● 97JISがやったこと、やれなかったこと
83JISの混乱に対処しようとしたのは、なにも国語審議会/文部科学省の表外漢字字体表だけではなかった。JIS自身も手をこまねいて見ていたわけではなく、そのためにまず行なわれたのが1997年、JIS X 0208の3回目の改正(97JIS)だった。そこで行なわれたのは、規格そのものの明確化だ。この明確化について説明を進める前に、簡単に前回を復習すると、83JISの変更とは以下のようなものだった。
a) |
伝統的な字体を略字体に入れ換え、入れ換えられた字を別区点に追加(4文字×2=全8文字) |
b) |
略字体と伝統的な字体の区点を入れ換えた(22文字×2=全44文字) |
c) |
例示字体を、主に略字体へ変更した(256文字)[*1] |
このうち、aとbが非互換であるのは明白として、問題なのはcだ。例えば97JISでは、このたくさんある例示字体変更のうち、どれが非互換なもので、どれが互換なものであるかを明確化した。ここでカギになった考え方が、前回も触れた「包摂」であり、それをルール化したのが「包摂規準」だ[*2]。これについて97JIS規格票は、解説で以下のように説明している。
文字は、図形概念を抽象して同定される。すなわち、抽象して“同じ字”と認め得る字体の範囲が存在する、(中略)符号化文字集合のあいまいさのない運用のためには、こうした抽象化の範囲を明確にし、それぞれの区点位置が、どのような字体を表現するのか、どのような字体を表現しないかを明確化することが必要である。
(『JIS X 0208:1997』「解説 3.7.3.2 包摂」日本規格協会、p.387)
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難しい言い回しだが、要するに文字の形の細かな違いよりも、むしろそうした違いを抽象して「同じ字」と認識する人間の性質に注目、これを明確にすることで規格も明確にできると考えた。特別編28で使用した図を以下に再掲しよう。
■図1 JIS X 0213における包摂の範囲 |
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包摂の範囲は網の目に喩えることができるだろう。中央の赤い四角が面区点1-36-52の網の目。一点しんにょうの「辻」も、二点しんにょうの「辻」も、両方ともこの網の目を通る。つまり両方とも規格の上からは「同じ字」だ。一方で「迂」という字は別の字であり、だからこの網の目を通ることができない |
包摂規準は網の目のようなものだ。少しの違いしかなければ同じ網の目(“同じ字”と認め得る字体の範囲)を通るが、違いが大きかったり別の文字なら別の網目をとおる。網の目が粗ければそこを通る文字の違いも大きくなる。網の目が細かくなれば違いは小さくなる。つまり、これにより情報交換の「精度」を指定しているとも考えられるだろう[*3]。あるいは、この網目を大きくしたり小さくしたりすることで、文字集合の収録文字数を調整することもできる。つまり、包摂規準とは論理的な調整バルブなのだ。以下にその包摂の具体例を挙げてみよう。
この包摂規準とは、なにも97JISの原案作成委員会が急造したわけではない。もともと78JISの当時から同じようなルールは作られており、97JISはそれを明文化して規格に載せたに過ぎない。もちろん78JISでも勝手なルールで包摂したのではなく、歴史的に写本や刊本の中で受け継がれてきた、いわば漢字の知恵に基づき包摂を決めている[*4]。この包摂規準の明確化により83JISで変更された例示字体のうち、多くは以前のものと「同じ字」とできる、つまり互換な変更であると認められた。ただし中には、包摂できなくはないが、そうすると規格の整合性がとれなくなるものがあった。これが表外漢字字体表の中でも混乱の元と名指しされた「鴎」をはじめとする29文字だ[*5]。
これについては包摂せず、78JISの例示字体=伝統的な字体をA、83JISの例示字体=新字体をBとし、どちらを選択したのかを明示することで、伝統的な字体も使用可能にするという、無理の多い策をとることになった[*6]。
● JIS X 0213により略字体も伝統的な字体も使用可能に
以上のような97JISでの作業を踏まえて開発されたのがJIS X 0213だ。その制定目的はいくつかあったが、柱の1つが83JISの混乱への対処だったことは明らかだ。具体的には、83JISで符号位置を入れ替えた変更についてはもう触らない(というよりも83JISの混乱を繰り返すことになるので触れられない)こととして、図3で示した29文字については、変更される前の78JISでの例示字体=伝統的な字体を新しく別領域に収録した。こうすれば単純な追加になり、互換性の問題も少なくて済む。
もともと図2のように、97JISで互換な変更と認められた文字では、包摂の範囲に伝統的な字体も新字体も収まるわけだから、どちらを実装しようとそれは実装者の自由だ。残る問題は規格上「違う字」となり、苦肉の策から新旧どちらかの二者択一を迫られることになった図3の29文字だ。だからJIS X 0213では、新旧両方の字体が使うことができるよう伝統的な字体を追加することで、なるべく互換性を維持しながら83JISの混乱に対処しようとしたと言える。
本当はここで話が終わればハッピーだった。しかし、こうしたJIS自身の対処は、国語審議会/文部科学省の表外漢字字体表の登場によって、極めてややこしい立場に追い込まれることなった。なぜなら、そこで示された印刷標準字体のほとんどは、かつて97JISやJIS X 0213が、包摂の範囲に収まるとしていた字体だったからだ。もちろん、そこで示されている包摂の考え方を適用すれば、これらは包摂範囲内=「同じ字」であり、だから「JIS X 0213では、すでに印刷標準字体に対応済み」とするしかない。しかし実際には、JISによる2度目の対処として、改正JIS X 0213において例示字体を印刷標準字体に変更したことは、前回述べた通り。
こうして83JISの混乱に対し、JIS自身と国語審議会/文部科学省とで対処が分かれ、それが実装にまで影を落とすことになった。最初のJIS自身の対処であるJIS X 0213初版にある例示字体に基づいたのがMac OS Xであり、国語審議会/文部科学省の対処である改正JIS X 0213の例示字体に基づいたのがWindows Vistaとなる。83JISの時もそうだったが、再びメーカーは行政に翻弄されることになった。もちろんその影響を受けるのは私達ユーザーだ。どうしてこんなことになったのだろう?
● なぜ追加をしてまで例示字体を変更したのか
前回も述べたように、2004年のJIS X 0213改正においては、10字の追加と、168字の例示字体が変更されている(特別編20参照)。このうち追加がなぜ必要だったかというと、これらの符号位置では印刷標準字体と同じものに例示字体を変更しようとすると、JIS X 0221-1に収録されている別の文字と衝突してしまうからだ(特別編21、特別編22参照)。つまり、例示字体を変更しなければ追加も必要なかったことになる。
このように改正での変更点は、例示字体を変えたところに集約できる。これも前回述べたが、追加は厳密には非互換な変更だ。つまり2004年改正では、非互換になることと引き替えにしてまで例示字体を変更した。そこまでして、なぜ例示字体の変更は必要だったのだろう? これがいまだに私にはわからない。その疑問を詳しく言うと以下のようになる。
例示字体には例に示した以上の意味はない[*7]。包摂の範囲に印刷標準字体を含んでいるというだけで、なぜ例示字体が変更されなければならなかったのだろう?
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もちろん、こうした疑問に対し追補規格票が答えようとしている。その解説から「2.11 例示字形の規範性」[*8](p.47~p.48)を引用しよう。
(前略)この規格に限らず符号化文字集合の規格が示す字形は、規範であることを意図していない。
(中略)しかし、実際には、符号化文字集合の規格票が掲載する符号表は、情報処理システム及び機器の開発及び選定に当たって、あたかもそれが規範であるかのように扱われることがある。すなわち、開発者は、機器の開発に当たって規格票に示された字体・字形にできる限り近づけようとすることがあるし、利用者は、規格票に示された字体・字形にできる限り近い機器を選定しようとすることがある。
今回の改正では、以上のような状況に配慮し、仮に符号表の例示字形が何らかの意味で規範であるかのように扱われた場合にも、表外漢字字体表との食い違いによる漢字使用の混乱が生じることがないよう、最大限の注意を払った。
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つまり、「例示字体は規範ではないが、世間には規範とする人が多いので、そうされても混乱のないように例示字体に変えた」ということだろうか。私には倒錯した論理であるように思える。どうも、追補規格票は私の疑問に答えてはくれていないようだ。
加えて指摘しなければならないことがある。これまで常用漢字表をはじめ国語施策とは、すべて法的な裏付けを持ち官報にも掲載される内閣告示・訓令になってきた。しかし、表外漢字字体表は違う。単なる文部大臣(当時)の諮問機関が出した答申に過ぎないのだ。そうしたものへの対応として、本当に2004年の改正は適切なものだったのか。
誤解してほしくないのは、私はJISが表外漢字字体表に対応することそのものに、異を唱えてはないということだ。前回述べたように、これは頻度調査に基づく、現実の裏付けのあるものだ。また国語審議会がこれまで歴史の中で果たしてきた役割を考えれば、その答申を軽視してよいとは思えない。しかし、法的な裏付けが得られなかったものに対し、非互換変更となる追加をしてまで例示字体の変更をすることが、果たしてバランスのとれた判断だったどうか。
こうした改正の結果、「例示字体には規範性はない」という規定は現実的な意味を持たなくなってしまった。上記引用からわかるように、他ならぬ規格自身が例示字体に規範性のあることを認め、そのために例示字体を変更してしまったからだ。なぜこれが問題なのか。それは文字コード規格が工業標準に過ぎないからだ。これを『JIS X 0208:1997』の「解説」は以下のように説明する。
この規格は、言語としての文字と符号化表現との対応を規定するものであって、言語自体を規定するものではなく、言語に何等の基準を与えるものでもない。
(「3.2.2 規定しない項目」p.382)
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文字コード規格は文字と符号の対応を規定するものだ。言語そのものを規定するのは他の(国語施策の)仕事であり、工業標準がやるべきことではない。言語標準も含めた標準行政の中での役割分担を守るべきであり、そうすることが国民全体の利益にもなる。上記ではそのようなことを言っているのだろう。2004年の改正は、結果的にこうした正論をなし崩しにしてしまった。
● JISがうけたトラウマとは
これからは残念なことに、「社会で使われる文字を変えるには、国語施策よりも文字コード規格を変えた方が手っ取り早い」と思われても仕方ない。JISの地位は相対的に向上するが、国語施策の地位は低下せざるを得ない。これは文部科学省/文化庁にとってはもちろんのこと、日本語を使う者すべてにとってよくないことのように思える。さらに言えば、今回の改正は、法的な裏付けがないものでも、例示字体変更の根拠になりうるという、悪い前例として歴史に残るだろう。
このように私がこだわるのにも理由がある。JISを印刷標準字体に対応させ、印刷標準字体が実装の主流になるようにする方法は、例示字体を変更する以外にいくらでもあったからだ。
A) |
例示字体は変更せず、その隣に印刷標準字体を別掲する(リョービイマジクス・石岡俊明、北海道大学・池田証寿、マイクロソフト・阿南康宏、アップルコンピュータ・櫻場浩の提案)[*9] |
B) |
例示字体は変更せず、印刷標準字体と符号位置の対応を明記した附属書を新しく追加する(日本電気・伊藤英俊の提案)[*10] |
C) |
文字コード規格ではなく、印刷標準字体と符号位置の対応を明記したフォントのJISを新たに制定する(築地電子活版・小池和夫の提案)[*11] |
これらはどれも改正審議の中で実際に提案されたアイディアだ。提案者の顔ぶれからもわかるように、いずれも現実的な選択肢であったはず。にもかかわらずJISは、例示字体の変更というわかりやすさだけは抜群の「劇薬」を選択することになった。
なぜか? それは例示字体を変更しないことで、「JISは何もしていない」と誤解されることを恐れたからではないか。もちろんそれは包摂規準を知らない人間の、罪のない誤解に過ぎない。気にしなければいい。しかし、JISの側にも気にせざるを得ない「トラウマ」(精神的外傷)があった。その傷口はまだ乾いておらず、強く触れれば血が出る状態だった。あのような「いやな目」に遭うのは、もうこりごりだ。だからこそ、JISが印刷標準字体を推奨していると、誰が見ても(それこそ素人が見ても)わかるような改正をする必要がある……。
トラウマ――そう、なぜ例示字体まで変える必要があったのかについて、今まで私なりに考え続けてきたのだが、結局はこの工業技術とは無関係な精神分析の用語で説明するのが一番しっくりくるように思える。上記の「素人が見ても」の「素人」とは、いったい誰なのか? そして、JISが受けた「トラウマ」とは何か? それには冒頭で述べた83JISの混乱だけではなく、1997年代頃から行なわれた「漢字を救え!」キャンペーンも説明しなければならない。この文芸家達の言論活動は、JISやこれを管轄する工業技術院(現・経済産業省)にとって、強烈な体験であったはずだ。
※原稿執筆にあたり、敬称を略させていただきました。
( 小形克宏 )
2006/01/12
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