものに「組版の哲学を考える」を含む『Windows DTP PRESS vol.8』(技術評論社、2000年)、鈴木一誌・向井裕一両氏との共著『明解クリエイターのための印刷ガイドブックDTP実践編』(玄光社、1999年)がある。現在は絶版だが、Amazon等の古本サイトで多くヒットする。

[*8]……「和文組版の歴史に電子書籍は何をもたらすのか」(http://moji.gr.jp/gakkou/kouza/ebook-typo/files/20110806densho.pdf)、「組版とは本来、動的なものである」(http://moji.gr.jp/gakkou/kouza/ebook-typo/files/kumihanwadouteki3.pdf)。いずれも簡易製本(折り本)されており、書物への愛情をうかがわせてくれる。

[*9]……この文章そのものは、シンポジウム当時に公開されていた『JLreq』2011年11月29日版(第1版)による(http://www.w3.org/TR/2011/WD-jlreq-20111129/ja/)。現在の第2版では、「注4」として以下のような記述に改められている(他の注も、より詳細な記述に改められている)。

〈注4)行頭禁則、行末禁則及び分割禁止については、複数の考え方があることから、附属書C 文字間での分割の可否のC.3 補記で、4つのレベルに分けて、許容する(禁止としない)文字クラスを示す〉

 この変更は第2版へのパブリックコメントにおいて、私が「3.1.7の本文で規定した以外の組み方を説明するという注の意図が正しく表現できていない」という趣旨のコメントを寄せたことによる。詳細は私のブログにある次のエントリを参照。『『「強い禁則」は主流か?』への回答と、その反論[追記あり]』2011年12月1日(http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20111201/p1)。

[*10]……とはいえ『JLreq』をよく見ると、注1で小書きの仮名と長音記号等を対象にした禁則処理もあることに言及し、〈この方法を採用している書籍も多い〉と書いている。さらに附属書C「3. 補記」を読むと、禁則を全部で4つにレベル分けして定義しており、小書きの仮名と長音記号等を対象にする処理もここに含まれている。だから「誤り」は厳しすぎるのではないか。そう思って前田氏にメールで問い合わせたところ、以下のような答が返ってきた。

〈『JLreq』3.1.7の本文と注(note)との関係を見れば、どう読んでも小書き仮名などを禁則対象にすることをスタンダードにとりますね。(……)本文と注との関係は、本則と許容との関係です。また、附属書は規格本文ではありません。〉

 私なりに前田氏の主張を言い換えると次のようになる。――およそ規定/規格には主である部分と従である部分がある。スタンダードとすべきは前者であり、従である注や附属書でどう書かれているかは問題ではない――。

 これに対する私の考えは以下の通り。確かに前田氏の主張は正しいと思う。しかし、『JLreq』の成り立ちは、先行するJIS X 4051:2004と密接不可分だ。そこにおいて小書き仮名と長音が〈行頭又は割注行頭にきてはならない〉(『JIS X 4051:2004』P.12、4.3 行頭禁則処理)と規定されている以上、『JLreq』だけの変更を求めるのは無理がある。まずJIS X 4051の改正を促すのが筋であり、『JLreq』がそれと同じ禁則を本則としつつ、同時に多種多様な禁則を許容しているのは間違ってはいないと思う。ただし、『JLreq』の記述〈これは体裁がよくないからである〉はミスリードを誘う余計な一言だと思う。

[*11]……地元の図書館でハヤカワ文庫と創元推理文庫をそれぞれ20冊程度調べた限りでは、前者は文庫に限らず単行本も含めてすべて全角どりの組版であるが、後者については初版が1970年代よりも古いものの一部にとどまり、最近は全角どりの組版を採用していないようだ。

[*12]……ただし私個人は、行長の短い新聞はともかくとして、書籍におけるこの種の組版が必ずしも読みやすいとは思わない。例えば二倍ダーシを分離許容すると長音記号と錯覚させてしまうし、全角どりの二重約物が生み出す空白は文章への集中を妨げると感じる(これは私が早川書房の本を読んでいつも感じること)。

[*13]……『「強い禁則」は主流か?――『日本語組版処理の要件』へのフィードバック(追記あり)』2011年11月21日(http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20111112/p1

[*14]……『風姿花伝』作・世阿弥、校注・野上豊一郎/西尾実、岩波文庫、P.69、1958年)。この部分、前田氏の嘆きと重なる部分があると思われるので、長めに原典を引用しておく。

〈そもそも、風姿家伝(ふうしくわでん)の条々(でうでう)、おほかた外見(ぐわいけん)のはばかり、子孫(しそん)の庭訓(ていきん)のため注(しる)すといへども、ただ望(のぞ)むところの本意(ほんい)とは、当世(たうせい)この道(みち)のともがらを見(み)るに、芸(げい)の嗜(たしな)みはおろそかにて、非道(ひだう)のみ行(ぎやう)じ、たまたま当芸(たうげい)にいたる時(とき)も、ただ一夕(いつせき)の顕証(けじやう)、一旦(いつたん)の名利(みやうり)に染(そ)みて、源(みなもと)を忘(わす)れて流(なが)れを失(うしな)ふこと、道(みち)すでに廃(すた)る時節(じせつ)かと、これを嘆(なげ)くのみなり。/しかれば、道(みち)を嗜(たしな)み芸(げい)を重(おも)んずるところ、私(わたくし)なくば、などかその徳(とく)を得(え)ざらん。ことさら、この芸(げい)、その風(ふう)を続(つ)ぐといへども、自力(じりき)より出(い)づるふるまひあれば、語(ご)にもおよびがたし。その風(ふう)を得(え)て、心(こころ)より心(こころ)に伝(つた)はる花(はな)なれば、風姿家伝(ふうしくわでん)と名附(なづ)く。〉『花伝書(風姿花伝)』(作・世阿弥、校注・川瀬一馬、講談社文庫、P.60~P.61、1972年)。

〈そもそもこの風姿花伝の内容たるや、他人には見せないはずのもので、自家の子孫のために教えを説いたものであるが、その著作の主旨は、当今の申楽[小形注:さるがく、能の意]者たちを見ると、自分の芸の稽古はよい加減にして、専門外のことばかりやっている。たまに申楽をやっている者があるかと思うと、その連中は、目先を追って、ぱっと人の目に着くことばかりをやり、一時的な名声にとらわれて、根本を忘れ、目標を見失っている有様なので、こんなことでは、もう申楽も駄目になってしまうのではないかと残念でたまらない。/それだから、こういう中でこの道に励み、芸を尊重して、一所懸命やるならば、成功しないはずはないのだ。特に申楽の芸は、先輩の残した型を受け継いでいくものではあるが、それに自分の力で発明したやり方が加わって行くならば、この上もないことだ。先輩の風を会得して、心から心に伝わる「花」であるから、この書物を「風姿花伝」とつけたのである。〉『前掲書』P.141~P.142。

[*15]……正式な報告は以下を参照。竹内亮「文書用界線割付定木二態」(『奈良文化財研究所紀要』2004年6号、P.14~P.15(http://repository.nabunken.go.jp/modules/xoonips/detail.php?item_id=730)。同論文によると定規の縦・横・厚さの最大値は100×27×5ミリだが、下端部分は切り折りにより失われているとのこと。この定規が出土した意義は、その目盛りと平安中期の法規集『延喜式』に規定された公文書における天地や字下げ幅、および1行の幅のサイズが一致したこと。同論文では、定規を使った下書き線の引き方が詳しく復元されている。なお、同種の出土品ではこの石神遺跡の定規が最古のようだ。定規の出土時期について、内田和伸他「石神遺跡(第16次)の調査」(『奈良文化財研究所紀要』2004年6号、P.106~P.117(http://repository.nabunken.go.jp/modules/xoonips/detail.php?item_id=730)では、定規の出土したのと同じ遺構から持統6(692)年の紀年銘木簡が出土したことによって、同遺構の造営開始は〈この年(引用者注:692年)を遡らないことが確認できた〉(P.117)としている。

[*16]……“Unicode Standard Annex #14 Unicode Line Breaking Algorithm” Unicode Consortium, 2012-01-17(http://www.unicode.org/reports/tr14/

[*17]……“DRAFT Unicode Technical Report #14 Line Breaking Properties” Unicode Consortium, 1998-07-30(http://www.unicode.org/reports/tr14-4/

[*18]……“Proposed Update Unicode Standard Annex #14 Unicode Line Breaking Algorithm” Unicode Consortium, 2012-01-03(http://www.unicode.org/reports/tr14/tr14-27.html

[*19]……「電子書籍の組版を考える~新たな組版ルールを求めて 全体討議」文字の学校(http://moji.gr.jp/gakkou/kouza/ebook-typo/tougi.html

[*20]……“CSS Text Level 3” W3C Working Draft ,2005-06-27(http://www.w3.org/TR/2005/WD-css3-text-20050627/#word-break

[*21]……“CSS Text Level 3” W3C Working Draft ,2007-03-06(http://www.w3.org/TR/2007/WD-css3-text-20070306/#word-break

[*22]……“CSS Text Level 3” W3C Working Draft ,2010-10-05(http://www.w3.org/TR/2010/WD-css3-text-20101005/#line-break

[*23]……“CSS Text Level 3” W3C Working Draft ,2011-09-01(http://www.w3.org/TR/2011/WD-css3-text-20110901/#line-breaking


2012/7/13 11:00


小形 克宏
文字とコンピューターのフリーライター。2001年に本誌連載「文字の海、ビットの舟」で文字の世界に漕ぎ出してから既に10年が過ぎました。知るほどに「海」の広さ深さに打ちのめされる毎日です。Twitterアカウント:@ogwata