プログラマーにできることは開発、「#hack4jp」有志たちのコーディングは続く

IT業界有志が立ち上げたコミュニティ「Hack for Japan」


(左から)日本マイクロソフトの西脇資哲氏、株式会社リクルートの川崎有亮氏、グーグル株式会社の及川卓也氏

 オープンソースやウェブ系の開発者の間で、「ハッカソン」と呼ばれるイベントが開かれることがある。「ハック(開発)」+「マラソン」から来た言葉で、開発者たちが一堂に集まり、個人や小グループでわいわいやりながらプログラミングを行い、最後にそれぞれが成果を発表するという形が一般的なイベントだ。

 東日本大震災1週間後の3月19日~21日には、被災者支援のためのサービスを開発するハッカソン「Hack for Japan」が開催され、実際に優れたサービスも開発された。この集まりはその後も継続し、5月21~22日には仙台や会津若松を含む5会場で第2回のイベントも開催された。

 Hack for Japanに参加する技術者を代表して、運営スタッフの中から、グーグル株式会社 シニアエンジニアリングマネージャー 及川卓也氏(第2回で会津若松会場を担当)、株式会社リクルート メディアテクノロジーラボ チーフアーキテクト 川崎有亮氏(東京会場を担当)、日本マイクロソフト株式会社 テクニカルソリューションエバンジェリスト 西脇資哲氏(仙台会場を担当)に話を聞いた。

「プログラマーに何ができるかわからない」という焦燥感を開発にぶつけた

Hack for Japan

――「Hack for Japan」の開催はどなたが言い出したのでしょうか。

及川:震災後の週明けに、自然発生的に、競合会社も含めて元から知り合いだった技術者たちが声をかけあって発生しました。

 Googleでいうと、パーソンファインダーにAPIがあるので、いろいろなクライアントを作ってほしい、ならばハッカソンを開いたらどうか、という考えが最初です。そこから、パーソンファインダーだけじゃなくほかのAPIも使ってもっと広い取り組みができるはずだと考えが広がって。聞いてみると、ほかのIT系の会社でも支援活動をしている、じゃあ声をかけてみよう、という流れですね。

川崎:リクルートの社内でもいろいろな取り組みが始まっていた中で、GoogleさんやYahoo!さんなどからも声をかけてもらって。やはり、知り合いのネットワークの中で一気に広がって始まった気がします。

西脇:休日にイベントを開催するというところで、企業というより、ソーシャルネットワークでつながっている技術者の、つながりの力を感じますね。それが、速いスピードで立ち上がったひとつの要因だと思います。

及川卓也氏

――3月11日に震災があって、週明けの14日には開催を決めたということですが。

及川:そうです。ただ、その時点で決まっていたのは、3月19日~21日の三連休にアイデアソンとハッカソンをやろうということだけで。運営の内容などが本当に決まったのは、開催直前でした(笑)。

 最初は、1回のハッカソンのつもりで考えていたんです。ただ、メーリングリストで議論していて、そもそも復興まではすごく長い時間がかかると。そこで、第1回をキックオフのような形に位置付けて、その後も継続できる枠組みとして軌道修正しました。

――第1回では、どのようなことに取り組んだのでしょうか。

及川:第1回のときは、アイデアソンは完全にオンラインだけで行なったんですね。東日本はまだ震災直後ということもあって、実際の会場に人が集まるイベントは西日本で開催したので。

 土曜日と日曜日(3月19日~20日)にまずアイデアソンを開催し、「Googleモデレーター」という投票サービスに、誰でも参加できる形でどんどんアイデアを出していって、みんなでそのアイデアに投票していきました。それと同時に、Google Waveを使って、そのアイデアについて議論を進めました。

 そして、月曜日(3月21日)に西日本の会場で、開発を行うハッカソンを開きました。東日本の人には申し訳ないのですがそのままオンラインで参加いただくという形で。ただ、東京でも個別に集まって開発していた人たちもいたようです。

――会場の盛り上がりはどうだったのでしょうか。

西脇:GoogleモデレーターやGoogle Waveは、すごい量の書き込みで、追いかけるのがいっぱいぐらいでした。東京からオンラインでずっと見ていましたが、会場の熱気がネットによってそのまま伝わってきましたね。

及川:私は運営のほうで駆け回っていて、とても追いきれなかったんですね。で、社内で米国に出張していた人間に、悪いけど時差を使って全部見てくれって頼んで、テキストにまとめてもらいました。

川崎:私は東京で見て、ひとりハッカソンをやっていました。

じゃらん 東北地方太平洋沖地震<被災者支援プラン>API

及川:「じゃらん 東北地方太平洋沖地震<被災者支援プラン>API」を作ってしたよね。

川崎:震災のあと、プログラマーに何ができるかわからない、という焦燥感がすごくあって。Hack for Japanによって、自分たちにもできることがあると思えた、という気持ちはあります。自分ひとりじゃなくて、会場で会えた人も、オンラインでも、いろいろな人がいろんなことを考えているんだとわかって、何かできるんだ、ということが実感できたと思います。

――第1回のイベントには何人ぐらい集まったのでしょうか。

及川:Googleモデレーターでは、参加者が565人で、258個のアイデアと5447件の投稿が行なわれてました。Google Waveのコメント数は、1279件です。ハッカソンの参加者は、京都が62人、福岡が7人、岡山が10人、徳島が4人でした。

――参加者はバリバリの開発者ばかりだったのでしょうか。

及川:ハッカソンは初めてという方も参加されていて、非常に刺激を受けたというブログでの報告もありました。自分は普段はゲーム開発者で、ウェブはあまりわからないけれど参加したという方もいらっしゃいました。チームによっては、アイデアソンの延長みたいな形で議論を続けているところもありました。

――そのときに、みなさん完成までこぎつけたのですか。

及川:普通のハッカソンでは、デモまでできればそれで終わりなのですが、支援活動は継続していくものです。この時のハッカソンの成果という意味では、ハッカソンである程度使えるところまで開発してその後改良を重ねているものや、逆に前から作っていたものをハッカソンでブラッシュアップしたものなどがあります。

 後者の例でいうと、炊き出し情報を流すTwitter botの「炊き出したん」があります。ハッカソンより前からサービスしていたのですが、作者の方が京都会場に参加してブラッシュアップしていきました。

 京都会場で作られたものでは、「デマだったー」というのもあります。Faceookの「いいね!」のようにして、情報がデマかデマじゃないか、信憑性がどのぐらいあるかを投票していけるもので、TwiccaというAndroid用Twitterクライアントのプラグインになっています。

 福岡会場では、「どねったー」というプロジェクトもありました。義援金を出すとポイントがたまるシステムをミドルウェアにして、育てゲー(育成ゲーム)やソーシャルゲームにすると。第1回のハッカソンで作り始めて、第2回で機能追加などをやっていました。

炊き出したんデマだったー

仙台で被災地の立場から意見やアイデアを出してもらう

Hack for Japan第2回ハッカソン東京会場の模様

――第1回を開催して、第2回へ向けて考えたことは。

及川:最初の反省点としては、やはり、実際の被災地のことがわからないというのが一番大きかったですね。我々が作っているものは正しいのだろうか、役に立つのだろうかと。被災地の状況を知りたい、被災地とつなげるための人の交流が必要だ、という点をみなさん第1回の反省点として挙げられています。というわけで、我々も実際に仙台や岩手などに足を運びました。

――第2回を、仙台や会津若松でも開催しましたが、いつごろからそのような計画を?

及川:まず、第2回ハッカソンをやろうと決まったのが、4月3日のミーティングでした。そのあと、ゴールデンウィークの前ごろに、「助けあいジャパン」の藤代裕之さんから「ボランティア情報ステーション」のAPIを使ってほしいという話をもらって、どうせなら仙台でも開催しようという話がスタッフの間から出ました。ちょうどそのころ、西脇さんが仙台、私が会津若松の地域コミュニティとそれぞれつながりができたので、彼らといっしょにやろうという話になりました。

――実際に現地の方はたくさん参加されたのでしょうか。

及川:そうですね。参加者全体でいうと、東京で1日目が46人で2日目が37人のところ、仙台が40人と18人、会津若松が36人と18人でした。

仙台会場の模様会津若松会場の模様

西脇:仙台には、現地の人の話を聞いてその場でアイデアソンやハッカソンをしたい、ということで関東から来た人もいました。そのため、仙台のコミュニティの方々と、関東からの参加者、スタッフとで、いっしょになってやっていました。

 特に仙台では、コーディングできる人だけじゃなくて、アイデアだけ出せる人にも、被災地の立場で情報交換できる人にも参加していただいて、アイデアソンの議論に参加していただけるようにしました。

川崎有亮氏

川崎:あれは、Twitter経由で東京でも見ていて、みんなのアイデアの参考になりましたね。

――会津若松の状況はどのような感じだったのでしょうか。

及川:同じですね。初日のアイデアソンに、IT系だけど開発者ではないという方にも参加していただいた。

 会津若松では、会津大学が会場で、学部生らにも参加していただきました。今回のアイデアソンでは、直接ITとは関係なくても、避難所にいる小中学生に家庭教師をしてあげたらどうだろうか、という議論に発展したりして、仙台とはまた違う形の議論があったかと思います。

――東京は両会場と違う部分も大きかったと思いますが。

川崎:東京では各地の情報を見て、刺激を受けていたと思います。

 東京で面白かったのは、開発系だけじゃなくて、デザイン系とか企画系の人とかも多かったことですね。いちばん多かったチームは、広報・PRの観点から考えるというテーマで。こうした分野はやはり東京がいちばんやれるところなのかなと思います。広報などは順番としてはまだ先かもしれないですけど、裾野を広げるために伝えていくことはきっと必要だと思うんです。

西脇:あの発想は仙台では出ないですね。

川崎:で、できたのが、復興支援プロジェクトを「いいね!」ボタンで盛り上げる「復興イイネ ボタン」です。

及川:あれ、いいですよね。

川崎:人数も多く、日曜だけ参加してくれた開発系の人も多かったですね。

及川:「だじゃれクラウド」は全員ばらばらのメンバーで集まったんですよね。

川崎:全部ばらばらですね。その場で集まって。

及川:ニッポン放送のapp10という番組でアイデアを募集して、出てきた中からパーソナリティの吉田アナウンサーが、なぜか「だじゃれクラウド」を選んだ。で、会場で開発メンバーを集めるのですが、私としては予想外に何人もの手が上がりましたね(笑)。

復興イイネ ボタンだじゃれクラウド

――開発者は、当日自分で手を上げたチームに参加するシステムですね。

川崎:ほとんどその場のノリですね。

及川:アイデアソンが終わったあとにチーム分けして、そこで仕様やデザインを話し合うのですが、初日の最後になって次の日に参加できるメンバーが自分ひとりだと気付いた人もいて(笑)。その人は「どなたか来ていただけませんか」と他のメンバーをスカウトしていました。

川崎:そういうファシリテーションは、仕事では起きないことなので、ハッカソンの経験がないと気付かないですよね。運営としてそういうのをフォローできればと思います。

――川崎さんは開発者イベント「Mashup Awards」の事務局を務められるなど、経験を積まれていますよね。

川崎:そうですね、去年はMashup Awardsの期間中、毎週ハッカソンを開いていたので。しかし、今回のHack for Japanは会場もばらばらで、事前準備もほとんどなしで、ほんとよくできましたね(笑)。

西脇:あのぐらいがいいと思うんですよね。プロではないので。

及川:下手にうまくできちゃうとプロっぽく見えてアラが目立つ(笑)。

開発されたサービスを広める部分もサポートしたい

西脇資哲氏

――この先、第3回などの開催予定は?

及川:一応、2カ月に1回ぐらいはハッカソンを開催したいと考えています。予定だと7月ですね。ハッカソン参加者にアンケートをとったので、それを加味して、日数や時期なども考えたいと思っています。

――この先、復興までは長いと思いますが、いつまで続けようといった計画は?

及川:いちばん最初のスタッフミーティングで、まずは1年、来年の3月11日までやろうと決めました。1年たって終わるわけじゃなくて、状況がどんどん変わっているので、体制なども含めて仕切り直しましょうと、区切りとして決めました。

 正直、1回目のハッカソンが終わって2回目までの間、ちょっと停滞していました。しかし、第2回を開催して、けっこう手応えを掴んだので、少なくとも1年はちゃんとやっていきます。

 あと、これは私の考えなんですけど、もしHack for Japanから生まれるようなプロジェクトが自然発生的に立ち上がって、メンバーも集まって、現地とのミーティングも深めて、成果物を出していけるようになれば、Hack for Japanの役割は完了かなと思います。コミュニティを存続させることはゴールじゃない。本当に何が役立っているのかを見直して、軌道修正していけばいいと。

川崎:阪神淡路大震災のときには、発生から2年間はメディアの記事は多いんですが、3年目や4年目になると少なくなってるんですね。その例を見ると、2年より先は、何かの取り組みがないと忘れてしまうので、何かドライブをかけていく必要があると思います。

西脇:サービスとかコミュニティは形じゃないんですよね。もしHack for Japanが形としてなくなっても、このつながりがちゃんと残っていれば、次に災害などが起きたときにもまたサービスを立ち上げられると思うんです。

――今後、Hack for Japanの運営でやりたいことは。

川崎:Hack for Japanでは、アイデアが出て、チームのメンバーを集めて、いっしょに開発して、できたサービスを使ってもらうというライフサイクルですよね。開発までのところはフォローできるように少しずつなっていると思うので、できたサービスをもっと広めて使ってもらう部分も応援したいですね。

及川:よく、参加しようと思ってサイトを見たけれど何をしたらいいかわからない、と聞かれるんですね。例えば、プロジェクトの表があるんですが、どれが本当にアクティブで、どういうスキルのある人を求めているかもわからないと。そこをもう少し見やすくして、プロジェクトに参加しやすくするよう改善していかなくちゃないけないかなと今思っています。

西脇:私は、サービスを実際に使った人のフィードバックが欲しいと、切に思っています。例え、駄目だ、というフィードバックでも。

――ちなみに、「Hack for Japan」という名前は、どなたが付けたんでしょうか。

西脇:誰だっけ?

及川:メーリングリストのログにあるんですけど、山崎富美さん(Google)です。最初に考えたのは、もっと長い名前だったんですよ。で、長い名前だとTwitterのハッシュタグにしたときに140字を無駄に消費するからやめようと。「Hack for Japan」なら「#hack4jp」にできるので、これでいいじゃん、と。

川崎:初めて知りました(笑)。


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(高橋 正和)

2011/6/27 06:00