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10代のネット利用を追う

“情報モラル教育”ではなく、“ネット安全教育”を

ネット安全モラル学会に聞く


 「ネット安全モラル学会」をご存じだろうか。子どもの携帯電話購入・所持を禁止することを盛り込んだ「いしかわ子ども総合条例改正案」(石川県議会で6月末に可決・成立)に対して否決を求めた学会だ。この意図は何か。また、学会の目指すものは何なのか。代表を務める早稲田大学大学院教職研究科教授の田中博之氏に話を聞いた。

メディアの“光”の面だけを見ている時代ではない

「ネット安全モラル学会」代表を務める早稲田大学大学院教職研究科教授の田中博之氏

 田中氏は教育工学が専門で、20年前から情報教育を研究してきた。放送やネット、コンピュータなどを使い、子どもの表現力や思考力を高める方法を模索するなど、いわばメディアの光と影のうち“光”の部分を扱ってきた。

 例えば1997年には、当時まだ利用料が高かったテレビ電話をNTTの支援で授業に取り入れ、オーストラリアや英国、ハワイや韓国と国際交流学習をしたことがある。ただ資料を見るだけではなく、実際に現地の食べ物を送ってもらって食べたり、楽器も演奏した。そうやって交流すると、ニュースで見聞きするのとは違う情報が入り、親しみも増す。韓国の子どもは「日本のマンガが大好き」「電化製品も日本のものばかり」と言い、日本の子どもは「韓国俳優をテレビでよく見る」「日本でもキムチを食べる」とやりとりしていたという。

 一方、“情報モラル教育”は「メールを打つ時は思いやりの心で」「チェーンメールは無視しましょう」などの道徳的なことやで当たり前のことばかり。田中氏は、自分が扱わなくてもいいし、学校の貴重な時間を使って扱わなくてはいけないとも思わなかった。

 状況が一変したのは、2004年に起きた佐世保小6女児同級生殺害事件だ。ブログに書かれた「デブス」という言葉がきっかけで、小学6年生の女児が同級生を殺害するに至った。「ネットで公開されている掲示板が、殺人や命に関わる犯罪の起きる場所になっているのがショッキングだった」と田中氏は述懐する。

 田中氏が最終的に重い腰を上げるきっかけとなったのは、2007年に起きた神戸市須磨区の私立高校でのいじめ自殺事件だ。メールでの金品強要や、学校裏サイトに裸の写真が掲載されていたことでも話題になった。経済的に恵まれた地域の子どもたちがストレス発散のために殺人をする――。田中氏は「“光”の部分だけ研究するのでは実態に合わない。子どもに迫る危機は大きい」と考え直した。

 その後3年ほどの間、子どもによる犯行予告などありとあらゆるネット関連の事件が立て続けに起きた。学校の先生に聞くと「学校裏サイトやネットいじめは最早当たり前で、毎日指導している」という。田中氏はそんな時代が来ていることに驚き、学会を設立することを考えついた。

“ネット安全教育”の必要性

 ネット安全モラル学会は、2009年1月に「“ネット安全教育”がやりたい」という考えのもとに設立、発足会を行っている。“ネット安全教育”とは、田中氏が提唱した考え方だ。情報化社会におけるあるべき態度やモラルを身に付けさせようとする“情報モラル教育”とは異なり、具体的に犯罪の避け方や事例を子どもに教えようというものだ。

 「“情報モラル教育”は範囲が広すぎる」と田中氏は言う。前述のように“情報モラル教育”には「メールを打つ時は思いやりの心で」「チェーンメールは無視しましょう」なども含まれる。しかし、現在の子どもたちはとても危険な状況に置かれており、モラルとか倫理とか言っている場合ではない。現状の教育でははっきりと教えていない、具体的な犯罪の種類や与えられる罰、実態などの情報を与え、具体的な予防や対策を中心とした教育をすべきなのだ。

 具体的には、「ネットで犯行予告をしたら捕まる」「脅迫メールを送ると脅迫未遂で補導・逮捕される」「この事件ではこういうメールを送り、こんな罰が与えられた」といったことだ。そういうことを教えないと、子どもが危機を予知したり回避できないと考える。

“ネット安全教育”を教育者予備軍に

「ケータイ社会と子どもの未来――ネット安全教育の理論と実践」(メディアイランド)

 今後、田中氏は子どもたちに教えるためにリアルな犯罪事例を集める予定だ。すでに、高校1年生を対象に子どもの実態に合った事例を教え始めている。“情報モラル教育”ではぼかしてしまっている「犯罪者の意図」もきちんと教え、ネットが危ないのではなく、悪い大人が悪意を持って子どもたちに向かっていることを教えているのだ。

 ただ、そのような教育を学校の先生たちに勧めても拒否反応が強く、「怖がらせるだけ。時間もないし……」と言われてしまう。そこで、大学の教員養成課程の段階で学生に教えればいいと考え、関西の教員養成系の学部の研究者らで書いたのが、書籍「ケータイ社会と子どもの未来――ネット安全教育の理論と実践」(メディアイランド)だ。実際に教育現場で使える“ネット安全教育”の実例を紹介する本となっている。

日本だけが“モラル”、世界は“ネット安全教育”

 英国は教育面で進んでおり、“ネット安全教育”の考えをもとにした教育「eセーフティ」というものがあり、「セーフティエデュケーション」と呼ばれる。米国では「デジタルセーフティ」「サイバーセーフティ」とも言う。「日本が一番ネット犯罪が多いにもかかわらず、教育面では遅れている。日本だけが“モラル”と言っているが、世界は“モラル”ではなく、“ネット安全教育”の考え方で動いている」。

 例えば、英国のChild Exploitation and Online Protection Centre(CEOP)だ。教育部門が事例を集めて警察に連絡するため、スムーズに補導・逮捕につながるという一体化が実現している。「教育だけではダメで、もっと学校教育、警察、市民などが携わっていくシステムを国家レベルで整えないといけない」。

 英国のほか、米国やニュージーランドも“ネット安全教育”の先進国だ。田中氏は「最先端の国の実態を調べて、日本の教育が遅れていることを伝え、国に政策提言をしたい」と話す。

行政が「携帯電話を持たせるな」はおかしい

「ネット安全モラル学会」のWebサイト

 子どもの携帯電話購入・所持の禁止を盛り込んだ「いしかわ子ども総合条例」に対しては、「そもそもパブリックコメントをとっていないし、罰則規定がないので有効性がない。問題が水面下に潜るだけであり、携帯電話を持っていないことが前提では、教育者や保護者に『教育しなくていい』という安堵感が広がることが問題」と田中氏は指摘する。

 この条例は小学生と中学生が対象だ。しかし、小学生の家庭の2〜3割は固定電話がなく、携帯電話しかない。また、中学生は部活や塾帰りなどの連絡に携帯電話を利用している。その一方、携帯電話がきっかけとなった性被害の事例がより多い高校生には購入・所持を禁止していない。「9割以上が持っているから禁止できない」というのが理由だが、今すぐ禁止すれば3年後には所持率ゼロも可能のはずだ。田中氏は、「禁止できない本当の理由は、最近の携帯電話は長期契約が基本となっており、途中で解約すると違約金を払わなければならないが、自治体が補填する余裕がなかったからではないか」と指摘する。

 一方、石川県野々市町では、小・中学生に携帯電話を持たせない市民運動「プロジェクトK」が2003年から進められた。町の条例で禁止したところ、中学生の携帯電話所持率は全国平均の4割を大きく下回る1割強まで下がり、不良行為も減ったという。「これは成功事例」と田中氏は認める。

 結果的に子どもが携帯電話を持たなくなることには賛成するが、「いしかわ子ども総合条例改正案」では、行政で強制的に決定した点がいけないと考えているのだ。持たせる・持たせないという決定は家庭の判断ですべきであり、行政側がすべきではない。もちろん、野々市町のように住民運動で決まるならありだろう。「県は上から押し付けるのではなく、側面支援をすべき。上から押し付けるのは民主主義ではない」。

「子ども学会」「保護者学会」も作りたい

 「e-ネットキャラバン」をご存じだろうか。保護者や教職員を対象として、インターネットの安心・安全利用のための啓発「e-ネット安心講座」を実施するキャラバンで、文部科学省・総務省が取り組んでいる。この度、「e-ネットキャラバン」は5年ぶりにパンフレットの大改訂を行うが、ネット安全モラル学会が担当するという。ネット犯罪、ネットいじめ、ネット依存、ネット誘因、ネット詐欺などに渡る内容で、“ネット安全教育”という考え方での改訂となる。

 学会は、e-ネットキャラバンの講師の育成も担当する。講師は400〜500人いるが、これまでは古いガイドブックに沿った教育を行っていた。新しいパンフレットはかなり変更されているため、教育し直す必要があるのだ。「国や自治体も危険性や教育の必要性は感じている。e-ネットキャラバンと石川県の条例が異なるのは、その現れ方に『危機には対応を』と『臭い物には蓋』という違いがあることだろう」。

 ネット安全モラル学会は今秋、学会発表を行い、学会誌も出す。メンバーは大学の研究者を中心に、医師、弁護士などが参加しており、総会では小・中・高校の先生たちを対象に募集をかける予定だ。さらに「子ども学会」「保護者学会」を作り、多くの人と協力しながら国民運動にして子どもの安全を守りたいと田中氏は考えている。まだ事例が少なく、理論ばかりのため、実践例を事例集としてまとめて本にすることも検討中だ。

“影”の面に対する責任を果たすため対応を

 最近の保護者は子どもに甘い。物分かりが良すぎ、子どもを信頼しているからと簡単にフィルタリングをはずしてしまう。しかし、小・中・高校の時代に子どもを全面的に信頼して任せることは、危険性を高めることにつながりかねない。「“影”の面に対する自己責任を果たすために、毅然とした対応をとるべき」と田中氏は主張する。

 子どもの携帯電話利用のルールを決めるなら、購入前がお勧めだ。ルールや条件を決めた上でしか購入しないようにし、保護者は、してはいけないことを毅然と言えるくらいまで勉強すべきなのだ。

 子どもたちの携帯電話の利用率も高まり、危険も増える一方だ。携帯電話をただ取り上げるだけではなく、理想やモラルを語るだけでもなく、子どもに具体的に危険の避け方を教えるべき時に来ている。そのためには、まず保護者や教育者が危機意識を持ち、正しい知識を身に付けておくべきなのだ。


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2009/9/24 11:00


高橋 暁子
小学校教員、Web編集者を経てフリーライターに。mixi、SNSに詳しく、「660万人のためのミクシィ活用本」(三 笠書房)などの著作が多数ある。PCとケータイを含めたWebサービス、ネットコミュニケーション、ネットと教育、ネットと経営・ビジネスなどの、“人” が関わるネット全般に興味を持っている。
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