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iBeaconで山の遭難を未然に防止、北アルプスで“お守りビーコン”実証実験
(2015/7/23 06:00)
長野県は、iBeaconで取得した登山者の位置情報を活用したり、危険情報を提供したりすることで、登山者の遭難事故防止を図るプロジェクト「山岳遭難防止プログラム」を2014年度に開始した。同プロジェクトは長野県の「山岳G空間プロジェクト協議会」が主催し、国交省事業として実施したもので、長野県警や長野県下の市・村、そして外部組織としていくつかの民間企業も協力している。その中の1つである株式会社クリエイティブホープが、同プログラムにおいて実施した実証実験の成果を報告するメディア向け発表会を実施したので、今回はその内容をレポートする。
同プロジェクトの基本的な考え方は、「登山者の正確な位置情報」「登山計画と移動履歴」「過去の災害情報や気象情報」などの情報を「山岳G空間データベース」として集約し、登山者やその家族、県警などに提供するというもの。登山者に対しては、登山者の位置情報の収集や危険地帯の警告、はぐれ防止の警告などを行うことにより、登山者の自己判断による遭難防止に役立ててもらう。また、登山者の家族に対しては、登山計画と、登山者の移動履歴を提供することにより、「安心」を提供する。さらに県警に対しては、登山者の位置情報を知らせることで、遭難時の迅速な救助が可能となる。
登山者1人1人にペンダント型iBeaconを貸与
このうちiBeaconを活用した実験としては、「登山計画と移動履歴」そして「はぐれ防止の警告」が挙げられる。登山者の移動履歴を取得する試みとして、今回のプロジェクトではペンダント式のiBeacon(通称:お守りビーコン)を登山者1人1人に渡して、それらのiBeaconを検知するためのAndroidアプリ「山小屋アプリ」を開発した。「山小屋アプリ」をインストールした端末(Nexus 5を使用)は山小屋に設置し、登山者が持つiBeaconを検知すると通行実績として記録し、それを蓄積して移動履歴にする仕組みとなっている。
実験を行うにあたっては、事前の準備として、登山者がウェブ上で登山計画を立てる際に、手持ちのiBeaconのIDを登録して自分のプロフィールと紐付ける必要がある。登山中はそのiBeaconを持って山を登り、山小屋を通過すると通行実績として自動的に記録され、それが携帯電話回線を使ってサーバーに送信される。そしてその結果を家族が家からウェブで見ることが可能となり、家族を安心させることができる。
今回の実証実験では、北アルプスの燕岳登山口および山小屋の燕山荘、大天井ヒュッテ、ヒュッテ西岳、ヒュッテ大槍、槍ヶ岳山荘、殺生ヒュッテ、槍沢ロッヂ、横尾山荘、徳澤園、上高地バスターミナルの11カ所にNexus 5を設置し、主にNTTドコモの回線を使用(一部ソフトバンク回線を使用)して移動実績などのデータを送信してデータベースに集約した。実証実験に協力し、実際にiBeaconを持って登山した人の数は計128名。実施期間は夏山の時期(2014年8月下旬~9月下旬)に行なった。
Nexus 5を設置したのは、燕岳登山口のある中房温泉を起点として、合戦尾根を登って燕山荘を通過し、大天井岳と西岳を経て槍ヶ岳へと至るルート。通称“表銀座縦走コース”と呼ばれる人気のルートだ。実証実験の結果によると、iBeaconの検知率は燕岳登山口で91.2%、燕山荘で88.0%、上高地バスターミナルで75.0%と高かったが、槍ヶ岳山荘および徳澤園では53.8%、ヒュッテ西岳およびヒュッテ大槍では42.9%と半分くらいの検知率で、さらに槍沢ロッヂでは33.3%、大天井ヒュッテでは7.1%とかなり低いところもあった。
一部の山小屋で検知率が低かった理由としては、登山者が計画と異なった行動を取ったケースもあれば、Nexus 5の設置場所が悪く検知しにくかったケースや、携帯電話回線が不通という場合もあった。また、集団で通過する時に検知率が低くなるケースもあったという。
通常、BLEビーコンを使ったサービスを提供する場合、ビーコンは特定の位置において固定し、利用者がスマートフォンを持って情報やクーポンなどを受け取るというパターンが多いが、今回の実証実験では、ビーコンそのものは登山者が持ち、端末のほうを山小屋などに固定するという点で、通常とは逆のパターンであることが注目される。最近では子供見守りや高齢者の徘回を検知するサービスとして、移動する側がiBeaconを持つサービスが登場してきているが、これを登山に適用した例は珍しい。
この件に関して、クリエイティブホープの神田大樹氏(Webビジネスコンサルタント マネージャー)は、「サービスを検討する際に、iBeaconを山小屋に設置して、登山者がスマートフォンを使って検知するという方式も考えましたが、北アルプスでは携帯電話の電波が入らないエリアがあることや、スマートフォンではバッテリーの持ちが気になること、登山者はフィーチャーフォンの利用者がまだ少なくないことなどを考慮した結果、iBeaconを登山者が持つという方式になりました」と語る。この方式ならばスマートフォンの電源確保を気にする必要がなくなるが、反面、設置場所によってはiBeaconの検知率が大幅に下がってしまう。この点については今後の課題と言えるだろう。
iBeaconを活用した「はぐれ防止」の実証実験
もう1つのiBeaconの活用事例である「はぐれ防止の警告」については、登山パーティー(登山グループ)のリーダーが専用アプリ「登山者支援アプリ」をインストールしたスマートフォンを持ち、そこにメンバーのiBeaconの番号を登録した上で実施した。リーダーは山行中、常に登山者支援アプリを起動させた状態で山を登り、メンバーが数十メートル離れるとアラートで知らせる。こうすることで、はぐれたメンバーの早期発見や、迅速な救助要請が可能となる。
実証実験の結果、「パーティーから離れた人を特定でき、遭難防止に寄与することができる」「こうした機能が遭難防止や発見の早期化につながればよいと思う」と好評だったが、一方で、「はぐれていなくても通知されたり、はぐれていても通知されなかったりする場合があった」という声も聞かれ、今後は電波強度や検知間隔などの調整が課題となっている。
危険情報の配信や準天頂衛星の精度実験も実施
iBeacon以外の実証実験としては、危険地帯の情報をスマートフォンに配信する実験も行われた。自治体から提供された登山道の危険情報をあらかじめ地図上に登録し、登山者がスマートフォンを持って山を登っている時に、危険地帯に近づくタイミングでプッシュ通知で危険情報を配信し、その位置を地図上に表示した。
この実験では、参加者から「危険地帯の通知は登山時に有用」という声が寄せられたものの、「すぐに利用可能な位置情報付きの情報が少ない」という課題もあった。今後は危険情報の収集・整理を行った上で、公開する仕組みが必要だという。また、「危険ポイントの写真もアップされると分かりやすい」という感想も聞かれた。
このほか、準天頂衛星(QZSS)による測位を利用した軌跡ログの収集なども行なった。専用端末を使うことでL1-SAIF信号を使ったサブメーター級測位を行い、GPSのみでの測位に比べて大幅な精度向上を確認できた。
なお、QZSSによる精度実験および危険情報の配信については、冬山シーズンとなる2014年12月下旬~2015年1月下旬に行なった。QZSSの精度実験を冬に行なったのは、QZSSの信号を受信するのに、冬の昼間がベストタイミングだったためだ。
また、L1-SAIFの信号はAndroid端末しか対応していなかったため、今回はAndroidを採用した。今回、iBeaconの検知のために山小屋に設置する端末にもAndroidを使用しているが、当初はiBeaconがApple規格ということで、iBeacon検知用の端末だけiPhoneを利用するということも検討したという。しかし、実証実験の期間中に、設置用と手持ち用の端末を交換するという可能性も考慮して、すべてAndroidに統一したとのことだ。
iBeaconを雪崩発生時の救助にも活用
もう1つ追加で行なったのが、iBeaconを雪崩発生時の救助に活用するための実験だ。雪に穴を掘った上でそこにiBeaconを設置し、後ろ向きで穴から少しずつ離れて、検知できなくなった地点と穴からの距離を測定した。iBeaconの上に被せる雪の量としては、「穴埋めなし」「積雪量40cm」「積雪量1m」と何パターンか試した。また、iBeaconを埋めた穴に対して後ろ向きになった状態での測定と、正面向きで測定した状態での測定の2パターンも実験した。この結果、積雪量が1mの状態であっても、後ろ向きで約2.9m、正面向きで約6.0mまで電波を検知できた。
この実験により、雪崩などに巻き込まれた遭難者の捜索に効果があるかもしれない、という結果が得られた。以前から登山用として販売されている雪崩用の電波ビーコン端末(雪崩ビーコン)は、高価なため所持率が低く、雪崩発生時に雪崩ビーコンを所持していない遭難者を捜索する場合、通常は1m程度の間隔で数人並んでプローブ(遭難者が埋まっている場所を特定するための探り棒で、「ゾンデ棒」とも呼ばれる)を使って捜索するが、iBeaconの受信距離が6m程度ならば、この間隔を12m程度まで広げられる可能性がある。
また、専用の雪崩ビーコンは数万円する高価なものが多く、もしiBeaconで似たような使い方ができるのであればコスト面で有利となる。今回の実証実験では登山者に配布するペンダント型iBeaconの価格がどれくらいになるのか未定だが、iBeaconモジュールは一般的に数百~数千円くらいで提供されているので、安価に提供できるのであれば、まさに多くの登山者が気軽に持ち運べる“お守り”のような存在となるかもしれない。
このほか、山岳関連情報を活用した今後の事業展開については、今回のプロジェクトのプロジェクトマネジメントを務めた株式会社ビッグツリーテクノロジー&コンサルティングの羽染智氏(SI事業部マネージャー)が語った。
「山岳関連情報は登山だけでなくバックカントリースキーなどにも活用できるし、登山者の行動履歴を使えば、使う人の年齢に合わせた登山ルートのコースタイムを提示できます。また、登山者の行動履歴を取れば、土砂災害などで山の道が変わっていてもリアルタイムに更新できるようになります。そのような情報に、自治体が保有する危険箇所の情報や、SNSに投稿された登山関連の情報などを加えて“山岳G空間データベース”として集約すれば、旅行会社が登山ツアーの顧客に情報を提供したり、保険会社が登山者に情報を提供することで山岳事故を減らしたりするといったビジネス展開が可能となります。」
「さらに、登山用具のメーカーなどはデータベースの情報をもとに新商品開発に役立てることもできるし、行政や企業としては安心・安全な登山を実現することで地元の登山者数を増やすことができます。そういう意味では、北アルプスのほかの山域にも適用できるし、海外にも展開していくことが可能です。子供や高齢者の見守りなど、さまざまな分野への展開も考えられます。」
今後のスケジュールについて、長野県企画振興部情報政策課課長の坂口秀嗣氏は、「今回の実証実験を踏まえて、なんとか事業化を実現したい。クリエイティブホープさんをはじめとした協力企業や山小屋関係者、通信事業者、保険会社、機器会社などに呼び掛けて、来年の夏に向けて北アルプスで投入できないかということで、事業化計画の骨子案を出したいと考えています」と意気込みを語った。
「山ブームということもあり、ここ4~5年は山岳遭難者が急増しており、特に北アルプスは入山者数と遭難の発生率が突出しています。北アルプスは山が折り重なっており、携帯電話の電波が入らないエリアも多く、またGPSの位置情報を取得しにくい場所もあり、そのような課題を、iBeaconを使うことで行動履歴やはぐれ検知、さらに観光情報や危険情報の配信などを実現し、解決策を提示したいと思っています。」