デザインは商品開発そのもの
~株式会社プレーン 渡辺弘明社長(後編)


リコーでFAX機のデザイン

株式会社プレーン
http://www.plane-id.co.jp/

「portfolio」のコーナーで渡辺氏が手掛けた製品写真を見ることができる

 卒業後は株式会社リコーに入社しました。FAXなど事務機器のデザインを担当し、5年間在籍しました。当時は、自分でもきっと生意気な社員だっただろうと思います。新人が初めからデザインを任されることはあまりないので、なかなか仕事はもらえませんでしたが、自分でいろいろ考えてデザインを描いていたのです。

 それを見た係長から、「やってみろ」と。複合機のデザインを描いてみることになりました。できないだろうけど、とりあえずやらせてみるかという感じでしたけれどね。レンダリングという製品の完成イメージを可視化した絵を描くのですが、係長のものと僕のものとデザインを提出したところ、僕のものが選ばれたのです。

 おかげでデザインを担当できることになり、無事製品になりました。上司が工場に行って試作品の写真を撮ってきてくれたのですが、本当に嬉しかったですね。嬉しくて自然に口元がゆるみ、人にわからないように隠れて笑っていたくらいです(笑)。翌年にはグッドデザイン賞を頂きました。

 最初はFAXの部署ではなかったのですが、担当の女性が産休に入るため、代わりに担当になりました。これからデザインが本格的に始まるところだった上、わからないことばかりでとても大変でした。FAXには紙の入れ方や設計など様々な制約があるため、設計者とのやりとりが必須です。

 その時のテーマリーダーが、現リコー社長の近藤史朗さんです。当時係長だった近藤さんとやりとりをしていたのですが、よくいじめられていましたね(笑)。「絵を見せて」と言われて10枚ほど見せると、「どのデザインもいいね」とほめてくれる。しかし、翌晩に電話がかかってきた時には「あれは何だ、認めないぞ」と一変していて、かなり鍛えられました。

 最終的にはデザインしたものが実際に製品になり、グッドデザイン賞を頂きましたので認めてもらえましたが、それまではきつかったですね。出すもの全てに文句をつけられ、終わった後は燃えつきたというくらい、精一杯働いていたのだと思います。

 次に担当したものは、当時市場シェア2位のリコーの主力機種で、これを売って1位になるぞという、会社として気合いを入れて開発に注力した製品でした。ですから当然、開発スタッフはいろいろな部署から精鋭が集められています。

 開発チームのキックオフミーティングで、企画リーダーがひとりずつメンバーを紹介したのですが、ほかのメンバーはみな各部署から選抜されたエースですから、すでに顔見知りなのです。ところが、デザインの部署からは入社2年目で、まったく顔も知られていない私でしょう。他の人は「リコーの将来を担う存在です」などと紹介されていても、私のことを知らないせいもあると思いますが、私だけ紹介を飛ばされてしまいました。

 その後、企画部長が「絵を描いてきてくれ」と言うので描いてモックアップにしたところ、そこからみんなの態度が変わりました。「全く新しいデザインだな」と認めてくれたのです。

 ベテランデザイナーも私の絵を見て「きれいだね」と言ってくれたのですが、縦横比や表示を配置する場所など、決まり事を知らないがための斬新さだったのではないかと思います。決まり事にはそれなりに意味がありますが、あまり知ってしまうと制約に縛られてしまうという面もありますね。

 リコーはその機種でシェアトップになり、デザイン的にも話題になりました。当時の企画部長は、以後「俺が担当する企画のデザインは全部お前がやれ」と言ってくれるまでになりました。ちょっと天狗になっていたかもしれません(笑)。

成長のための転職

フロッグデザインに入れたものの、「レベルが高いので、自分が100個デザインを描いても全否定される。きつかったですね」

 当時、リコーのデザイン部署には40~50人いました。しかし、そこには学生時代に切磋琢磨したような競争はありませんでした。「今のように好きにやって上司に何も言われない状態のままでは、成長できないのではないか」という気持ちが出てきました。

 海外のデザイン事務所で、フロッグデザインは世界的に有名です。コンピュータ関係の方には、AppleのMacintoshやMacintosh IIのデザインを手がけたことで知られていますが、国内外多数のメーカーのデザインを担当していました。

 ちょうどリコーに居続けることへの疑問が自分の中に出てきた頃に、フロッグジャパンの日本法人ができたのを知りました。世界でも超一流のデザインスタジオですから、「入れるわけない」と思っていたのですが、リコーの先輩の友人がフロッグデザインの日本法人に唯一の日本人として入っていたのです。その先輩が「他のメーカーに行くぐらいならフロッグを狙うべきだ」と言う。紹介を受けてフロッグに作品集を持っていったところ、なんとか入社することができました。

 転職した頃はきつかったですね。レベルが高いので、自分が100個デザインを描いても全否定されるわけです。フロッグデザインは、デザインのクオリティが高いと評価されていましたが、同時に、これまで見たことがないような、既成概念を覆す斬新なデザインを作り出していました。見るもの全てが、今まで見たことのない新しいものばかりでした。フロッグデザインの手掛けたものは、スピーカーの穴の開け方のような非常に細かいところも全部考え抜かれていて、それまでのものとは全く違いました。

 デザインを描いても、「コンセプトがない、何を考えて作っているのか」と言われてしまう。半年間は泣きながら仕事をしていましたね。内部の競争が厳しく、社長に制作途中でデザインを見せるのですが、モックアップが30個程ずらっと並ぶ中、自分のものをアピールしなければなりません。結局、皆に批判や反対意見を言われ、制作しても選ばれない時期が続きました。

 デザインだけでなく、入社後は英語でも苦労しました。英語は不得意でしたが、唯一の日本人の先輩が1年後に辞めてしまい、日本人は私ひとりになってしまいましたから、通訳までしなければいけなくなって。なんとか乗り切りましたが、様々な面で要求されるレベルが高く、本当に大変でしたね。

 在籍したのは2年間でしたが、入社後1年半経った時にやっとオリンパスの顕微鏡のデザインが採用されました。しかし、それは退職した日本人の先輩の仕事を引き継いで出来ただけのこと。クライアントには喜んで頂けたのですが、私としては自分の未熟さを実感していました。半分は先輩の手柄ですから。国内外のデザイン賞は頂きましたが、フロッグデザインというところは、そういう受賞は話題にも上らないところでしたね。取って当然というより、気にとめていないという感じです。目標としているところが違うのです。

 バスタブのデザインをしている時のことです。デザインを上司に見せたところ、「昨日より良くなったね」と言ってもらえました。ところが、上司のデザインは、僕のものよりずっと素晴らしいものを描いているのです。上司は、「何時までやった?」と聞くので「午前3時までかかりました」と言うと、「自分は朝5時までやった」と言うのです。その時、「こんなすごい人が、自分より長い時間かけて作っているのか」と自分の未熟さを痛感しました。デザインに対する意識とレベルが違う。本当にすごい人はいるのですね。

カリフォルニアへ

 フロッグデザインはドイツで創業した企業ですが、私が在籍していた当時、フロッグデザインの創設者はカリフォルニアにいました。フロッグはアジアの拠点を日本からシンガポールに移そうとしていたこともあり、「カリフォルニアに行きたい」と希望を出したのです。

 ドイツにも会社はありましたが、カリフォルニアはAppleをはじめとしたシリコンバレー企業と仕事をしていて、面白そうだと感じたのです。当時30歳で子供が生まれたばかりでしたが、チャンスだと思い渡米しました。

 現地では、デザイナーが12~13人いて、4つのチームを組んでいました。パソコンのデザインの仕事が多く、4つのチームが全部、それぞれ別のメーカーのパソコンのデザインをしていたこともあります。いろいろなパソコンメーカーがフロッグデザインに相談に来ていました。ただ、デザイン料が高いので、見積もり依頼があったうち、実際にデザインを依頼されるのは3割くらいでした。

 その時期は、スティーブ・ジョブスがAppleを追われて、NeXTを作った頃でした。僕の最初の仕事はNeXTの仕事でした。日本のフロッグデザインでかなり鍛えられたので、カリフォルニアではそれ程苦労することもなく、精力的に仕事をする事ができました。

 また、Appleには「スノーホワイト」というキーワードがあり、そのキーワードをもとに全機種を同じデザインにしていたのですが、そのような手法はフロッグが最初だと思います。その後NeXTのデザインをした時も、デザインランゲージを作り、モニターやキーボード、マウスもすべて統一されたデザインにしました。デザインランゲージ、つまり、“AppleがAppleらしく見えるデザイン”を作ったのはフロッグデザインではないかと思っています。

 そしてその頃、ライバルデザイン会社にいた日本人や、Appleでデザイナーとして勤務していた人達と交流を持っていたのですが、そのうちの一人に今をときめく深澤直人さんもいました。深澤さんはデザインに対しての想いがとても強く、今の活躍を私自身もなんとなく予感していました。

 その後、オレゴンにあるジバデザインという会社に転職しました。ヘッドハンティングされたのですが、帰国して独立を考えていたので最初はお断りしたのです。「面接だけでも」と言われ、会社のあるオレゴン州ポートランドにポートフォリオだけ持って行ってみました。実際行ってみると「いろいろな会社を経験するのもいいかな」という気持ちになって。結局は転職し2年間勤務しました。ジバデザインでも、世界中のメーカーとパソコンや音響機器などのデザインを担当していました。

帰国、プレーン設立

写真は株式会社プレーンがデザインを担当したエレコムのUSBメモリ。現在もエレコムのパソコン用バッグなど、エレコム製品のデザインを手掛けている

 独立するためにジバデザインを辞め、帰国後すぐにプレーンを立ち上げました。1995年のことです。事務所は知り合いのデザイン事務所の会議室を借りました。4畳半くらいの狭い部屋に机と椅子だけがあるようなところでした。日本に出張した時に知り合いに話をして、「そろそろ帰るから部屋を貸してくれ」と頼んであったのです。ゴールデンウィークに帰ってきて、5月3日から仕事をしていましたね。

 最初は、フロッグデザイン時代からお付き合いのあったエレコムさんからの仕事だけでした。フロッグデザイン以後はパソコンのデザインを多く担当していたので、パソコン関連の仕事が多かったですね。半年後、徐々に仕事を頂けるようになってきたので、三軒茶屋のマンションに移りました。三軒茶屋は、美味しいお店があり、便利で家賃はあまり高くないので、とても好きな街です。その後は幸い順調で、大手企業の製品デザインを担当してきました。プロダクトは代理店がないので、ダイレクトに仕事をしています。

11月24日発表、12月上旬発売のエレコムのキャリングバッグは株式会社プレーンがデザインを担当。写真の「BM-CA28シリーズ」は折り紙をイメージさせる和のデザインを採用。スマートな外観と高い収納性を両立させた左のバッグと同時発表のZEROSHOCK PREMIUMキャリングバッグ「ZSB-BM009BK」。バッグ表面にははっ水加工を施し、耐衝撃性も高めた

デザインは商品開発そのもの

冷陰極管を使った、日商テレコムのデスクライト「Tubelumi(チューブルミ)」。8月に開催された「グッドデザインエキスポ2009」でも注目を集めた

 デザインは形だけのことではありません。いかに余計なものを捨てるかという作業です。要らないものをどんどんそぎ落とし、必要なものだけ残すのがデザインなのです。プレーンという英単語には鉋(かんな)という意味もあり、そぎ落とすイメージにぴったりなので、鉋をロゴマークにデザインしました。

 最近手がけた製品で、冷陰極管を使ったデスクライトがあります。LEDはあまり熱を発しないのですが、それでも多少は出ます。しかし、冷陰極管という細いチューブなら熱はほとんど出ない上、消費電力も少なくて済みます。クライアントから「冷陰極管を使った照明器具をデザインしてくれ」というオーダーを受けて制作したのが、CCFL Light “Tubelumi”です。2009年のグッドデザイン賞を受賞しました。

 デザインは形を作るだけと思っている人もいますが、それだけではなく商品開発そのものです。CCFL Lightの時のように、「1本の光源チューブをどう生かせば商品になるか」というプランニングから製品に至るまでの全てのプロセスに関わるのがデザインであり、コンサルティングと言えるかもしれません。

 大手のメーカーはそこまで求めず、デザインだけオーダーされることが多いのですが、デザイナーをうまく使ってくれると、素材を生かした製品開発が出来ますし、小さなメーカーでも、優れた技術を持っているところは多くあります。デザインは外注するとコストが高いという印象があるかと思いますが、ご相談をいただけたら様々なご提案ができると思うので、気軽にお問い合わせ頂きたいと思います。

株式会社プレーンがデザインを担当したイワタニ「カセットフー マーベラス」。トップカバーと風防リングによるダブル風防で風によって火が消えるのを防ぐカセットガス収納部を下にして立てて置くこともでき、トップカバーは取り外し可能。“デザインと機能は一体”ということが実感できるデザインだ

(おわり)


関連情報

2009/12/1 06:00


取材・執筆:高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。 PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人”が関わるネット全般に興味を持っ ている。