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懐かしの読書端末や電子辞書が大集合! 当時の関係者が思い出話&苦労話

 日本電子出版協会(JEPA)は10日、懐かしの読書端末や電子辞書を集め、当時の関係者とともに歴史を振り返るイベント「むかしの読書端末、電子辞書大集合」を開催した。

NEC「デジタルブックプレイヤー」は当初FDD内蔵型を目指していた

 イベントはまず、元NECの西田克彦氏と高橋宏氏から、20年前の1993年に発売されたNEC「デジタルブックプレイヤー」についての思い出や苦労話が披露された。

 西田氏は、キングレコードに在籍していたころの経験から、「デジタルブックもソフトの売り方をしよう」と考えたそうだ。ソフトは手にとってみないとわからないが、目の前にあればすぐ手にとって買ってもらえるという。発売当初から80タイトルが用意され、伊達公子による「イエス!デジタルブック」というテレビCMもあり、発売当初は非常に好評だったそうだ。

 しかし、当時のNECの生産体制は国内で6割以上のシェアを握っていたパソコンに大きくウェイトが置かれていたため、デジタルブックプレイヤーが売り切れてしまい、次の入荷が数週間後という状態に。話題になっていた時期に欠品が続いてしまったため、ユーザーに待ってもらえなかったと西田氏は述懐した。

1993年に発売されたNEC「デジタルブックプレイヤー DB-P1」
元NECの西田克彦氏
元NECの高橋宏氏

 高橋氏からは、開発側の立場から技術的な苦労についての話がなされた。1990年に発売されたソニーの「データディスクマン」は内蔵8cm CD-ROMドライブだったが、NECは当時製造費が安くてパソコンでも使えるフロッピーディスクにこだわっていたそうだ。デジタルブックプレイヤーも、当初フロッピーディスクドライブ内蔵型を試作したが、フロッピーディスクドライブは振動に弱いのでかなり苦労したという。結局、重いので内蔵型は不採用になり、製品版はドライブ分離型になった。

 また、フロッピーディスクから本体にデータを保存するのに、当初DRAMを採用していたため、電池の保ちが非常に悪く苦情が多かったという。後にフラッシュメモリを採用して電池の保ちはよくなったが、今度は書き込み回数の制限に苦労させられたという。

 ほかにも、囲碁ファンに非常に喜ばれた端末だったことや、当時のセガが着目してカラオケ収録曲リストを紙の本からタブレットに移行するきっかけとなった話などが紹介された。

1万5000人の著者・権利者に1年半かけて許諾をとった「日本大百科全書」

 続いて、元小学館で、現イーブックイニシアティブジャパン会長取締役の鈴木雄介氏から、1996年にソニーの「データディスクマン」用ソフトとして発売された「日本大百科全書」の電子化事業についての苦労話が披露された。

 日本大百科全書は全25巻の百科辞典で、著者が約7000人、写真も合わせると約1万5000人の権利者が存在していた。ソニーから電子化の話を持ちかけられ、権利者から使用許諾をとるために約1年半をかけたが、それでも1000人くらいは連絡がつかない人がいたという。当時から既に、孤児著作物(オーファンワークス)問題に苦しめられていたということになる。

 その時点で顧問弁護士に相談しところ「全員から許諾が得られないならダメだ」と言われたが、連絡のつかない権利者専用口座を用意して資金をプールし、連絡がつき次第還元するというやり方でなんとか発売にこぎ着けたという。

イーブックイニシアティブジャパン会長取締役の鈴木雄介氏
テキストデータは端末、カラーの写真や図録は紙の冊子で参照する「日本大百科全書」
松下電器「Σブック」の開発段階で作成されたモックアップ

 次に、鈴木氏が小学館を辞めてイーブックイニシアティブジャパンを創業し、2003年に松下電器から発売された「Σブック」にかかわった話が紹介された。当初、松下電器側は、端末の販売価格を5000円程度か、無料で配布することも検討していたそうだ。鈴木氏は見開き型の端末にこだわったが、モックアップができた時には「いける!」と思ったという。

 端末の製造は台湾で行われたのだが、液晶パネルの歩留まりが非常に悪く、7割くらい捨てていたらしい。当時やり取りをしていた松下電器の担当者は「すごく面白いプロジェクトにかかわることができた。大成功して昇進するか、失敗して飛ばされるか、どっちかなあ」と言っていたのだが、あっさりと飛ばされてしまい、以来連絡もつかなくなってしまったそうだ。

 イーブックイニシアティブジャパンとしては、いまだに自社のハードウェアにこだわっており、議論を重ねているそうだ。「eBookJapan」のロゴが入った端末を、いつか作りたいという。

電子辞書がたどった歴史と多様化

 続いて、ディジタルアシスト代表取締役の永田健児氏より、展示機器を中心とした電子辞書の歴史についてのプレゼンテーションが行われた。永田氏は、ソニーの「データディスクマンDD-1」の発売に合わせて設立された「電子ブックコミッティー」に参加しており、今でも辞書デバイスに触れる機会は多いという。

ディジタルアシスト代表取締役の永田健児氏。手に持っているのがシャープ「ポケット電訳機 IQ-3000」
三洋電機「電字林 PD-1」(左)、ソニー「データディスクマンDD-1」(中央)、松下電器「KX-EBP1」(右)、8cm CD-ROM(手前)
永田氏によるプレゼン資料

 電子辞書の国産第1号機は、1979年にシャープから発売された「ポケット電訳機 IQ-3000」で、これはソフトバンクの孫正義氏が学生時代に発明してシャープへ売り込んだ自動翻訳機が元になっているという、伝説の端末だ。そこから1980年代前半に出た電子辞書は、いわば“電卓タイプの単語帳”であった。

 1980年台の後半になると、1987年には三洋電機から「電字林 PD-1」という、漢字かな交じりで表示できる端末が登場する。当時は容量の問題から、書籍版の辞書がすべて収録されているわけではなく、「スタンダードタイプ」と呼ばれる出版社側でデータを削ったものだった。

 1990年に発売されたソニーのデータディスクマンDD-1は、8cm CD-ROMドライブを内蔵しており、最大200MBのディスクにより容量問題が一気に片付いたそうだ。そこから、辞典が丸ごと収録される「フルコンテンツタイプ」が主流になっていったという。1994年には、CD-ROMをキャディーから取り出してパソコンで利用してもいいということになり、「解禁された!」と大騒ぎになったらしい。

 その後、辞書端末は内部ストレージ容量の増大とともに、多機能化と収録辞書数の競争時代になっていく。2001年には「業界最多8辞書」というのがウリになっていたが、2013年現在では180コンテンツが収録されるようになっている。また、辞書専用の端末ではなく、1999年にはiモードで「三省堂辞書」サービスが開始されたり、「ウィキペディア日本語版」のようなウェブサービスが登場したり、スマートフォンの登場で“辞書アプリ”という形で配信されるなど、時代とともに様変わりしている。

ちょっとユニークなコンテンツの歴史

 続いて、自由電子出版代表取締役社長の長谷川秀記氏より、電子辞書を用いたユニークなコンテンツの歴史が紹介された。長谷川氏も元電子ブックコミッティーで、JEPAの元会長でもある。長谷川氏からはまず、電子辞書の標準形式であったEBWING規格やEB規格の基本機能についての説明があった。当時、日本語検索キーの正規化をしたのは画期的だったそうだ。

自由電子出版代表取締役社長の長谷川秀記氏
英和辞典の訳語を見出しに、見出し語を訳語に変換し、和英辞典にした事例
競走馬のレース結果が検索できる電子ブックは、競馬場では売れた

 続けて、説明文の訳語を見出しに変換、見出し語を説明に変換して、英和辞典を和英辞典にした「リーダース英和辞典」や、薬に記載されているマーク(製薬会社を示すらしい)を外字登録して検索キーにした「薬の事典 ピルブック」、俵万智が自分の作品を朗読する「恋歌」、競走馬のレース結果が検索できる「競馬盤」などの事例が紹介された。

 結局、これらのコンテンツは、端末にバンドルされずにソフト単独で販売された場合はかなり苦戦しており、最近よく言われる“ディスカバラビリティ”は当時から問題になっていたという。電子ブックは知っていても、タイトルが別売りされていることが知られていない場合が多かったそうだ。ただ、「競馬盤」は競馬場で販売したところ、端末を持っている人が「こんなソフトが別売りされてるなんて知らなかった」と買っていったらしい。

 長谷川氏は、“検索”という機能が電子辞書市場を立ち上げたと考えているそうだ。反面、現在の“電子書籍”には、ユーザーにとって明快な利点がないように感じるという。電子書籍にも、電子辞書のように、訴求しやすい利点を作らなければならない。例えば、電子は紙に比べれば損益分岐点が低いのだから、紙では出せない本を電子で出せばいいのではないか? といった意見を語った。

ジェフ・ベゾスが真似したと公言していたソニー「LIBRIe」

 次に、イーストの下川和男氏から、展示機器を中心とした読書端末の歴史についてのプレゼンテーションが行われた。下川氏は読書端末コレクターでもあり、1998年に米国で購入した「NuvoMedia Rocket eBook」や、1999年の「Franklin eBookMan」などが紹介された。Rocket eBookは、当時、現地でマーケティング担当者に「どこで売ってる?」と尋ねたらネット通販のURLを教えてくれたのが新鮮だったそうだ。

 ソニー「LIBRIe」はE Inkの電子ペーパーディスプレイ採用で300gと軽量な素晴らしい端末だったが、コンテンツが少ない上にレンタルのみでの提供というところがネックとなって、失敗に終わった。このLIBRIeが失敗した直後に、米ソニーで後継機である「Reader」が発売されたが、これはハワード・ストリンガー氏が社長になった時に「It’s a SONY.」と手に持って掲げる機器が欲しかったからだと言われているらしい。

イーストの下川和男氏
「NuvoMedia Rocket eBook」(1998年)
「Franklin eBookMan」(1999年)

 また、初代「Amazon Kindle」はジェフ・ベゾス氏が「LIBRIeを真似た」と公言しているという話も紹介された。決定的に異なるのは、Kindleは初代から3G回線でネットに繋がっていたのと、初めからアカウント設定済みの端末が送られてくる点が衝撃的だったという。ネット接続をユーザーに一切意識させない仕組みが、Kindle成功の要因だと下川氏は語った。

「LIBRIe」(2004年)
「Amazon Kindle」(初代)
「Amazon Kindle 2」(国際版)

Kindleのエンジンを提供していたFoxit社のE Ink端末「eSlick」

 次に、想隆社の代表取締役である山本幸太郎氏から、Foxit社のE Ink端末「eSlick」についての思い出が語られた。Foxit社は当初のKindle端末のレンダリングエンジンをOEMで提供していた会社らしい。

想隆社代表取締役の山本幸太郎氏
山本氏のプレゼンテーション資料
「Foxit eSlick」(2009年)

 当時、日本語表示ができてPDFもEPUBも対応しているE Ink端末はまだなく、6インチ4階調ディスプレイで重さ180g、SDカードスロット付きと、非常に“モダン”だと感じて購入したという。想隆社からPDFの青空文庫をバンドルしたこともあるそうだ。

 当時の「PC Watch」のレビュー記事(関連記事を参照)には「特定の配信プラットフォームに依存せず、また独自フォーマットを用いず、PDFやテキストの表示が可能な電子ペーパー端末は非常に珍しい存在である」と書かれていたが、現在ではそういう端末は実質滅びてしまっており、コンテンツをどう売るか? という戦略的な歴史にさまざまな教訓が含まれていると思うと山本氏は語った。

 生物の進化と同様に、端末の進化もさまざまな試行錯誤の積み重ねによって今ある姿にたどり着いている。ストレージの容量は飛躍的に増え、通信技術や小型化技術も発達し、デザインも非常に洗練されたものになっている。それは、多くの人がたゆまぬ努力を続けた結果、数多くの失敗と一握りの成功という“歴史”の上に成り立っているのだということを、筆者に改めて思い出させてくれたイベントであった。

(鷹野 凌)