■変更されたのはどんな文字か
次に「特別編18」で挙げたポイントの(2)、168字の例示字体[*1]変更を説明しよう。まず最初に注意したいのは、これらは規格票に例示されている字体が変更されただけであり、符号位置や包摂の範囲が変更されたりといった非互換な変更ではないということだ。
ちなみに本来、例示字体とは〈一つの例であり、その字体を推奨するものではない〉(規格本体 6.6.1 備考2.)とあるように、その形でなければ規格に適合しないという性質のものではない(ここで「本来」と但し書きがついてしまう事情については後述する)。
では、具体的にどのような例示字体が変更されたか。これは前述の経済産業省のプレス発表資料(http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0004964/)で一覧できるので、ここではすべてを細かく説明しない。
ただし、これらの変更された文字が日常しきりに目にするようなものでないことは言っておこう。書籍や新聞に使われるすべての漢字のうち、常用漢字表にある1,945字だけで、約96%を占めるという調査結果がある[*2]。もし法務省が定めている人名用漢字を加えるならば、じつに97%強にも上る。この2つ以外の表外字の使用頻度は、たかだか3%程度でしかない。
ところがここから先が漢字というものの持つ奥深さの話になる。表外字が日常の生活の中でまったく目立たないのかというと、そんなことはない。先の調査の結果によれば、残り3%の中に5,000字近くもの漢字がひしめいているのだ[*3]。
例えば変更された例示字体の中で言えば、多くの姓を作る「辻」「楢」「樋」「榊」、地名では祇園の「祇」、小樽の「樽」、葛城・葛飾の「葛」、茨城・茨木の「茨」、中国史に多く名を残す「鄭」、料理関係では味噌の「噌」の他にも「箸」「庖」「秤」「鰯」「鱒」「蛸」「蟹」「橙」、あるいは動物方面の「牙」「咬」「餌」「兎」「豹」、印刷・組版に不可欠の「摺」「揃」、暖かくなると気になる「蠅」、週刊誌ではメシの種の「謎」「淫」「噂」、3時のおやつに「煎」「餅」、あるいは「飴」と「鞭」といったように、いくらでも例を挙げられる[追加]。これらは新聞や雑誌を開けばすぐにでも目につくはずだ。これ以外でも、下のような例文が苦労もなくできてしまう。
所「詮」お前は謀「叛」人、「賭」博の腕も「疼」くだろうと「煽」られて、「迂」闊にも勝負に出たら、配「牌」悪く「僅」かな「儲」けも吐き出した。強気が「祟」ったと「歎」き、「狡」いぞ、もしや「騙」されたかと「訝」しんでも遅い。今「迄」は自信に「溢」れ酒食に「溺」れる毎日だったが、そんな日も「蜃」気楼、身から出た「錆」と、全財産を「鞄」に入れて「遁」走した。それからは「巷」で地べたを「這」うような裏道暮らしを「辿」る毎日だったけれど、お前と「逢」って「瀕」死のところで「甦」った。軽「蔑」される「屑」のよう人生だったが、お釈「迦」様にしたがい、敬「虔」に生きよう。
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(文字をクリックすると、変更後の例示字体が別ウインドウに表示されます)
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ここで挙げられている漢字は、いずれも造語力が高い反面、残り3%の約5,000字の中にある表外字でしかない。また、私個人の感覚からいえば、上記の例の多くはひらがなに開いたり、「謀反」「嘆く」など常用漢字表の字に置き換える方が多い。これらを「むずかしい、普段あまり使わない漢字」と思う人も多いと思う。造語力は高くても比較的頻度が低いのはこうした理由によるはずで、ここからも表外漢字字体表の性格をうかがえる。
■例示字体は、どんな意図で変更されたか
変更される例示字体168字には、いくつかの分類ごとに変更の理由がある。詳しくは『新JCS委員会平成13年度成果報告書』(http://www.jsa.or.jp/domestic/instac/h13reports/jcs_houkoku.htm)や、この連載の「特別編15 JIS文字コードの例示字体変更は、大きな混乱を招かないのか(1)」を参照して頂きたい。
この168字という数だけを聞くと多く思えるが、そのうちの39字はごく微細な変更だし[*4]、ほかの多くも新旧を並べてみないと違いがわからないだろう。
もっとも、私自身は変更の大小と影響の大きさは関わりがないと考える。今回の改正により、JIS文字コードは好むと好まざるとに関わらず変質せざるを得ない。ただ、そうした評価はもっと後で述べることにして、ここでは、なるべく客観的に改正が意図するところを説明しようと思う。
ところで、なぜ今回の改正でこれらの例示字体を変更したのか、例えば解説では以下のように言う。
今回の改正で表外漢字字体表への対応のために行った字体の変更は、83改正との対比でいえば、83改正における種々の変更の中で“常用漢字表に合わせた字体の変更”に相当する変更だけである。83改正のその他の変更、すなわち、新しい(法令等に根拠のない)字体の採用、同一字体の区点位置の変更などの、83改正に対する批判の主要な対象となっている変更に相当する変更は行っていない。むしろ、可能な対応方法の検討に当たっては、区点位置の変更などを積極的に避けた。このため、83改正のような大きな混乱が再現することはないと考えられる。
多少の混乱が起きる可能性は、否定できないが、83改正とは、混乱の性格が異なる。今回の改正で起こり得る字体変更による混乱は、将来の字体の安定のための過渡的な混乱であって、変更した字体は、すべて表外漢字字体表に正確に従ったものである。将来像及び背景が明確なため、混乱が生じたとしても個々の場面で適切な対処が可能であると考えられる。
この混乱は、この規格の改正の有無にかかわらず、国語審議会が表外漢字字体表を公表したことの当然の帰結として起こりうる混乱の一つである。この規格を改正し表外漢字字体表とこの規格の字体を一致させた場合の方が、この規格を改正せず国語施策と工業標準が示す字体が異なる状況を放置した場合よりも、混乱を減らすことができると考えられる。(解説 2.2 JIS X 0208の1983年改正からの類推 p.39)
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私なりにわかりやすく言い換えると……今回の改正では、確かに83JISと同じように例示字体を変更しているけれど、それは国語施策の裏付けがあるものだし、符号位置の入れ替えという非常識なことまではしていない。だから、83JISと同様な大混乱にはならないはずだ。確かに混乱そのものは発生するかもしれない。しかし、それは表外漢字字体表が世に出たことの当然の帰結であり、JISを改正してもしなくても起こるものなのだ。表外漢字字体表は国の国語施策なのであり、背景も将来像もこれ以上確かなものはない。ならば、むしろ積極的に改正してJIS文字コードと表外漢字字体表の不一致をなくした方が混乱は減る。同時にその混乱は国の施策に従ったものである以上、過渡的で一時的なものに止まるはずだ……というところだろうか。
この部分は、全体に力の入った記述の多い解説の中でも白眉といえる部分だ。だが、ここで改正の必要性は説かれていても、「いくつかある選択肢のうち、例示字体の変更という手法をとる必要性」の説明はない。唯一手がかりになりそうなのが「2.11 例示字形の規範性」の以下の部分だ。
しかし、実際には、符号化文字集合の規格票が掲載する符号表は、情報処理システム及び機器の開発及び選定に当たって、あたかもそれが規範であるかのように扱われることがある。すなわち、開発者は、機器の開発に当たって規格票に示された字体・字形にできる限り近づけようとすることがあるし、利用者は、規格票に示された字体・字形にできる限り近い機器を選定しようとすることがある。
今回の改正では、以上のような状況に配慮し、仮に符号表の例示字形が何らかの意味で規範であるかのように扱われた場合にも、表外漢字字体表との食い違いによる漢字使用の混乱が生じることがないよう、最大限の注意を払った。(p.48)
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意訳すれば、現実には例示字体が規範性を持って扱われることが多い。今回の改正は、そういう場合でも大丈夫なように注意した、ということだ。確かに現実は、ここで書かれたとおりのものだ。しかし、この書き方は十分条件であっても、必要条件ではない。さらに、この後で念を押すように備考で〈規格票の用いる例示字体・例示字形を、いかなる意味であれ規範と考えるべきでない〉と78JIS制定以来の立場を強調しているのだ。
つまり、冒頭にも引用したように、規格としては〈一つの例であり、その字体を推奨するものではない〉(規格本体 6.6.1 備考2.)はずの例示字体を変更することで、表外漢字字体表の字を推奨しようとしたことになり、理屈が通らず説明に困ってしまう。なぜなら、もし本当に例示字体が規範でなく、たかだか「例」でしかないならば、これを変更しようがしまいが「表外漢字字体表への対応」にはならないはずだからだ。
例えば附属書などの形で、表外漢字字体表で示された字が、JIS X 0213で規定されている符号位置=包摂の範囲のどれに対応するかという一覧表を規定してもよいはずだ。こちらの方が曖昧さがなく、実装には便利という見方すらあろう。
しかし、現実にはそういう手法はとられず、例示字体は変更された。これについては原案作成の委託元、経済産業省が作成したプレス発表資料(http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0004964/)が、雄弁にその意図を語っている。
3. JISは、漢字に対する符号(コード)を定める規格であり、字形は規定していない。このため、JISにおいては、今回の改正によって変更された字形と変更前の字形は、どちらも同じものとして取り扱っている。したがって今回の改正が、パソコンなどに搭載される字形の変更を求めるものではない。
4. しかしながら、一般にパソコンなどに搭載される字形については、JISの例示字形を基に作られることが多い。したがって、今回の改正によってパソコンなどに搭載される字形が、徐々に印刷標準字体に変更されることが期待される。
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これまたわかりやすく言い換えると、「今回の改正で、実装の変更を求めているわけではないが、期待ならばしている」。なんとも遠回りな理屈とも思えるけれど、行政として誰に何を求めているかは明瞭だ。規格本文や解説では建前が書かれているが、プレス発表資料では本音が書かれていると言えそうだ。(つづく)
[*1]……以下、本稿ではそれぞれの規格票に従い、JIS X 0208/JIS X 0213において例示されている文字を「例示字体」、JIS X 0221-1(UCS)のものは「例示字形」と呼ぶことにする。
なお、追補規格票の解説においては、例えばp.42の最下行と下から16行目のように「例示字体」と「例示字形」が同時併用されている。これについて小林龍生幹事にお聞きしたところ、個人的な使い分けだがと断ったうえで、「『字形』の方が『字体』よりも粒度が細かい。規格本体では字体と字形の違いに踏み込むことなく記述することが可能だが、踏み込んだ解説のためにはそういう訳にいかず、例えば『例示字体の字形を変更する場合がある』といった記述があり得る」という説明を受けた。
一般に「字体」とは抽象概念をともなったものとして説明される。例えば「一」という単純な漢字ですら複数書けば長さや角度が変わり、厳密な意味で完全に同一の図形として書くことはできない。前回でも述べたように、我々は図形としての細かな違いを抽象して「一」という漢字を読んでいる。この「ぶれ」の範囲を字体と呼ぶ。一方で「字形」とはそこに示された文字の形そのもの。小林幹事が粒度の違いとした所以である。ただし、本稿では一般性を重んじ、可能な限り「字体」「字形」の使い分けはさけ、「文字」とした。
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[*2]……1997年に行なわれた『漢字出現頻度数調査』、および2000年の『漢字出現頻度数調査(2)』のうち、凸版印刷についての集計結果による。
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[*3]……頻度調査についての記述は、『表外漢字字体表』(国語審議会答申 2000年 p.3)より引用。
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[*4]……「解説 3.1.4 微細なデザイン差を変更した39字」を参照。前回の注11でも書いたが、これらはいずれも「これでは学校で正確な書き方を教えられない」という学校教師からの要望によるという。繰り返すが、表外漢字字体表は活字体を規定するもので、学校で書き方を教える筆写体は適用範囲外のはず。だからこうした要望に応えるのは矛盾しているし、そもそも子供に明朝体で漢字の書き方を教えようという発想に問題があるように思える。『表外漢字字体表』3-(3)「印刷文字字形(明朝体字形)と筆写の楷書字形との関係」でクギを刺したつもりかも知れないが、間違った声に応えて文字のデザインをいじった時点で負けであり、本来は不必要な変更をしたことにより適用範囲は矛盾し、表外漢字字体表の意図が歪められてしまったように思う。
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◆加筆修正履歴
[追加]……「辻」「楢」など、本文に挙げた33字についても、変更後の例示字体の画像を用意(2004/4/6)
( 小形克宏 )
2004/4/6
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