ニュース
Googleの東日本震災への取り組みは5年で終わらない、“Respond”“Remember”から長期的な“Rebuild”へ
(2016/3/8 11:00)
東日本大震災から今週で5年となることから、Googleが7日、「震災から5年 未来への記憶、未来への学び」と題したイベントを開催した。東北の企業と全国のサポーターとをマッチングしてビジネス復興を支援するプロジェクト「イノベーション東北」の関係者らが集まり、今までの取り組みを振り返るとともに、同プロジェクトによるビジネスなどが紹介された。
同日には、イノベーション東北を東北だけでなく全国に拡大し、地域活性化や地方創生に取組む事業者、自治体、NPO法人などを全国から募集することも発表された。
イベントには、復興大臣政務官の高木宏壽氏、前復興大臣政務官の小泉進次郎氏、衆議院東日本大震災復興特別委員長の伊藤信太郎氏も出席した。小泉氏は、「今日の参加者の多くの人に東北でもお会いした」と語り、「震災復興には前例のない数の企業やNPOがかかわった。Googleのような世界的企業が、人も金もアイデアも活動に向けていることを積極的に評価したい」と同社への感謝を述べた。さらに「検索するたびにGoogleの松岡さん(防災・復興プロジェクトプログラムマネージャー/イノベーション東北プロジェクトリーダー)を思い出すようになった」とジョークも言って笑った。
Googleの取り組みを“Respond”“Remember”“Rebuild”の3種類で紹介
Googleの東日本震災への取り組みについては、“Respond(対応)”“Remember(記憶)”“Rebuild(復興)”の3つのカテゴリーに分けて、グーグル株式会社代表取締役のピーター・フィッツジェラルド氏と、同社製品開発本部長の徳生裕人氏が解説した。
フィッツジェラルド氏は、「東日本大震災の時、私はロンドンの自宅にいて、息子が『僕も何かできないか』と言ったのを覚えている。それは世界中の人の思いだったと思うし、Googleの仲間たちがそれに参加したことを誇りに思う」と述べた。そして、「5年で終わるわけではない。より長期的に復興に取り組んでいく」と語った。
“Respond”としては、震災直後に開始した安否情報サービス「パーソンファインダー」などを振り返った。特に、避難所に掲示された避難者名簿の写真を募集したところ大量に集まり、これを共有するとともに、約5000人のボランティアがパーソンファインダーにデータ入力したことなどが語られた。
その後、この経験を生かして、アジアでの災害情報の拠点として活動。ネパール地震や鬼怒川大洪水、アフガニスタン地震などにも対応したという。
“Remember”としては、「未来へのキオク」や「東日本大震災デジタルアーカイブプロジェクト」が紹介された。徳生氏は、ストリートビューの画像のスライダーを動かして、現在や震災直後、震災前を目で見て比べるところをデモしてみせた。
会場ではそのほか、被災地のストリートビュー画像を、スマートフォンによるVRゴーグルのCardboardによって、VR体験できるところもデモされた。
徳生氏は最後に、「これからもGoogleのできるお手伝いがまだ残っていないか、探していきたい」と語った。
“Rebuild”としては、東北の企業と全国のサポーターとをマッチングしてビジネス復興を支援する「イノベーション東北」が紹介された。また、企業が震災復興支援で得られた知見をナレッジとして共有する「未来への学び」も紹介された。
企業が具体的にどう支援に取り組んだか
パネルディスカッションも2つ行われた。1つめは、「復興支援活動が企業に何をもたらしたか」と題して、三菱商事、ヤマトグループ、ロート製薬の3社が登壇した。
モデレーターとなった「東北復興新聞」発行人の本間勇輝氏は、最初に「美談や批判ではなく、企業は何をすればいいかについて、具体的な話を聞きたい」とパネルの主旨を説明した。
本間氏の設定したテーマは「意思決定」「体制」「本業との兼ねあい」の3点だ。
意思決定については、ヤマトグループの岡村正氏(株式会社スワン代表取締役社長)が、ヤマト運輸の現場が東日本大震災の時に自らの判断で救援や配送、支援などに取り組んだ話を紹介した。「ヤマト運輸は全国に広がっているが、各営業所は地元と日々顔を合わせ、結び付いている。それぞれが1つの中小企業と同じだ」と岡村氏。かつて、大企業病対策として「社風刷新3カ年計画」を実行し、それによって現場のジャッジを是認する「全員参加」の経営理念を掲げているという。
企業の体制については、2011年4月に、4年間で総額100億円の復興支援基金を立ち上げた三菱商事株式会社の中川剛之氏(環境・CSR推進室復興支援チームリーダー)が語った。「金額より、4年という時間軸をもらったことが大きかった」と中川氏。「それまでの社会貢献の活動でアクションを起こしたことがあることからスタートし、現場で汗をかく中でやるべきことを判断した」。東北の企業への投融資や、果物農業を生かした「ふくしま逢瀬ワイナリー」なども、ビジネスとして互いに緊張感をもって取り組んでいるという。
本業との兼ね合いについては、トップが「薬屋であることを忘れろ」と指示したロート製薬株式会社の河崎保徳氏(広報・CSV推進部部長)が語った。ロート製薬は大阪に本社があり、トップをはじめ阪神淡路大震災を経験した人が多いという。そのため、東日本大震災の時にはトップがまっさきに、東北へ行くボランティアを社内から募集し、2日後に東北に入ったという。「復興の人材のために震災遺児の進学基金を創設したところ、残った家族を置いて家を離れる躊躇などへの説得に若い社員が行くことになり、その社員が人間と成長するといったことが起こった。最初はそう思っていなかったが、結果的に社員育成となった」。こうした東北での経験から、ロート製薬は2016年2月に社員の副業を推奨する制度を開始したという。
本間氏は最後に「東北とのビジネスは、これからますます面白くなる」として話を締めくくった。
サポーターが東北のNPOとマッチングして得たもの
2つめのパネルディスカッションは、「インターネットがつなぐ東北と個人、マッチングの重要性」と題し、イノベーション東北サポーター4人と、宮城県女川町のNPO法人アスヘノキボウの小松洋介氏、Googleの松岡朝美氏(防災・復興プロジェクトプログラムマネージャー/イノベーション東北プロジェクトリーダー)が、イノベーション東北での経験を語り合った。モデレーターは津田大介氏。
イノベーション東北サポーターとして登壇したのは、デザイナーの青柳徹氏、人材派遣・転職会社の上原航輔氏、飲食店会社の広報の金内美穂氏、プロデューサーの柳川雄飛氏。多様なバックグランドを持つ4人が、女川町のプロジェクトに参加した。
イノベーション東北プロジェクトがどのように決まったか津田氏が尋ねると、松岡氏は「Googleは実際にやってみることを大事にしている。そこで、ECワークショップなどいろいろやってみた中から、イノベーション東北が始まった」と答えた。
一方、津田氏が女川町にとってのGoogleのようなプラットフォームのメリットについて尋ねると、小松氏は「遠隔コミュニケーションや小さな町からの情報発信など、インターネットによって距離が一気に近くなった」ことを挙げた。
サポーター4人の感想から津田氏は、「共通していると思ったのは、助けに行くのじゃなくて、自分自身が得られることがあったということ。参加して何かをするパートナーに東北がなっている」とまとめた。
また、サポーターからは「友達に女川で食べた物の話をするなど、力まずに支援できる」「女川での活動を写真で紹介したら『リア充だね』という反応が返ってきた(笑)」といった声もあった。これについて津田氏は、「ほかの人が行くきっかけを作ることができる。かつては『ボランティアだね』という反応だったのが、『リア充だね』という楽しい活動に見えるようになった」と指摘した。
マッチング活動について、松岡氏は「気を付けたのは、押し付けずにていねいに説明すること。また、マッチングは片方が熱くてはうまくいかない。共感してマッチングしてください、とサポーターにお伝えした」と、心がけたことを語った。また、小松氏は「マッチングで、最初は“支援”だったのが、去年ぐらいから“何かいっしょにやりましょう”という企てに変化した」と報告。これについて津田氏は「震災から4~5年たって、仮設じゃない商店に移行していくタイミングで、企業の支援が変わったのではないか」とコメントした。
松岡氏からは、冒頭で紹介したように、イノベーション東北を全国に拡大していくことも語られた。小松氏も「地方にとって大きな可能性があるプラットフォームだと感じている。今、地方の人口が減っている中、定住だけではなく、一緒にプロジェクトをするような“活動人口”をどう増やしていくかが課題になる」と、インターネットを通じた地方支援の重要性を訴えた。