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昭文社の地図出版物はこうして作られる 「山と高原地図」編
2016年7月7日 06:00
「まっぷる」「ことりっぷ」「山と高原地図」など、さまざまな出版物および地図・位置情報データを提供している株式会社昭文社。同社が提供する製品の中でも長い歴史を持ち、幅広い年齢層に支持されているのが「山と高原地図」および観光ガイドの「まっぷるマガジン」だ。両媒体ともに近年はスマートフォンアプリなどの電子媒体と連携した使い方が可能なほか、地図やデータなどを他サービスに利用する取り組みも始まっている。今回はこの2大コンテンツについて、その作成・管理の担当者に話を聞く機会を得たので、そのレポートを2回に分けてお送りする。
- 昭文社の地図出版物はこうして作られる 「山と高原地図」編(この記事)
- 昭文社の地図出版物はこうして作られる 「まっぷるマガジン」&観光ガイドデータベース編
1965年から続く定番の山岳地図
昭文社が創業したのは1960年。この年、同社は官公庁・企業向けの「大阪市区分地図篇」および一般向けの「大阪市精図」「河内市精図」を発売した。以降、同社はさまざまな地図製品やガイドブックを提供し続けているが、その中でも1965年から続く息の長いシリーズとして親しまれているのが登山者向け地図「山と高原地図」だ。
登山では、この「山と高原地図」と国土地理院の地形図が定番としてよく使われている。国土地理院の地形図と比較すると、「山と高原地図」には、等高線が入った地図の上に登山コースが分かりやすく描かれており、そこを歩いたときにかかるおおよその時間(コースタイム)や、水場の位置などの情報が数多く載っていることが特徴だ。さらに、「分岐注意」「雨天時注意」「冬期は通行止め」「道狭く荒廃ぎみ」といった安全にかかわる情報もコメントとして載っているほか、眺望の良し悪しや登山口までのバス/タクシー情報などアクセス情報も掲載されている。
また、国土地理院の地形図の場合は、1つの山について複数枚の地図にまたがってしまっている場合が少なくないが、「山と高原地図」では主要な登山コースと頂上などの情報がまるごと1枚の地図に収まるように掲載範囲や縮尺が最適化されているため、1つの山について複数の地図を持ち歩かなくても済む。
地図のデザインについても、低いエリアは緑色で、標高が高くなるにつれて茶色が濃くなるという配色になっており、山の起伏をひと目で把握できる。山を登る上で必要な情報がぎっしりと詰まったこの「山と高原地図」は多くの登山愛好家に支持されており、現在は日本全国の主要な山域ごとに59点をラインアップしているほか、近年ではこの地図をiPhone/Androidスマートフォンで見られるアプリ版も提供している。
各山域に精通した調査・執筆者による実踏調査
「山と高原地図」の作成は、いったいどのように行われるのだろうか。「山と高原地図」の担当編集者である、出版制作本部の中島辰哉氏(出版制作部・地図編集課)によると、「山と高原地図」の調査を行う“著者”は、基本的に1点につき1人が担当し、実際に山歩きをしてコースタイムや水場・山小屋情報などを収集しているという。どのような人が調査員として活動しているかというと、山岳ガイドやプロの登山家、山岳カメラマン、自営業者など職業はさまざまだが、共通しているのは各山域の地形や自然に精通した登山家であること。
「私は昭文社に入社してから今年で14年目になりますが、私が入社する以前から調査・執筆を務めていて、今もなお続けている人もいます。中には高齢になったことなどを理由に辞める方もいますが、その場合はその方に他の人を紹介してもらったり、近隣の他エリアの方に相談して紹介してもらったりするケースが多いです。それでも見つからない場合は、地元の山岳会や団体に聞いてみることもあります。」
1人で複数のエリアを掛け持ちすることがほとんどない理由は、調査そのものが、かなり手間がかかるという理由が大きい。調査する要素はコースタイム、水場、山小屋、分岐点などの位置や、注意箇所などのコメント、眺望などさまざまだが、登山の場合は1つの山域にさまざまなコースがあり、それらをすべて実踏調査する必要がある。そのコースの中には、国土地理院の地形図には載っていないコースもある。
調査を行う際は登山用の携帯GPS端末を持ち、ログを取りながら歩く場合も多い。水場や迷いやすい所などは、地点情報(ウェイポイント)を保存する機能を使って記録しておく。記録したログやウェイポイントは、PCで読み込み、山岳展望ソフト「カシミール3D」などで表示させて通った道をチェックする。国土地理院の地形図に掲載されていないコースの場合は、ログを参考にコースを地図に書き込んで編集部へ提出する。これは過去に一度だけあった話だが、国土地理院の地形図に入った等高線と標高の関係に矛盾がある箇所を見つけた調査・執筆者もいたという。
調査結果をもとに地図を作成
編集部への提出用の地図は、あらかじめ編集部側で用意したものを使う。この地図は、昭文社が誇る地図データベース「SiMAP(Shobunsha integrated MAPping System:サイマップ)」から該当エリアを切り出して出力したものだ。SiMAPは昭文社がさまざまな地図製品を作成する際のもとになるベクトルデータのデータベースであり、「山と高原地図」もこれをもとに作成される。
調査・執筆者は、山行中に記録したメモやGPSのログをもとに、このSiMAPから印刷した地図に手書きで情報を書き込んで、それを編集部に提出する。編集部では書き込まれた情報をもとに、SiMAPから切り出した地図データに情報を注記を入力して加工するという流れとなっている。
編集ソフトは、データベースと同じ名称の「SiMAP」というオリジナルソフトウェアを使用しており、注記の編集はこのソフトを使って行う。「山と高原地図」が普通の地図と異なる点として、危険箇所や注意箇所、展望などコースの特徴などを説明するコメントが地図のさまざまな場所に配置されていることが挙げられるが、これらのコメントをどこに配置するかも検討する。
また、「山と高原地図」は平野部が緑で、頂上になるにつれて茶色が濃くなっていくというデザインになっているが、どれくらいの標高で色分けの区切りを付けるか、その間隔はエリアごとに異なる。例えば、「山と高原地図 槍ヶ岳・穂高岳 2016年版」では標高2600m以上が一番濃い茶色で着色されているが、「山と高原地図 鳥海山・月山 2016年版」では標高1100m以上が一番濃い茶色で着色されている。このように、各山域で収録している標高に合わせて色分けの区切りを変更しなければ、全体的に茶色ばかりの地図になったり、緑色ばかりの地図になったりして、見難くなってしまう。この色分けについては、アドビシステムズの「illustrator」を使って行う。
このような作業を経た後、数回校正を重ねて「山と高原地図」は完成する。細かい修正を何度も繰り返すのは辞書編集に似ていて、かなりの労力が必要となるが、地図の表記ミスは下手をすると人命を左右しかねないため、編集者の気は抜けない。特に、山小屋や水場のアイコンの位置をどこに置くかは微妙な問題となるため、著者と相談しながら入念に検討する必要がある。
10年ぶりの大幅リニューアル
「山と高原地図」は2015年度から毎年数エリアずつ、約10年ぶりとなる大きなリニューアルを開始した。リニューアルの最も大きな変更は、地図上に分岐点などの拡大図を入れたことである。さらに、山で地図を使う上で欠かせない「磁北線」についても、あらかじめ入れるようにした。また、アイコンも見直して、危険箇所を意味する「危」を「!」に、迷いやすい地点を示す「迷」を「?」に変更した。このほか、トイレや登山届の提出場所など、従来はなかったアイコンも新しく追加した。
地図以外の要素としては、山頂からの山岳展望の3D画像(「カシミール3D」で作成)を掲載したり、アクセス情報をより詳しくするなどの変更も行っている。また、付録として同梱されるミニガイド本についても、高低差グラフを掲載したり写真を増やしたりして、より読みやすくなった。全体的に従来よりも初心者を意識したものになっている。このリニューアルは、2015年4月に4エリア、2016年4月には8エリアにて実施し、現在は計12エリアがリニューアル後のバージョンとなっている。
「拡大図や磁北線だけでなく、例えば槍ヶ岳エリアの地図は、もともとは横向きの範囲だったのを縦にするといった変更を行いました。これは、従来の地図ではマイカー乗り換えの基点となる沢渡が入っていなかったことや、裏銀座縦走コースの起点となる高瀬ダム付近が範囲外だったりと、使い勝手が悪いという意見があったためです。」
山岳地図として長い歴史を持つ「山と高原地図」だが、時代に合わせて常に改良していく姿勢は欠かさない。
紙地図の画面をそのまま収録したスマホアプリも提供
「山と高原地図」は長らく紙の地図として販売してきたが、近年はこの地図をデジタル化したスマートフォンアプリも提供されている。関連会社の株式会社マップル・オンが提供するiPhone/Android向け「山と高原地図」アプリだ。このアプリが初めてリリースされたのは4年前の2012年のことで、最初はiPhone版が公開され、その後、2013年にAndroid版が公開された。企画したのは同社モバイル・マーケティング部の桜井太郎氏だ。
「社内で開催された企画コンテストに『山と高原地図』のアプリの企画を出したところ採用され、そのまま自分が担当することになりました。当時はまだスマートフォンが普及し始めたばかりでしたが、今後スマートフォンは急激に普及することが予想されたので、年配の人でも簡単に使用できるように、誰もが簡単に使える分かりやすいアプリを目指しました。読図が苦手な人でも、スマートフォンのGPSを使って現在地が分かるようにすることで、遭難する人を減らせればいいと考えました。」
登山向けの地図アプリは数多くあるが、その中でも「山と高原地図」は、紙版の「山と高原地図」とほぼ同じ地図を見られるのが特徴だ。
「SiMAPはベクトルデータで構成されているため、山岳地図をベクトルデータで提供することも可能だったのですが、それでは地図の見た目が『山と高原地図』と比べて大幅に変わってしまいます。たとえ情報量が同じだとしても、地図のデザインが見慣れているものかどうかというのはユーザーにとって大きな差となるので、アプリではあえて『山と高原地図』の画面をそのままラスターデータとして収録することにしました。その上で、GPSで取得した現在地を地図上で確認できるようにしたほか、軌跡ログを記録できるようにしました。」
リリース以来、記録したログをクラウドにバックアップする機能を追加するなど、細かくアップデートを行っている。マップル・オンの取締役を務める和田哲志氏によると、今後は紙版では実現しにくい機能の搭載も検討しているという。
「紙の『山と高原地図』と同じ地図を提供するという点については、ある程度の評価をいただいているので、この先はもう一歩、踏み込んで次の段階に移る時期に来ていると考えています。単純に地図を見たり、ログを取ったりすること以外の機能も考えていきたいですね。」
「ヤマレコ」のプランニング機能「ヤマプラ」の背景地図にも使用
昭文社は2015年7月、登山SNSサイト「ヤマレコ」と共同で、登山計画を簡単に行えるプランニング機能「ヤマプラ」を開発してサービスを開始している。同機能は、ウェブ上で登山コースの検討を行えるコンテンツで、各登山コースに設定されているポイント選択するだけで手軽に登山ルートを作成できる。ポイント間の所要タイムや全行程にかかる時間が表示されるため、山行計画を立てやすいのが特徴だ。作成したルートは山行計画機能と連動して、日程や連絡先などの必要事項を追加して提出用の登山計画書を作成することもできる。
この「ヤマプラ」の背景地図に使われているのも「山と高原地図」の地図データだ。「山と高原地図」の地図画面のラスターデータの上に、経路を示すネットワークデータをベクトルデータとして重ねており、地図配信やネットワークデータは昭文社がAPIとして提供している。登山コース上のコメントや水場情報など細かい情報は省かれているが、登山コースが目立つ分かりやすいデザインは、紛れもなく「山と高原地図」そのものだ。もちろん、同サービスで使用されているコースタイムは、「山と高原地図」に収録されているコースタイム情報をもとにした情報となっている。
また、昭文社では、「山と高原地図」以外でも、さまざまな山岳ガイド本を刊行しているが、これらのガイド本に収録されているコースタイムは、すべて「山と高原地図」をもとにしている。さらに、株式会社いいよねっとが提供しているGARMINの日本版GPS専用の地図データ「TOPO10MPlusV3」にも、「山と高原地図」のコースタイムや尾根名データ、キャンプ場データ、探索用山頂データ、山小屋、危険箇所、注意箇所などのデータを使用しているほか、エプソンのGPSウォッチ「Wristable GPS for Trek」に「山あるきデータ」を提供している。そのほか、多くの県警本部、消防本部の通信指令システム内でも、山と高原地図のデータなどが使用されているという。
「山と高原地図は昭文社グループの中でも重要なブランドの1つです。“山”というフィールドにおける商品は、作るほうも熱意を持って取り組んでいるし、使用する方にも熱意があるので、市場としてはとても面白い。現在は紙とアプリという形で提供していますが、この分野において弊社でできることがあれば今後も積極的に取り組んでいきたいと考えています。ビジネスに限らず、例えば登山計画の安全・安心への取り組みとか、登山という市場そのものを盛り上げていく草の根の活動とか、そういうものも含めてチャレンジしていきたい。、そうすることで市場にも、弊社のビジネスにも広がりが出るのではないかと考えています。今後もいろいろなチャレンジを続けていきたいですね。」(和田氏)