「驚かせ、楽しませ、世に問い続けたい」
~芸者東京エンターテインメント社長 田中泰生氏(後編)


ネットビジネスがやりたい!

ネットビジネスは儲かるまでに時間がかかる。上場企業の子会社の社長という立場では予算どおり収益を上げなくてはならない。皮肉なことに、「家庭用ゲームの会社にいる限りできないという状況」だった

 2004年頃のことです。ちょうど、Google、Web 2.0、SNSなど、いわゆるWeb 2.0的なサービスが話題になっていました。余裕が出てきた僕は、ゲームもネットもわかる人に誘われて、ネットを勉強し出しました。ドッジボールでも受験でも必勝法を見つけたがる「必勝オタク」の僕は、この時もネットコミュニティに話を聞きに行こうと考えました。

 そこで、鈴木健さん、中嶋謙互さん、清水亮さん、楠正憲さんなどと知り合ったのです。そして、ネットで儲かっている人もいることや、広告ビジネスの存在を知りました。家庭用ゲームは、頑張ってもこれ以上爆発的に伸びることはありません。ゲーム会社はもっとネットの世界に行くべきだと考えました。

 スクリプト言語やネットの開発環境に触れた時は感動しましたね。PSはじめとするゲーム開発の環境は、例外のオンパレードで、開発に限って言えば劣悪な環境です。かたやネットの世界は、みんなで規格を決めていて標準化されているために、家庭用ゲームより簡単に作れます。教えてくれる人もたくさんいるし、オープンソースもあるし、何より整然と作られている。ネット環境でサービスを試作してみると、すぐ作れました。もともとジャングルみたいな劣悪な環境で作っていたので、整備された道は簡単に感じたのです。

 ただ、会社でネットビジネスをやりたかったのですが、できませんでした。ネットビジネスは儲かるまでに時間がかかります。携帯電話向けゲームや家庭用ゲーム、オンラインゲームを作っていればとりあえず儲かるので、売上げの見通しが立たないネットビジネスは会社の事業として取り組めなかった。予算は守らなければいけないし、親会社が上場していましたから。

 僕の感覚ではネットをやるべきだったんですが、上場企業としての必勝法としては目の前の儲かる事業をしなければいけません。本当は、当時PCで人気があった、ハンゲームのような無料アバター+アイテム課金のビジネスとか、フレンドスターとかorkutといったSNSのようなことをすごくしたかった。ゲームやシステム自体はわりとさくっと作れるなあと思いました。しかし皮肉なことに、家庭用のゲーム会社にいる限りできなかったのです。

独立、芸者東京エンターテインメント誕生

ネットビジネスは儲かるまでに時間がかかる。上場企業の子会社の社長という立場では予算どおり収益を上げなくてはならない。皮肉なことに、「家庭用ゲームの会社にいる限りできないという状況」だった

 独立の目標にしていた30歳が近づいてきました。そんな時、会社の中で社内抗争に巻き込まれてしまったのです。本来は上場させて起業資金を持ってから辞めたかったのですが、そんなのもあって嫌気がさして、2005年に退職することにしました。

 学生時代に作った会社があったので、そこに籍を置いてロボット研究やネットビジネス研究をしました。大学の研究者の友達が持っている技術を事業化できるかもと考えたり、ネットビジネスをやってる友達の会社を手伝ったりもしました。ロボットや人工衛星やバイオテクノロジーなんかも一時期すごくビジネスにできないかと研究したことがあります。でも、そういうのはやはり個人の力だけではどうしようもない高い壁がありまして。

 1年ちょっといろいろ研究して、結論としては、ネットワークやハイテクを使ったエンターテインメントをやるしか道が残っていないことに気付きました。(笑)。そうやってできたのが今の会社です。2006年のことです。

 「芸者東京エンターテインメント」という社名の由来はよく聞かれます。芸者はクリエイターという意味。東京は最初のメンバーたちの母校が東京大学だったことからつけました。ビジネスは最初からワールドワイドに考えていました。

 日本のネットビジネスは海外が弱い。しかし、僕は幸い世界に物を売るゲーム会社にいたこともあって海外へのコンプレックスがない。寿司・富士山・芸者のようなグローバルにわかりやすいもので挑戦しようと考えました。尊敬するクリエイターが、テクモで「チームニンジャ」というチームを率いていたので、そっちが忍者ならこっちは芸者でいこうという思いもありました(笑)。

「商業エンターテイナー」

 ハイエンドな技術を使って面白いことをしようと考えたのが、「電脳フィギュアARis」です。おかげさまで話題になりましたが、実は僕自身はまったくオタクではないんです。ビジネスマンからスタートして、27歳からゲームクリエイター、30歳からクリエイターになりました。

 僕の場合は、あくまで喜ばれることがまずありきで、テクノロジーは後から。また、自分が作りたいものを作るのではなく、みんなが喜んでくれるものを作りたい。そういう意味で、僕はアーティストではなく、商業エンターテイナーなんです。僕は映画がものすごく好きなんですが、好きなものはこだわりが出てしまうので、仕事でやるときは難しいだろうなあと思っています。

 そんなわけで、Webビジネスが好きな人や、「萌え」や純粋に技術が好きという人には、会うとがっかりされます(笑)。そういう意味では、扱う対象はWebでなくてもよくて、たとえば「サッカーチームを強くしろ」という課題を与えられても研究して楽しむだろうと思うんですよね。僕はアーティストではなく、人から喜ばれる対価としてお金をもらっているのです。プロとしてネットに出会っているので、趣味としては出会っていないんですよね。

 僕は小さい頃からいたずらやみんなをあっと言わせたりするのが好きで、企画力はずば抜けていたと思います。釣り堀大会を開く時も、「金魚は水産試験場で安く手に入る」ことを調べたり、校内の銅像を一晩でどうやってひっこ抜けるかを考えたりして実行するのが好きでした。

 今も同じです。「どうだ! 驚け! おもろいやろ」を繰り返しているんです(笑)。そういう性分がプラスに働くのがエンタメ業界です。結果として、性分に合っていることが仕事になったんだなと思います。

 ただ、もの作りはかったるくて特に好きではなかったんです。子供の頃、他人の作った椅子の名前だけ削って自分の作品として出したことがあるくらい(笑)。だから、今も自分が霧中になってものを作っているのはむしろ意外なんですよね。この年になってものづくりの面白さを知ってしまった。30になっておもいっきり少年時代を楽しんでいます。

 自宅にはパソコンはないんですよ。DSは持っているけれど、ほとんど使っていないですし。仕事がら、流行っているアニメを見たり、サービス触ったり、ニコニコ動画を見たりはしていますが、あくまで知識収集オタク。知らないことを知るのが好きなので、分野は何でもいいんですよね。何でも興味があるし、調べる。

ARis誕生!

芸者東京エンターテイメントの第1弾、「電脳フィギュアARis」のパッケージ。Webカメラの画像に電脳フィギュアをオーバーレイして表示するという新しい発想が、フィギュアに興味のない人の間でも話題になった

 企業としては、まずサバイブすることが大事だと思っています。そして、年に1度は世の中を驚かせたい。1年目は、実体験型エンターテインメント「それは無理だよオオスガさん」を作りました。話題にはなったのですが、商売にはなりませんでした。

 2年目はARisを作り、1万本売れるヒットになりました。ARisはシリーズ化も考えています。シリーズは新しいチャレンジとは違いますから、それとは別に、今後も、毎年1つずつ、みんなが驚くようなものを出していくつもりです。

 ARisは、鈴木健さんのおすすめで「電脳メガネ」と呼ばれる眼鏡型のコンピュータが出てくるアニメ「電脳コイル」を見て、作ってみたいと思ったのがきっかけです。社員といっしょに、なんちゃって電脳メガネを作りました。うまくいったら売り物になるかもしれないと思いつつゲリラ的にやってみたところ、話題になったのです。

 今は声優を使っていますが、最初のバージョンは声も社内の人間がやっていました。箱も社内製だし、流通もamazonと直接交渉していましたね。固定観念は持たず、まず自分たちでできるかどうかを考えます。自分たちでやってみたらできることも多いし、できないことは人に任せればいい。

 ARisを作るにあたっては、フィギュアに詳しい社員とラジオ会館や秋葉原のショップに何度も通って私自身すっごく勉強しました。トレンドを勉強したり、絵柄やデザインのプロトをいくつも作り、いろいろ考えた結果いまのようなデザインに落ち着きました。今回はこれがベストという判断をして作ったのです。

 声優も、リストをピックアップして、アニメを見て声を聞き、話題性を考えて決めました。そういうことが好きなんですよね。個人的な好みで言えば、リア・ディゾンが好きなのでそういう顔にしたかったんですけどね(笑)。

 サバイバルのために、受託やコンサルティングも受けていますよ。1年目はスクエア・エニックスのゲームを作っていました。「作りたいもの作ったら会社はどうなってもいい」とは思っていなくて、半分はビジネスマンですから。


パッケージに同梱されているマーカーとなるアイテムを置いて、Webカメラをセッティング。Webカメラからの画像に重ねて仮想フィギュア、ARisが表示されるARisにちょっかいを出したりプレゼントしたりして反応を楽しむ。ARisはとくにかまわなくても、勝手に話したり動いたりする。ARisの声には人気声優のゆかなを起用

チャレンジなくしてリターンなし

 これまで、なんども挫折しています。コンサル会社にいた時も、プロジェクトが嫌で2回失踪しています。ゲーム会社でも入って1年くらいは失敗したと思っていたし、独立した時も一文無しでつらかった。けれど、そういうのも含めて人生ゲーム。だから楽しいのです。難しいことにチャレンジしないとリターンはないんです。チャレンジしたから挫折したんだと思っています。

 貧乏話を読むより、自分が貧乏な方がリアルですよね。同様に、孤独をテーマにした小説を読むより、自分が孤独な方がリアルな経験ができます。これだけ豊かな世界で貴重なのは、リアルな体験だと思うのです。映画で人は死にますが、周囲で人は簡単には死なないし生き別れもありません。リアリティがないのです。そういう時代に、少しでも挫折があるのはすごくいいと思うんですよ。

 一度、ガス代が払えないくらい貧乏になったことがあります。創業当時から社員が10人くらいいたので、人件費だけで大変だったのです。そのうえ、当時やっていたプロジェクトが頓挫しかけ、資金繰りが危なくなったことがありました。自分の給料はまったくとらずに、株取引で儲けたお金で生活してました。そういえば、会社設立にあたっての資本金も株で儲けたお金でした(笑)。

 ARisの時も、受託案件を止めて取り組んだので、こけたら大打撃になるところでした。どうしてもヒットしてほしくて、発売開始の日は夜中の12時ちょうどに近所の神社に1人でお参りに行きました。ベンチャーとしてやる以上、勝負をかけるところはかけないといけないと思うんですよね。

20年で任天堂を抜きたい

「20年で任天堂抜く」という。自ら設定したチェックポイントを20年で10回クリアしたら、どう考えても任天堂を超えてしまうから、というのがその理由だ

 「20年で任天堂抜く」とうそぶいているんですよ。会社ができて2年目の日にARisを出しました。2年ごとにチェックポイントを設けていて、まず会社作って2年以内に世の中を驚かせる商品を出せなかったらその時どんなに儲かっていても会社やめようと思っていました。そんなふうに2年ごとにチェックポイントを設けています。

 そのチェックポイントを20年で10回クリアしたら、どう考えても任天堂を超えてしまうんですよね(笑)。逆に2年ごとのチェックポイントでクリアできなかった時点で会社をたたむと思います。それは自分に挑戦する資格がないということだと思うので。

 そして、毎年これはというものを世に問いたいですね。僕のやっている業界では、「喜んだ人の人数×喜んでいただいたことへの対価」が会社の収益になります。来年、再来年と、喜ばせる人数と対価を段々上げていきたいですね。

 今後も、特定の技術やジャンルに入れ込むつもりはありません。萌え系やコンテンツも面白いけれど、ネットサービスも、ジャニーズのイケメンも面白い。「芸者東京がやるからどんな分野でも面白いはず」と思われるのが理想だし、そういう会社にしたいですね。




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2009/6/9 11:00


取材・執筆:高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っ ている。