福井弁護士のネット著作権ここがポイント

人工知能と著作権 〜機械創作の普及でクリエイターは失業するのか?〜

1.衝撃の「消える職業」リスト

 人工知能(AI)やロボット工学が、人間の仕事にどこまで進出するかの議論が活発さを増している(一例:総務省『インテリジェント化が加速するICTの未来像に関する研究会 報告書2015』)。確かにこの分野での新たな開発やプロジェクトは完全にブームといえる様相で、ロボットタクシーからAIの東大受験まで、新しいニュースを見ない日はない。筆者も、その影響を知財の面から考える場に招かれる機会がずい分増えた。

 このコラムで、「コンピュータに星新一風のショートショートを書かせるプロジェクト」を紹介し、コンテンツ分野での人間の失業はあるかと書いてから1年半、一般的には楽観論が強い。例えば、しばしば話題になるこの予測だ。

 オクスフォード大の2人の研究者が行った研究で、今後20年以内に人間の職業のうち47%までが機械に奪われるだろうという。向かって左が奪われそうな職、向かって右が奪われなさそうな職(あくまで彼らの予測なので、左の職業の方はどうぞご寛容を)。

 「なるほどな」と思うものもある反面、一見意外な仕事も並ぶ。銀行の融資担当者とか、モデルとか。従来、あまり単純労働とは思われていなかった職業が、実は人工知能やアンドロイドで代替可能だというのは、不謹慎だが考えるヒントとして興味深い。一方、右側の「安泰派」。非定型な作業の多い「対人ふれあい系」が多いのは納得として、医者とか弁護士というのは本当だろうか。本当ならうれしいが、少なくともある種の医師や弁護士は代替される有力候補にも思えるのだが……。

 で、同時に上位にはご覧の通りクリエイティブ系がずらりと並ぶ。やりましたよ、作家・アーティストの皆さん! 過酷な文化・アートの現場で今日まで生き延びて来た甲斐あって、少なくとも機械失業の恐れは少なそうです。そりゃそうだ。創作に必要なのは「感性とひらめき」である。そんな人間味のある活動を機械にたやすく代替できる訳がない。

 ……本当だろうか。

 確かに創作という作業の本質が「感性とひらめき」なら、恐らくコンピュータは苦手な分野だ。

 しかし、スティーブ・ジョブズの意見は違う。彼に言わせれば「創作とは物事の結び付けだ」となる。つまりは99を集めて100にする作業。ならば、コンピュータはお手の物だろう。

2.増殖する機械創作の数々

 百聞は一見に如かず、ここでAI創作の実物を見てみよう。

 まずはこの2つの曲を聴き比べて欲しい。

 何かといえば一方はバッハの作曲したクラヴィーア曲で、他方は「エミー」という自動作曲ソフトが創ったバッハ風の曲だ。どうだろう。このサンプルのエミーの曲は機械演奏なので、何となく風合い的に分かる方も多いかもしれないが、それでも講演会などで来場者の方に聴いていただき「どっちが本物のバッハだと思いますか」と尋ねると、しばしば見事に意見は真二つに分かれる。皆さんはこれを両方本物のピアニストが演奏した場合、どちらが本物の天才・バッハか聴き分けられた自信がおありだろうか。

 実際、エミーの制作者で本職の作曲家でもあったデイヴィッド・コープという人物はエミーにオペラを作曲させて自分の名前でコンサートを開いたところ、聴衆にも新聞の劇評にも絶賛されたという(その後、実は機械創作でしたと明かしたところ、批評家から「どうも深みに欠ける」と評されたという、とってもありがちなエピソード付きだ)。

 文章はどうだろうか。「星新一風のショートショート・プロジェクト」についてはすでに先のコラムで紹介したし、その後も新聞でAIの記事というと頻出トピックだ。2030年ごろには芥川賞も夢でないというが、現時点ではレベルはまだまだらしい。他方、すでに実用化された分野としてはニュース配信がある。APなどの世界的な大手通信社ではスポーツなどの短報記事にはAI制作のものを利用しており、最大手の会社は年間10億本もの記事を作成している(「New York Times」2015年3月7日付記事『If an Algorithm Wrote This, How Would You Even Know?』)。ご覧いただこう。こんな記事だ。

(前略)アルゴは本塁打2本を含む4打数3安打、5打点を記録した。イリノイの先発投手ウィル・ストラックは制球に苦しみ、6回で5点をとられたが、救援投手はその後1点も許さなかった。そして打線が17安打を打って援護し、イリノイの勝利を確実なものにした。(「機械との競争」(日経BP社)より)

 どうだろうか。確かによく読むと、スコアブックさえあれば定型的に自動生成できそうな文章だなと分かるのだが、まあ一読すれば機械が創ったとは思わない方も多いだろう。

 もっと実用化されているのは自動撮影の写真だ。気象写真などはもちろん、例えばおなじみのGoogle「ストリートビュー」。世界中の道路をグーグルの専門自動車(Googleカー)が500万km以上走破して全方位カメラで撮影し、表札などの個人情報は自動で補正・消去した無数の写真たちだ。Google マップやGoogle Earthと結び付いて、世界中で1日に数百万時間も閲覧されているヒットコンテンツである。

Google「ストリートビュー」(わが骨董通り法律事務所)

 あるいは、「Lily」という2016年発売予定の自動追尾機能付きの空撮カメラ(ドローン)をご存じだろうか。最高時速40kmで対象をどこまでも追尾し、指定した角度からHD動画も静止画も自動撮影する。カヌーや登山家だろうが野生動物だろうがどこまでも追いかけるそれは、ドキュメンタリー映像のあり方を大きく変えるかもしれない。

「Lily」の撮影動画

 創作ではないが「機械実演」も、すでに大規模ビジネス化している。代表格はやはり「初音ミク」(ボーカロイドおよび二次創作キャラ)だろう。元は生身の声優の声がサンプリングされているとはいえ、どんな曲でも、理論上は同時に何千曲でも歌える。3D映像でダンスも踊る。すでにミクはニコニコ動画だけで18万以上(タグ数)のボカロ動画に出演する、圧倒的な世界最多出演作品数を誇るアイドルである。彼女を生み出したクリプトン・フューチャー・メディア社の年間最大イベント「マジカルミライ」は、東京武道館だけで3ステージが満席となり、数万人のファンがミク達の曲にペンライトを振り、一緒に歌い、泣かせどころでは泣く(多分)。

「マジカルミライ2015」

 そして2015年の東京国際映画祭、ついにアンドロイド女優が主演女優賞にノミネートされた。前述のコラムでも紹介した、劇作家の平田オリザさんと大阪大学の石黒浩教授が組んだアンドロイド演劇の映画版「さようなら」で、人間の女優と共演した「ジェミノイドF」である(惜しくも受賞は逃す。「ガジェット通信」2015年11月3日付記事『【独占動画】アンドロイド“ジェミノイドF”が「東京国際映画祭」落選についてコメント』)。

「舞台版 さようなら」(さて、どちらがアンドロイド女優か?)

 どうやら我々は機械の歌や演技に十分感動するのだ。そりゃそうだ。もともと我々日本人ときたら人形浄瑠璃に熱狂し、はやぶさの地球帰還に泣き、果ては針やしゃもじの供養までしちゃう民族である。モノに思い入れさせれば世界屈指だろう。

3.圧倒的な作品数

 もちろん、ジャンルや見る人によっては、機械創作・機械実演のレベルはまだ知れているかもしれない。筆者とて、ジェミノイドFの演技を観れば(感嘆しつつも)細かいニュアンスはこれからだなと思うし、Googleが人工知能に描かせた絵(「バズプラスニュース」2015年6月22日付記事『【衝撃】Googleの人工知能が描いた絵が凄すぎる! 絵を見た人「ぎゃあああああ怖すぎる!!」「芸術的だ!!」』)を見れば(怯えつつも)マーケットは相当限られるだろうなと思う。

 しかし、驚嘆すべきはそのスピードである。

 前述の自動作曲ソフト「エミー」について言えば、コープがある時ランチを取りに出かけたら、その間に5000曲の合唱曲を作曲していたという。すごいペースだと思うが、実はこれは1987年のエピソードだ。最近の報道では、スペインにある「IAMUS」という自動作曲システムは、1曲の作曲に1秒かからないという(「io9」2013年1月6日付記事『This classical music was created by a supercomputer in less than a second』)。

 1秒1曲。しかも人工知能は疲れない。休まず作曲を続ければ1日に8万6400曲、1年で3150万曲強だ。これはどの位のペースかと言えば、JASRACが管理する世界中のプロの楽曲数(データベース上)の約10倍である。すごく乱暴に言えば、1電子作曲家が1年で過去のプロ作品全部の10倍に匹敵する曲を生み出す計算だ。

 玉石混交とはいえ、まあAIには世界の情報を次々取り込んで自動学習を続けるという強みがある。レベルはやっぱり年々上がるのだろう。しかも彼らには、ユーザーの日々の行動からその嗜好を学んで、テーラーメイドであなた向けの作品を作れる圧倒的な長所がある。例えば、いろんな意味でテーラーメイドの、アダルト動画。……そりゃやっぱり、市場を席捲するのは時間の問題だろうと思う。あなた向けに特別編集された新聞、生徒の弱点分野に的を絞って自動生成される教材や講義映像。すでに一部は実用化されているし、今後ますます市場が伸びそうな自動生成コンテンツは多い。

 すると、やはり気になって来る。果たして、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いた機械が庶民向けのコンテンツを量産する社会は現実化し、人間のクリエイターの多くは失業するのか。その可能性は、否定すれば嘘になる。何せ物量が違いすぎる。無論、同時に機械と人間が組んだ全く新しい「超創作」と言えるような分野も伸びて行くだろうし、ジャンルによっては機械創作がお話になるのはまだかなり先の話だ。ゴッホや賢治レベルの天才となると、永遠に生まれないかもしれない。だがお金を生み出すビジネスという意味でいえば、通常そこまで圧倒的にコンテンツを機械量産され上手くマーケティングされてしまうと、どうしても生身のクリエイター達の職や収入は影響を受けるだろう。

4.人工知能創作は、果たして著作物か?

 そこで今日の本題だ。果たして無限に生み出されるAI創作物は、著作物なのか。

 少なくとも各種の講演で皆さんの感想を聞く限りは、自動作曲はもちろん、自動生成のニュース記事や写真も、著作物と言えるレベルだろうという意見が多数だ。確かに現在の裁判所の基準からすれば、外見上は著作物かなと思えるものはすでに多い。

 自動生成されるコンテンツには著作権があるのか。これはAI創作に限らず、多くのICTビジネスの未来を大きく左右しかねない問題である。

 仮に著作物だとすれば、そこには著作権が発生し、誰も自由には転載したり利用したりできなくなる。もしも真似して似たコンテンツを作れば著作権侵害だ。他方、著作物でないとすれば、基本的には誰でも自由に使える。第三者が販売しても自由だし、SNSに転載するのも自由だ。元のAIを開発・運用する企業としては、「それでは投下資本を回収できない」と不安に思い、ひいてはAI研究にだってブレーキがかかるかもしれない。だから例えばストリートビューの写真には、必ず右下に小さく「(C)Google」というグーグルの著作権表記がある。いわば「著作物だから勝手に転用しないでね」と主張しているのだ。そうする企業は、少なくないだろう。

 ただ、著作権の伝統的な考え方は、「機械に創作はできない」である。日本の著作権法で言えば著作物とは「思想・感情の創作的な表現」だ。思想や感情が必要だというのだから、限りなくそれは人間の特権だと言いたいようだ。

 実は、コンピュータ創作物が著作物か否かの議論はすでに20年以上前にされている。文化庁・著作権審議会で1993年、報告書が出されているのだ(『著作権審議会第9小委員会(コンピュータ創作物関係)報告書』)。そこでは「人がコンピュータを道具として使えば著作物たり得る」が、「創作過程において人の創作的寄与が必要だ」とされた。つまり、コンピュータはカメラ等と同じツールであって、あくまで人間が創作していると見られる場合にのみ成果物は著作物になる、という訳だ。

 わざわざ「過程での創作的寄与」と言うのだから、完全自動生成に近いコンテンツ、つまり「単に人はボタンを押すだけ」といった関与の場合には著作物から除外されそうだ。そしてこれは、日本以前の米国(1978年CONTU報告)、ユネスコ(1982年勧告)等での議論とほぼ同じ方向性であり、恐らく未だに世界の主流はこちらに近い。

 他方、独自色を放つのは英国で、1988年には著作権法を改正し、コンピュータ創作物(CGW)を著作物と認める画期的な制度を導入した(178条)。CGWは通常の著作物とは扱いが違い、例えば著作権の保護期間は当時「著作者の死後50年」が原則だったが、コンピュータは死なないので「創作から50年」と短くなった。また、著作権を誰が持つかについては、「necessary arrangementをした者」としている。必要な手配を行った者だから、システムの開発者・運用者を連想させる言葉である。つまりストリートビューならGoogleだ。まあ、コンピュータ創作を著作物と認めるならそうだろうな、と思う。

 そして、この「奔流のように量産されるコンテンツの著作権を誰が握るか」という問題は、AI創作物に著作権を与える否かを考える上で、恐らく決定的な要素になる。

 筆者の凡庸な頭脳では、過去から学ぶほかない人工知能が、いつの日かゴッホや賢治に匹敵するような作品を生み出しうるかは到底想像がつかない。しかし、天才の所業ではなくても十分に市場性がある、膨大な量の新たなコンテンツの権利を誰が握るかは、かなり確信がある。そして、その一点の理由のみで、現時点ではAI創作物に著作権を与えるのには躊躇を覚える。というより、正確に言えば、AI側は彼らの膨大なコンテンツを使ったもっとずっと実効的なマネタイズの方法を手に入れるので、恐らく著作権などは必要としないと思うのだが、5000字を超えてしまった。この話はまた次回。

福井 健策

HP: http://www.kottolaw.com
Twitter: @fukuikensaku
弁護士・日本大学芸術学部客員教授。骨董通り法律事務所代表パートナー。著書に「ネットの自由vs著作権」(光文社新書)、「著作権とは何か」「著作権の世紀」(ともに集英社新書)、「契約の教科書」(文春新書)ほか。最近の論考一覧は、上記HPのコラム欄を参照。